である。本来ユダヤ人は、とうてい同化するわけには ユダヤ人ある限り 行かない寄生虫的存在なのだ。他の外国人にみられな 反ユダヤ主義はつねに存在するだろう いユダヤ人の特色といえば、どこへ行っても、自分を 保護してくれる社会のなかで、市民のあらゆる権利を 主張するとともに、たえずユダヤ人のままでいること 一九四五年二月十三日 史上はじめて、現実的にユダヤ人問題と対決したこである。兎とともに逃げるだけでなく、猟大とともに J は、国家社会主義の業績の一つである。 追うことも、自分の権利と心得ているのだ。このよう 反ユダヤ主義をひき起こしてきたのは、つねにユダな途方もない特権を要求する人間など、世界中でユダ 、人自身である。古代エジ。フト人から現代のわれわれヤ人しかいない。 一至るまで、古今東西のあらゆる人々が、全く同様の 国家社会主義は、言葉でなく行動でもってユダヤ人 へ応を示してきたのだ。いまいましいユダヤ人にし・ほ 問題と取り組んだのだ。世界を支配しようというユダ ソれるなど、もうごめんだと思う時が、いっかはやっ 、、たるところで ヤ人の決意に対抗して立ち上がり くる。ちょうど動物が、虫を振り落とそうとするとまたあらゆる活動分野においてかれらを攻撃した。国 ) のように、かれらも、よいしよと起き上がり、ぶる家社会主義は、ユダヤ人を、かれらの横領していた地 ~ るっと身体をゆすぶるのだ。かれらは荒々しく反抗位から追放しただけでなく、ドイツ人の世界からユダ ついには暴動さえ起こす。それは、全体に順応しヤ人の毒を洗い浄めようという決意も固く、四方八方 その一部となることを拒むよそものへの、そして宿にかれらを追跡した。われわれにとってこれは、欠く 「にへばりつき、つけこみ、ぎりぎりまでしぼりとろべからざる消毒作業であり、われわれがそれを、ぎり , とする寄生虫への本能的な反発であり、嫌悪の反発ぎりの極限まで遂行してきたというのも、それを怠れ
も、イギリスが面目を失わないように力をかしてやれ国民に関する限り、われわれは、単なるみせかけの独 ただろう。 立に甘んじえなかったし、また甘んじる気もなかった。 一九四一年初頭、北アフリカにおける勝利で威信をそんな独立でも、スエ 1 デン人やスイス人の場合なら 回復したときなど、イギリスは、戦争から手を引き、通用するだろう、なぜならば、連中は、不確実不正な われわれと平和協定を結ぶ一層有利な機会に恵まれて条文でも、同時に私腹を肥やすことさえできれば、 いたのだ。なぜイギリスは、ユダヤ人やアメリカ人のしよっちゅう署名する気でいるからだ。ついでにいえ 同盟者たち、つまり最悪の敵よりなお貪欲な連中の命ば、ワイマール共和国も、そういう類よりもっと値打 令に従う道を選んだのか、という疑問が当然生じてくちのある権利など主張できなかったのである。しかし るだろう。よろしい、教えよう。イギリスは、自国のそれでは、第三帝国にふさわしい野心たりえないのだ。 ための戦争でなく、執念深い同盟者たちから押しつけ このようにしてわれわれは、遅かれ早かれ戦争を遂 られた戦争を遂行していたのである。 行するように運命づけられていた。そしてただ一つわ れわれが専念したことは、最も有利な瞬間を選ぶとい 他方ドイツには、なんら選択の余地がなかった。い ぎわれわれが、ドイツ人全体を一大帝国に統合し、か うことだった。いったん戦争を始めた以上、もちろん れらのために真の自由を、 かれら自身の意のまま撤回の問題など起こりえなかった。われわれの敵ども に生活する自由をーー保証したいと宣言するや、あり が反対しているのは、国家社会主義の諸原則だけでは とあらゆる敵が、時を移さずわれわれに立ち向ってきない。連中が国家社会主義を憎むのは、それを通じて とうしてもドイツ たのだ。戦争を避けようとすれば、。 ドイツ国民の資質が、高められてきたからである。だ 国民の基本的な利益に背反せざるをえなかっただろう。 から連中は、ドイツ国民を破減させようとしているー それだけでも、戦争は避けられなかった。ことドイツ ーこのことについては、寸分の疑いもありえない。 こ
