クルド人 - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集16
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1. 現代世界ノンフィクション全集16

してぐっすり眠ることができた。翌朝出発のさいに、 ほんのお礼のしるしにと、持っていた小間物やコーヒ 1 を受け取ってもらうのが、また一苦労だった。彼ら 十四チグリスと一万遠征隊 の親切さは、たとえお礼などあげなくとも変りなかっ たであろう。 これから先の道のりは知れたものだったので、わた 指揮官は留守たったが八、九人の守備兵がいて、思 いがけない訪問客に喜んで、わたしたちを歓迎してくしたちは別にそう先を急いではいなかったが、とんだ ことが起って出発が遅れてしまった。駄馬が、前夜っ れた。彼らはわたしを樫の枝で屋根を張った縁の高い ないでおいたやや急な場所で、折れた枝にからだを突 部屋に案内し、夕食の料理にとりかかった。猫や子猫 がじゃれついたり、羊の番大が頭をなでてもらいに寄き刺し、深くはないが大きな傷を臀部にうけていたの ってきたりした。月光を浴びた世界は起伏しながら遙た。二人の馬子は絶望的になっていた。彼らにとって は馬たけが財産なのたから。それに、彼らは周囲の人 かに眼下の尾根まで遠く小さくつづいていた。彼らが わたしにあてがってくれたのは、この小さな建物でもの親切をあてにすることもできなかった。なにか が必要になると、彼らはわた いちばん上等の部屋で、べッドとテしフルが一つずったとえばかいばとか しのところに来て、「あなたから頼んでみて下さい、 置いてあり、壁には彼らの礼装用の軍服がかかってい た。彼らは流れの上にうまい具合に張り出した岩の間あなたなら手に人れることができますから」というの にうまく作ってある・ O の位置を教えてくれ ( これで、同じ人間でありながらこうも差別待遇されるのを は下流の野営地にはありがたくないことた ) 、わたし見ると、いっかシムラ ( 「山麓の避暑で夏季のインドの首都 ) 確 アノタッチャイ . ル をひとりにして出て行ってくれたので、わたしは安心で不触賤民を見て感じたような、一種の個人的な良心

2. 現代世界ノンフィクション全集16

しない鹿皮の靴を踏みしめながら、起伏の多い、欝蒼 は満足感と誇りにみちていたーー・・・彼らといっしょにい とした故郷の丘々の迷路を進んで行く。ョ 1 ロッパで ることは、願ってもないほどすばらしいことたった。 はいつでも聞こえてくる水の音さえしない。あたりに わたしは久しぶりにちょっぴり危険という香料をき かした、夜のひろびろとした荒地に出たことがうれしは暖かい親密な沈黙がひろがり、ただ、ときおり夜鳥 かった。六時半にはの声が、まるで陰のア 1 ケ 1 ドを避けて通るかのよう 暗くなったが、わた に、月影の道を追ってくるばかりであった。 したちの背後に月が チグリスの分水界を越えると、いよいよ西の視界が グ昇り、林や藪が薄明開け、北部メソボタミアの上に懸かるジュディ・ダ 1 ダのなかで異様な、人グの長い突出部が、夜目には定かならぬ峡谷によって イ間に似た姿となって、ほ・ほ均等に三分された姿を現わした。もっとも東寄り ュあたかも大地が黄金の峡谷、つまり、中央高地に接している谷の西側の頂 たの砂になったかのよ上に、方舟より出たるノアを記念する教会堂が建って ら うに、美しい月光の る。カ 1 トルード・ ベル ( イギスの女性旅行家・緖古 ) はそ なかに。ほっかりと浮の教会堂のことを、あのすばらしい書物、『アムラト カかび出た。道は実に対アムラト』のなかで描いている。ウイグラムも、紀 はっきりと見えて い元三百年という遠い昔の話としてその伝説に言及し、 た。らば追いとその「ここの人びとは、アルメニア人を除けば、誰もアラ とど 創世記八 ) とよ見 、父親の、二人の小柄ラテの山を : ・ : ・方舟が止まったところ ( ノ四参照 3 な土地の人は、音のなしていない」と付言している。わたし自身、シャマ

