フォンはそう約束してくれたが、どのようにして、 誰がっかまえてくれるのかは言わなかった。パフート たそがれ に帰り着いたのは黄昏であった。フォンはもとの衣服 に改めて出てくると一杯飲んだ。別れの挨拶の時に、 ガラゴをとってくれるという約束を忘れないでほしい と、私は頼んだ。 この草原地方には多種多様の爬行動物がいたが、た 「ええ、忘れはしません。必ず何匹かのシリングをと いていが捕えやすいようだった。低地の森林ではヘビ ってあげますよ。」 などはめったに見られなかった。もちろんその地方に それから四日たった。フォンはガラゴのことを忘れもいることはいるものの、散らばっている上に、ほと おとさ たのか、それより思ったよりとらえにくいのか、音沙んどが樹上にすんでいるために、見るのも捕えるのも 汰もなかった。五日目の朝、お茶の運ばれた盆の上に、 非常にむずかしい。ところが、この地方では小さな あざやかな色で染められたラフィア葉の小さな籠がの歯動物やカエルがうようよしており、さらにぼつり。ほ っていた。私はなにげなく眠い目をこすりながら蓋をつりとある林には鳥類がたくさんいるため、ヘビにと とって中をのそいた。そこには、大きく澄んだあどけってはまさに天国であった。黒々と大きく猛毒を持っ ない目が四組、いぶかしそうに、しかしおだやかに私コ・フラ、緑色のマン・ハ、大きなあどけない目で樹上に を見上げているのだった。 すむ細いへビ、叉になったサイの角を鼻先につけた多 籠の中には、フォンの贈りものであるシリングが入色のガポン・マムシ、その他たくさんのヘビがいた っていたのである。 カエルもヒキガエルも無数にいた。大はケガエルから 小はドングリの実ほどの樹上にすむものまで種々雑多 八ケ・フォン・グーというトカゲ また けっ 8
か。次第に近づくにつれて、その姿は、アイルランド ような気がした。 の妖精レプリコーンに対して持っていた私の概念その彼は約一分ほど枝の上でお・ほろげな声で鳴いた。と ものだった。緑色がかった灰色の毛におおわれて、長たんに驚くべきことが起こった。あっという間に、木 く細い毛のはえた尻尾を持っそいつはーー・。桃色の手木はガラゴで一杯になったのである。老幼大小とりま は体に比して大きく、指は長々として細かった。耳は・せ、クルミとたいして変わらないほどのものから、普 大きく、その皮膚は半透明で、まるで独立した生命を通の大きさのコップにうまくおさまりそうな大きさの 持っているかのようだった。というのは、一方の耳はものまで、さまざまのガラゴである。彼らは枝から枝 。ヒンと真直に立っているのに対し、一方はひとりでね へ跳び、大きなやせた手で木の葉や小枝を握り、互い じれたり向きを変えたり、時として扇子みたいにちちに小声でしゃべりあい、まるで一団のエンゼルを思わ まって頭にびたりとついたりするからだった。この小 せ、そのあどけなさに満ちた大きな目でぐるりをじっ さな動物の顔はほとんどその大きな黒い目が占めてい と見つめるのだった。顔中が目だけといった赤ン坊は た。それはどんなに自尊心の強いフクロウでも恥かし母親にしがみついていたが、時々、後脚で立ってはち くなるようなすばらしいものであった。おまけにフク っぽけな桃色の手を差し上げ、一杯に広げて見せた。 ロウとそっくりに、首をくるりとうしろに回すことが やがて、一匹の赤ン坊が、自分のいる枝に水気の多 そうな大きなバッタのいるのを見つけた。夕刻も近か 人できるのだ。その動物は細い枝の先にするするとはい ののぼったが、枝はその重みでわずかに傾くたけだった。 ったためか、そのバッタは眠気をもよおして身の危険 彼は長く細い指で枝をつかんですわり、大きな目であをさとるのが遅かった。赤ン坊のガラゴがひらりと身 フ アたりを見回すと、かすかに鳴いた。私には、それがガをおどらすと、すでこ・、ツ 、ー / タの体の中ほどをしつかり ラゴだとわかったが、何かおとぎ話に出てくるもののとっかんでいた。眠りを破られた・ハッタは何かしなけ 7
