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検索対象: 現代世界ノンフィクション全集16
489件見つかりました。

1. 現代世界ノンフィクション全集16

ところが、好奇心にみちた探検精神は、一つの専門たけが追跡できるような条件に満足できないほど、貴族的 なものである。もともと、探検は貴族的行為であって、必要な金はどんどん使うべきである。いやしくも好奇心 を満足させうることがらにたいしては、金をおしんではならない。だから、密林のなかに近代施設を完備したほ うが、より好奇心を満足させうるなら、そうすればよいのである。ところが、一つの専門をもちながらも、強い 好奇心をもっていると、どうしても多角的な行動が必要になる。多角的に行動しうるためには、身がかるいほう が便利だし、自然のままのほうが、面白いことがおこるのである。だから、探検には、必要以上の装備をしない ほうがよい。むしろ、すこし不自由なほうが、体験が豊富になる場合がおおい。装備が貧弱なほど、探検的緊迫 が強烈である。私が、貴族的といったのは、緊迫感を愉しみ、内的経験を豊かにすることによって、澄み切った 好奇心を昇華させることが、探検するものの基本的な態度であると考えたからである。金がないから、装備を節 約しよう : ・ : とか、目的をちちめよう : : : といった根性は、探検には無用である。探検は無銭旅行でもなければ、 科学調査旅行でもない。そういう意味からみると、下賤の徒は、科学調査や無銭旅行にしたがえばよく、孤高の 士だけが探検を志すべきだと考える。 すでに述べたように、探検のねたは、まだいくらも地上に残っていて、探しだすことはむずかしくない。しか し、孤高の探検精神をやしなう魂の風土が、地球上から足ばやに失われてゆくことは、なんといっても残念であ る。

2. 現代世界ノンフィクション全集16

ソモンはモンゴルの中 ましなことがよくあるんでね : 。でもまあ、牧畜は 「そこへ行く道は、ノヤン・ソモソ ( 級の行政単位。アイマ 〔州〕 ) までしかついていない。先は道がない。車がぶ大事な仕事です、仕方ありません。そう、あなた方も コルホ 1 ズならね : ・・ : 」 じ通過するには、よく慣れた案内人がとくに必要だ。 遠くへ行くのだから、少しでも車が破損したら、探検ツエヴェンは大きく徴笑して、椅子から立ち上り、 計画がだめになってしまう。それだけじゃない、人命何事か言った。 ダンザンが通訳した。 も危くなる。」 もつまでもお望みの間おとも ツエヴェンはダソザンと早口に不可解の言葉を交し「コルホーズがあれば、、 をしますし、家畜のことも安心していられる。いまは てから答えた。 「わたしはご一緒するわけにはいかない。牧畜の仕事お手伝いしたいのは山々だし、あなた方がたいそう気 と一 = ロっていま をこれ以上放ったらかしにはできないのでしてな。わに入ったのだが、どうしてもできない、 しの代りに、消費組合の主任をしているツェデンダンす。」 ダンザンはここで区切って、微笑を浮べると、こう ハという者に行ってもらいます。この男はセヴェレイ ( 緊められた ) ソモンの生れでしてな、あの土地のこと言い終えた。 「まもなくコルホーズをつくる予定だが、あなた方が はよく知っていますよ。」 私はがっかりして大きな手巻タバコを深く吸いこん明日出発するのが残念です、と言っています。」 一同は爆笑した。 てで言った。 「いまのうちに、オルゴイ・ホルホイのことを聞いて 求「知っていることは知っているでしようがね。でも、 竜あなたなら、車がどこをどうやって通るか御存知だ。おかなくちゃならないよ ! 」とエグロンが叫ぶように 5 車のことを知らない案内人なら、むしろ、いない方が言った。

