の総司令部が知っていたと推測させるものは何もな う最大の秘密はわからなかった。この秘密はきわめて 、。事件はすぐにもみ消され、大佐の上官たちによ 細心に守られていたので、四月の終わりまでは、数人 って処理された。このイギリス人はあとで国会議員 の連合軍将校が知っているだけだった。だが、この月 になっている。 のあいだに、対諜報部の不断の警告にもかかわらず、 一人の米軍将官と一人の英軍の大佐とが、軽率にもこ さらに、六月四日の日曜には、連合軍司令部をどき の秘密をもらしてしまった。米軍将校は、ロンドンの クラリッジのあるカクテル・。、 ノーティの席上で、上陸りとさせる出来事が起こった。その前夜のこと、 は六月十五日より前に行なわれると二、三の同僚に話通信のあるテレタイ。ヒストが、ひまにまかせて、あい した。英軍の大佐は、民間の友人に、自分の部下はあている機械を使ってスピ 1 ドをあげる練習をしていた。 そこの架空の「至急報」を打ったテー。フが、どうしたわ る種の攻撃目標を襲撃する訓練をしているといい、 の目標がノルマンディにあることをほのめかした。二けか、東部戦線の作戦公報要約の中にまぎれこんでし まった。それは三十秒とたたぬうちに取り消された。 人の将校は直ちに官位を剥奪されて解任された。 だがもう間にあわなかった。米本国に届いた報告は次 の通りだった。 ( 原注 ) このアメリカ将校はウエスト・ポイント でアイゼン ( ワー将軍の同期生だったが、連合軍総「 << ・ p-4 ツウシンシキュウホウニューヨークアイ ゼンハワーシレイ・フ、レンゴウグンノフランスジョ 司令官は彼のために何をすることもできなかった。 上陸の後、この将校のことは明るみに出され、彼がウリクヲョコクス」 あとで大佐の肩書きをもって退役したときにも話題 この通信の結果がどんなに重大なものであろうとも、 になった。イギリスの大佐のことをアイゼンハワー何らかの手段をうつにはすでに遅すぎた。上陸作戦と 6
の攻撃に対する防衛計画のすべてを再編成しようとく巻くことになったのである。 しかし、気むずかしいロンメルはまだ満足しなかっ わだてていた。 数カ月もたたぬうちに、彼の頑固な主張は、すべてた。砂浜や砂兵そして海岸のあらゆるの・ほり道に、 を変化させた。彼は上陸地点として好都合だと判断し彼は、戦車を吹き飛ばす力のある大きな円盤形地雷か たあらゆる海岸の干潮線と満潮線のあいだに、それそら、踏むと跳ねあがってパンドのあたりで破裂する対 れの土地で徴用した人夫に助けられた部下たちの手で、個人用の小さな地雷まで、あらゆる種類の地雷を無 きよしじよう 鋭い角のある鋼鉄の四面体、鋸歯状の柵、鉄の刃のつ数に敷設させた。これら五百万個以上の地雷が沿岸に いた木の杭、セメントの円錐などの障害物を設置させ埋まっていた。ロンメルは上陸のときまでに、さらに た。これらすべてのあいだに地雷が埋められた。地雷六百万個が加えられることを望んでいた。危険な地域 がないときには、ちょっと触れただけで破裂する榴弾に六千万個を敷設するのがロンメルの野心だった。 がその代わりをした。 ロンメルの風変わりな発明は ( 彼はそれをほとんど ( 原注 ) ロンメルは防御兵器としての地雷にとり 憑かれていた。ある視察旅行のとき、第一参謀長の 全部自分で考えたのだった ) 、単純であると同時に恐 くしざ アルフレッド・ガウゼ将軍が野生の草花の点々と咲 るべきものだった。これで上陸用舟艇を串刺しにする いた野原を指さして叫んだ。 か引き裂いてしまう。少なくとも、海岸からの砲撃が 「すばらしいではありませんか」 とどめをさすまでのあいだ、舟艇を食い止めておく。 「ノートを取りたまえ、ガウゼ」と頭を振りながら 大いずれにせよ、これで敵軍は陸地に達するはるか前に せんめつ ロンメルは答えた、「この場所には千個ほどの地雷 上殲減されるとロンメルは考えていた。これ以来、五十 が必要だ」 万個以上の恐るべき海中障害物がこれらの海岸を取り 5 2