3. 現代世界ノンフィクション全集16

谷がまだ眼覚めないうちに 、パジャマを着て眠そうに いる素材でこういうことをなし、それに鋭い輪郭と芸 教育長がやってきた。 術の意味を与える。そして、もしそれに成功しなけれ / ( しいながら、川の道ば、それが人間に与える効果はあまり大きいとはいえ フ「 alan—嘘つきども」と彼よ、 にそってキャラ・ハンを捜した。「どうも悪い印象をおないのではないだろうか。想像力豊かな人にとっては 与えして」と彼はつけくわえた。彼はいじらしいほどおそらく建築とか絵画とか音楽とかがあれば、また、 わたしの気分をひきたたせようと躍起になっていたのあまり冒険心のない者にとっては虚構芸術があれば、 それで充分カづけられる。しかし大方の人は、ともか わたしたちは無言のうちにも親密な気持でそこに並 く己れの感情を緊張させられることを避けようとする。 んで坐っていたが、そのうちにまたわたしは前夜ひとなぜなら、未知の世界の衝撃にひとり身をさらすため には、人は強くなければならないからである。 晩じゅう考えていたように、あれこれ考えはしめた。 五時過ぎになって、日の光がすでに山の端から斜め しかしこんどは怒りの気持はなかったーー・どうしてわ たしは、また、わたし以外の多くの人にしたって、こに射してくるころ、らば追いたちがやってきたーーーし んな奥地にこなければならないのだろうか。おそらくきりに言いわけをする腰の曲がった小柄な父親と、ト わたしたちは、生活を張りのあるものにしたいのだろルコ風の威張った態度に軍人ふうのことば遣いを身に う。旅は、すぐれた小説家が日常の生活に対してしてつけている息子との親子づれである。息子のほうは、 馬いるようなことをするものだ。つまり、生活を、たとまるで。 ( ントマイムのためにメイキャツ。フしたような、 目じりに皺ひとつないびっちりした肌の顔をし、その スえば絵のように額縁のなかに入れ、あるいは宝石のよ グうに台のなかに据えることによって、その本来の性質せいでなにやら陽気な感じを漂わせていたが、もちろ 3 をいっそう明確にするのだ。旅は日常生活を構成してんそんなことは彼の意識しないことだったし、事実そ

4. 現代世界ノンフィクション全集16

る」と述べているような山道ほどひどくはなかったが、山側にころがり落ちると、自山になったポーニ 1 はポ ともかくわたしたちの歩いている土地は「道といってセイドンの馬のようにふたたび路上に跳ねあがり、恥 も二人並んでは歩けないほど狭い」ところだし、このかしそうに胴震いした。 わたしはさいわい怪我もなく、こわいとも感しなか 道もそうした隘路のひとつであった。道が急になって、 もろい砂礫層がくずれてしまっているところでは、幾つた。それは一瞬の出来事であり、病源菌が内部で徐 世紀も人や動物が通ったために、きまって石が大理石徐に蝕んでゆくのとはまったく違っていたからである。 のようにつるつるになっていた。気力のなくなったわしかしアブドウッラーはすっかり動転してしまった。 たしのポーニーが脚を滑らせて岩の谷側に踏みはずしそれからは彼が雌馬の手綱を引き ( 雌馬の神経が平静 たのも、岩が垂直に切りたって、その下が二段の滝にに戻るまでには時間が必要たった ) 、こんなことにな なっている、そうした急勾配の曲り角においてであっ ったのも馬たちに朝食をやらなかったからだとわたし た。さいわい踏みはずしたのが後脚だったので、わた がいうと、近くのスロー。フの小さなとうもろこし畑を しはとっさに彼女の首を岩の山側のほうに引っぱった。 指さして、そこからくすねるつもりだというようすを それでもその不安な一瞬は、じつに長く感じられた。見せた。「あなたに万一のことがあったら、それこそ 少し離れたところにいたアブドウッラーが、まるでべ大変なことになるところでした」と、かろうじて口が ーニの噴泉のスケッチみたいなこの図を見てそっきける始末だった。 馬として顔面蒼白になっているのがわかった。後脚を崖わたしたちは食べものと休息をえてよろこんだ。前 スから踏みはずしたポーニーがあわてて踏んばったため、日道づれになった人たちもいっしょになったが、わた しやこ レヴァント織の腹帯が千切れんばかりに鞍下の肉が盛したちのために鷓鴣をわなで捕えてくれた。その人た 3 りあがった。ついに腹帯が切れ、わたしが鞍もろともちがその羽を生きたままむしろうとするのでわたしが