われに感謝することだろう。 エリートたち、幼少のころから国家社会主義の哲 8 学に専念している若いエ リートたちを十分成熟させる フランスについて には、さらに二十年の歳月を必要としたであろう。わ れわれドイツ人にとっての悲劇は、いつも十分な時間 一九四五年二月十四日 が与えられないということだ。諸般の事情が、何とし この戦争で悲惨なことといえば、それは、ドイツにてもわれわれをせかそうとつねに共謀している。そし とって開戦が早すぎもし、また遅すぎもしたという事て現在、時間が不足しているとすれば、それは主とし 実である。純粋に軍事的な見地からすれば、もっと早て、われわれに空間が不足しているためである。広大 く開戦していた方が、われわれにとって好都合だった な領土をもっロシアには、せかされることを拒むとい だろう。私は、一九三九年に開戦を迫られるよりも、 うぜいたくが許されている。「時間」の恩寵に浴して むしろ一九三八年に機先を制すべきだった。なぜなら いるのは、かれらであって、われわれではない。たと ば、戦争は、どっちみち避けられなかったからだ。しえ私が、国家社会主義のめざす完全な発展へと国民を かしイギリスとフランスが、 ミュンヘンで私の出した導けるように、神から十分な寿命を授かったとしても、 要求をことごとく呑んだのだから、誰も私を非難する敵どもは、決して私にその寿命を利用させなかったこ わけにはいくまい。 とだろう。ドイツが、単一の信念で固められ、完全な 現在の状況からすれば、たしかに開戦は、少々遅き国家社会主義体制に入って、世界無敵の国となるのを にすぎた。しかし精神的準備という見地からすれば、待たず、かれらは、われわれを破減させようと全力を それは余りにも早すぎたのだ。私の門弟たちは、十分尽くしたことだろう。理想通りに形成された人材が不 な成長をとげるだけのいとまをもてなかった。あの新足していたので、われわれは、やむをえず、手持ちの
にも明らかなように、ドイツの統一をなしとげること しかないのだ。こ れがプロイセン人ができたのである。国家社会主義は、これまでプロイ セン人だけがもっていたあの誇りを、あらゆるドイツ にあてはまらない ことは、 いうまで人に与えようとしてきたのである。 オーストリア人もまた、かれらの血のなかに、プロ もあるまい。フリ ードリッヒ大王のイセン人のそれと非常によく似た誇り、つまり何世紀 時代この方、かれもの間他民族の支配をうけることなく、逆に長い間命 おらは、自己を確信令する側、服従される側にいたという事実から生しる クしている人々、自誇りをもっている。かれらは、支配と権力の体験を積 ペ己の身分を立証すんでおり、誰も否定できないあの華々しいみやびは、 ゼるための虚飾などそこに起因しているのだ。 いっさい必要とし 国家社会主義はそのるつぼのなかで、ドイツ魂の特 家 ない人々に特有の、徴をなすすべての特質を溶融するであろう。そしてそ こから、現代的ドイツ人がーー勤勉かっ良心的で、自 チ穏やかで飾らない ナ 誇りをもっていた。信をもちながらも素朴で、自分自身や自己の地位でな かれらに本来そな 、他民族の賞讃措く能わざる偉大な組織の一員であ わっているあの特ることを誇りと思う現代的ドイツ人が、誕生してくる 質のお蔭で、プロ だろう。この共同的優越感は、他民族を撲減・圧倒しめ 2 イセン人は、歴史ようという願望など毛頭含んでいない。われわれが時