はじめる。要するに彼は、必要とされていた最低限のを悩ましていた。出帆準備をしてしまってから基地に 条件よりは悪いが、ともかくも比較的よい天候が、二もどらなければならないようなことになると、七日の 十四時間とちょっとのあいだだけ続くと考えてよいこ水曜日にふたたび出撃することは不可能なのだ。 アイゼンハワーは部下の一人ひとりの意見を聞いて とを、アイゼンハワーに報告したのだった。 いった。スミス将軍は六日に攻撃すべきだという意見 報告が終わると、スタッグと部下たちは矢つぎ早の だっこーー大きな賭けだが、やってみるべきだ。テッ 質問を浴びた。その予報は確かか ? 絶対に誤りはな ・マロリーは、低い空と予想される雲の群 いか ? 情報は十分に検討したか ? 六日以後も天候ダーとリー れが空軍の有効な活動を妨けはしないかとおそれてい の回復はしばらく続くのではないか ? た。すると、攻撃は空からの十分な援護なしに行なわ ある種の質問は気象部員には答えられなかった。情 報は綿密に検討され、計算は何度もやり直されていたれることになろう。彼らの意見では、「それは考えも の意見は、きのう五日に が、天候を確実に予報するというのは不可能なことでの」だった。モントゴメリ 1 ある。彼らはできるかぎりのことを答えて部屋を出て行なわれるはずだった上陸が延期に決まったときの彼 っこ 0 の意見と同じだった。「私は行くほうに賛成です」と 十五分のあいだ、アイゼン ( ワーと将校たちは討議彼はいった。 発言の順番はふたたびアイクにまわった。彼が決定 を続けた。ラムゼイ提督は決定の緊急性を力説した。 ュタの的判断を下すべき時が来た。彼が賛否の意見を秤りに ・・カーク海軍少将の指揮の下にオマハ、 かけているあいだ、長い沈黙が流れた。スミス将軍は、 大海岸へ向かう予定の輸送船団は、オーヴァーロ 1 ド作 上戦を火曜に決行するためには今から一一一十分後には命令手をテーブルの上で組み、頭を下げて考えこんでいる を受けていなければならない。燃料の問題がラムゼイ最高司令官の「孤独さ」に打たれた。何分かが過ぎた。 5
いていた。こうしたさわがしい音や混雑を通して、す はアンテナをはりめぐらしたズングリした指揮艦があ 2 きっすい べての船舶のどのス。ヒーカーも、みな激励のことばをル らわれ、つづいて輸送船、上陸用舟艇が、吃水も深く、 さまざまの重さの資材や兵員を満載してあらわれた。投げつづけていた。「部隊を揚陸させるため努力せ 先頭の輸送船のまわりをめぐりながら、突撃信号をまよ ! 船の安全のため努力せよ ! そのうえ力あまれ って舟艇や揚陸艦の群れが、波間に揺れていた。それば自らの安全のため戦え」「第四師団 ! 乗船せよ。 らには、上陸第一波の兵士たちが、ギッシリと乗り込やつつけろ ! 」「忘れるな ! 大きな『赤い艇』につ いてゆけ」「遊撃部隊、部署につけ」「ダンケルクを忘 んでいるのだ。 この大艦隊は、ひびきと活気でわきたっていた。哨れるな。コヴェントリーを思い出せ ! 神の祝福あら 戒艇が小舟艇群のあいだを抜けて往来すると、エンジんことを」「おれたちは愛する祖国の砂の上で死のう。 ンはあえぎあえぎ、うなりごえをあげていった。クレふたたびもどってくるまい」「諸君、こんどこそだ。 ーンが音をたてて水陸両用車輛を海面に下ろし、滑車終着駅だ。みんなおりるんだ。片道切符たぞ。二九師 がきしりながら青ざめた顔の兵士を積んだ上陸用舟艇団、さあ、ゆこう ! 」これらの後に、兵士たちの大多 をおろすと、舟艇は船腹に当たって身震いした。ラウ数の記憶に残るメッセージがつづいた。「全舟艇発進 せよ」「天にまします父よ、願わくは御名の聖せられ ドス。ヒーカーが「隊形を組め」とくりかえしほえてい た。そのあいだ哨戒艇は、番大のように、早く隊形をんことを」 結ぶよう急がせていた。輸送船上で、兵士たちは、吃甲板の手すりに沿ってひしめいていた多くの兵士は、 水も深く、ひどく。ヒッチングしていて、波しぶきで水 別の舟艇で立ち去る戦友たちに別れを告げるため、そ びたしの舟艇にたどりつくため、網やすべりやすい階の場を離れた。船上で過ごした長い時間のあいだに、 段をおりる順番を待ちながら、甲板の手すりにひしめ固い友情に結ばれた陸兵と水兵は、お互いに幸運を祈
