はじめ航空宇宙局は、この七人のための運動トレー ば一番若いのだから安心だ。五十歳まで働けるとすれ ばまだ二十年たっぷりある。それまでには月には行けナ 1 やコーチのようなものを任命するはずであったが、〃 る。火星にも行きたいよ。」 顧問医師のウィリアム・ダグラスはこれに反対した。 「みな一人前の男たちだ。自分で自分のめんどうは見 七人の宇宙飛行士というのは、こういう男たちなのられるはずだ。めいめい好きなようにしておくのが一 だ。これが偉大なる冒険のための人材なのである。七番よい。」 七人も人間だからカゼぐらいはひく。しかし抵抗力 人の固い決意の男たちは、自ら進んでこの計画に参加 し、成功を期しているのだ。彼らはすべてそれそれ自が強いからすぐなおるという。ダグラス医師は食事に 分の職務に強い自信をもった男たちだ。健康を保持すついてはすこしばかりの忠告をしている。訓練中の七 るための運動でも、七人はめいめいちがう。訓練の当人が、昼食に軽いサンドウィッチぐらいですませるこ とはよろしくないというのだ。 初には一同でハンド・ポールを遊んだこともあったが、 いまでは七人でともに運動竸技をすることはほとんど「食事だけは、ちゃんと食事らしい食事をするのがよ い。なにか温い肉料理を食ってゆっくり休むのがよい。 カ 1 ペンタ 1 は、彼が宿泊しているモ 1 テル裏で昼食時の一時間でも、仕事を忘れるのがなによりだ」 というのだ。 「トラムボリン」布を張ってサーカスのアクロバット のように飛びはねる。グレンは浜辺に出てひとり駆け「彼らは皆強い。しかし、やはり人間だから決して完 足をする。グリソムもシェパ ードもそうだ。グレンは全ではない。通常の疾病はある。それもひとりひとり 近くの川で水上スキーをする。それも川岸の見物人らみなちがう。」ダグラス医師はそうもいうのだった。 カ 1 ペンターを除く六人はすべて空軍戦闘機飛行士 がハラハラするほどの激しさなのである。
宇宙への挑戦 なくてはならない。特定の一個人だけの考慮は一切行ビルやクライスラーエ場をよく訪れたものだ。第二、 なわれていない。それが一番公平な競争であろう。」第三の宇宙飛行に使用されるレッドスト 1 ン型ロケッ トにはちゃんと私の名が書いてあるのだよ。ロケット 「私たちはみな一番さきになりたい。しか し、それは不可能だ。これは団体的訓練である。一番の外側に私が書いておいたのさ。」 さきに飛ぶ者は、あとの六人にささえられて飛ぶのだ。 カーベンター「一番立派な資格のあるものが一番さ しかし、私には実は小さな秘密がある。私はレッドスきに飛ぶだろう。それは公平にえらばれるにちがいな トーン・ロケット関係の仕事をしていたから、ハンツ いから、私は安心している。もちろん、私も一番さき に飛びたいとは思う。しかし、それよりも、七人のう ちの一人にえらばれているということが、私にはなに より大事なことなのだ。たとえ私が一番さきにえらば れなくても、この七人のうちの一人であることだけで も、私には大きな名誉なのである。」 いずれにしても、計画は進められ、初飛行士はえら ばれた。ジョン・グレンは最初の宇宙飛行に成功し、 他の六人は団結して、彼を助けた。しかし、グレンの いくたびも失敗と実験を重ね、テストをくり 飛行は、 かえし、計画を更改してつづけていく長い苦しい道程 の最初の第一歩にすぎなかったのである。 「七人の友情」号が発射されたときは、すでにガガ 1 シ ウォルター 17 /
の手記にはふれなかった面を書いておこうと思う。そ れは自分では書きにくかったような性質の背景なので 一七人の横顔 ある。 編者のことば 「マ 1 キュリー計画」で一番おもしろいのは飛行士ら の人間的な面であろう。飛行士であると同時に技術者 この書は多くの人々の協力によってできたものであでもあり、探検家でもあり、科学者でもあり、実験動 る。手記をつづった七人のアメリカ宇宙飛行士はいず物でもあり、英雄でもあり、その上に、さまざまな他 れも「マ 1 キュリー計画」とよばれる宇宙飛行計画にの役割も果すという彼らは、一体どんな人間なのだろ 関連したいろいろな職務を共同で担当しているが、本うか。 書の刊行にも同じように力をあわせてこれにあたって宇宙飛行の苦難に耐える強い肉体と、帰還してのち くれたのである。