3. 現代世界ノンフィクション全集16

~ 第つを物を。 わが国の森や野原でこの若い女牧人を考えることもでる糞のつよい臭いがただよい、かまどのかすかな火が きないのである。 そこここのパオの隙間を通して輝いていた。私たちは 風は静まり、代りに寒さが厳しくなった。 ソモンから一キロメートルほど協のところを右の方へ 道は曲りくねって山の中腹に登った。坂の頂きから進み、乾上った河床に下り、それに沿って、堅い砂地 ハマリン・フラを求めて下っていった。黄昏の中に河床は平らな暗い ルーーー盆地の中 リポンのように伸び、ハイリャスの大きな株が砂の土 の大きな乾上っ手の中からそこここに突き出ていた。直径は一メート た河床のそばに ルにも達し、あるものは、かって洪水の時に水流に押 ある、たくさんし倒された大きな幹の一部であった。枝や根、あるい の崩れ落ちた粘は裂かれた木はすべて、念入りに根元から切り離され 土塀と建物が望ていたので、少しでも薪になるようなものを見つけよ ンまれた。中央にうとしたがむだだった。化石になった兄弟に似たこの 。」は幾つかの少し切株は、かってここでほんとうに巨大に生えていた ( 大きい建物が残ィリャスの林を減・ほした人間に対する無言の非難をつ っていて、周りきつけるかのように陰気に突き出ていた。この木がこ にパオが並んでんなに大きくなることがはじめてわかった。かって、 いた。糞の青い今は乾上った河床の空つぼの岸にあった、生命に満ち 煙がソモンの上溢れた陰の多い林が幻のようにひらめいたが、車はす にの・ほり、燃えでに谷の斜面に登っていた。 たそ殀れ

4. 現代世界ノンフィクション全集16

、つしょにハッキアリに送られる書類にサイソするま とをするのは私としてもはなはだ不愉快なことです」 6 えにそれを読んでみた。それは単なる申し送りの文面 と彼はいった。 「お察しいたします。とわたしはいった。「やむをえだった。わたしはそのあとに、自分の気持と、なんら ません。」わたしの心の動揺もどうやらおさまって、支障のない写真しか撮らなかったということを保証す る一文を書き添えた。若い将校は、わたしが勝手にな なんとか言葉にできるようになった。カイマカムと、 親しげなひとたちが二、三人部屋に入「てきて、興味にかを書き加えるとは予期していなか「たけれども、 ぶかそうに立っていた。「わたしがそんな考えを起すそれを大目にみてくれた。アンカラでもみんなに同情 なんてばかげています」とわたしはいった。「旅行許され、なんとかしてあげようといわれたけれども、 可証の請求があれば、アンカラの人はあらゆる機会をフィルムは二度とわたしの手に戻ってこなかった。 いらいらして玄関で話をつづけるのがいやになった とらえて調査するわけですから、もし請求者が友人で ないと思うなら許可証を交付する必要などありません。わたしは、指揮官夫妻と奥にひっこみ、夕食をおえる しかし、友人としていったん交付しておきながら当人とすぐべッドに入った。わたしがア・フドウッラーに別 を敵のように扱うなら、あなたがたはその人間を敵にれぎわに靴を一足あげると、彼はそれを仔細に眺めて から明るい顔になって快く受けとった。川上のある村 まわすことになりますよ。」 からきた息子づれの男が、翌朝四時にらばをつれてく 「そりやそうだ」と誰かがいった。みんなもそう感じ る約束たった。わたしは気持の上で疲れきっていた。 たと思う。 彼らはわたしを慰さめようとして、フィルムは戻るそして寝床に人っても眠れなかった。怒りがあたかも 海の烈しい潮のように、大波となってわたしの上にの ・ころうといっこ。 「台なしにされてね」とわたしはいって、フィルムとしかかってきた。それは、わたしの内部からではなく、 しさい

