ドイツ人 - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集13
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1. 現代世界ノンフィクション全集13

「みんなも知っているとおり」とルドウィッヒが、自と言っています。ドイツ軍はその人びとを生きながら 分の飲んだたくさんのウォッカで少しばかりはっきり焼いたのです。ポ 1 ランドで、ドイツ軍以外の誰がそ しない声で言った。「その『モーゼ』君やその他のユんなことをすることができると私に言えますか」 ダヤ人たちは、ユダヤ人街ですばらしい仕事をしたの 判事はさらに言葉をつづけた。 「私はユダヤ人が嫌いです。もしドイツ軍があくまで 「ああ、たしかにそのとおりだ」とポールが言った。 ユダヤ人たちを追い払いたいと思ったとしても、私は 「家畜のように屠殺場に連れて行かれた後、四十万のすこしも不都合とは思いません。しかしドイツ軍のな ユダヤ人が殺されたとき、他のユダヤ人たちは戦うこすべきことは、ユダヤ人たちを大西洋か太平洋のどこ とを決心したのだ」 かの島へ連れてゆくべきでした。もし、そこで死んだ カティヤの可愛いい声がきこえた。 とすれば不幸なことだ。もし生き残ったとすれば、結 「ユダヤ人たちが戦いはじめたとしたら、すくなくと構なことだ。しかしドイツ軍はユダヤ人たちになんと もドイツ軍を疲らせるには役に立つわ」 いうことをしたのでしよう。ユダヤ人街のユダヤ人た 「ユダヤ人というのは卑怯者です」とザトッカ夫人がちは、英雄としてふるまったとくりかえして言えま 断言した。「ユダヤ人は今までいつも卑怯者だったし、 しよう」 これからもそうですよ」 「しかしドイツ軍は他の行動をとることができなかっ 「このユダヤ人街での戦いは超人間的なものだったとたのです」とポ 1 ルが言った。「ドイツは大洋上の島 言えますよ」と判事が言葉をついだ。「クラシンスキを持っていません。たとい持っていたとしても、単に 1 広場から望遠鏡で暴動を見ていた人びとは、母親た人道主義的な感情から、遠い島にユダヤ人たちを送る ちが子供たちを抱えたまま炎の中に飛びこむのを見た だけの金を使うつもりはないでしよう。ユダヤ人の問 192

2. 現代世界ノンフィクション全集13

・リーン。落下傘兵の一れは森に引き返した。そこでは、三日間というものを、 ばがあったーー・フルック・ア おれもプルックリンだよ、昼間は眠り、夜になると這いだして、小さな橋を爆破 人がそれを聞き捉えて、 しにかかるというぐあいで過ごした。 といっこ 0 第四日目、第一師団の尖兵がわれわれに追いついた。 お互いはだんだんとわかり合うようになった。そし てアメリカ人はシシリヤ人が好きで、シシリヤ人はア彼らはわれわれの武勇についてはさつばり感動してく メリカ人を愛している、アメリカ人はドイツを好まず、れなかった。そして事実、写真家としてはー、・・・血なま ぐさい戦闘の場面はぜんぜん縁がなかったのである。 シシリヤ人もドイツ人を憎む、ということでわれわれ は一致した。こういう予備会談が終わって、私は要点私の撮ったたった一枚の写真は、あの年老いたシシリ に進んだ。ここはどこか、そしてこの付近にドイツ軍ヤの農夫の顔だけだった。 がいるだろうか ? シシリヤ会戦は、二十一日間のかけっこのようなも われわれは、テーブルの上に絹地の攻略用の地図をのだった。先頭に立ったものはイタリア軍であった。 ひろげた。シシリヤ人の農夫は、まずその布地の品質彼らは、アメリカ軍はもとより、味方のドイツ軍をも おやゅび に驚いてから、彼の拇指を奥地にはいる道の一点に置恐れていたので、ちりちりになって逃け去った。ドイ ツ軍はさすがにイタリア軍よりも遅かった。けれども、 いた。それは、われわれの命ぜられた降下地帯から二 十五マイルばかり離れた場所であった。そして、幾つ堅実に後退した。そのすぐ後を追って馘になった敵国 彼の場合は、アメリカ軍の全情報部隊に かのドイツ部隊が、夜、この道を海岸に向かって通っ人が続いた。 , ていったが、 / 彼らは停止しなかったからもはやドイツ追跡されていた。われわれの後方からは、われわれを 、。、ツトン大将麾下のタンク 兵がこの付近にいるとは考えられない、と彼は述べた。遮二無二前方に押しやる 彼は、われわれに食料とぶどう酒をくれた。われわが、砂塵を蹴立てごうごうと進んだ。 8