もしれない。 このわなの木箱を仕掛けた最初の日には、 さらにその次の朝、また同じ場所へ見に行ったら、 8 肉は無くなっていたが、そこに見られた足跡はフィリ 木箱の隣に食肉入りの皿を置いておいた。翌日見に行幻 った時には、一匹の山猫がこの肉を食べに来たことが ックスのものではなくて、それよりはるかに大きなハ イエナのものだった。 わかった。フィリックスの利口さをよく知っている私 たちは、第三日目になって初めて肉を箱の中へ置いて 私の失望落胆の姿を見たテニスが力をつけてくれた。 帰った。第四日目に現場を訪れると、フィリックスと、 「大丈夫さ。ハイエナはほかへ動いて行くから」 それでまた食肉を盛って、私たちは家へ帰った。 その相手の山猫との二匹が木箱の周囲をうろついたが、 あくる日、その場所へ引き返して見ると、地面に二箱の中に置いた肉には触れなかったことがわかった。 種類の山猫の足跡がついていて、今度は二匹の山猫が第五日目には、デニスが肉を箱の中だけれど入口のほ 肉を食いに来たことが識別された。フィリックス一匹んの近くに置いて帰宅した。 だけでは、これだけたくさんの足跡がつけられないこ 私たちはいつも、半ポンドくらいの分量の肉を持っ とはたしかだった。 て行くことにしていた。それは、空腹を満たすには不 これでまた元気を取り戻した私たちは、家で造った足な分量で、山猫が翌日も必ず戻ってくるように計っ 木箱のわなの構造を多少変えることにした。この木箱たものだ。時々私は、生肉の代わりにかん詰め肉で、 ィートほどで、フィリックスが好んで食べた物を用いたこともあった。 はあまり大きなものではなく、長さ三フ 戸を強化する必要が感じられたのだ。四方に金絅が張しかし、家にいた当時には、生肉が切れたときだけ、 ってあったのを、一方だけ木の格子に変えることにしこの代用品を用いたのだった。 た。この方が内部がよく見えるからだった。ことにわ第六日目には、私たちが計画した結果に、多少の進 なにかかる物は、フィリックスの代わりに雌の山猫か歩が見られた。というのは、箱の内部の人口の付近か
彼目 や モ昼 女あ 過は た ア部 の屋彼大 でら のそ なけたあ れは 毛ナ 出私 私と はあ大知 いか 油し ン情 つを ゴを いな を得 しむ らや か彼 のす渡こ い深そ大 る女 じ影 て像だや ら戻 ど夫 たわ 兀人 ッ じ騒 ド 。り の の贈 そ イな やカ ば で 寝 る じ濤 私し う と大 に 連は は犬 糸テ どだ つな た小 れな 友だ だ屋 ノ、 L¯ て い情 く ぶを私カ のち と 、いだた 感カ 大部けち び つも つな だ私た仲かが は由 。良 つ 。と ペそ しな ナこ い っ絹 よ う を な な が ら く び を く い れ で も の 晩 大 よ小対 屋 く 喜屋だ ク ) の かな間は綱 でてた訓ハ ま り 、て 、つ てかう足き よ う と す い差踏 コ ン の 0 イ歹リ宝・ が 日 そ のれ聞 を では肉 ひ ざ て の たやお ら の ァ 、私 に し る暖容仲と 。彼オ 0 ょ を て が行ひ っ カ : る と っ て くみぎそた君た ら 下ム 。 0 よ イ の 引 き を ひ ら た ド 日 ダてた を 、出大分手 や 、わ 力、 い にをれ っ て お暮日 し 、た 丑 : た も う とすき り と は に き 肉 の し た れ を に や り な さ い ダ愛 る と が 。何 よ り さ 。を ァ イ と仲 い間 う 不ム の し て 、の 意客新な 言し名 抱 き が ら リ ス 君 レ ) 大 を 連 れ て く る よ そ や あ ち や 目リ は ぶ き ら ぼ に 冫こ - な て よ う や く シ ヤ ッ ク が や っ て き た の と る と 私 は ま っ に っ て し ま た と 私 ぎ願私 っ た な 力、 で ス ぶ う に 自 身 。も 彳皮 の 目 に ば ら し く く れ た ら キ ツ ス L_ わ 0 よ : 叫 だ 知 ら な し、 人 た の ま 冫こ の に 描 すたも し と 同 じ よ ー 1 キ ッ ス L— 彼 田、は名 え 、私たす 女はれ は つ し て し り げ と い う - ー 1 オよ う 目リ 。か立 禾ム た ず ね た く た 毎 つ感ぶ な い つ も 巴断暗 く の さ し い 。両 ジ ャ ツ は っ と はたを と 呼 と に す る よ と し、 リ 1 ム 。色 ち る し 色 の だ と 説 明 し て て る 、怒 の よ う て愛け 。私れ は じ 彼 は の雌承 だ っ た ク ) と の に ク う い神な の 。物 を に て く る を 。女自 持 で る と し て し、 る 1 ス ス 0 よ ん と う 力、 、わ し、 う そ し て と イ