5. 現代世界ノンフィクション全集16

電池のふつうの懐中電燈で長時間もつであろうか ? しかしこの光は実にすばらしく役立った。もう穴に落 ちなくなり、恐怖は消えた。いちばん険しい下り坂も たちまち克服し、三十分後にはキャン。フに在って、失 敗を呪っていたのである。 ネメゲトウで、たくさんの貴重な恐電の骨を発掘 十月二日午後一時、入念に包装されたコレクション した探検隊は、車を東に向け、東部ゴビのサイン・ を残らず積み終え、キャン。フを整理した。二トン半以 シャンダをめざして出発した。その周辺には、・、 上の興味深い発見物を、この世に知られぬ盆地から運 ン・ンレ、、 ノラ・フトウル、エルギリ・オポーをは びだすのだ。しかし全ての発見物より貴重なのは、こ の恐竜の大墓場を発見したそのこと自体であった。赤じめ、今なお太古の世界を砂底に秘めた地帯が横た わっているのだ。 い迷路の一部の綿密な調査が終った今、この崖の奥に、 きわめて良好な状態で残った、外面的には、解剖学研 究室のために漂白された現代の骨を思わせるような、 十月二十六日、薄暗い寒い夜明に私たちは南西に見 多くの骨格が横たわることを知ったのである。 える黒い尾根に向って出発した。三班に分れ、トウシ ルゲ ( 背 ) 山とチョイリンギン ( 伸ばされた ) 山、及 びそれらを取り巻く上部白堊紀の脆い岩石をかなり速 く検分できた。この脆い岩石と、その中に葬られてい る恐電の多数の骨の破片との関係の特徴、また、山々 を構成している上部ジュラ紀の、褶曲によってこねま 三「豊かな食卓」 0 5

6. 現代世界ノンフィクション全集16

0 年代までは確実に、ベル 1 の北海岸で使用されていたインカ時代の筏に乗って、南太平洋を漂流したのであ る。いうまでもなく、彼らは、ラジオをもち、天測をおこなって位置をたしかめていたのだから、インカ時代と 。いいがたいが、外洋船で航海するのとは、別の世界が彼らのまえに展開したの まったくおなじ条件であったとよ であった。 コン・ティキ号の漂流が、第二次大戦後の世界に、新しいタイプの探検にたいする視角をあたえたのは、科学 的目的を非現代的手段によってはたそうとした点にあるわけである。また、筏で漂流することによって、思いも およばぬ発見があり、彼らに豊かな人間体験があたえられたことも、いなめない事実である。 それでは、彼らの探検の目的が、コン・ティキ号によって、充分にはたしえたかという問題が残る。確かに、 この漂流によって、中央アンデスからポリネシア諸島に、インカの筏によって辿りつきうる可能性は証明され た。しかし、ポリネシア人とその文化の形成に、中央アンデスの住民とその文化が、どれだけ関与したかという 根本問題は、まだはっきりしない。な・せならば、私がさきに述べたような、両者の厳密な比較研究がまだ充分で ないからである。中央アンデスのインティオとポリネシア人のあいだには、いまのところ、言語上の親縁関係は ほとんど発見されていない。そのうえ、ポリネシアの古い神殿マライと、アンデスの神殿との関係もはっきりし ないし、またポリネシアではまったく土器がつくられていないのに、南アメリカの太平洋沿岸では紀元前三〇 0 / イエルダー 0 年にはすでに土器がつくられているなど、両地域の古代文化には符合しない点がすくなくない。、 検レは、コン・ティキ号の探検ののち、一九五五ー五六年に、これらの問題を煮つめるために、一隻の船をチャー 後ターして、ポリネシア群島の東のはしにあるイースター島の調査をおこなっている。その結果、現在地表にあら % 号のタイ。フの石彫を発掘した。これらの石彫は、中央アンデスのティティカカ湖南 われている巨人像のほかに、」

