エジプト - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集2
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1. 現代世界ノンフィクション全集2

つまり解読の不成功があった。この問題に三十年以上もとり されない』なら、ほとんど無価値に等しい 土器の最も小さい断片に至るまであらゆる対象物を、組んだ後、とうとう彼は『ミーノースの宮殿』の中で その位置や他のものとの関係を表示して十分に記述しこう書かざるを得なかった。 た、そしてあますところのない一揃いの写真、図面や「すぐ解読出来るだろうという、広く世間が望んだこ ・ : たと 製図をそえての発表のことである。たとえばエジプト とは実現しなかった。あらゆる証拠によれば : やパビロニアのよく知られた文化に属するたいして大えばギリシア以前のクレータの地名人名や、ギリシア きくない遣跡でさえ、十分に公表するには何年もかか語そのものの中の相当な言語的残存物ーー原始言語の るだろう。しかし、〒ヴァンズは一つの、かって二〇本来の親縁関係はアナトリア方面、すなわち小アジア 〇〇年以上も引き続き人の住まった場所の堆積に直面にあった。符号そのものの音価はそれ自身不明で、初 したのだ。その堆積は幾つかの宮殿の広大な廃墟その期キュ。フロスの音節文字から手がかりが得られるかも ものだった。それは自分の直観と判断の光だけを頼りしれないが、これでさえ : : : 限られたものにすぎない。 に解釈する外はない、未知の文化に属するものだった。わたしが全体もしくは一部の実質的な部分が残存して 一九〇八年、彼の父ジョン・エヴァンズが八十五歳いる、一六〇〇を越える文書を写した後に、ここで今 で死に、アーサーにその財産の大半を残した。ほんのまでに試みることの出来たすべては : : : 最も予備的な 数カ月後、いとこの死は彼にディキンソンの財産をも性質のものにすぎない。」 西の方の貯蔵室、もしくは倉庫の近くで発見した時、 たらした。五十七歳でアーサー ・エヴァンズは自分が 発父をさえ凌ぐ金持になったことを知った。 彼をかくも興奮させた、あのおびただしい粘土板はた の 宮 エヴァンズの最も大きな失望のひとつに、彼を最初だの財産目録にすぎないと彼は判断した。「圧倒的多 % にクレータにひきつけた、あの不思議なミノア文字の数の文書は人物と、所有物の会計報告とリストに関す

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したが「て、釘をひきぬけば、ふたをもち上げること影にすぎなかった若いファラオの遣体が横たわ「てい ができる。二つの棺の間のせまいスペースでは、ふつる。 うの釘ぬき道具を用いるわけにいかないので、他の方わたしたちの目の前には、黄金の棺の内部いつばい に、印象的なほど、形のよい、入念につくりあげられ 法を考えなければならなかった。条件に合うようにつ たミイラが横たわっており、棺の外側と同様、ミイラ くりかえられた長いねじ回しを用いて、純金の釘ない し栓はひとつひとっぬきだされたが、ざんねんながらの上にもやはりふんだんに注がれた清めの香油は、歳 これらの釘は、儀牲にしなければならなか 0 た。黄金月とともに固まり、黒くなっていた。香油の影響によ の取手によって、ふたはもち上げられ、王のミイラはる、全体的な暗い効果とは対比的に、かがやかしい 壮麗なともいえるほどの、磨きあげられた黄金のマス ここにあらわれた。 ク ( ロ絵参照 ) 、あるいは王の肖像が、頭と肩をおおっ この瞬間の興奮は複雑で、動揺していて、言葉にい いあらわせるものではない。人間の目がこの黄金の棺ており、そこは足の部分と同様に、意識的に香油はそ ミイラはオシリスを象徴して型 をのそきこんでから、三千年以上もの歳月は過ぎ去っそがれていなかった。 たのだ。消えうせた文明の荘重な宗教儀式をいきいきどられていた。打ち出しの黄金のマスクは、古代にお ける美しい、ユニークな肖像の傑作で、若くして死に 記と追想させるこの光景を前にしては、人間のはかない 発生命を規準にした時間など、そのありふれた展望を失奪い去られた青春をしのばせる、悲しい、しかし、し 心ってしまいそうである。しかし、畏敬とあわれみの感ずかな表情をたたえている。その額には、金のかたま ゲタカのネクベ カ情からでているとはいえ、このような気分にお・ほれてりからっくられた国王のしるしーー、 ( トとヘビの・フト 王が支配した上・下エジプト両王 タいてはならない。考古学の研究には情緒的な側面はふ ここには、これまで名ばかりの国のシンポルがあった。そのあごには、金とるり色ガ くまれない。 6 3

