科学者 - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集19
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1. 現代世界ノンフィクション全集19

収穫者から年貢を徴収するため、土地の測量、面積と体積の求め方が生れてきた。前述のテコの釣合の法則は、 建築・土木に欠くべからざるものであった。 巨大な中央集権的古代奴隷制国家が、大河の流域に生れ育った原因はなんであろうか。 アッシリアとパビロンの繁栄は、チグリス河とユ 1 フラテス河であった。インドはガンジス河、そして中国で は黄河流域だった。それは農耕と牧畜である。これは三つの自然認識、いわば基本的な古代科学の誕生と密接に 結びついている。星学、数学、力学の萌芽である。そこから古代王朝の繁栄を、現代に伝え残した精巧な手工業 的技術が誕生した。 四 いま科学の発達の断面を、近世と古代を例に考えてみたが、それそれの社会の生産関係が、人間の思惟と結合 し、その客観化の発展から科学の進歩がうながされることがわかる。 それならば、科学や技術の発展に貢献するところが大であるような人物は、すべて進歩的な精神の持ち主であ ったかというと、必ずしもそうではない。 たとえば「物質不減の法則」を完全に証明したフランスの偉大な化学者ラヴォアジェはどうであろうか。ラ ヴォアジェは「決定的な実験」と嘆賞される仕事をした。すなわち物質の燃焼とは、酸素と結合することである 学 という証明である。こうしたいくつかの仕事の成功で、彼は「化学の革命家ーといわれた。 間しかしラヴォアジェは、フランス革命のとき、民衆の敵としてギロチンにかけられた。なぜ彼は保守反動の徒 3 人 4 党一味とみなされたのであろうか。彼の思惟と方法は革命的に進歩的であった。たとえば「物質不減の法則」は

2. 現代世界ノンフィクション全集19

だけではない。 6 まさしく人間が地上の創造者であり、人間と社会が発展し変化することを人間自身が望んでおり、科学と技術 はそのために重要な手段となったが故に、かく「変革し創造する科学」と言われるのである。 だが、べックレルが放射能に気づき、キュリ 1 夫人がこれを科学的に証明してから急速に成長した原子核物理 学は、ついに原爆と水爆を生みだした。科学は両刃の剣であった。 このことはずっと以前から知られている。一八二二年化学研究室の隅で発見された物質の一種「ジクロル・エ チル・ズルフィット」は、第一次大戦のさい、人体をくさらせる毒ガス「イベリット」として登場した。 アンモニア合成法が完成したとき、ドイツ皇帝は開戦の決断をもち、数千万人の青年が死の道を進んだ。 新しい農薬の研究が・ハイエルですすめられていたとき、ヒットラ 1 はこれをユダヤ人大量虐殺に使用し、悪名 高いガス室を建設した。 このような例は、数えあげれば数多い。そしてこの種の問題「科学の悪用」は、いまベトナム戦争でも生きて 人工衛星、宇宙通信、電子計算機、人間工学など、数かぎりない現代科学の成果は、いつでも人間大量虐殺の 手段になりうる。われわれは現在、こういう時代に生きている。科学と技術をいかに制御するか、この解決は科 学のなかにあるのではなく、人間のなかにある。社会のなかにある。 とくに現代のように、資本が集中し、大独占が発達し、技術も巨大資本の手中にあって急速に進歩するような 時代、科学の研究開発は、その研究機関および組織もろとも、権力支配の掌中に握りしめられてくる。 ここに科学・技術の発達が、民衆不在のまま成長し、ついには巨大な破壊に適用される危険性がある。ヒロシ 、 0