7. 現代世界ノンフィクション全集16

すっかりふるい落したという印象をうけたのである。危険な冒険をおかしてはじめてやれることである。 こういう疑念を抱くということはトルコ人の観点からまはちょうど夏の終りで、この地点は、週に一、二度 すればごく当然なことである。なぜなら、近年、訪れ訪れる政府の臨時トラックに依存していた。本通りに る人は非常に少なかったし、トルコの東端に関して過あったモーター・サイクルが、政府のものでない唯一 去に書かれた書物ー・ー大部分は十九世紀後半であるがの燃焼機関であると指摘された。生活の複雑さは、こ は、どの場合もたいてい、或る少数民族に賛辞をの遊牧の地域では一定した家事を営んでいくのに困難 おくるが、一般のトルコ人批判に声を大にしているか があることに原因がある。ここの住民が村に住むのは らである。ここの長官その人も、わたしが彼を知るよ冬だけで、夏の期間はずっと、家畜をつれて高い「ヤ うになったとき、「私たちが出来るだけの丁重さをもイラ」で生活するのである。道路がいくつか出来て、 キアリのよう って扱った」近年の旅行者たちにも不満があると説明色々な品物が来て、店も出来れば、ハッ した。そこでわたしは、ここの荒地ではいわば客人なな中心地の生活は徐々に楽になるだろう。しかし、道 のだから、後にここのことを書くときにも、客人らし路はまだ出来たばかりで、本通りの一部屋だけの店に は、品数が少なく、わずかに婦人の衣類と鉄器類など く振舞おうと決心したのである。 政府の最先端地点であるここに配置されることは誰の金物類と、保存のきく食品の寄せ集めだけであった。 にとっても有難くなかった。道路が出来ても、・ハシュ ごく簡単な食べ物ーー・・たとえば、ヨーグルトや卵やチ 1 ズーーーも上の「ヤイラ」に行かなければなかったし、 馬力レまで手紙を持ってくるのに、六カ月続く冬の間に スは、徒歩で四日かかる。冬には馬でくるのは、とても野菜も全然なかった。だから、この地の官吏に妻帯者 グ考えられないのがしばしばである。さらにハッキアリ が少ないのを知ってもわたしは驚かなかった。また、政 まで遠い道のりをくるということは、天候からいって、府は若い独身者だけを送ろうと一生懸命だし、彼らは

8. 現代世界ノンフィクション全集16

当然のことながら、わたしは長官や彼の友に自分のまない新しい道路のこと、ローマ軍の遠征行進、近代 観測を展開して説こうとはしなかった。こういう大変体制の便益が感じられる以前の部落の貧困のことなど引 微妙な議論をするには、わたしのトルコ語ではとにかを話し合った。「私が少年の頃には」と、たまたまそ く不充分であったためでもある。しかしそれでも、わのとき寄宿していたハッキアリ地区代表の議員がいっ たしは彼らに、いずれにせよ、キ。フロスは英国の属領た、「部落民たちの間では、一本の紙巻煙草が三つに であることは忘れないようにいっておいた。すると、切られて分けられていたのを憶えている。」 彼らは、トルコ人は毎日射たれていると不満を述べた彼は、薄灰色の服を一分のすきもなく着こなして坐 トランプ遊 ) をして ので、わたしは、英国人ははるかに長い間的となってり、桜の木の下で長官とベジ 1 ク ( ・ きたと指摘した た。そして、そこを行き来する人がそれを見ていた。 これは、彼らの誰もが見過してい る点のように思えたからである。 長官は素早い、断乎たる態度でごまかしをやっての 長官邸には人の出入りが激しかった。誰もがわたしけた。それは、彼がとてもよく似ているポンタスや の旅のことをいろいろと論じた。新道路の終るところビシ = アっ にあ ( たの諸王の最上の伝統であ「た。 からさらに彼方にあるべイテシエバ・フの市長が、わた警察署長と技師長が彼の肩越しに見ていて、議員が抗 しの到着を彼のテント村で待っと約東した。わたしが議して、文句をいうと、にやにや笑っていた。長官は この地域をただ娯楽のために旅をする最初の西洋の少しも騒がず、彼のつかんでいる札を再び置くと、彼 ( いや東洋も含めて ) 女性であったろう。これ程特殊なの唇の力しフを少し強調して、次の手に出る。時折、 ことがごく自然に、そしてあれ以上の親切をもって迎彼は、「わたしはずい分勝っている」といって、彼の えられることは他の地域ではなかったであろう。わた妻やわたしを見上げると、皆がどっと笑った。スラボ したちは、長官ご自慢の、また、わたしも賞讃を惜しニア系の色白の、可愛いい二人の子供が、草花が乱れ