5. 現代世界ノンフィクション全集16

ートがいっしょに歌っているのを聞くことができた。れわれが波といっしょに上がったり、下がったりする につれて、ただ躍り下がったり上がったりするだけだ夘 ポリネシアの音楽が止むごとに、クヌートの声だけが ポリネシアのコーラスの中でノルウェーの民謡を歌っ った。三時間すぎて、もう九時だった。だんだんわれ ているのが聞こえたからだった。コーラスを完成するわれは後退しはじめた。疲れたのだ。 ために、筏の上にいるわれわれは「トム・・フラウンの陸上からもっとたくさんの助けが必要だということ 赤ん坊の鼻の頭にはにきびがあった」で調子を合わせを原住民に理解させた。彼らは、陸上にはたくさんの た。そして白人も褐色人も笑って歌いながらカ漕した。人がいるが、島全体にこの四艘の遠洋航海用のカヌー われわれは元気溢るるばかりだった。九十七日。ポしか持っていないことを説明した。 リネシアに到着。今晩は村でお祭があるそ。原住民たするとクヌートがポートに乗って暗闇から現われた。 ちは歓声を上げて喚き叫んだ。アンガタウには一年に彼は一つの考えを持っていた。彼はゴム・ポートで漕 たった一度、コ。フラ・スクーナーが椰子の実の仁を取ぎ入って、原住民をもっと連れて来ることができる。 りに来るときに上陸がある。だから本当に今晩は陸上 いざというときには、ポートの中には五、六人はかた の火のまわりでお祭があるぞ。 まって腰かけられる。 しかし怒った風は頑固に吹いた。われわれは手足が これはあまりにも無鉄砲だった。クヌートは土地の 全部痛くなるまで頑張った。後退はしなかったが、火事情に通じていなかった。あの真暗闇の中で、珊瑚礁 はすこしも近くはならなかった。そして暗礁から聞この中の入口にどうして進んで行くことができよう。そ える雷鳴は前とまったく同じたった。だんだん歌が止こで彼は、原住民たちのかしらを連れて行くことを提 んでいった。みんな静かになった。それが人の漕ぎう案した。かしらは彼に道を教えることができる。わた る限界でありそれ以上だった。火は動かなかった。わしはこの計画もまた安全なものとは思わなかった。と

6. 現代世界ノンフィクション全集16

みなは熱心な関心を示して話を聞いた。それがすむ 見つけて、キャンプに戻った。帰途に要した時間はた 0 と、ダンザンが案内人クホの体験した思いのことを話 った二時間十五分だった。 キャン。フでは小銃を射「て喜んで迎えてくれた。私しにかかり、それは私たちが言葉を知らないために気 は骨格の詳細を知りたくてたまらず、ましてその一部づかなかったことなので、みなの注意はすっかりこの ことに移った 0 はすでに岩石から取り出されてあるものと思っていた。 ところがたいそうがっかりしたことに、私たちが留守こういうことだった。クホが ( ラ・フトウル山を見 していた二日僴に、隊員たちは完全に「動員解除」さつける力のないことを自認し、それで私が案内人の役 を受け持った後、彼は自分の不首尾を強く感じ、一見 れていた。 エグロンは呑気に言った。明日は仕事を終えよう厳格に見える隊長から懲罰に付されるのではないかと 心配していた。 今年は骨格を取り出そうなんて考える必要はないと ハラ・フトウルの山々の調査が終って、私とグロモ フとが最初に車に近づいた。ダンザンとクホの姿はな るし、骨格も大きすぎるから、労務者二人、運転手一一 人の力を合せなければ、それを掘り出して木枠にはめかったので、出発が遅れることを危ぶんだ私は、いっ こむことはできないと言った。私はすっかり憤慨してものように小銃をとって二発空に射ち、集合の合図を エグロンに食ってかかり、仕事に対する安易な態度はした。ところがクホは五歩ほど離れた岩陰で風を避け 懲罰に価すると威した。エグロンも怒って食事もとらて居眠りをしていたのだ。頭上に銃声が轟いたので跳 ずに寝袋の中に入ってしまった。グロモフは緊迫したび起きたが、なんのことやらわかるはずもなく、寝ば 空気をほぐそうとしてハラ・フトウルのことを話しはけていたので胆をつぶしてしまった。その後、すでに じめた。 車に入ってから、彼はダンザンに訴えた。隊長は「イ