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ー ) の記している古代 = なった。第一の棺の外殻表面に塗られたもろい石膏素翁の翅ド政治家。『書集』の作者 ジプト人の花輪の実例にほかならなかった。この花飾 地がくずれないようにするため、困難はいっそうその りが入念で精密な出来ばえであるところからみて、古 度合いをました。 記録をとりおわって、わたしは花飾りと花輪をとり代エジプト人の世界でも、後の時代と同様に、特別な のぞき、おおい布を巻きとる手はずとなった。ふたた職業として花輪つくりの仕事があったにちがいないと び興奮にみちた瞬間であった。わたしたちは今や、感信じてよいようである。 歎のまなこで、かって前例をみない ~ ロ代棺工芸の最上第二の棺は、長さ二メートル、厚い金箔に、切子や、 の傑作ーーー・やはり形式は、オシリス型だが、構図はい彫った不透明ガラス、赤みがかった碧玉、ラビス・ラ っそうデリケ 1 トで、線はじつに美しかったーーーをなズリ、トルコ石などをそれそれはめこんだ豪奢なもの がめることができたのである。間に合わせの台架に乗で、形式も構図も第一の棺と同じであった ( 三六 ージ ) 。やはりオシリスをかたどり、リシ型装飾だが、 せられた第一の棺の外殻のなかに横たわっているその さまは、豪華に正装安置された帝王の遺体をしのばせ細部では違っていた。第二の棺では、王はネメスの頭 るものがあった。 巾をかぶり、身体はイシス、ネプティス守護神ではな リンネル布の上におかれた花飾り、花輪は「ヘリオく、ハゲタカのネクベト、コブラ蛇の・フトの翼にいだ 掘 かれていた。そのいちじるしい特徴は、デリカシーと ポリスの審判の間から、誇らかに出でたもうオシリス 発 ン メにささげた花輪」であって、ガーディナー博士の意見構図のみごとさで、すぐ傑作と判定できるほどの出来 力のように、最後の審判の日、ただしきものに与えらればえであった。 わたしたちは、二シーズン前に石棺をおおう厨子を る「正義の花輪」 ( 『パウロの第二テモテ書簡』、第四 章第八節 ) をわたしたちに想起させるが、。フリニウス解体しなければならなかったときと同様の、やっかい

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ていた。 官と平民の埋葬のさい、棺の装飾様式はがらりと変化 こうして、わたしたちのシーズンははじまった。こするが、ここにみるように王家の棺はなお古い様式を とどめており、守護女神の姿を加えるというような点 の二日間、わめきたてる人夫、さけび合う少年の声に よって、夏の眠りからさめた王家の谷は、またおだやで、わすかに修正のあとがみられる。低い身分の人々 かになり、冬の観光客とその仲間たちが黄金の沈黙をの生活様式よりも上層階級の生活様式のほうが一般に ゃぶりにここへくるまではその静けさをたもっことで急速に変化するものだが、これはいつもの順序とはま あろう。 ったくあべこべの現象である。これは国王と関連する なんらかの宗教思想を暗示しているのではなかろう 前室からは美しい調度品が移したされ、玄室からは か ? この背景には伝承があるのかもしれない。女神 黄金の厨子が運びだされ、玄室の中央には、開かれた 古代エジプトの最高神、イシス 石棺が横たわり、そのなかには、秘密をとざした一組イシスは、その翼でオシリス ( の兄にして夫。太陽神。永生不 死の観念と結 の人型棺がおさめられている。 ) の死体をかくし、オシリスをまもった。彼 びついている わたしたちがこれからとりくむ仕事は、石棺の中に女は王の肖像によってあらわされている新しいオシリ スをまもっているのである。 ある最初の外部の棺のふたをとることであった。 長さ約二・二メートル、カート頭巾をかぶり、顔と棺を注意深く調べた結果、明らかにはじめからハン 手は重い金板の、大きな金張り人型木棺 ( 三四八。ヘー ドル用につくられた銀の取手ーー左右両側に二つずつ ジ ) はリシ型のものであるーーーリシ型というのは、翼あるーー・・は、十分なおふたの重みを支えることができ をひろげた模様が主要装飾になっている、テーベ中間るし、ふたを持ち上げる場合、これを使用しても危険 期および第十七王朝時代に共通の棺の様式をさしてい のないことがわかった。ふたは、堅い銀製の舌 ( さ る。新王国の間に、第十八王朝のはじめごろ、宮廷高ね ) で、外殻の厚い部分に掘った軸受けにはめこまれ