9. 現代世界ノンフィクション全集16

のおかげで、完全に吹きさらしのところに建っているるいは、粘土の多い盆地でさえぎられていた。 南方には、けわしく高い山脈が、平地と州庁所在地 他の家々と比べて居心地よくさえ思われた。 私は塀にあけられた入口から外へ出た。二輛の自動の上にのしかかるように浮びでていた。どっしりした ーリの上に壮大に積み重なって 車は入口のまえに駐車していて、ゴビの赤い土ほこり岩塊が、ゆるやかなべ いた。山脈は西方に斜めにのびて遠ざかり、広い横谷 が車輪やポンネットや泥よけにしつかりとくいこんで いた。州庁ーー石造りの独立家屋、絵のようなパオので分けられた三つの山塊に分れていた。これがグルバ 群、無線局の高いアンテナ、商店の家並み、病院の白ン・サイ ( ン ( 三つの美しい〔山〕 ) で、ゴビ・アルタ い病棟、それらとはなれて建っている大きな学校などイの東端である。モンゴルの山々の名称は、自然のカ が、この地におかれたのは、わずか数年前のことにおびえた原始的な思惟の産物である多くの神や悪 で、それまでは、ずっと北のデリゲル・ ( ンガイ ( 広々を巧みに利用してきた仏教によって同化され存続し とした ( ンガイ ) にあった。それで、パオの数の方がた、古代の汎神論的シャーマ = ズムの名残りである。 家屋よりもずっと多かったが、でも、建築は進行中で、克服しがたい風、雪やきびしい寒さ、あるいは破減的 州庁から少しはなれた中心部では、三つの大きな建物な豪雨をもたらす山々にたいして、古代の旅人たちが 恐れをいだくとき、その本来の名を口にだすことはで の基礎ができていた。 ダラン・ザダガドは、東西に広くのびている平坦な、きず、こうして、それらは忘れ去られたのである。だ 角礫の多い荒れた平地にある。その北方には、同じよから、も 0 とも大きな山々は、今日まで「一般的。名 うな平地が数百キロメートルも広が 0 ていたが、おそ称ーーサイ ( ン、ポグド、 ( イル ( ソ、すなわち、美 らくは、もっと不毛らしい土地で、ただ、ところどこしい、聖なる、慈悲深い等の名称をもち、それに、な ろでは、連丘や、あまり高くない岩の多い連山や、あんらかの特徴的な形容詞がつけ加えられているのだ。 フェンダー 0 9

10. 現代世界ノンフィクション全集16

にでてくる巨大なラクダの白い骨のような、白い砂岩 の川や泉である。だから原地住民の案内人は河川水系 を細かく知っていて、たいそう細かく詳しい地図を作の団塊が横たわっていた。この道もこれらの丘を目標 としてそのそばを通っていることは明らかだ。たくさ っている。 山は、森の中や、雲の低い湿っぽい天候では視界がんのラクダの骨が一つの丘のそばに転がり、その先の 砂岩の板石の堆積の中に一羽の青味をおびた灰色のコ 制限されるために、道の副次的指標にしかならない。 ノハズクがいた。石い砂岩のある小さい丘、ハネガャ 中央アジアやアルタイの高い山中では、森がないにも の明るい縁飾りによって単調な平野の上に描かれた一 かかわらず、川はやはり案内人の重要な目標であった。 ここ、数百キロメートルにわたってさえぎるもののな本の線のような昔の路、そして、昔のモンゴルの以前 いモンゴルの草原や砂漠では、川は道の指標の役割をは活発だった昔の路の唯一の住人である孤独の物言わ ぬコノハズクーーー天然の境界ホンゴルはこのような印 果たすことはできず、まして川はほとんど無かった。 その代り、どの山もどの丘もあるいは人間の手で立て象を記億に残したのであった。 路はハイリャスの生える大きな乾上った河床に人っ られたオポーでさえも、それそれの名を持っていた。 経験豊かな案内人は、広い大洋で船を導くときの燈台てそこで消えた。河床の柔い砂は通れないので、急い で左側の連丘の上に登った。はるか前方地平線のあた のように、それによって隊商を案内したのである : ・ その先、草はますますまばらになり、平野はいっそりに、高くない黒い山壁が見えた。ダンザンとクホと てう平坦になり、周囲数十キロメートルには生物は見受は元気づいてあれが ( ラ・フトウルの山々に違いない と主張した。しかし私の考えは別で、地図によれば、 求けられなかった。道と並んでその左右に高さ一メート 竜ルほどの小さな丘陵がわずかに起伏していた。これら前方に見える山はフレン・ツア・フ ( 褐色の峡谷 ) と呼ば の丘の頂きには、昔の廃墟のような、あるいはお伽噺れ、ハラ・フトウルは左寄り、西の方にあるはずだ。