7. 現代世界ノンフィクション全集16

すっかりふるい落したという印象をうけたのである。危険な冒険をおかしてはじめてやれることである。 こういう疑念を抱くということはトルコ人の観点からまはちょうど夏の終りで、この地点は、週に一、二度 すればごく当然なことである。なぜなら、近年、訪れ訪れる政府の臨時トラックに依存していた。本通りに る人は非常に少なかったし、トルコの東端に関して過あったモーター・サイクルが、政府のものでない唯一 去に書かれた書物ー・ー大部分は十九世紀後半であるがの燃焼機関であると指摘された。生活の複雑さは、こ は、どの場合もたいてい、或る少数民族に賛辞をの遊牧の地域では一定した家事を営んでいくのに困難 おくるが、一般のトルコ人批判に声を大にしているか があることに原因がある。ここの住民が村に住むのは らである。ここの長官その人も、わたしが彼を知るよ冬だけで、夏の期間はずっと、家畜をつれて高い「ヤ うになったとき、「私たちが出来るだけの丁重さをもイラ」で生活するのである。道路がいくつか出来て、 キアリのよう って扱った」近年の旅行者たちにも不満があると説明色々な品物が来て、店も出来れば、ハッ した。そこでわたしは、ここの荒地ではいわば客人なな中心地の生活は徐々に楽になるだろう。しかし、道 のだから、後にここのことを書くときにも、客人らし路はまだ出来たばかりで、本通りの一部屋だけの店に は、品数が少なく、わずかに婦人の衣類と鉄器類など く振舞おうと決心したのである。 政府の最先端地点であるここに配置されることは誰の金物類と、保存のきく食品の寄せ集めだけであった。 にとっても有難くなかった。道路が出来ても、・ハシュ ごく簡単な食べ物ーー・・たとえば、ヨーグルトや卵やチ 1 ズーーーも上の「ヤイラ」に行かなければなかったし、 馬力レまで手紙を持ってくるのに、六カ月続く冬の間に スは、徒歩で四日かかる。冬には馬でくるのは、とても野菜も全然なかった。だから、この地の官吏に妻帯者 グ考えられないのがしばしばである。さらにハッキアリ が少ないのを知ってもわたしは驚かなかった。また、政 まで遠い道のりをくるということは、天候からいって、府は若い独身者だけを送ろうと一生懸命だし、彼らは

8. 現代世界ノンフィクション全集16

カヤオはいまや、白人、褐色人合わせて七百万人の国わたしは、海軍工廠の中で木の筏をつくることを許可 してくださいと言った。 の最も重要な港だったのだ。筏をつくる者にとって、 「お若い方、」と大臣は、指で落ち着かないようにテ 椒代の変遷はエクワドルよりもベルーのほうがはなは ー・フルをとんとん叩きながら言った。「あなたは入口 だしかった。そしてわたしは唯一の可能性を見出した。 それは軍港を取り巻く高いコンクリート塀の中へからはいって来られないで、窓からはいって来られま はいるということだった。軍港では、武装した兵士がした。わたしは喜んでご援助いたしましよう。しかし ・鉄の門のうしろに立って、塀のあたりをうろついてい命令は、外務大臣からわたしのところに来なければな るわたしやその他の一般の人たちに、おどすような、 らないのです。わたしは外国人を海軍の用地へ入れて、 ウサン臭そうな視線を投げていた。ただその中へはい 当り前のことのようにエ廠を使用させることはできま せん。外務省に書類で申請してください。ご成功を祈 ることができさえすれば、安全なんだがなあ。 わたしはワシントンで、ベルーの大使館付き海軍武ります。」 官に会って、わたしを支持するようにという手紙をもわたしは、書類が旋回しながら青空の中へ消えて行 くのを考えて、ガッカリした。コン・ティキの野蛮な らっていた。わたしは翌日その手紙を持って海軍省に 時代は幸せだった。そのときには、申請などというこ ・己行き、海軍大臣、マヌエル・ニエトに面会を求めた。 探彼は午前中に、鏡と金。ヒカで輝いている、省の優美なとは知られざる邪魔物だったからだ。 キエムパイア応接室で面会した。しばらくすると、ご自外務大臣に個人的に会うということは、海軍大臣に ・デ身正装してはいって来られた。ナポレオンのようにガ会うよりも、かなり困難なことだった。ノルウェーは ン ンシリした、背の低い幅の広い将校で、話し方は簡明ベルーに公使館を持っていなかった。だから好意的な 3 直截だった。彼は理由を尋ね、わたしは理由を言った。 ・ハ 1 ル総領事も、わたしを外務省の顧問より先へは連