彼らの手記はいずれも個人的なもの の世間の追しようにお・ほれない強い精神をかね備えて で、そこにはサスペンスがあり、冒険があり、思い出 いるという彼らはどんな男たちなのだろうか。月世界 があり、信念の表明があり、事実の記録があり、個人に、火星に、またやがてはさらに遠方の星にまで旅行 の意見があり、よき日があり、わるき日がある。また、するのにふさわしいほど高度の勇気とスタミナと、技 彼ら七人ならでは語りえない複雑な宇宙飛行の秘密が術と敏しようさと、想像力と知性のすべてをかね備え ているという彼らは、一体どんな男たちなのであろう。 戦ある。 の 一九五九年春に彼らが「マーキュリー 計画」に参加 一九五八年秋、人間操縦の宇宙船を発射せしめよう 宙して以来、本編者はこの七人と親しく接してきた。こ という基礎的計画を決定したアメリカ航空宇宙局 (Z こには、七人の飛行士たちについて、彼らがそれぞれも、以上のような問題をいろいろ考慮した上、
私として満足なのである。 われわれは本書においてみな同じ点を強調しようと している。われわれはこの新しい時代の先駟者にすぎ ないということだ。若い人たち、そしておそらくその 経験のためにわれわれより賢明になる人たちが、・ハト ンを受継ぎさらに遠くまで進んでくれるだろう。われ われはただ道を示す手助けになったならうれしいと思 私たちが維持しようと努めてきた団結精神と協力心 が、あとに続く若い人たちを導いて行くことを私たち は期待する。 本章の終りにあたり、七人の宇宙飛行士の全員に代 って、私はここに、米議会の歓迎式において私が述べ た言葉を、つぎに引用したいと思う。 「私たち七人の宇宙飛行士は、わが国を代表してこの 戦宇宙飛行計画に参加させて頂いたことをみな誇りに思 のっています。私たちが生きているこの宇宙について、 宙私たちの知識が増すとともに、私たち人間が知識を賢 明に利用できるよう、神が英知と指導をあたえて下さ ることを祈るものであります。」 327
アラン・シェパ 1 ドはそういっている。 はとらぬという。 ンエ。、 ードはニュ ハン。フシャー州出身の海軍中佐。彼が飛んだカプセルは大西洋上に着水した時、事故 七人の宇宙飛行士の間で技術的な問題その他で意見がのため水中深く没して失われたが、飛行そのものは全 まちまちになると、それをまとめるのが彼の役目とな く成功であり、「レッドストーン」推進ロケットの実 っている。海軍にいたならば、、 しつの日にかは提督た験はそれで完了とされたほどである。この経験がグレ ンの軌道飛行の成功に大きな貢献をもたらしたのであ るべき器であることは彼を知る人々がすべて認めてい るところだ。彼が「マーキュリー計画」に参加したこる。 ンド・ポ グリソムは狩猟や魚釣りが趣味である。 とは、海軍にとっては最も優秀な人材の一人を失った ことになるわけた。 ールには特に強い。七人のうちでも彼を負かせたのは 一人だという。もっとも、これはグリソム グレンの軌道飛行準備を手伝いながら、彼は同時に ードに勝をゆずったのだという説もある。し 月世界往復を目標とした航空宇宙局の長期計画にも参がシェパ 加していたっ かし、それはウソだろう。七人はなにをやっても競争 心が強い。人に勝をゆずるということはグリソムの場 彼の趣味はゴルフ、水上スキー、スケートなどで、 白色のスポーツ車「コーヴェット」を愛用し、ロケッ 合考えられないのである。 けっしておしゃべりではないが、ものをいわせれ・は ト地ケー。フ・カナベラルから自宅まで千三百キロメ 1 トルをそれでドライプすることもある。 ちょっとした毒舌も吐く。こうと思いこんだらだまっ ージル・グリソム ( ガス ) はミシガン州出身の空てはいない。冗談をいっても辛らつなところがよくあ 軍大尉。シェパ 1 ドにつづいて宇宙を飛んだのは彼だ。る。 身長は最小だが、工学知識と飛行経験では誰にもひけ それでいて、温いおもいやりのある性質だ。生れつ