3. 現代世界ノンフィクション全集19

五セント。 ◎注意最上級の紳士の方にしか、ガスは御用立て しません。ガスを使用する目的は、粋な楽しみを味 「笑気ガス」巡業一座の座長はガードナー・クインセ わって頂くためです。科学的な楽しみを味わいたい 方には、科学的な楽しみがあり : : : ガスで味わえるイ・コルトンという名の男で、一八一四年二月七日、 愉悦は、どんな言葉にも表わせません、ロバー ・イングランドで生まれた。ひどく貧しい家庭 サウジイ ( 詩人 ) はかって、もろもろの天の上の、 の十二番めの子供で、十六の年に柳細工の椅子を作る いと高き天の味わい。 ま、このガスから生まれると言職人の家に年期奉公し、年期が明けると籐椅子のセ 1 ルスマンになった。セールスをしながらニューヨーク いました。ョ 1 ロッパでも有数の、最も名の知れた 人たちに、このガスがどのような効能を及ぼしたか に行き、ニューヨ 1 クに住んでいた兄に会った。そこ は、フー ー医学辞典を御参照下されば詳細に記述で兄から金を借りて、医師のウイラード・。、 されています。 ついて医学の勉強を始めた。勉学を達成できるほどの ガスの歴史や特性については、ガスの楽しみ会開金額ではなかったが、その間に若干の化学的な常識を 会の時に説明いたします。また、アッと皆様のど肝身につけ、「笑気ガス」が持つ、人の心を愉快にする を抜く二、三の化学実験を楽しみ会の最後に行ない 効能に関心を持った。ある日彼は、勝手に″教授″の ます。 肩書きを自分の名に冠し、今度は友人から借金をして、 この楽しみ会一般公開前に、コルトン氏はガスの「笑気ガス楽しみ会」を開催した。これがやがてハー トフォ 1 ドのショウとなったのである。 吸入を希望する女性のための楽しみ会を、特に同日 一八四四年十二月十日夜のコルトンの興業の切符は、 十二時から一時まで行ないます。入場無料。但し女 性に限ります。一般公開は七時から。入場料は二十ことごとく売り切れてしまった。観客の中にはハ 1 ト 0 、 4 0 3

4. 現代世界ノンフィクション全集19

である。 要な医学上の発見を、自分の発見だと主張していた。 ジャクソソはマサチューセッツ州の。フリマスで、一 一八四五年一月十七日に、ウエルズとモ 1 トンはこ 八〇五年に生まれ、ハー ド大学医学部で学んだばの名士を訪問した。言葉はまずかったが、ウエルズの かりでなく、ソルポンヌやエコール・ド・ミネでも、説明には熱がこもっていた。全幅の信頼を相手に寄せ 多くのヨ ] ロッ ( 一流の医学・化学・地質学の専門家て、自分の発明について語った。無言で聞いている について学んだ。この当時彼の名声は、まさに頂点に ジャクソンの顔には何の感動の色も浮かばなかった。 達した感があり、彼の名はおよそ医者という医者のす話し終わったウエルズは、ジャクソンの表情に同調す べてに知れわたっていた。彼はかって、メイン州及びる色か、少なくとも興味を示す気配は現われるだろう ロ 1 ド・アイランド州が任命した地質学者であり、一と思って待っていた。ところが、それどころかジャク 八四四年にはポストンの化学研究所を指導して、化学ソンは、ロをゆがめ、故意に遠慮がちにまったく理解 の講義を受け持っていた。 できないという表情を示し、明らかに軽蔑の態度をと っこ 0 抜群の学識を持っていたジャクソンは、また異常な ほどに傲慢な男でもあった。科学者でなければ人間で ジャクソンは簡単に自分の意見を述べた。 , 彼の学識 ないというような不遜な態度には、明らかな侮辱の色経験によって理解し得る限りの、麻酔に対する意見だ が示されることも多かった。また大風呂敷を広げるこ った。彼は苦痛を克服しようという、飽くことない人 けとでも有名で、当時、電信を発明したのは自分の方が類の夢について話した。またそれを克服しようとして、 夜先だと言って、モールスと言い争っていたが、その理昔から試みられてきた方法について話した。阿片、マ 科由は怪しげなものであった。また、その少し前には、 ンダラゲ、インド麻、催眠術 : : : 試みはすべて空しく 3 アメリカのポ 1 モントという軍医の、胃腸に関する重終わった。今後も永遠に成功しまいというのが彼の意