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しい人型棺のふたであって、王の遺骸をおさめた一組そして、おそらく、人間の素朴な心情をあらわすもっ 0 みのうち、もっとも外部のものであることは疑いなか とも感動的なものは、このシンポルの周辺に、小さい った。このりつばな人型棺をだきしめているのは、石花東がおかれてあったことだ。わたしたちは、この花 膏素地の上に黄金張りで細工されたイシス、ネトの二東を、夫に先立たれた少女の妃が、「二つの王国」を 女神の翼で、それは棺ができあがった時のように、、 カ代表した若々しい夫にささげた最後の贈り物と考えた がやかしかった。くわえて、これらの装飾が美しい薄いのである。 浮彫りで描かれているのに反し、王の頭部と手は、わ いたるところ黄金の色きらめく、帝王の豪華、王者 たしたちの想像もできなかった金の塊にほどこした丸の華麗のなかにあって、まだほのかに色をとどめたさ 彫り彫刻で、その魅惑はますます深まった。胸に組まさやかなあせた花ほど、美しいものはなかった。それ おうしやく れた両手は、国王の印章ーー王笏とからざおーーをに は、三千三百年といってもごくわずかの時間であって、 ぎり、それには濃い青のファイアンスがちりばめてあ昨日と今日の境にすぎないことを物語っていた。まこ った。顔面は延べ金のみごとな細工であった。両眼はとにこの一脈の自然は、古代とわたしたちの現代文明 アラレ石と黒曜石、眉とまぶたにはルリガラスがはめをちかしいものにした。 こまれてあった。翼で飾られた人型棺の他の部分は光こうして、階段にはじまって、けわしい地下への通 沢のある金なのに、顔と手の部分は、合金を異にした路、前室、玄室にいたり、黄金の厨子、高貴な石棺か 肉色の金で、死の天色の印象をつたえており、一脈のら、わたしたちの目は棺の内容にうっされたーーーそれ リアリズムが感じられるのである。横たわったこの少はオシリスをあらわす、横たわった若い王の姿の黄金 年王の額には、上下エジプトを象徴するみごとな象眼の棺であって、あるいは、王の恐れなき凝視は、人間 コ・フラとハゲタカ の二つのシンポル があり、 の古代からの不死への信頼をあらわしているのかもし

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別の幸運が、カイロでわたしを訪れた。エジ。フト政六日、再びわたしたちは墓を開いた。ついで十七日、 府の化学局局長ルーカス氏は、任務終了による引退に鋼鉄の扉は室の入口に設置された。いっ仕事を始めて認 先立って三カ月の休暇をとったのであるが、その三カ もよい状況となった十八日、仕事は実際に始められた。 月のあいだ、彼の化学上の知識をわたしたちの用に供 ハートンは前室で最初の試験をし、ホールとハウザー すると寛大な申し出をしてくれたのである。いうまでは製図をはじめた。二日後に、ルーカスが着いた。そ もなく、わたしは急いでその申し出を受け入れた。こして種々の類別の品々のために、ただちに防腐剤実験 れで、わたしたちの常時スタッフはそろった。加うるをはじめた。 に、アラン・ガ 1 ディナー博士は、発見されるかもし 二十二日、ヨーロツ。 ( および現地の新聞の烈しい要 れぬいかなる銘文資料をも扱ってくれることを引き受求に応じて、墓を見る許可が与えられた。その機会は けてくれ、・フレステッド教授は二回の訪問によって、 また、公式の墓開きに招かれなかったことで失望して 扉から採取した封印の歴史的意味を解読するという困 いた多くのルクソール現地人名士に対しても、与えら 難な仕事の部門で、わたしたちに大きな助力をしてくれた。公式の墓開きの時には、使用できる面積が非常 れたのである。 に少なく、その中で遣物の安全を保証することは難か 十二月十三日、鋼鉄の扉はできあがり、わたしは買しかったため、非常に限られた人数しか招待できなか 物をおわった。わたしはルクソールへ帰った。十五日ったのであった。二十五日、メイスが着いた。二日後 の夕方、エジプト国有鉄道職員たちの好意によって大には、写真撮影と製図は十分に進行し、最初の遣物が 量に発送された包みは、無事に王家の谷へ配達された。墓から運び出された。 彼らは、鈍行列車によってではなく急行列車によって、 それらの包を輸送することを許可したのだった。十