3. 現代世界ノンフィクション全集13

だから、レナにかぎらず、ユダヤ系のポーランド人にとって、ナチスとの戦争はユダヤ殺害という局面におい て、もっとも悲惨な姿をみせたのである。アウシヴィッツ、トレ・フリンカ、あるいはワルシャワのゲットー焼 打ちといった事実がくりかえしくりかえし問題にされるのは当然のことだろう。 よう 敵はナチスだけではない。戦争勃発直後、レナの夫はソビエト側に走ったが、以来彼の消息は査として分らな いという。ナチスの場合ほど徹底したものでなかったにしろ、ソビエト軍がユダヤ人迫害を行っていたことは現 在すでに常識となっている。いや、それだけではない。ポーランド人自身が戦前、戦中を通じて、たとえ国籍の うえで同胞であるにしろ、ユダヤ人ときけば、ナチスと同じような心理的反応を示したのである。 : ホーランドの田舎貴族の家庭でも、三人の人 事実、レナがユダヤ人であることをかくして身をひそめてした、 : 物がつぎのような会話を交わしている。 「私は = ダヤ人が嫌いです。もしドイツ軍があくまで = ダヤ人たちを追い払いたいと思ったとしても、私はすこ しも不都合とは思いません。しかしドイツ軍のなすべきことは、ユダヤ人たちを大西洋や太平洋のどこかの島へ 連れてゆくべきでした。もし、そこで死んだとすれば不幸なことだ。もし生き残ったとすれば、結構なことた。 「しかしドイツ軍は他の行動をとることができなかったのです。ドイツは大洋上の島を持っていません。たとい 持 0 ていたとしても、単に人道主義的な感情から、遠い島に = ダヤ人たちを送るだけの金を使うつもりはないで 争しよう。ユダヤ人の問題には多くの解決策はありません。いかなる国家もしていないことだが、ユダヤ人たちにユ 3 完全で全体的な市民権を与えるか、ユダヤ人たちを追い払うかのどちらかです。私としてはいつも第二の解決策

4. 現代世界ノンフィクション全集13

イスキ 1 ーを一口飲んだ。わが軍はライン川のドイツ側の発信ともなっていた。 8 に確固たる拠点を構えた。わが連隊は、破損したグラ 朝になってやっと、私はライン河岸に到着した。川お イダーから砲を取りだし、占領、保持すべき道路に到を横切って二つの舟艇の架橋が作られ、数千の砲や兵 達した。 隊がその上を渡っていた。みんなは、降下部隊はどう わが軍は多数の兵を失ったが、サレルノやアンチオ、だったかと聞いた。私の話はかなり大げさな調子を帯 彼らはそれにはこだわらなかった。 ノル . マンディにくらべると、戦闘は易々たるものであびていたが、 / 、よ、こ飛行場を見つけだすや、スコット少佐の消息を何か った。それらの戦闘に生きながらえたドイツ兵。 カカし」 さつりく こでもわれわれを殺戮した。しかし、やがてドイツ兵知っていないかと、私は質問した。彼は、踵をくじい たちは撃ちのめされた。午後、われわれは、他の連隊て連れてこられた、と航空将校が教えてくれた。そし との連絡を確保した、私はカメラをしまった。たつぶて、三十分前にロンドンへ引き上げていった、と。 ライン川からオーデル川への射撃戦は、まもなく略 り写真を撮り終えたので、クリスを探しにでかけた。 夕方になって、私はライン川のほうへ歩いていった。奪戦に変わっていった。・—は進撃を続けた。敵の しかしわれわれは、ライン川を舟艇で渡河した軍隊と抵抗はだんだん少なくなり、味方はだんだんとドイツ フイライン のカメラや、リューガ・。ヒストルや、ドイツ娘を見つ は、まだ遮断されていた。私は、大きな絹のパラシュ 1 トを見つけたので、その中にくるまって眠った。絹けだしていった。ドイツの中心地域に前進するにつれ、 わが軍は、ドイツ人がひじように清潔な国民だという は暖かで、私の夢はカタカタと音を立てる電信のテ 1 プのように廻転した。「帰ってスキーにいけ、 : : : 帰ことを発見した。そして、家屋や農場が、過去の数々 ってスキーにいけ」と夢はくり返した。それは、あるの戦線で見たうちではいちばん自分たちの故郷に残し ときは。ヒンキイの発信だったり、あるときはライフ誌てきたものに似ているということ発見した。