5. 現代世界ノンフィクション全集19

ノ 1 トに書きこんでいることもあった。学問と認識と負うている。カール・フリ 1 ドリヒ・ガウスが十九世 は不断に前進してやまなかった。そしてどんな外から紀中葉までここの講壇に立ち、ゲッチンゲンを科学と いう科学中の最も抽象的な学問である数学の中心とし の妨害も、学問の花園をおかしうるとは見えなかった たのである。一八八六年以来、ただ思索家であるだけ のである。 この「美わしきよき時代」のこの町ゲッチンゲンにでなく、何よりも剛腹で、倦むを知らぬ、着想カ豊か な組織者でもあった著名な一人物がここの教壇に立ち、 おけるほど、学者たちが自分たちこそ社会の真の尖兵 だと考えたことは、後にも先にもなかっただろう。市この大学の名声をかため、おそらくはさらに世にひろ めたのだった。それはフェリックス・クラインである。 庁舎の地下の酒蔵には、古い大学生の金言がラテン語 エキストラ・ゴッチンガム・ / ソ・エスト・ヴ 「ゲッチンゲンの外に生活な で掲げられていた 一八八六年から一九一三年までのおよそ三十年間 し」。この地で学び、教えあるいは晩年を送る幾多のクラインはゲッチンゲンで活躍した。背の高い、姿勢 学者にとって、この言葉は日々に感銘新たなものに思の正しい人で、射るような眼差と輝くばかりの眼とを われたにちがいない。 もっていた。「王侯の風格をただよわせていた」と数 学者カール・ルンゲの令嬢はクラインの風貌を述べて いる。クラインはつねに、数学はもっと実生活と接触 しなければならぬと強く主張しつづけた。数学こそ諸 偉大な言語学者、哲学者、神学者、生物学者、法学科学の王座に立つものであり、数学の助けがなければ、 者がこの「ゲォルギア・アウグスタ」の名を世界的に自然研究はこれ以上神秘な創造の中へ迫ることはでき するのにそれそれ一役買っているのだが、このゲッチないが、反面数学そのものは発見によって新たに抬頭 ンゲン大学はその真の名声をなかんずく数学者たちにして来る諸問題がなければ停滞を免れぬというのが彼 8

6. 現代世界ノンフィクション全集19

に数学ゼミナ 1 ルの学生たちを連れて ( ノーヴァーに の持論だった。 クラインはゲッチンゲンに、天文学、物理学、工学、出かけて行 0 たことがある。そのとき、なるべく穏便 機械学などの数多の研究所を創設したり整備したりすな講演をして、科学と技術とは互いに敵対関係にある るのにイ = シアチ 1 ヴを取った。そしてこれらの研究といった観念を口にしないようにと、事前にくれぐれ 所の周囲に、次第にまた科学用測定具や光学機械や精も言いふくめられていた。ヒルベルトは、事実またこ 密器械を製造する完全な私設工場が出来あが 0 て来た。の指示を思いだして、会議の席上、独特ないくらかが こうしてこの古風な小都市は、近代工学の揺籃の地とらがら気味の東プロイセン訛りでこう述べた。 「よく科学者と技術者とのあいだに対立があるという なったのである。 ところでクラインが自分とは精神的に徹頭徹尾反対ことを耳にします。わたくしはそれは真実であるとは の立場にあ 0 た数学者ヒル・〈ルトとミン = ウスキ 1 を思いません。いや、それは誤りであるとさえ確信して ためらわずゲ , チンゲンに招いたことは、この二人がおります。そんな馬鹿なことがあるはずがありま・せん。 い 0 さいの専門主義や数学の実際的利用を目指す努力この両者はそもそも互いに何の関係もないものなので とさえも完全に縁なき人々だっただけに、以前の時代すから。」 がなおどんなに鷹揚なものだ 0 たかを遺憾なく物語る無愛想なまでにぶつきら・ほうなヒルベルトについて のこうした逸話は、いくっとなくゲッチンゲン中にひ 明ものである。完全に物事の本質の中核に向けられたヒ ルベルトの自主独往の精神からすれば、「技術屋」なろがっていた。彼の人の悪い皮肉やまとを得た当てこ 陽どは軽蔑にしか値しなか 0 た。フ = リックス・クライすりも決して悪くは取られなか 0 た。数学者として自 己の学問に対すると同じ妥協のない誠実さが、そうし のンがたまたま病気だったのでその代りに、ヒルベルト が一度だけ臨時に、クラインの作 0 た技術者年次会議た言葉のはしにもうかがわれた。このような誠実さこ 9

