クルド人 - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集16
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1. 現代世界ノンフィクション全集16

ったのは、こういった金ボタンの人たちを恐れたから なった。われわれは南米に飛んで筏作りを始めること だった。われわれは刑務所へぶち込まれるだろう。 になった。 「いや」とヘルマンが言った。「公式の紹介状を手に入 昔のベルーの筏はバルサの木から造られていた。・ハ 、。バルサの木れなくちゃいけない。」 ルサは乾いた状態ではコルクよりも軽し はベルーに生えている。しかしアンデス山脈の向こう解散した三人組の一人である友人は国際連合の記者 かこ だった。そしてわれわれをそこへ自動車で連れて行っ 側にしかない。だからインカ時代の舟子たちは海岸に そって北のエクワドルに行きそこの太平洋の縁で自分てくれた。世界中の国から来た人たちが並んでべンチ たちの巨大なバルサの木を切り倒したのだ。われわれに腰かけ、うしろの壁を飾っている巨大な世界地図の も同じことをやろうとした。 正面に立っている、黒い髪をしたロシア人の流れるよ うな演説に静かに耳を傾けている、大きな会議室の中 こんにちの旅行の問題は、インカ時代とは違ってい る。自動車や飛行機や交通公社などは見つけることがへはいったとき、われわれは大いに感銘を受けた。 できるが、物事があまり簡単にならないのは、国境と友達の記者は、休憩時間にベルーからの代表者を一 いうものがあるからである。そこには金ボタンの用心人、のちほど h クワドルの代表者を一人、つかまえて 棒がいて、幸いにして入国できるとしても、人のアリ くれた。休憩室の深々とした皮のソファーに腰を下ろ 記 検 バイを疑い、荷物を虐待し、判を押した書類を山ほどして、彼らは、自分の国から出た古代文明の人たちが、 キ書かせる。奇妙な品物のいつばいはいった荷造り箱と太平洋諸島に達した最初の人であるという学説を支持 テトランクを持って、南米に上陸して帽子を持ち上げ、するために、海を横断するというわれわれの計画に熱 ン片言のスペイン語で、入国させて、筏に乗って行かせ心に耳を傾けてくれた。二人とも、自分の政府に知ら コ てくださいと丁重に頼むことはできないと決めてしませることを約東した。そしてわれわれがそれそれの国

2. 現代世界ノンフィクション全集16

たときに、原住民の多くがほとんど白い皮膚を持ち、 縦に立てたり積み重ねたりして、門や巨大な壁やテラ スをつくった。それは太平洋のある島々に見られるも顎ひげを生やしているということを見出してまったく のとまったく同じものである。 驚くということが起こったのである。島の多くには、 スペイン人たちがはじめてベルーにやって来たとき家中いちじるしく白い皮膚、赤から金髪にいたる髪、 かぎまな に、インカ・インディアンはこの山国に大帝国を営ん青灰色の限、そしてほとんどセム族の、鉤第の顔のた でいた。彼らはスペイン人たちに、そのあたりにポッめに目立つ人たちがいた。ポリネシア人は、こういっ ネンと立っている巨大な記念碑はインカ族自身が支配た人たちとは別に、金褐色の皮膚、漆黒の髪、平らで 者になる前そこに住んでいた白い神の人種が立てたもぶよぶよした鼻を持っている。赤い髪をした人たちは、 のだと物語った。この消え失せた建築家たちは、賢く、自分のことをウルケフと呼んでいた。そして自分たち はその島々の最初の長たちの直系である、その酋長 平和的な教師であり、大昔に北からやって来て、イン 力の原始的な祖先に、風俗習慣と同時に、建築と農業たちは、タンガロア、カネ、ティキのような白色の神 を教えたと言われている。白い皮膚と長い顎ひげを持である、と言っていた。島人たちの直接の先祖である っているという点で、他のインディアンとは違ってい神秘的な白人の伝説は、ポリネシア全体に行なわれて いた。ロゲヴェーンが一七二二年にイースター島を発 した。またインカ族よりも背が高かった。最後に、来た 検 ときと同じように突然ベルーを去った。インカ族自身見したときに、驚いたことには、岸辺にいた人たちの 探 キが、その国における権力を引き継いだ。そして白色の間に、「白人たち」を認めたのである。そしてイース テ先生たちは南米の海岸から永久に姿を消して、太平洋ター島の人たちは、彼ら自身、ティキとホッ・マツア の時代まで、白い皮膚をした祖先を数え上げることが 7 ンを渡って西のほうへと逃げて行ったのだ。 コ そこで、ヨ 1 ロツ。 ( 人たちが太平洋諸島にやって来できたのである。ティキとホッ・マツアの時代に、彼