、ラルグの艦橋でも、他の将校が魚雷を認めた。ラ沈むのをみて肝をつぶした。三十名の死者が出た。し ルグ号は、すみやかに全速で後進した。二本の魚雷が、かしロイド大尉は、傷も負わず、駆逐艦スウイフトが ウォースハイトとラミリー のあいだを抜けていった。救いあげにくるまで、いっしょに救助された足を折っ スヴェンナーは、魚雷の進路から身をかわすにいたらた一人の水兵を助けながら二十分以上も泳いでいた。 なかった。艦長が「取り舵いつばい ! 右舷前進いっ 煙幕の向こう側に出て安全となった今は、ホフマン にとって、警報を発することが重大事であった。彼は ばい ! 右舷前進全速 ! 左舷後進全速 ! 」と叫んだ。 ル・アーヴルにニュ 1 スを急送した・ーー急送したつも 彼は、魚雷が艦と平行するように艦を旋回させようと りだった。彼よ、、 / をしま行なわれたばかりの短時間の戦 努めたが、望みはなかった。 闘のあいだに、艇の送信機がだめになったことを知ら ロイド大尉は、双眼鏡で魚雷の尾を釘づけになった ように見つめていたが、それが艦橋の下にぶち当たるなかったのだ。 のをみた。そのとき頭に浮かんだのは、ただ「どのく アメリカ軍の受け持っ海岸の沖合いにいる巡洋艦オ らい吹き飛ぶだろうか」ということだけであった。悲 1 ガスタ号の甲板で、オマー・ Z ・ブラッドレー中将 しいほどゆっくりと、スヴェンナー号は左舷に旋回し、 ほんのちょっとのあいだ、ロイドは助かったと思いこは、耳に綿栓をして上陸に向かう舟艇に双眼鏡を向け んだ。だが、操舵は失敗に帰し、一本の魚雷は船腹にていた。アメリカ第一軍の兵員をのせて、舟艇は一様 作当たって、スヴェンナー号は水面からもち上がり、震に前進していた。ブラッドレー中将は、たいへん落ち 大え、真っ二つに割れたのだ。並んでいた英海軍の掃海つかない不安な心理状態にあった。何時間か前までは、 まだ海岸一帯ーーオマハ海岸一帯から英軍の海岸まで ート・ドウィ一等水兵は、 上艇ダイハーの艦上で、ロ・ハ を倒しているのはドイツ第七一六師団で、それも 駆逐艦の艦首と艦尾が完全にの字を描いて海の中に
りえなかった。銃撃は町が連合軍の攻撃によって陥 下がったまま、彼はじつに巧みに死んだふりをしてい 4 落するまでいたるところで続けられたからだ。だが認 たので、銃撃のもっとも激しいときに降下した第八二 師団のウイラード・ヤング中尉などは「教会の塔に死死者、負傷者、行くえ不明者はほ・ほ十二名と推定さ れる。大部分は第五〇五連隊第二大隊中隊の者で、 体が下がっていた」といっているほどである。ドイツ この隊の記録には次のような感動的なノートが残っ 兵に引きおろされて捕虜になるまで、スティ 1 ルは二 ている。「キャディッシ中尉と以下の兵士たちは町 時間以上のあいだそこにぶら下がっていた。恐ろしさ と射たれた足の痛みとで、彼は耳のすぐそばで鳴り続の上に降下し、ほとんどただちに戦死した ア、・フランケンシップ、・フライアント、ヴァン・ホ けていた鐘の音を少しも覚えていない。 ルよ このサント・メール・レグリーズでの小ぜりあいは、 ルスペック、トラバ」兵士のジョン・スティ アメリカ軍空挺作戦の序曲をなすものだったが、全体二人の男が炎に包まれた家の上に落ちるのを目撃し たが、彼はそのうちの一人が、彼の後から降下した の計画からみれば、偶発的なものにすぎなかった。こ 同じ小隊の兵士ホワイトだったと信じている。 の町での本格的な戦いはまだ始まっていなかった。