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かし、彼の感情はたかぶりすぎた。そこで彼は目撃者かなり明瞭である。彼らの調査なるものは明らかにご まかしであった。なぜなら、これらの訴訟手続きから を前にして、事柄の全体を王その人に報告するという 男の墓荒しの事件が法廷記録 意思を発表した。それは運命的な過失であった。対抗一年または二年以内に、リ に現われるのを、わたしたちは見るからである。そし 者は急いでこれを利用した。 へセルの最初のリ 大臣あての手紙の中で、彼は不運なペセルを告発して、少なくとも問題の墓の一つは、。 た。第一に、直接の上司によって任命された調査委員ストに現われているからである。 この墓盗人の仲間における指導的な人物は、八人か 会の誠意を疑問視したことについて、次に、事件を直 ら成る一隊であったように見える。彼らの中の五人は 接に王に向かって述べるということについてである。 事件を直接に王に向かって述べるということは、すべわかっている。石切工 ( 。ヒ、職人イラメン、農夫アメ ての習慣に背き、すべての規律を破壊するものとして、ネプへ・フ、水運搬人ケムウェセ、黒人奴隷工へネフェ ルである。盗賊八人は、さきの調査のさいに言及した 善良なペウ h 口が恐れる方式であった。 ここで。〈セルの終末が来た。怒った大臣は、法廷をあの王墓を冒漬したという罪によって、ついに逮捕さ 開いた。そこへは、不運な男も裁判官として出席しなれた。わたしたちは彼らの裁判の全記録をもっている。 ければならなかった。彼はその法廷で偽証罪で裁判さ裁判は習慣によって、「二重の鞭によって足と手を強 打する」囚人打撲によって始まった。この刺激によっ れ、有罪と判決された。 の ン ざっと以上がその物語である。それは、・フレステッて、彼らは全面的な自白をした。自白の最初の文章は カドの『エジプトの古記録』の第四巻四九九節以下に原記録から一部削除されている。しかし、もちろんそれ 文の長さのままに語られている。このことから、市長らの文章は盗賊たちがいかにして岩の中にトンネルを 9 掘って理葬室に達し、石棺の中に王と王妃を発見した も大臣も問題の墓荒しに関係していたということは、

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につづくかの暗黒時代に回顧したこのホメ 1 ロス時代たはミ = ケーナイ人への今一つの言及であろう。侵入 は不成功に終ったが、一世代後に『海の人々』の強大 は。しかしそのことが起る前にアカイア人達はクレー タの諸王をうち負かして富める東方に罷り通り、ロド な軍勢を含む第二の大きな波が北方から下って来た。 ス島、コース島、キュ。フロス島に植民地を創設し、エ これはラムセス三世によって陸に海に打ち破られた連 ジプトと貿易し、エーゲ海の産物を金や象牙や織物の合軍であった。そしてその中でエジ。フトの刻文は『ダ ヌナ』 (Danuna) のことに言い及んでいるがーーそれ ような贅沢品と交換した。興味のある点は小アジアの ヒッタイト諸王の古代の首都であるポガズケーイにアはダナオイかも知れない。それは不安の時代であり、 ヒャヴァの王に関する粘土の文書が発見されたという巨大な民族移動の時代であった。特に最後の試みは職 事であるーーこれを今やほとんどすべての学者がアカ業軍隊の進軍よりはるかに大きくて、シリアやパレス ィア人に関する最初の文書による言及であると認めてティナの海岸を女子供をつれ、積荷の車を幾台もとも いるーー・アカイア人とはホメーロスがギリシア人を表なった種族全体の進軍であった。「島々は」とファラ わすに最も多く使った言葉である。彼はまたその人々オの司祭である年代記作者は書いた「騷然たる状態で あった」と。 をダナオイとも呼んでいる。 恐らくミュケ 1 ナイ帝国、もしくは国々の連合の最 そして紀元前十三世紀にエジプトはさらに証言を加 える。紀元前一一三一年にある侵入軍がエジ。フトに進後の絶望的な冒険はトロイアの包囲攻撃であった。こ み入った。それはリビア王に率いられていたが、侵入の戦は歴史、伝説そして考古学のすべてが十二世紀の 発者の大部分は北方からやって来たものだ。その中で幾始めの二十五年間に戦われたということに一致してい 宮つかのエジ。フトの文書は『アカイワシャ』 (Akhaiwa- る。これはまたしても政治的な政策であったように思 2 (a) についてふれているーーーおそらくアカイア人まわれる。おそらく黒海の通商でトロイアの喉もとを扼