今度は、真の友邦たるラテン民族が、私の御用繁多をる連中がおり、他方には、現実主義者たちがいる。国 口実としてギリシア出兵の挙に出、惨敗したというわ家社会主義は、ゲルマン民族の幸福にのみ関心をもち、 けだ。 ゲルマン的人間の福利を保証するためにのみ努力する。 普遍主義者 ( 普遍救済説を信じる 派 ) ・理想主義者・空想的 第三帝国と国家社会主義 社会改革論者などは、いずれも目的を高くちすぎる。 かれらは、とうてい達しえない楽園でも達しうると称 して、人類を欺いているのた。かれらのかかげる看板 一九四五年二月二十一日 われわれは、自己の計画を遂行するために平和を必が何であれ、キリスト教徒であれ、共産主義者であれ、 としていた。私はつねに、平和を維持しようと願っ人道主義者であれ、また単なる馬鹿真面目であれ、黒 た。われわれは、敵の望みどおりに、うまうまと開戦幕であれ、皮肉屋であれ、かれらはことごとく、奴隷 させられたのである。実をいうと、戦争のきざしは、 をつくる連中である。私自身は、当然のことながら、 一九三三年一月、すなわち私が政権をとったときからわれわれでも十分達しうるような楽園に、じっと目を あったのだ。 注ぎ続けてきた。すなわち、ドイツ国民の運命を改善 一方に、ユダヤ人をはじめかれらと足並揃えて進むすることが、それである。 連中がおり、他方には、世界情勢にたいして現実的な 私は、自分でも守れるとわかっている約東たけをー 言態度をとる人々がいる。歴史を通じて世界には、このー是が非でも果たしたいと思う約東だけを、するにと ように全く見解を異にする二つの人種がいたのである。どめてきた。私が世界中にまき起こした憎悪は、そこ 史一方には、理屈の上で人類の幸福をつかもうと努力に端を発している。私は、敵のように、不可能な約東 3 し、世界中で適用可能という途方もない公式を探求すまでして自分の利を図ろうとはしなかった。私は、世
界的指導者たちのシンジケートに近づかなかった。なとを、ちゃんと心得ていたのだ。彼は、私の疑惑を和 ・せならば、公表こそされていないが、すでに黙認されらげるのに役立ちそうだと思ったことは、何でも進ん 3 ているかれらの目的は、人間の軽信を食いものにするで私に語った。彼がこの旅行をもくろんたただ一つの ことだからである。 目的は、時間をかせぐことであった。われわれはあの 私がたえず声明してきたように、国家社会主義の原時、直ちに攻撃をかけるべきであったのだ。われわれ 則は、輸出用ではない。それは、ドイツ国民のために は、一九三八年に開戦すべきであった。それが、戦争 考え出されたものである。その諸目的は、すべて必然を局地化する最後の機会だったのだ。 的に制限を蒙っているーーしかし到達することはでき しかしかれらは、全面的に折れてきた。そして腰抜 るのだ。そのようなわけで、私は、普遍的な戦争とい けもかくやと思われるほどに、われわれの要求全部を う観念同様、普遍的な平和という観念にも信をおけなのんだのである。このような状況では、機先を制して いのである。 戦端を開くことが、きわめて困難であった。、 第三帝国の敵どもが、どうあってもわれわれの生皮ンでわれわれは、どっちみち避けられなかった戦争に、 をはごうと心に決めていること、そしてかれらと折り容易かっ急速な勝利を占める唯一の機会を失ったので 合う余地など全くないことを確信できたのは、ミュンある。 ヘン会談のまぎわであった。雨傘を手にしていかにもわれわれ自身、十分な態勢にあったわけではないが、 ずるそうな資本主義プルジョワの頭目チエム・ハレンが、それでも敵よりはましだった。一九三八年九月が絶好 「成り上がりのヒトラー」と協議するため遠路わざわの時機となっただろう。そしてわれわれは、戦争を局 ざゴーテスペルクまでやってきたとき、彼は、自分の限するための何とすばらしい機会をもっていたことか。 真意がわれわれにたいする無慈悲な戦争遂行にあるこ われわれは、即時武力で議論に決着をつけ、われわ