こ の町は八二空挺師団の主要な目標の一つだったが、サ ント・メール・レグリーズでの本当の戦いはまだあと将来の橋頭堡の右翼を守るのがアメリカ軍の任務だ のことだったのである。そのときまでにしておかなけった ( 左翼はイギリス軍が守るはずだった ) 。しかし、 ればならないことがたくさんあった。第一〇一、第八米軍パラシュート部隊にはさらに重要な使命があり、 二の両師団は、時計と竸争しているのだった。 ュタ海岸への上陸の成功は彼らのはたらきにかかって ( 原注 ) 私はついに広場で殺された兵士の数を知 ュタ海岸への上陸に対する主要な障害は、ドウーヴ
軍需品のあいだにあてどもなギタ 1 が漂っているのイゲイ ( ーグ衛生軍曹は、「もっともひどい負傷者が 異常に礼儀正しいのに驚かされた」と回想している。 が見られた。 海岸には、あちこちに負傷者が小さくかたまってい 海岸についた直後の数分のあいだに、アイゲイハー た。そばを通りすぎながら見ると、負傷兵たちは、坐グには、「どこから手をつけてよいやら、だれから手 っていればよい 当てしたらよいのか」わからぬほどの、多数の負傷者 のに、もうこれがでた。ドッグ・レッドでは、砂の上にひじように若 い兵士が坐っていた。見るとその足は、まるで外科医 以上の負傷はし ないと信してい がメスで切開でもしたように、膝から腿のつけ根まで ひらいてしまっていた。たいへんな重傷で、アイゲン 者るかのように、 ーグには大腿部の動脈が脈打つのが見えた。その兵 ~ ( 負真っ直ぐ立って けいるのだった。 士は、びじようなショックを受けて呆然としていなが ~ ( を彼らは、平静で、らも、とてもおだやかにアイゲン・ ( ーグにこう知らせ ~ 手物しずかに口をた。「サルファ剤をのんで、傷口に粉末ズルファミン ) 兵閉ざし、表面はを全部ふりかけてしまったんだが、これでいいんです を衛自分のまわりのか ? 」 ことには、まっ この十九歳の衛生兵は、なんと答えたらいいか、よ たく無関心のよ くわからなかった。彼はモルヒネを一本注射して、 った。「たしかにそれでいいんだ」 うに見えた。ア ルフレッド・ア それから、深い傷口をふさぎ、頭に浮かんだことを ノ 87
史上最大の作戦 らは新鮮な空気をむさぼるように吸いこんだ。六月四 日からずっとスウォ 1 ド海岸の沖にとまっていて、し かも日に二十一時間は潜水していたのだ。二日のポー 八疑えぬ事実 ツマス出港から数えれば水中で、七十四時間がとこ過 ごした勘定だった。 苦労はまだ終わったわけではなか 0 た。イギリス軍人々はいたるところでその夜明けを待 0 ていたが、 ドイツ軍首脳部ほど不安な気持ちで待っている者はな の攻撃開始時間には七時から七時半までの幅があった。 だから、彼らは第一波の攻撃まで、まだ二時間も待たかった。なぜなら、ロンメルとフォン・ルントシ = ねばならなか 0 た。それまでのあいだ、 >< ー号とテットの司令部につぎつぎと到着する情報の中に、一 ー号は、ドイツ軍の沿岸砲台に絶好の攻撃目標をさつの無気味な調子が見え始めたからである。沿岸の各 らしながら、動かず水面にとどまっているのだ。しか地で、クランケ提督の各警備部隊は船舶の音をキャッ ばらばらの船舶ではなくて、二十隻、 チしていた も、間もなく夜が明けはなれるというのに。 百隻とかたまった船舶の音だった。一時間以上にわた って、報告が矢つぎ早に到着した。とうとう、午前五 時少し前、第七軍のペムゼルはロンメルの参謀総長 シュバイデルに電話をかけて、ひと息にしゃべりたて た。「オルヌ川とヴィ 1 ル川の河口のあいだに船舶が ノルマ / 集結している。そこから出る結論はこうだ ンディに対する大規模な上陸作戦が迫っているんだ」