5. 現代世界ノンフィクション全集13

ビストルの冷たい銃身が背中におしつけられているの を感じた。 警官と二人で歩いてゆく間、私は一種の麻痺状態に おそわれていた。あらゆる緊張、あらゆる恐怖、あら ゆる不安の感覚がすっかり消え失せていた。一瞬、私 はほっとしたものを感じたが、すぐになんにも廱じな くなった。体も心もからつばだった。すべてが終わっ たのだ。 私はこう考えた。 ( 多くの人の身に起こったことが 今こそ、私の身にも起こったのだ。 ) これであの怖しいかくれん・ほも終りになったのだ。 私は両眼を開いたが、顔から数センチの所にさしつ けられたはげしい光りのためになんにも見えなかった。私は捉えられたことにいわば満足していた。 ドイツ人は私を大きな室にはいらせた。一方の壁の ドイツ人の警官が、片手に懐中電燈を持って、私の 傍に、十二人ばかりの女が、恐怖心に体をこわばらせ 上におおいかぶさっていた。 両腕を頭上にあげたまま身動きせずに、突っ立ってい 「起て」と警官が叫んだ。「両手を上げろ」 - し た。体のたくましいドイツ人の警部が、安楽椅子に横 ほとんど夢遊病者のように少しも反抗せずに、私は 立ち上がって、両腕をあげたまま、先に立って歩き出になったまま、机の上の帳簿になにかをなぐり書きし まぶた 人した。私は、眠りをふり払おうとして眼蓋をばちばちていた。私を連れてきた警官が警部のほうに私を押し させ、二、三度よろめいた。うすい夜着の布を通して、やった。 第一部迫害 一追手を逃れて 147

6. 現代世界ノンフィクション全集13

しおそれいるような、シチュウを突っこうとした、 は年増女優のようなものだ、危険になればなるほど、 ちょうどそのとき、砲弾がヒューと鳴った。肉や豆をしだいに写真づらが悪くなってくる、といった。 体いちめんにひっかけながら、私は地面にパタリと身次のヒュー ッという音で、中尉もひょいと頭をさげ を投げた。 た。ドイツ軍はわれわれにより抜きの逸品をよこして そのドイツ砲弾はうまくはずれて二、三百ャードはきた。最初、彼らはこの丘の頂上を大砲で薙いできた。 なれた地面に落ちた。私が顔を上げると、中尉は ついで五十の戦車と歩兵二個連隊で、われわれのいる 彼は身じろぎもしなかった 私を見下ろしていた。 ジェベルのすぐ麓から進撃してきた。味方の対戦車砲 彼は乙にすましていた。 はいまや活動を開始して、眼前のひらけた視界のなか たいへんばつの悪い思いで私は立ちあがると、豆をで、激しい反撃を加えはじめた。 払いのけ彼に向かって、私の見方からすればこの戦争 三人の将軍がこの一団を激励するために〃われわれ の観覧席〃に加わった。 パットンは第二兵団を指揮し、テリイ・アレンおよ びテディ・ルーズヴェルトは第一師団を指揮していた。 ヘルメット ドイツ戦車にみごと命中すると、三つ星のついた鉄兜 の下で。ハットンの顔は喜びにあふれた。テリイ・アレ ンは携帯マイクをとりあげ彼の軍を直接指導していた。 北 テテ 。イ・ルーズヴェルトは彼の籐のステッキをうれし そうに振っていた。 午後おそく、ドイツ軍は後退した。二十四の焼けた 0 3