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信じた。 的発見の知識を携えて、ポストン行きの汽車に乗った。 ウエルズがどんなにポストン行きを切望していたかモ 1 トンを訪ねた彼は、無邪気なほど信頼しきって、 は、後になってリグズが詳細に話してくれた。ウエル 一部始終を話した。モートンは黙って先生の話を傾聴 ズの、ポストンにいる一番の知友は、もと彼の弟子だしていたが、後に、その場に居合わせた第三者が話し ったモートンであった。モートンは彼の数年後輩でも たところでは、格別の関心はなかったようだ。また、 あったが、その便りによると彼はポストンで、歯科医モートン自身はハ 1 ド大学医学部やマサチューセ を開業しているばかりでなく、 一般医学の勉強も始め ツツ総合病院などとは全く関係がないことも分かった。 たと書いてあった。ただし、モートンが医学の勉強を彼のいわゆる勉強とはそんな気まぐれなものだったの 始めた真の目的は、医師の資格を取って、ファ ] ミン だ。しかしモートンは、ウエルズをジャクソン教授の トンのホワイトマンの家族に、自分が同家の娘のエリ ところに連れて行きたいと申し出た。ウエルズとモー ザベスの夫にふさわしい男たということを、納得させ トンの二人が、まだ一緒に仕事をしていた頃、化学の ートノよ るためだった。ウエルズは、モートンが歯科医学を学 問題で教授に意見を求めたことがあった。モ ぶようになる以前に、どんなに種々の職業を試みたか、 化学に興味を抱くような人間では毛頭なく、猪突猛進 知り過ぎるほど知っていたから、彼の移り気を、いか型の実用主義の青年で、現実臭ふんぶんの男たった。 にもありそうなことだと思ってなにも疑わなかった。彼が二人でジャクソンを訪問しようと提案したのも、 それどころか、多分モ 1 トンは医学部や病院、それにその実用主義的なところを証明しているといってもよ ワレンなどとも接触があるだろうとウエルズは想像しい。 科学のいくつかの分野では、ジャクソンの名声は たのだった。 ポストンの外までも知れわたっていたし、ジャクソン 一八四五年の一月十五日か十六日、ウエルズは画期がこの発見に関心を示せば、収穫は大きいというわけ 3 / 2

8. 現代世界ノンフィクション全集19

よく種々の慈善団体に話しこんで彼らのヨーロッパのである。 アメリカの数学者や物理学者らは特別ゲッチンゲン 「母校」のために寄付させることに成功したからであ に愛着した。第一次大戦前、すでにこの地でかの有名 わけても、ドイツの各学術研究所はこのアメリカのなアメリカの物理学者チャールス・マイケルソンが一 援助から当時莫大な利益を蒙っていた。ミ = ン〈ンの学期間客員教授として働いたことがあ「たし、またア ミリカン A) メリカの物理学と化学の「偉大な老大家」 顧問官ゾンマーフェルトのごときは、もしロックフェ ラ 1 基金によ 0 てその僅かの俸給をときどき増して貰ラングミ = アの学問的曽遊の地でもあ 0 たのである。 二十年代には、十何人ものアメリカ人が「ゲォルギ わなかったらとてもやってゆけなかったろう。その頃 亡くなった石油王の遺産金を分与するためウイクリア・アウグスタ」の自然科学の学部に入学したことも フ・ロ 1 ズがヨーロッパを遍歴したとき、諸所の大学珍しくない。彼らはアメリカの「大学構内」の自由な はまるで王侯貴族を迎えるように彼をもてなしたもの雰囲気を、少しばかりゲッチンゲンにもちこんだ。毎 サンクスギヴィング・ディナーズ 年彼らが催す「感謝祭の御馳走」ーーーなかでも・・ コンプトンが司会をつとめた一九二六年のそれは一番 イ はなかなか一般からも人気 忘れがたいものだった ン ペ があった。アメリカ人たちはドイツの同僚連に七面鳥 轟 1- オやとうもろこしの食べ方を教え、そのお返しにビ 1 ル を飲んだり、散歩したりすることを教えて貰った。原 子工ネルギ 1 の発展につれて後に有名になったアメリ カ人は、ほとんどみなが一九二四年から三二年のあい を 0 ・、 7