字宙への挑戦 として訓練を受けてきた男たちだ。これが社会学的にわけだ。 もきわめて重要な意味をもっているのである。爆撃機戦闘機飛行士はまったくちがう。彼はただ一人であ の飛行士は特定集団の一員である。爆撃機が作戦出撃る。無電連絡も、航空も、応急修理も、銃撃も、爆弾 するときは、操縦、爆弾投下、敵機銃撃、無電連絡な投下もすべて彼一人がする。彼の生命は彼一人の責任 どの職務がそれぞれ分担されている。一人の不注意がにかかっている。彼の使命の成否も彼一人の行動にか 全員の生命を危険にさらすのである。ひとりひとりが、 かっている。それが彼らの性格に反映するのだ。もち 同一機の乗組員全体に対して重大な責任を感じているろん、ただひとりで飛ぶ戦闘機飛行士でも、編隊飛行 のような場合は、他機の安全を考慮するし、戦闘の場 合も、友軍機を護衛したり、両側面をまもられたりは する。 宇宙飛行士の場合も、実際の飛行は単独で行われる ム が、訓練は七人を一団として行われ、一人の飛行の経 州験は、次の飛行者のための貴重な資料となる意味にお ル いて、緊密な団結精神が全員を一心一体としている。 ジ 彼らはその精神能力と肉体的抵抗力において一見ほと 1 マンであるが、決して「異常な」人間で んどス 1 はない。人間である以上、互いに先陣をあらそう気持 はきわめて強い。しかし、いろいろな意味での「初飛 行」は七人の全部に実行できるであろう。「レッドス
じめている。スレ 1 トンは紙巻をやめて、食後の葉巻飛んでいるのは彼一人である。その上に、妻トルー 一本にきめている。 ディは、女性ながら正式の飛行士の資格をもっている。 もちろん、これは七人の妻のうちでも彼女一人だ。 カーベンターは今では一日紙巻一箱にきめている。 すこし肥り出したので、タ・ハコで食欲をまぎらせてい クーパ 1 のもう一つの楽しみは山登りである。コロ るのだという。シラーもいまでは紙巻で一日一箱以下ラド州の山岳地方に近いカーポンデルには小さな農場 があって、彼の母親がやもめ暮ししている。付近の高 にしている。「軌道飛行がはじまれば、またやめるよ。 。、ーよ歩きまわるのだ。あちこちに湖が いまからやめると、それまでに我慢できなくなるから原地方をクー / 。 ね。もちろん、飛行中の力。フセル内ではタバコはのめあってマスがいる。魚釣りの楽園である。 ないさ。酸素や過酸化水素がいつばいつまっているの ある日のこと、カナベラル付近の小さな沼で釣りを だから、大へんだよ。」 楽しんでから基地にもどった。「変な鳴き声がしてい ンエ。、 っていう / 1 ドの白い「コ 1 ヴェット」型スポ 1 ッ車のたよ。グル ー高速スポーツんだ。あの辺一帯のガマガエルの王様たろうよ。」そ 向うを張って、シラ 1 は黄色のスー 車「オースティン・ヒーリ 1 」を愛用している。 の沼には六尺もあろうという大ワニがかくれているの を、彼は知らなかったのである。 七人中の最年少がルロイ・ゴードン・クーパーだ。 ーとグリソムが二人で海辺で オクラホマ州ショ ーニー出身。父は第一次大戦の飛行別の日のこと、クー。ハ 戦士、のち地方判事もっとめた人。かっ色の髪毛は短く釣りをしていた。半身水に浸っていたが、ふと気がっ くと、うしろにサメがいる。「夢中でにげ出したよ。」 の刈りこんでいるが、縮れている。鈍重なオクラホマな 宙まりがあって、喜劇俳優ボ・フ・ 1 ンズにどこか似てク 1 パ 1 はそう白状した。 山登りも楽しいが、ク 1 パ 1 の夢は月世界だ。「僕 いる。七人中でも、自家用飛行機をもっていて自由に ノ 73
グレン 十九・二センチ。シラ 1 が百七十七・九センチ。クー 五千時間 ( 千五百 ) ンエ。、 。 ( 【が百七十五・四センチ。グリソムが最小で百七 三千六百時間 ( 千七百 ) スレ 1 トン 三千四百時間三千 ) 十・三センチ。 ンエ。、 グリソム 目の色はクー ノード、スレートンが青 三千時間 ( 二千 ) シラ】 グリソムとシラ 1 が茶。グレンとカ 1 。ヘンターが緑。 三千時間 ( 千七百 ) 「マーキュリー 計画」入隊訓練開始当時の年齢は、グ カーベンター二千八百時間 ( 三百 ) ードとス 二千三百時間 ( 千四百 ) レンが三十七歳。シラーが三十六歳。シェパ レートンが三十五歳。カーベンタ 1 が三十四歳。グリ ソムが三十三歳。ク 1 パ 1 が最年少で三十二歳。 七人はその背景と技術教育訓練ではよく似ている。 体重は、シラ ] が七十五・九キログラムで、超過分外観や特徴も大差がない。しかも同じテストを経てえ の二・三キログラムをへらして、ようやく入隊許可にらばれたのだから、「七つ児」のような印象をあたえ るかも知れない。 なった。