7. 現代世界ノンフィクション全集13

会うかもしれなかった。 役目をはたすことになった。 ときどきドイツ軍は犠牲者たちを牢獄に連れてゆく私は、カジャとスタシェックの昔のアパートにふた四 トラックの覆いをはずした。すべての人びとが、犠牲たび接触しようと試たが、二人はいなくなっていた。 者たちの、起立したまま猿ぐっわをはめられ、両手を偽名をつかって、他の地方にでも移ったにちがいなか 縛られ、ぎっしりと積みこまれて、物も言えず恐怖に った。一度私はポドウアン神父の経営する子供たちの おののいている姿を見ることができた。ときどきその収容所に行ってみた。そこで、うれしいことには、 恐怖の戦いを強化するために、ナチたちは広場で死刑「私の」ダヤ人街の可愛いい子供に再会したが、食 の執行をとり行なった。 糧と医薬品の欠乏はすさまじいものがあった。ポドウ その政策は実を結んだ。恐怖が全市をとらえ、全戦アン神父は、私の持っているかもしれない影響力を利 線にわたってドイツが大敗を喫しているのにもかかわ用して、助けに来てくれと私に願った。ドイツ軍は、 らず、ドイツの崩壊を見るという望みも消えはじめた。神父に、牛乳も、小麦粉も、脂肪もすこしも与えなか クリスマスの晩餐の時ちょっとばかり演説を打ってったので、子供たちはひどく栄養失調に悩んでいた。 以来、私の生活はすこしばかりしのぎやすいものとな私は、ときどき。ヒルサの家で、レジスタンス運動の隊 0 た。第一に、毎月の給料がふたたび与えられだした員たちに会っていた。その子供たちの哀れな状態を伝 し、日曜日ごとに自由に休めることになった。私はしえたが、レジスタンスの勇士たちも、同情しながら、 ばしばビルサとその家族に会いに行った。。ヒルサの家ただ両肩をすくめて答えにするだけだった。その人た はいまやレジスタンスの秘密書類を分配する本部となちにもどうすることができたろうか。 っていた。そしてしばしば私は反ナチのパンフレット 二月、私はフェラに会った。フェラは。ヒルサを通し を、ワルシャワの他の分配地点に運ぶための連絡員のてワルシャワで一日を過ごすから会いたいと知らせて

8. 現代世界ノンフィクション全集13

ので、染めなければならなかったのだと答えてやった。 私はたいへんにカジャの勇気に感心していた。 というわけよ、、 をしろいろな場合に、その体格好はたその上、もっとしつかりとした、怒りをおびた口調で しかに非ユダヤ人であったけれども、ダヴィデの星で言い加えた。 飾られた黄色い腕章を腕につけて、夜ユダヤ人街に連「もし、あなたが私をユダヤ女だと告発するなら、私 れ戻されるユダヤ女たちの群に加わるカジャを見てい はあなたを新しいポーランドとナチス・ドイツの敵だ たからである。もっともそのためにカジャは愛するスとドイツ人に密告してやるわ」 十ーランドの警察によって九回、ゲシュタポ タシェックに会い、朝までその傍にとどまっているこ私は、 : とができたのであった。 によって二回、アーリア人ではないという告発の下に 私などは、自分の生命にかかわるお芝居をあきらめ呼び出された。しかし前夜の事件を除いては、いつも ずに演しつづける力を持ってはいたが、カジャと比べ同じ態度をとって、言いこめられないですますことが ればまだ臆病者と見られただろう。 できた。すなわち私は両足を踏みならし、はげしく官 そしていつも恐怖と苦悩の中にその日々を過ごして憲の愚かしさに抗議し、ときには訊問の真最中に告発 いる気の毒なユダヤ人たちを告発しようとしているス者をなぐりつけることまでやった。どんなユダヤ女も パイたちをドイツ人以上に怖れていた。しかしけっしそんなことはしなかった。すると人びとは私に謝罪し て奴らのけちな策略にはひっかけられず、自分の先祖て、放免してくれた。 児 し についての秘密をもらすようなことはしなかった。奴しかし、前夜には、そのようにうまく行かなかった。 らの中の一人が私を壁の下に立たせて、あてつけがま もっとも逃げ出すことができ、当分は無事というこ の 人しく髪の毛の色が生れつきのものでないのじゃないか とになり、自分でもうれしかった。 と問うた時も、私は病気のためにすっかり白くなった 私は再び、ユダヤ女たちの群に加わって、ユダヤ人 157