9. 現代世界ノンフィクション全集19

学性と誠実な真理追求心とは、彼自身の哲学的研究態たユダヤ人やユダヤ系の学友たちだった。祖国の冷酷 な反ユダヤ主義の犠牲となり、「許可制限」によって 度にとり模範だったのである。 理性が増大すれば、次第にそこからもっと安全な道自国の大学への入学を拒否されていたこの留学生たち、 徳律が生まれて来るだろうとネルソンはいつもそれをその彼らが今や再び民族的憎悪の犠牲となったのであ エド 期待しはしたが、それでも彼は自然科学の同僚たちよる。オイゲン・ウィ 1 グナー、レオ・ジラ , ! ド、 りは早く、戦後秩序がいつまで安定するかということ ワ 1 ド・テーラーなど、当時ゲッチンゲンやハン・フル に懐疑的判断を下していた。彼の死後、その著書の一 クやベルリンで原子物理学の討議に参加してそれに豊 冊に付するつもりで二十年代の前半に書きおろされな かな貢献をなしていた、これらの才能ある新進気鋭の がら、ついに未発表に終わったある序文が発見された。物理学者たちこそは、それからほんの数年後には原子 そこにはこんなことが予言されてあった。 爆弾製造の最も積極的な闘士となったのであゑ一九 「解体が一歩一歩進み、混沌の状態に近づきつつある。一一三年から三三年にかけて彼らがナチ大学生からいか そうなれば、もろもろの勢力が互いに衝突し合い、せに数かずの侮辱や迫害を受けたかということを知らな いぜい一時的に強いられた秩序が生ずるだけで、建設ければ、後になって原爆という恐怖の武器を、まっ先 活動の守護者ともいうべき自由は決して生まれまい。」 にヒトラ 1 の手に渡したらと想像する、あのような恐 今世紀の四十年代に入るとともに、「一時的に強い 怖にとりつかれたわけは理解できないのだ。この物理 られた秩序」は、この哲学者が予言したように、現実学者たちは、政治的狂信者どもが平和なアカデミック に崩れだした。 な生活の中へ侵入して来たときのあの衝撃をかたとき 褐色のシャツの学生たちが特にねらいをつけたのは、 も脳裡から消し去ることができなかった。しかもこれ ポーランドやハンガリアからドイツへ留学して来てい こそ、歴史の新しい一頁を切り開くことになった衝撃

10. 現代世界ノンフィクション全集19

題 解 世紀 ) およびその続篇ともいうべき『外科の凱歌』 D WeIt 「 eich de 「 Chi 「 u 「 gen" を出版した。これまで医学史で は描かれなかった細かな題材をとり入れて、豊かな表現で構 成されたこの新形式の医学史物語は世界十八カ国語に訳され、 数百万部を売りつくして国際的な・ヘストセラーとなった。 の二部作でソールワルドは世界的名声を博し、科学的な題材 をわかりやすく、しかも客観性を保ちつつ芸術的作品に仕上 げるというュニ 1 クな能力をもつ大家として有名になった。 一九五七年以後、ソールワルドはスイスに住み、アメリカ、 イギリスにも渡って精力的に資料を集め、ライフワークとも いうべき全九巻におよぶ予定の『近代犯罪科学史』を執筆中 である。その第二巻が一九六六年に刊行された。 本書は、一九六六年同じ訳者によって全訳が東京メディカ ルセンター出版部から刊行されたが、ここにはその中から一 ( 塩月正雄 ) 部を抄録した。 しおっきまさ 塩月正雄 一九二〇年、東京都に生まれる。一九四五年、東北大学 医学部卒業。医博。現在、東京メディカル・センター専 務理事兼付属診療所長。訳書「脳外科の父ハーヴェイ・ クッシング』。 445