9. 現代世界ノンフィクション全集16

いうのは、その原住民は不恰好なゴム・ポートを操っして一人が檣頭によじ上って「帰 0 て来い。帰「て来 、。」と合図した。 て狭い危険な通路を通り抜ける経験を持っていなかっ しかし誰も帰って来なかった。 たからである。しかしわたしは、クヌ 1 トに、かしら 二人行ってしまい、一人檣頭で絶えず合図している の状況判断を聞くために、前の暗闇の中で漕いでいる かしらを連れて来てくれと言 0 た。われわれがもうとので、とものほうへ流されるのがひどくな「てい 0 た。 ものほうに流れるのを防ぎえないことは明らかだった。そして残りの者は本当に疲れはじめていた。目印を海 クスートはかしらを見つけるために暗闇の中に消えの中〈投げこんだ。そしてゆ「くり、しかし確実にう て行 0 た。しばらく経「てクヌ 1 トがかしらを連れてしろのほうに動いているのを見た。火が小さくなり、 帰「て来なか 0 たので、われわれは大声で彼を呼んだ。砕け波から来る音がすくなくな 0 た。そして椰子のし しかし前方のポリネシア人たちの騒々しい = ーラスのげみの風下から出れば出るほど、永遠の東風がわれわ 他は、何の返事も受け取らなか 0 た。クヌートは暗闇れをますますし「かりとっかまえた。われわれはいま の中に消えたのだ。その瞬間、われわれは何が起こつまたその風を感じた。いま風はほとんど海のまんなか にいたときのようだった。あらゆる希望が去ったこと たのか理解した。雑踏、騒音、混乱の中で、クヌ 1 ト : 、だんだんはっきりわかってきた。海の中に流れ出 は指示を誤解してかしらといっしょに陸のほうに曹、 クヌ つつあった。しかし漕ぐのを緩めてはならない。 くら叫んでも無駄だった。というの 探で行ったのだ。い 1 トがふたたび無事に筏の上に戻るまでは、全力を挙 キは、クヌートがいまいるところでは、ずっと障害にそ テってとどろく雷鳴によ「て、その他の音は全部呑みこげて漂流にプレーキをかけなければならないのだ。 五分経った。十分。三十分。火は小さくなった。と佑 ンまれてしまうからたった。 われわれはすばやくモールス・ランプを擱んだ。そきどき、われわれ自身が波の谷の中に滑り落ちると、

10. 現代世界ノンフィクション全集16

しかし、ずっと南のイースター島では石に彫られた十一メートルのいくつかの頭のテッペンに落ち着かせ もっと大きな巨人の顔が、とがった顎ひげと白人の目ることに成功したのだ。そういったことはいったい何 鼻立ちを備えて、数世紀の秘密について思いをめぐらを意味するのか。そして、こんにち一流の技術者にと しながら立っていた。一七二二年、ヨ 1 ロッパ人たちっても容易ならぬ問題をわがものとしていた消えた建 がはじめてその島を発見したときにもそのようにして築家たちは、機械についてどんな種類の知識を持って いたのであろうか。 立っていたし、ポリネシアの酋長の二十二代前、現在 。ヘルーから筏に乗って出た人たちを背景として、あ の住民たちがカヌーに乗って上陸して来てその島の神 秘的な文明人の中の大人という大人をみな殺しにしたらゆるものを総合すれば、イースター島の神秘はけっ きよく解けない問題ではないであろう。古代の文明は ときにもそのようにして立っていたのだ。そのときい らい、イースター島の巨大な石の顔は、古代の解決でこの島の上に、時の力が壊すことのできなかった跡を きない神秘の随一の象徴の中に数えられて来た。その残している。 樹木のない島の斜面のここかしこに、彼らの巨大な像ィースター島は古代の死火山の頂上である。古代の は天に聳えていた。それは人間の形にみごとに彫られ、開化した住民たちによって舗装された道路が、海岸の 普通の三、四階の家ぐらい高い単一の塊りとして立っ よく保存された波止場に通じていて、島のまわりの水 ている石の巨像だった。昔の人たちが、どういう風に位がこんにちとまったく同じだったことを示している。 キしてそのような石像を形づくり、運び、立てることが これは沈んだ大陸の残りではなくて、太平洋の文化的 テできたのか。まるでそんなことはまだまだ大きな問題な中心であったときも、いまと同じように小さくて孤 ンではないとでもいうかのように、彼らはさらに、別の立したちつぼけな離れ島だったのだ。 コ 巨大な赤い石の塊りを、巨大なかつらのように、地上 このくさび形の島のまんなかにはイースター島火山 よ 53