ら、肉が取られていたし、また一匹の山猫の足跡だけ「箱の中へはいらずに、外から肉を取ったのだ。ロで くわえて取る代わりに、前脚で肉を引き寄せたのだ」 が残っていたからだ。 私はかって山猫が家にいた当時、肉をやった時に、 第七日目には、私たちの永い忍耐が報いられたかに ーから眺めたところではわ彼がロで取る代わりに前脚でうまく引き寄せた姿を思 見えた。ランド・ローヴァ ながかかって、箱の戸が閉じているように見えた。私い出した。デニスが言葉を続けた。 「肉をフックから取り離すのが、容易でなかったらし の胸はおどった。私の大切な黒い山猫が箱の中にいる い。彼が二、三回繰り返して、たたいているうちに、 かしら。それとも彼の相手の平凡な山猫だろうか。も しフィリックスなら、彼は果たして私を覚えていてく戸がおちて彼の頭に当たったのだ」 そういわれて見ると、なるほど戸には四、五本の黒 れるか、そして私に抱かれて家へ帰ってくれるだろう か ? もし雌の野生の山猫なら、怒ってあばれている い毛が残っている だろう。静かなのはフィリックスに違いな、。 この戸はプライ・ウッドの軽い戸だから、フィリッ クスが怪我をするはずがないとデニスがいった 私たち二人は、わなにかかった動物を驚かせないよ 「毛が四、五本抜けただけさ」 うにと、最後の四十フィ ートばかりは爪先で忍び寄っ しかし私は、フィリックスをこの目で見て、彼の無 た。デニスは草が折れて音を立てるのさえ警戒した。 私もそれに習って静かにそっと近づいて、胸をわくわ事な姿を確かめたかった。 ス この日から後は、もう木箱を置くのを止めてしまっ くさせながら立木の下の箱わなの見えるあたりで目を た。そして肉たけを少々置いておくことにした。山猫 こらした。わなは空だった。 の デニスが木箱をいろいろ検討している間、私は失望の姿は全然見かけられなくなった。 それからも引き続き数回にわたって肉を置いておい を禁じ得なかった。デニスがいった 9
したあげく、私たちは、唯一の道は外科手術であるこ 私はバディを誠実な一家のもとに連れ帰った。どん とに、意見が一致した。バディは満十歳になっていた。な療養者でもこれ以上、手厚い看護を受けたものはあ いますぐにこぶを除去しなければ、彼女の生命は数カるまい。要するに、この動物は、彼らの目のなかのリ 月を出でぬであろう。 ンゴ ( 鞜 ) 以上のものだった。いや、その息 著名な外科医、アルフレッド・・フラロック博士が執子のほんとの目なのである。だれが一ばんバディを慰 刀し、アーネスト・グッドバスチュア博士はじめ数人めてやれるか、お互に張り合った。まるで奇跡のよう の名医が立ち会ってくれた。 ごく短期間で・ハディは元の自分を取り返した。元 手術が行なわれたのは、一九三六年の十二月たった。気もよく苦しい体験をがんばりとおしたのが、誇らし その当日、手術室を出てくるスディを待っ私は、耐え気でもあった。お客様がくると、横になっておなかを 難い不安に心をかきむしられていた。医師たちは、モ上にして、手術のあとを見せた。女らしく、 ルヒネから覚めると、バディは頭を振って気が狂った「私が手術を受けたお話をしませんでしたかしら ? ようにほえるだろう、ということをあらかじめ私に注ほら、傷痕はこんなに長いんですよ ! 」とでもいうよ 、つ . こ 0 意しておくのを忘れた。そのとおりパディがやったと きのショックよ、、 力なづちで脳天をひつばたかれたよ その後二年ド 司、・ハディは充実した、そして有益な生 妣うであった。やがて私が気がついたのは、看護婦が私活をおくった。私たちは、目を覚ましている時間のす をのロにコップを当て、 べてを、盲導大の紹介に捧けて、アメリカ全土をくま 光 「これをお飲みなさい、フランクさん。少しはいいでなく旅した。 のすか ? 」 といったときだった。 一九三六年十月、十歳の誕生日を迎えたときの・ハ 415