3. 現代世界ノンフィクション全集16

顔に浮ぶ落胆のいろに心が責められた。ルキャ 1 ノワ タ・ハコが吸えないので、「流刑ーになったとこ・ほして と二人の労務者には、基地の「管理」と保護を委せる いた。この運転手長は若い労務者たちを甘やかさず、和 ことになって、ここに残さなければならなかったのだ。彼らがザ・ハイカル地方から伝わった、地方の流行に従 今度の場合のような長途の行程では、余分の一人は約って、たくさんのひだのついただぶだぶのズボンをは 百六十キログラムの荷に相当し、その上その食糧、水、いているので、「大貴族」と呼び、のんびりした彼ら をなにかにつけては叱りつけたものだ。 食器、・ヘッドを必要とする。半トンの予備品もなく、 まして帰路には重い化石骨を運ぶことになるのだ。 労務者はみな徴兵前の若者で、年齢は十八歳、アル 三輛のトラックは州庁所在地から西に向い、車で通タン・・フラクやその近辺の共和国北方の部落から来た り均された良好な道を進んだ。先頭の一トン半積トラ者ばかりだった。 ックにはオルロフが運転席に同乗し、案内人、ダンザ 私の車に乗ったヴォロ 1 ヂヤ・イワノフは、長身で ンおよびエグロンが上に乗った。運転手は猪突猛進型、髪は白く、人の好い若者で、たかい身の丈とばか力の 無鉄砲、ややがさつなアンドレ 1 エフ、二番目の一ト せいで「砲兵」と綽名されていた。まだ子どもつぼく ン半積トラックには食糧を積みこみ、コックと二人の不器用で、有頂天になりやすくまた軽々しく信じやす たち 労務者が乗りこんだ。運転手はプロニンで、細心慎重、い性だった。イワノフの他はみな、ロシア人と中国人 感受性に富む自然を愛する男であり、のちにすぐれたとの混血である。彼らは中背で敏捷器用、生粋のロシ 「骨の狩人」となったのである。 ア人のようにロシア語を話し、ロシア式の名と姓をも しんが 自動車隊の殿りを承まわる三トン積トラックにはガ っていたが、ロシア人よりは中国人の方に似ていた。 ソリンが満載され、私とアンドロソフと二人の労務者なかでもイリヤ・ジルキンはすばらしい音楽の才能に が乗った。この二人はきびしいアンドロソフの車では恵まれ、たくさんの歌を知っていて、ギターを手放さ なら

4. 現代世界ノンフィクション全集16

事実、歴史は、たいがいこの土地の東端、あるいは、 西端を丸く洗い落してしまい、表題も他民族の、ウラ ト人 ( トのつ、灌漑技術どの高い文明を有した 、アッシリアー南西アジアにあ、 ) アルメ = ア人などで現 アノ ( 「た古代王国、首府 = ネペー - キリシア人、ロ 1 マ人、ビザン われてくるし、また、・ ( ッキアリ地域は、チグリス川とヴァン湖の間に位チン ( 東ロー「帝国 ) 人、セルジ = ーク人 ( こ西諷及中央ア ジアを統治した、 置し、上方にはユーフラテス上流域を頂き、下方には ) オットマン・トルコ人の行軍隊の中で トルコ王朝の民 メソボタミアの穀物地帯が広がり、険しい峡谷が重な扱われる。これらの民族が、アジアの大きな廃墟や草 るくさび形の地形である。古代人たちのあのニフアテ原の中を錯綜した移動を続けて、数世紀をうめている。 の山 ( の→峰。ア , シリアの迦境 ) がある。これらが何年もそして、東方と西方を区切る古代の境界線沿いで、十 の間わたしの心にとりついて離れなかった。 九世紀に起ったトルコーロシャ戦争でもって、われわ これらの地域を、現在でもなお四つ足動物だけが旅れの時代へと足を踏み入れてくるのである。歴史上の 行の唯一の助けとなる衰微しゆく地域の一つとして、境界線は ( ッキアリ断層地塊の北を走っている。そこ わたしは心中で区別して考えていたのである。それらでは、草原がもり上ってアララト山 ( この名はウラル の歴史については、時折だが、機会あるごとに、わずトと同じである ) に至っている。東はウルミアー湖を かながらもまばらな知識を集めていたのであるが、世 かこな平原沿いに、西はユーフラテスとチグリスの二 大河のメソボタミア側支流域である。ここの山々は、 界の主要路に入るこの地帯の地理のように、ぎっしり いまだ侵人不可能か記録されていないものである。 つまってはいても、知識として取上げるに足る程のも 「アジア地域で最も険しいもの」と、この地帯のめず のはあまりない。 ハッキアリ地域