9. 現代世界ノンフィクション全集13

に落ちこんだ。赤毛とモーター ・。ハイクを乗り捨てた 写真屋は、すばやく駆けもどって、われわれ四人はカ パリへの道は私たちを招いている。 1 ・フの手前に身を隠した。 第三軍はパリから約六十マイルあまりのラ・ハルへ達 し力し、。 ( パのほうはそういうわけにゆかなかった。していた。私は、彼らに追いっこうとして急いだ。あ しかも溝は浅く、彼の背中は一インチあまりも外にはちこちで小戦闘がまじえられ、新しいドイツの捕虜が み出している。 ふえ、次々に占領される村落の名が報告書に記されて、 曳光弾は彼の頭のすぐ上の土を打ちつづけ、村の入っいにわが軍はランブイエの町に到達した。そこはパ 口を固めるドイツの軽戦車からの銃撃はひっきりなしリ 入城前の最後の駐屯地で、しばらく停止せねばなら に続いた。進撃の遅れた第八連隊がようやく到着して、なかった。 これは政治的な理由である。 うぎ ドイツ軍にも「と差し迫った砲撃目標がでてくるまで蜂起したパリの民衆は、彼らだけでドイツ兵と市街 の二時間、彼は身動きもできず溝穴にくぎづけになっ戦を演じていた。連合軍最高司令部の決定は、このよ ていた。 うな状況下ではド・ゴ 1 ル将軍の新編成、フランス第 やっと命からがら逃げ帰って、曲がり角のわれわれ二機甲師団ーー完全にアメリカ補給の兵器で装備され のほうへ駆けてきた彼は、ドイツ兵よりも私に対しかていたーーを解放軍の先鋒としてパリに入城させ、大 けんかんに怒っていた。彼が危機の最中にあるあいだ、 いにその舞台効果を上げようというのであった。 ズまるで著名な作家の戦死直後の写真でも撮りたそうに、 フランス師団はライフィエに集結、最後の突入に備 と私が・ほんやりつっ立っていたと非難した。その夜中、 えた。この軍隊はいろんな戦士がうまくまぜあわさっ よこの戦略家と ( ンガリーの軍事専門家の関係は何とな たコクテルだった。北アフリカのリビア砂漠で、モン く緊迫していた。 ゴメリー将軍の英軍とともに栄誉をかち得、頭のてつ

10. 現代世界ノンフィクション全集13

「ビッコを引いたユダヤ人の老婆がいました」とポレ父さんは溺死したイトジックを見つけたのです。後で、 ックが話しはじめた。「それから、その老婆は家からドイツ軍は、母親を見つけ、連れていってしまいまし幻 追い出されました。そこでユダヤ女は小Ⅱ 丿のふちに行 た。話はこれだけです」 き、沼地に大きな穴を掘り、そこにかくれていました。子供たちは黙ったままだったが、シ、タシェックが 穴を知っているのはイトジックだけでした。イトジッ そこで言った。 クはそのユダヤ女の息子で、いつも食べ物をとどけて 「ぼくのお父さんはドイツ軍がユダヤ人を追い払った いました。一度、イトジックは食べ物を求めて、・ほく ことに満足しているといっています」 の家にきたことがあります。その時、・ほくのお母さん もう一人の少年も言い出した。「ぼくのお父さんは はスープを与えましたところ、イトジックは母親のと ドイツ軍はすべてのユダヤ人を殺すために連れていく ころに持っていこうとしたので、すぐその場で食べさのだと言っています。しかしユダヤ人も人間である以 せました。それから母親のところに持っていくように上それはよくないことです」 と一鉢の熱いスー。フをやりましたが、沼地へ行く途中、あまりいつもしゃべらなかったア = エラがささやい 一団の子供がその前に立ちふさがって、母親のかくれこ。 ている場所を言わなけれまー 。 / 月にたたき込むと言いま「お母さんがユダヤ人はキリストを信じないので、そ した。イトジックはなんにも言いませんでした。ひどのためにいろいろと苦しみを味わうのだといっていた く泣きましたが、とうとう白状しませんでした。そこわ , で悪童たちは持っていたスープを投げ捨て袋だたきに 「お店のユダヤ人の奥さんは、・ほくにいつもポンポン して、イトジックを小川のなかに投げ込みました。そをくれたよ」とヤネックが言った。 して、イトジックは溺死してしまいました。ぼくのお 私はポレックの話に批評を加えて、クラス全体に、