与えよ」 しの字が目の前に、ちらついた。「非運フランク氏を ようやくのことで渡りきった私は、バディをかたく捕う ! 」 抱いて、そこへすわりこんでしまった。精も根もっき立ちすくんだ私のすぐそばで、怒声が爆発した。 果たのである。角に立っていた交通巡査がそばへ来て、 「ばか運転手め ! も少しであの婦人をひくところだ 「へえッ 君が目が見えないとは知らなかった。気ったそ ! 」 と、つこ。 が狂ったんだとばかり思っていたよー あの・フレーキの音は、私に捧げられたものではなか よろしい、気が狂っていようがいまいが、バディと った。「運」は、私に忍びよるどころか、私の味方だ 私はふたりきりで戦いぬいたのだ、と私は考えた。私った たたえられてあれ ! そしてバデイも ! は大きな教訓を得た。緊急の場合には大にたよれ。私私がどんな危機を一髪の間にきりぬけて来たか、ま は、大こそたよりになることを知る。人間についてはさに追いつめられるところをどういうふうにのがれた 知らない。 か、いつでもみんなが私に説明してくれた。しかし、 バディといっしょの私は、いまだかってかすり傷さえ もう一度恐ろしい目にあったことがある。二十三丁 受けない。 目通りと三番街との十字路を横断したときであった。 まだ高架線も路面電車もあったころだが、それがいっ ウィリイおじさんが、。ヒッツバーグにいた私に電話 しょになってかきたてるこの町角の騒音ときたら、歩をかけてきた。私の声を聞いた彼は、「ああ、神様 ! 」 行者の心臓に恐怖をまともにぶち込むほどだった。車といきなりいった。私がトレーラーに衝突し、二十ャ 道に一歩はいったとたんに、その大騒音をつらぬいて、 ード引きずられ重傷たという通知を受けとったばかり こまく だというのだった。 自動車のブレ 1 キの叫喚が私の鼓膜を破らんばかりに 響いた。「もうおしまいだ」と私は思った。黒いみだ私の死の報道が、私に届いたことは無数である。ま 408
流行界の名士たちの壮麗な邸宅などでは、ディは じゃないことを、自分で確かめることにしました」 こういいながら、少なからぬ額を書きこんだ小切手おそろしく厳然たるふりをしながら、ちょいと失敬す るのだった。ポストンでたいへん上品なティー を夫人に渡した。 「私の負けたかけ金です。きようたしかにわかりましティーに招かれたとき、ていちょうな会話が低い声で たので、喜んで寄付させていただきます。あなた方は、かわされる中を、給仕がサンドイッチを茶卓車にのせ て配っていた。その車が私のところへ来たとき、下の モリスタウンで奇跡を行なっておられると思います」 バディは、社交界の遊泳に溺れないように気づかっ段がちょうど ' ( ディの鼻先に止まった。・ ( ディの頭も ているようだった。彼女の欲望はつつましかったが、動かず、目もちらっかぬのに、あっという間もなく、 成長期の少女の食欲を持っていた。その食欲を満足さ一重ねのサンドイッチが消え失せた。ちょうどそのと せる様子は、常にその場、その場にとにかくふさわしき、バディを見ていたユースティス夫人ただひとりが、 その早わざを見た。貴族の未亡人が、だれも見ていな いものだった。私とふたりきりで、家にいるときは、 いと思った瞬間に、オペラグラスを目に当てたまま、 決して物をくすねたりはしなかった。彼女はあまりに いや、あるいはあの少上品なくっ先をこっそり突き出して、落ちていた財布 自尊心が強かったのだろう 年保護院の少年のように、盲人から物を盗るのは縁起をスカートの下にかきよせるのにそっくりだった、と えが悪い、とでも思っていたのかもしれない。食べ物や夫人はあとでいった。 ある大きな保険会社の社長に、寄付を願いたいので、 をコクテールのさかななどを放り出しておいても、決し 光 てさわろうともしない。 : 、、 カお客ーーー目が見え、した会見を申しこんだことがあった。社長は私を快く迎え、 のがって自分のことは自分で気をつけられる人たち ひじかけいすを与えて、自分は事務机の前のいすに腰 5 こ をおろした。たいへん熱心に私の話を聞き、大いに感 がくると、禁制は解かれた。