5. 現代世界ノンフィクション全集16

しようとしているのであった。 いに上がったのです。」とスウェーデン人はおだやか わたしはその記事を切り抜いて、ホテルで筏をつくに言った。「わたしはその移民学説冫 こ興味があるので るための場所についてヘルマンに手紙を書いていた。す。」 そのときドアのノックでさまたげられた。はいって来わたしは、彼が科学者であること、そしてジャング たのは、熱帯の服装をした、背の高い、日に焼けた男ルの奥から来たばかりであること以外、その男につい だった。その男が白い〈ルメットを取ると、まるで燃ては何も知らなかった。しかし、スウ = ーデン人がた えるような赤い顎ひげが顔を焼き、髪の毛を焼いて薄 0 た一人で、五人のノルウ = ー人とい 0 しょに筏に乗 くしてしまったようだった。その男は荒野から来た。 って行こうという勇気があるならば、気むずかしいは しかし彼の本領は明らかに大学の教壇だった。 ずはあるまい。そして、あの堂々たる顎ひげさえ、彼 「ペンクト・ダニエルソンだ。」とわたしは思った。 のおだやかな性質と陽気な気質とを隠すことはできな っこ 0 「べンクト・ダニエルソンです。」とその男は自己紹 介をして言った。 べンクトは乗組員の六番目のメイハ ーになった。そ 「筏のことを聞いたんだな。」とわたしは思った。その場所がまだ空いていたからである。そしてスペイン してお掛けくださいと言った。 語を話すのは、彼一人だった。 「筏の計画のことを聞いたばかりです。」とそのスウ = 二、三日後に、旅客機が海岸にそって北のほうに飛 号 ーデン人は言った。 キ んでいたとき、わたしはもう一度尊敬の念を持って下 テ「それで学説をノックダウンするためにや 0 て来たんの果てしない青い海を見下ろした。それは蒼穹自体の ン だな。人種学者だからな。」とわたしは思った。 コ 中に、宙ぶらりんにプカプカ浮いているようだった。 「それで筏に乗「てい「しょに行けないかどうかお伺まもなくわれわれ六人は、あの、あんまり水がたくさ

6. 現代世界ノンフィクション全集16

内の損耗には、モスリンより丈夫な生地を恐らく必要いるのである。わたしは帽子を彼女にあげたかったが、 としなかったであろうから。しかし、わたしのかぶつ他に代りがなかった。そこで、彼女と指揮官の妻君は、 。かわるがわるそれをかぶっていた。 ていた帽子は、ちょっとした勝利をおさめた。二人の午前中いつ。よ、 英国人と東部地中海沿岸の人たちとの間にある基本 御婦人は、その帽子を自分でかぶっては、似合うと思 っていたーーまた、事実、似合「ていた。長の妻君的相違の一つは、着物に対する彼らの態度である。こ は、その帽子をかぶった姿でわたしの本の中に出しての相違の本質を明確にすることが出来れば、お互いに ほしいといった。この許可をもらって。フリントされてゆゅしき無知のいくらかは一掃できると思うのである。 第ー一三日 . すでにあまりに多くの偏見が育ちすぎていて、午前中 一ばいかけてみてもとうてい消散することの出来るも のではなかった。全体的困難さはどこにあるかという と、イギリス人の服装に対する態度は場所と関係して いる、一方、一般に地中海人、特に東部人のそれは、 。 ' 妻着物というものをその人の地位をあからさまに表わす ものと見ている点である。わたしたちは、地位とはか かわりなく、その場所に応じた服装をする。事務官が 山を歩くのに都会で着ている薄織物を着ていかねばな らない。彼のまわりの、山で生活する部族民たちは、 温く、長持ちする、大変丈夫なホームスパンを着てい