諸国の精神に常識の火花を再びともそうと望んでいた。示し、十九世紀の間世界中で覇権を保ちえたのだ。 8 私は、西欧諸国にたいして、指一本動かすことなく一 チャーチルは、情勢が全然異なっているという事実を 種の浄化行為に寄与できる機会を与えた。浄化行為と度外視して、今や卑屈にもこの政策を模倣しているが、 いっても、連中はただ安心して、西欧消毒の作業をわ全くたわけたことだ。事実は、世界が。ヒット時代以後 れわれの手に委せて置けばよかったのだ。しかし誠実も進歩し続けてきた、ということなのだ。一世紀間に な男にたいしてこれら偽善者どもの抱く憎悪心は、自わたって、変化がゆっくりと生じていたことは事実だ 己維持の観念よりも強いのだ。チャ 1 チルのイギリスが、第一次大戦が、その速度を早めた。そして今次の にたいするユダヤ人の支配力を、私は過小評価してい大戦でわれわれは、明細書提出・決算の段階にきてい た。国家社会主義を自分たちの真只中へひき入れるくるのだ。 らいなら、坐して減んだ方がまし、と連中は実際に考十九世紀の初頭には、権力の点からいっても、ヨ 1 えていたのだ。圧力をかけてやったら、あるいは連中ロッパだけが重要であった。アジアの大帝国は、みな も、わが反ユダヤ主義の外観くらいは大目にみたかも死の眠りにも似た眠りに陥っていた。新世界はまだ、 知れない。しかし、世界中のユダヤ権力を一切合財根旧世界の端にできたたんこぶみたいなものにすぎなか った。自由になったばかりという十三のイギリス植民 だやしにしようというわれわれの絶対的な決意は、と うていかれらの弱々しい胃腸で消化しきれる食物では地を、どういう途方もない運命が待ちうけていたか、 なかったのだ。 それを正しく予測できる者など誰もいなかったことだ 。その数もえりにえって十三とは。私は迷信 。ヒットの天才は、当時の情勢と調和を保ちつつ、現ろう : 実主義的な政策を実践したことにあった。そしてそれにとらわれたりしないが、そんな事情を考えてみると、 ゆえにこそイギリスは、全くけたはずれの恢復ぶりを迷信家になりたくもなる。人口わずか四百万の新しい
思うだに残忍なことた。わが帝国が勝利者どもの手はひるんでしまうのだ。 にかかって八つ裂きにされ、わが国民がポリシエヴィ 魂を汚されることも、心をゆさぶられることもなく認 キやアメリカ人ギャングどもの暴虐非道にさらされる生き抜く人々に、われわれは、どういう忠告を与え、 ことを思うとき、私は戦慄を禁じえない。しかし、こ どういう行動原則をすすめうるだろうか。かれらは、 のような予想をもってしても、ドイツ国民の将来にか うちひしがれ、ひとり取り残されたまま自力で自己の ける私の不屈の信念は、揺らぐことがない。われわれ救済策を考え出さなければならないだろうし、夜のお : 苦難をなめればなめるほど、永遠なるドイツの復活そろしい暗闇が続く間、もつばら管理人として生存し も、それだけ輝きをますであろう。ドイツ国民は、国なければならないだろう。しかしドイツ国民は、われ 家の存続そのものが危くなると、冬ごもりの状態に陥われが規定したもろもろの民族法 ( 統 = あらゆる権利を奪 るという特性をもっており、今度もまたそれが、役立 ルン・〈ク法」をさしているのであろう ) を尊重するよう自発的 ってくれるだろう。しかし私個人としては、第三帝国に全力を尽くすべきである。ユダヤ人の流す害毒によ 敗北後の過渡期を通してドイツに住むことなど、耐え ってますます堕落しつつある世界では、その害毒に依 られないだろう。一九一八年にわれわれが体験したさ然としておかされていない国民こそ、結局最高の地位 まざまな恥辱や背信行為など、今度生じると思われるを占めるにちがいない。 この見地からすれば、国家社 ノ 0 、、 ものと比べれば、無にも等しい。十二年間も国家社会会主義は、ドイツと中央ヨーロ、 , カらユダヤ人を一 主義が行なわれた後で、このようなことが起ころうと掃したことについて、当然国民の永久的な感謝をうけ は、考えられないことである。祖国を英雄主義の絶頂るに価いしよう。 に導いたエリートたちも今はなきドイツ、幾年月も泥戦後のドイツが第二に心すべきは、ゲルマン系全人 沼の中でもがき続けるドイツを思うとき、私の想像力種の団結を固く保っということである。われわれの特