の友人は黙って通りすぎてしまった。私はだれだか推ろを知っているからー・ー」私は、よくこういう話し声 を聞いた。・ハディの「覚力」は、みんなを驚嘆させた。 測できたが、私も沈黙を破るのを拒否した。 目が見えす、したがって音には敏感なので、私には お互にすれちがい、無視し合う三日間がすぎた日、 ・ハディはつかっかと歩いて行って、その男のまん前で、どうやってそれを知るのかがわかった。私たちの停留 なんの命令もしないのに、きちんと「おすわり」をし所のちょっと手前で、電車が閉鎖した転轍機の上を通 こ 0 るとき、特別なカタンカタンという音を出すことを知 った。この音を聞くと、・ハディは起き上がった。パ 「ふたりともいいかげんにばかはやめて、仲直りなさ ディは、私に対してたくさんの秘密をもっていた。し い」彼女は明らかにそういったのである。 かし、私は今日まで、その一つであるこの秘密をばく われわれは笑い出さざるを得なかった。たしかに、 しいセンスをろしたことはない。 バディのほうがわれわれふたりよりも、 ・ハディの業績はたちまち町じゅうの話題となった。 持っていることを認めざるを得なかった。その後ふた 彼女の名声は、常に彼女に先行した。あるとき、通り りは大の仲好しになった。 ウエスト・ニンド電鉄には、特別の許可で乗車を許を横断しようとしたら、八つばかりの男の子が、手を 引いて向こうへ渡してください、と私に頼んだ。もち されていた。・ハディは、下車する停留所をちゃんと知 っていて、ほかの乗客を喜ばせた。ま「暗やみで、なろん私はうれしかった。向こう側に着いたとき私は聞 をんの目標さえ見えない真夜中でも、いつも下車する停いた。 光 「さあ、来たよ、坊や。だけど、坊やはなぜ目の見え 所の近くへくると、運転手の横で寝ていたディは、 の起き上がって私のところへくる。だれもが、ひどくおる人に頼まないで、目の見えないぼくに頼んだの ? 」幻 「・ほくこの大のこと、よく知ってるの。この大といっ もしろがる。「あの大を見ていてごらん、降りるとこ
ちをやいて、かこいの金網の下を掘らないように祈り ながら、保護のためのおおいを上と周囲にめぐらした。 思っていたとおり、四日目にモングースの赤ん坊の 目が開いた。彼らは実にかわいい動物だった。私が与 えた小びんを脚で転がしてキャッキャッと遊んでいる。 サファリ 私たちが旅行から帰って来た時のルーファスの喜び彼らは大きくなると鶏卵をこれと同じゃり方で割って ようは、形容ができないほどに大きく激しかった。彼食べる。モングースはまだ幼かったが、それでも、デ ニスは彼らが小さなモングースの中でも特に小型に属 は深い愛情の表現として、長いうなり声を何回も繰り 返して張り上げた。そのお返しとして、私は何度も彼するものたといった。デニスの言葉によると彼らは、 の頭をなでてやった。 生長しても、身長は背中が八インチか九インチ ( 一卉 二十二・ ) の長さ、それにし 0 ぽが五インチくらいより 旅の途上で、私は三匹のモングースの赤ん坊を見つ五センチ けて、家へ持って帰った。彼らを台所のテーブルの上大きくならないミニアチュア種だそうだ。モングース には三種類あることを私は知っている。しかしどれも へ取り出した時、家の猫二匹がこれを見守っているの に気がついたので、私はこの三匹の珍客を安全な箱へこの小型のものよりはるかに大きいので、自分がミニ 入れてやった。彼らの両眼はまだ開いていないが、涙アチュア種を飼育できることが嬉しかった。彼らは今 がにじんでいる様子から推察して、間もなく目が開くのところまだマッチ箱くらいの大きさにすぎないから、 だろうと考えた。今度はモングースのために、陽の当後脚で立ち上がってじゃれているのを見ると、まるで たる場所に屋外のかこいを造ってやる必要に迫られた。おもちゃの拳闘を見ているような気がする。三匹の中 そこで飼犬のケルン・テリア種のジプシイが、やきもで雌のモングースが一番強かった。頭上の空中をタカ 六山猫フィリックス