7. 現代世界ノンフィクション全集16

りで、後の時代のものである石積みがあったが、その町パシュカレは、南に走る道路そいにあるが、それが 下に、もっと以前の時代の石が数個見つかったーーーそウアシであった。 車は満載であったが、この日はおだやかな落着いた こには、古代ウラルト人の技術の痕跡がたどられてい 日であった。広大な風景が広がっていたけれど、ヴァ る。ウラルト人は西部アナトリア ( 小アジア ) からやっ ンの平原とホシャ・フ川そいのここかしこ、その向うの、 て来たのであるが、彼らの技術は素晴しいものであっ たから、この地方のウラルト人の歴史に関しては、そノルドストの道路そいの木立の間から村が見えるとこ の最高の権威たるレーマン ( ウ。フト氏が、外ならぬろの牧草地のはるか片隅以外には、耕作されたところ このホシャ・フの橋に後のオットマン・トルコ人たちがは見あたらなかった。皆がわたしに話して聞かせると ャイラ ころでは、夏に野営地から野営地へと渡りながら、チ 実地に採用した、黒と白の建築方法を発明したのは、 彼らウラルト人であるとしている。その橋のポ。フラのグリス川と西部へと行くのは、容易な道のりだという。 側にわたしたちは坐っていたのである。紀元前千年にそして、一本の道路 ( それは事実計画されているが、 までさかのぼるその間の初期に、この南東への行進に現在はまだない ) がわたしの地図には赤い線でマーク されていた。しかし、わたしたちのいま通っている道 おいて、また、チグリスとユーフラテス流域地帯で、 ウラルト人はアッシリア人と戦った。その後、残る記は、どんな車でも完全に大丈夫であり、ほんのここ三 録に関する限り 、 ( ッキアリの峡谷を訪れる者はなか年間のうちに作られたのであるが、地図の上では、や たらにところどころ、「通れる道かどうかあやしい」 った。やがて、八世紀の末に、キンメル人が北方から ことを指示する黒い小さな点でさえぎられていた。地 下って来た。そして、「ウラルトの王は彼らに抵抗した が、彼の軍隊は打破られ、ウアシの支配者は倒れる」図製作者の心中にある、こういう疑念は、ハッキアリ ( ( ) " ) 。わたしたちがこれから向う、次の小さな地域に関しては当り前のことである。地図の権威から 2 9 2

8. 現代世界ノンフィクション全集16

で、信頼のできる男だった。そして稀に見るユーモア釘で打ちつけてつくったものもあった。椰子の間にポ 6 ツンと立っている、板でつくった大きな家が、村の新 と原始的な力を持っていた。その力強い体と王様のよ うな顔立ちは、ミ 月リネシアの酋長に。ヒッタリだった。 しい礼拝所だった。そこにわれわれ六人の白人が泊ま 本当に、ツブホ工が島の本当の酋長たったのだが、テることになっていた。われわれは旗を掲げて小さな裏 力がフランス語を話し、数を数え、字を書くことがで口から中へはいり、正面の前の広い階段へと出て行っ た。われわれの前の広場には、村の人たちが、歩いた きるために、スクーナーがタヒチからコプラを取りに りはったりすることのできる人はーー・女も子供も、老 来るときに、村がだまされないというので、次第に最 いも若きも、みんな立っていた。みんな大真面目たっ 高の地位を獲得していったのだった。 た。コン・ティキ島で友達になった元気のいい人たち テカは、われわれは村の礼拝所までいっしょに行進 おか して行くのだと説明した。そして全員が陸に上がると、も、他の人たちの間に整列して、知っているというよ うな顔一つ見せなかった。 われわれは儀式的な行列をつくってそこへ出発した。 ヘルマンが銛の柄に旗をひらめかせて先頭に立ち、そ われわれがみんな階段の上に出てしまうと、集まっ た人たちがみな一斉に口を開いて、いっしょに歌を歌 れからわたし自身が二人の酋長の間に挾まれてつづい った・ーーマルセーイエーズだ ! 言葉を知っているテ 力が歌の音頭をとった。そしてお婆さんが何人か調子 村は、タヒチとコ。フラの取引きをやっているという 明らかな特徴を現わしていた。板となまこ鉄板がスクの高いところでひっかかった他は、かなりうまくいっ 】ナ】に乗せて輸入されていた。小屋の中には、 枝た。一生懸命練習したのだ。フランスとノルウェーの と椰子の葉を編んだものとで作った絵画的な古い様式国旗が階段の正面に掲げられた。そしてこれが酋長テ のものもあり、小さな熱帯の。ハンガローのように板をカによる公式の歓迎の終わりだった。彼は静かにうし こ 0