これは皮肉で、敵 、つこーーーもっともル 1 ズヴェルトには、これが、合 、カュ / ) 、というべきだったのだ。 タリアあり ( の勝利という意味 私の場合、ムッソリー = にたいする個人的な親愛の衆国をヨーロッパの戦争にひきこな絶好の口実とな 0 情も、イタリア国民にたいする本能的な友愛感も変っただろうが。しかし、ユダヤ人に督促されていた彼は、 てはいない。しかし、理性の声が、イタリアとの友好参戦して国家社会主義を絶減させようと、すでに固く 関係において無慈悲であれと命じているのに、それを決心していたわけで、なんら口実など必要としなかっ きき入れなかったことについては、全く自責の念に駆たのである。孤立主義者たちの抵抗を克服するのに必 要な口実くらい、彼は自分ででっちあげることができ られている。もしそれをきき入れていたら、ムッソリ た。べてんをもう一度用いることくらい、彼には何で 1 ニだけでなくイタリア国民の利益にもなっただろう もなかったのだ。 に。しかしもちろん、私がそのような態度をとってい たら、彼の感情を害してしまったことだろうし、彼は真珠湾でうけた被害の甚大さは、彼にとってたいへ これこそ、国民を総力 決して私を許さなかったことだろう。しかし、生ずるんな慰めだったにちがいない。 べきではなかった事態、致命的となるやも知れぬ事態戦へとひきすりこみ、国内の残存反対勢力を根たやし が、私の寛容ゆえに生じてしまった。生存は、虚弱をするために、彼が必要としたものなのだ。彼は全力を あげて、日本を挑発しようとした。これは第一次大戦 許さないのだ。 のとき、ウイルソン ( ←絵育靃大統領 ) が用いてみご とに成功したあの戦術を、もっと大きな規模で繰り返 アメリカ合衆国の参戦 の したものにすぎない。悪魔的な巧妙さで挑発されたあ へ のルシタ = ア号沈没事件 ( 一「年五月七日アイルランド沖で、詔 一九四五年二月十八日 ドイツ潜水艦に撃沈された事件。船客千九百五十九名中、千百九十八 日本の開戦は、われわれになんら不安を感じさせな 名が行方不明となり、そのうち百一一十八名がアメリカの市民であった
だろうーー・もっともユダヤ人は勝手なことに、迫害をされているわけだ : 招いた張本人が自分自身であることを、忘れているの ユダヤ人は、十九世紀を通じて驚くべき勢力伸張を だが。またユダヤ人は、同質人種のしるしとなるよう なしとげたがゆえに、自らの権力を悟り、それまでか な人類学的特徴を所有していない。しかし世界中のユぶっていた仮面を脱ぎ捨てることもできた。だからこ ダヤ人めいめいが、純粋なユダヤの血を何滴かは体内そわれわれは、うぬぼれやでわが権勢に得意満面のユ に含んでいることは否定できない。もしそうでなけれダヤ人と敵対する機会をえたのである。ドイツ人がい ば、ワルシャワのゲットーからモロッコの市場まで、 かにだまされやすい国民であるかを思う時、われわれ あらゆるユダヤ人に今も昔も共通するいくつかの肉体は、不供戴天の敵ユダヤ人から突如として示された過 的特黴ーーたとえば不愉快な鼻、残忍で悪意に満ちた度の率直さに、心から感謝しなければならないわけだ。 鼻孔などーー・ がどうして存在するのか、説明できなく 私は、かれらの取り扱いにおいて、つねに絶対公正 なろう。广 であった。開戦の直前、私はかれらに最後の警告を与 精神上の民族とは、ただの純然たる民族よりも、実えた。もしかれらが再度戦争を促したりすれば、断し 質的。永続的なものである。アメリカ合衆国に移住して容赦しないだろうし、ヨ 1 ロツ。 ( 全土で、今度こそ たドイツ人は、アメリカ人に変質してしまうだろう。 とことんまで害虫を根絶するつもりであると、私は説 しかしユダヤ人は、どこへ行っても、ユダヤ人のまま いた。この警告に、かれらは宣戦布告をもって応え、 言である。つまりいかなる環境をもってしても同化吸収世界のいずこでも、ユダヤ人あるところかならす国家 ケできない連中なのだ。かれらが同化作用を受け付けな社会主義ドイツの怨敵あることを明らかにしたのだ。 史いのは、ユダヤ民族特有のその性格ゆえである。要す というわけで、われわれは、ユダヤ民族の膿瘍を切 2 をしついつまでもわれ るに、精神の肉体にたいする優越性が、ここでも実証開したのである。将来の世界よ、、