重みで、体が深く沈みこんで、まるでくさび止めにさ この最初の数分のあいだに、何人かの兵士たちは、 まったく自分の気転のおかげで死をまぬかれた。一人れたようだった。「はじめ私は恐怖に襲われました。 のパラシュート兵は ( カナダ第一大隊のリチャード・「 真っ暗な上、だれかが銃で私をねらっているような気 ヒルポーン中尉はそれをよく覚えている ) 、「ガラスをがしたのです」と彼はいっている。しばらくのあいだ、 一面に飛び散らせ、たいへんな音をたてて」温室の上聞き耳を立て、身動きせずに待った。だれも見ていな に落下したが、「すぐ立ちあがって、ガラスがまだすいことがわかると、ゆっくりと、苦労して、体をはず つかり落ちてこないうちに外へとび出した」。もう一しにかかった。片腕をはずして、パンドにつけていた はさみ 人は、実に驚くべき正確さで、井戸の中に落下した。鋏を取るまでに、何時間もかかったような気がした。 その男はパラシュート のベルトを伝ってはいあがると、それでも、やっと体をはずし、彼はラッパの音のする こんなことは当たり前のことだといわんばかりの顔で、ほうへ向かった。 集結地へ向かって歩きだした。 ほとんど同じころ、カナダ第一大隊のドナルド・ いたるところで人々はちょっと想像のつかないようウイルキンス曹長は工場の建物らしいものに沿って、 な状態におちいっていた。これらの状態の大部分は昼這って進んでいた。突然、芝生の上にいくつかの人影 間でも相当ひどいものだったが、夜、そして敵地とあが見えた。彼は地面に体をびったりとつけた。人影は っては、それが恐怖と想像で拡大されるのもやむをえ動かなかった。ウイルキンスは注意深くうかがってい なかった。ゴッドフリイ・マジソンの場合がそれだっ たが、一分ほどすると立ちあがって、ぶつくさいいな た。気がついてみると、彼はある草地のはずれで有刺がら確かめにいった。相手は石像だったのだ。 鉄線の網に取り囲まれ、身動きができなくなっていた。 同じ隊に属するある軍曹もほとんど同じような経験 ただ、この場合は石像が確かに生きていた 両足に有刺鉄線がからまり、五十六キロもある装備のをした 1 ノ 4
恐ろしさに変わりはない連合軍の爆撃があったからだ。 大都会のあいだ、特にカンとシェルブールのあいだ には、ローマ時代以来、守備側にも、攻撃側にも自然 十二レジスタンス の要塞として役立ってきた、あの窪んだ道のある平野 がひろがっていた。ところどころに、わら屋根や赤い 明け方の光の中で、ノルマンディの海岸は靄に包ま瓦の家々のある農場や、角ばった鐘塔の下に家が集ま れていた。昨夜の断続的な雨が、やみまのないぬか雨っている村や町があ「た。ヴィ = ルヴィル、「ルヴィ ル、ラ・マドレーヌ、サント・メール・レグリ ] ズ、 にかわって、すべてのものを濡らしていた。海岸のか よたには、かって何度も戦場となり、やがてまた戦場シェフ・デ = ・ポン、サント・マリー・デ・モン、 アロマンシュなど、多くの人には名前さえ知られてい となろうとしている野原が、雨の下に広がっていた。 ここ四年間というもの、ノルマンディの人々はドイない村や町だった。この人口の少ない平野では、占領 ツ人とともに生きてきた。占領下の生活は、彼らの一は都会とは別の意味をもっていた。ノルマンディの農 人びとりにとって、それそれちがった意味をもってい民たちは彼らなりに順応していた。数千の男女が、強 た。三つの大都会ーー上陸の行なわれる地帯の両端に制労働局の手で故郷の村から無理やりに連れ去られて 、た。残った者も、しばしば敵のために働かなければ ある二つの港ルア 1 ヴルとシェルブ 1 ル、そして二十 ならなかった。しかし、この荒つぼい農民たちは、必 キロほど内陸にあるカンーーーでは、親衛隊とゲシュタ 大ボの下にきびしい占領体制が敷かれていた。戦争を忘要なこと以上はけっしてしなかった。素朴な農民たち ひとじち 。いかにもノルマンデイ人らしい頑固さでドイツ / 7 上れることは不可能だった。毎日のように、人質の逮捕よ、 6 やレジスタンスに対する報復、そして歓迎すべきだがを憎みながら、平然として「解放」の日を待ち続けて もや