9. 現代世界ノンフィクション全集16

れなかった。 を見つけることを、研究の目標とした。 最初のヨーロツ。 ( 人たちが、とうとう、このあらゆ 続く何年かの間、砕ける波とジャングルの廃墟は、 わたしの太平洋民族研究にたいする背景と伴奏を形づる大洋の中で一番大きな大洋を横切ることをあえてし くる一種の遠い、非現実的な夢だった。原始人の思想たときに、驚いたことには、この大洋のどまん中に、 や行動を本を読んだり博物館を訪ねたりして解釈しょ山のある小さな島々と平らな刑瑚礁がたくさん横たわ うとしても無駄であるのと同じように、現代の一探検っていて、おたがいからも、一般の世界からも、広大 家が、本棚一つに収まるほう・ほうの水平線に行こうとな面積の海によって孤立させられているということを 発見した。そしてこういった島のどの島に行ってみて ナることもまた無駄である。 科学的な業績、最も早い探検の時代からの日記、そも、彼らよりも前に来た人たちがもう住んでいた。 してョ 1 ロッパとアメリカの博物館にある無限の = レー犬や豚や = ワトリを連れて、浜辺に彼らを出迎えた、 クションが、わたしが解こうとしたパズルにたいして背の高い綺麗な人たちだった。その人たちはどこから 豊富な資料を提供してくれた。アメリカ発見以後、わ来たのか。彼らは他の民族の知らない言葉を話した。 そしてわれわれの人種の人たちは、勇敢にも自分自身 れわれ自身の人種が始めて太平洋諸島に達したときい らい、科学のあらゆる分野の研究者たちが、南海の住をその島々の発見者と呼んでいたけれども、人の住め 検 るどの島に行っても、耕された畑と、お宮と小屋のあ 民とそのまわりに住んでいるあらゆる民族に関する、 号 ほとんど底知れぬ情報を集めて来た。しかし、この孤る村とを見出した。ある島の上には、ま 0 たく、彼ら ・キ の四階 テ立した島民たちの起原あるいは、何故この種族が、太は古い。ヒラミッド、舗装された道、ヨーロッパ ン平洋の東部にあるあらゆる孤島の上にのみ散らばって建ての家と同じ高さの彫刻された石像を見出した。し 3 冫しをいかなる一致も見らかし謎全体の説明が欠けていた。この人たちは誰なの いるのかという理由こっ、てよ、

10. 現代世界ノンフィクション全集16

ところどころに生えていた。道がときおり崖の上端にとも、必ずしもことばによる必要はなく、何かお互い 出ると、眼下に淵があらわれて、魚がいっせいに頭をに理解できるものを媒介にすればよい。アブドウッラ ーのトルコ語はまだすらすらとはいかないので、彼と 上流に向けて泳いでいるのが見えた。そうかと思うと わたしたちは何度か浅瀬を渡ったりした。途中、ひとわたしはあまり意志を通じあわせることができなかっ たが、二人とも外気が好きで山にいればいい気持にな りの旅行者にも出会わず、道があり、たまに木樵のた く焚き火を見かけたほかは、道行く人の気配もなかつれるのだから、二人の間に多くのことばは要らなかっ た。しかし若い先生は、わたしたちの誰かと話しても、 た。そして、しだいに平坦になってゆく道をときおり わたしの先になって軽快にらばを走らせてゆくア・フ黙「ていても、なにしろ教育に毒されすぎて、たとえ ドウッラーの楽しげな後姿を見ていると、彼がうきう自分自身に対しても一瞬も正直になりえない人だった から、あいかわらず他人行儀であった。もっと長年の きしているのがわかった。 外気のもっ親密感がわたしたちを沈黙のうちに結び経験をつまなければ、。フシケは繭から出られないのだ つけていた。 ろう ( 「知女。ま物普通名詞でに蛾の一種を意味する わたしは道々、この親密感ということばとその意味世界中で、おそらく、態度はトルコ人ほどよくない するところをあれこれ考えてみた。なによりもまず誠が多くの点で彼らと似ているドイツ人を除けば、トル 実さというものが、つまり、打てば響くような、それコ人ほど教育しやすく、またそれによろこんで応える なくしては友情も結婚も正しい人間関係もなりたちえ国民はないとわたしは信じる。そしてこの従順さは とわたしはさらに考えつづけたーー政府から見れ ないような相互の誠実さというものが、ともかくなけ ば、実際、最大の美質であるにちがいない。そういう ればならない。そして、そのうえで、それが可能にな もっ美質を持つ国民は、よろこんでみすからを何か自分と るように、親密感を表明しなければならない