ついでグレンがかっきり七十三・六で制限い つ。ま、。 ンエ。、 ノード、スレートン、カ 1 。ヘンターが七 ところが、現実には、七人は全く異った個性、異っ た経験、異った思想、異った性格の持ち主なのである 9 十二・六。グリソムが七十・三。ク 1 パ 1 が六十八・ 「しかし、精神分析の専門家らが私たちに綿密な診断 〇。 ( グレンが現実に宇宙飛行した当日朝の計量では テストをくりかえした一つの理由は、協力して働くこ 戦七十七・六〇 ) の七名はすべて熟練した操縦士であるが、総飛行時間とのできる性格を求めようとしたからであろう。私た 宙を比較してみるとつぎの通り。 ( カコ内はそのうちち七人は、心をあわせて、全く一つになって仕事をし のジェット機飛行時間を示す ) ているのだ。」
を信じようとはしなかったし、また今やその地位から 追いだされようとしている人々がそれこそかけがえの ない存在だということを身にしみて知っていたからで 孜々として励み、輝かしい業績に飾られた数世紀にある。これらの碩学たちのもとを目指して、全ヨーロ ッパやアメリカはおろか、アジアからさえも続々と押 わたる研究によって、ゲッチンゲン大学の名声は徐々 にあがり、全世界にひろまったものだった。ところがしかけて来ていた。もしその碩学たちが去ってしまっ たら、ゲッチンゲンは一田舎大学に転落してしまうに この名声を打ちこわすには、そもそもほんの数カ月、 いや一九三三年春のほんの数週間で事足りたのである。ちがいなかった。 ちょうど百年ほど前のこと、七人の教授がハノー 「ゲォルギア・アウグスタ」にも、多くの他のドイツ の大学とちっとも変わらぬ事態が訪れたのだ。というヴァ 1 王の憲法違反に抗議したかどで、ゲッチンゲン のは、少数のくせに多数を制したと自称する学生の騒大学を去らねばならぬ事件があった。偶然の一致とい 騒しいデモ、「新秩序」が到来したと大見得を切る煽おうか、今度もまた七人の教授が憲法違反の最初の儀 動政治家の威嚇演説、立派な学者の思想傾向や素姓を牲としてゲッチンゲンを去らねばならなかったのであ あげつらってこれを犯罪なみにやつつける野蛮な排斥る。というのは、ヒトラ】の政権掌握一カ月にしても る 運動などが起こった。それでもここ、ゲッチンゲンのう、ベルリンからの電話で、自然科学部門の七人の教 明 牧歌的な雰囲気の中では、これらすべての行動も他の授の即時罷免が命令されて来たのだ。その大部分は、 陽大学町に比べれば、なおずっと意味のない、乱暴なもちょうどその頃外国にいたマックス・ポルンのように、 この専断な処置に対して真剣にたたかおうとはしなか 3 ののに見えたのだ。なぜならみんなはお互いによく知り ぶこく った。ただ一人、数学者クーランだけは請願書を提出 合っていたので、新しい主人どもの根も葉もない誣告
の へ ある日テキサス州の空軍基地に要件があり、フロリ きの田舎育ちだから、都会の派手な集会に出るより、 家庭で幼い息子二人と遊んでいる方が楽しそうだ。宇ダ州オ 1 ランド空港から民間旅客機で飛ぶことになっ たが、彼のあとを追いまわす記者やカメラマンがうる 宙を飛んだからといって、公衆の前にいろいろとひき ずりまわされる理由はあるまいというのが彼の気持なさいので変装して出発することになった。ムギワラ帽 のだろう。家庭にもどれば宇宙は忘れている。仕事が に黒メガネをかけて「どう見えるかネ」ときけば、ス たまっていても、息子たちが寝てしまうまでは手をつ レ 1 トンが答えて「帽子をかぶって黒メガネをかけた けないという。 グリソムに見えるよ。」 ジョン・グレンは年齢でも経歴でも七人中の最年長 である。彼はアメリカ大陸横断ス。ヒード記録 ( ←社五 ) の保持者だ。彼は自分にあたえられた使命に献身的に 奉仕するタイ。フである。公私とも模範的、典型的宇宙 一飛行士というべきであろう。 七人のうちでも、彼だけは、家族をラングリー基地 ア ) の近郊に移さなかった。彼の妻ア = 1 とま 州ハムトン だ十代の子供たち二人は、ワシントン郊外の家に住み、 グレン自身はラングリ 1 の独身将校宿舎の一室に泊っ ている。ひとつには子供たちを現在通学している立派 な学校から他の学校に変えたくなかったのである。 それに訓練のためには一人でいた方がよいと思い ルロイ・クーパ ~ 09