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にとミノアのエ匠達を雇ったであろう。ウェイスの所配階級と群がり集る文官連と共に減・ほされたようだ。 信を奉ずる者は竪坑墳墓に発見された品 たとえばしかしクレータの文化はエーゲ海に共通な文化の中に 2 彫刻のある短刀の鞘ーーのスタイルは間違いなくミノ吸収されるまで、より低い水準だったが存続した。 ア式であるがその題材はーーーすなわち狩りや闘争 今や舞台はギリシアに移ゑ紀元前一四〇〇年から はそうではないということを指摘する。このような題一二〇〇年までのギリシアはその後の五〇〇年間に、 材は北方の戦士民族に訴えるところがより多かったでこれほど富み、そしておそらくこれほど団結した時は あろうし、またミ、ケーナイ芸術は外国人たる主人のなかったろう。この時期を通じてミュケーナイが優位 命令で働いていたミノア工匠のものであるという感じを占めていた。 ミュケーナイの支配者達がその城塞を 。これはミノア線文字解読 拡張し、獅子門を建て、初期の『蜂の巣』形の墳墓を を与える ( 後の現在でに定説である 原因はどうであろうと、クノーソスの陥落後本土の幾つか丘陵をうがって作ったのはその時だった。かの 町々、ことにミ = ケ 1 ナイが権力と富の頂点に達した竪坑墳墓はもちろんはるかに以前のものたった。 ( 紀 ことは明らかである。ペンドルべリ 1 はアカイア人ー元前一六五〇ー一五五〇年 ) かの聳え立っ王宮で、王 ーあるいはミ = ケーナイ人がクレータの町々を政治的はその社会を支配しつつ饗宴や詩の吟誦で客をもてな ミュケーナイ 目的で攻撃し破壊したと、そしておそらくクレータのした、ホメ 1 ロスが描いているように。 通商の独占を粉砕し、エジプトとの豊かな交易の割前 の貴族達は狩猟や戦車競争を好んだ。婦人達は自分ら を獲得したかったのだろうと考えた。紀元前一四〇〇の前のミノア人の真似をして胸を露わにした、腰のし 年以後、ミノア文化は低調であり、そしてより小さい まった上衣、大きな襞のあるスカートをつけ、念入り クレータ社会でなお続いていることを見れば、彼らはな髪かたちで多くの宝石をつけていた。それはすばら クレータを占領し植民地とした様子はない。王宮は支しい時代であった、ホメーロスがアカイア王国の崩潰

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光がヒッタイト問題に投じられたのは大方、彼の解読け抜けることの出来た、この炭のように黒いアラブ馬 力に負う所が多く、ミノアのクレ 1 タの顕示を彼に関の話はほとんど伝説的となった。」 係している。彼と共にエジプトと古代東方に至るエ 1 その序文はまるで死者の点鬼簿のようだ。そしてエ ゲ海沿岸の彼方の、最も学識あり、調法な案内者たるヴァンズが同輩の学者の死を記録した時は、また同時 ・・ホ 1 ルもまた老年に至らずして逝った。天寿をに一時代の終末をも記録したのだということを彼は自 まっとうして去った人にまた尊敬すべきドイツの『老覚していただろうか ? 個人の財産に支えられた悠然 大家』たるフレデリック・フォン・・フーンがある。」 たる学問、利害を離れた、学間そのものの追求、さま 彼の最も暖かい弔辞は古い友人のフレデリコ・アル ざまの国籍の学者の間の友好的な関係、その中で子供 ベル教授のためにとって置かれた。彼は「最初にこのの時、躾けられ、呼吸する大気のように享け、そして 領域を手がけたクレータ発掘の長老」たるイタリアの彼の戦時中に行なった演説の中に守りぬいた、かの知 考古学者であり、またよく土地の様子に通じ、その知的な自由な雰囲気 : : : これらの貴重なものが、間もな 識によって困苦と危難の時に = ヴァンズの島の予備的く彼が第一次世界大戦で経験したいかなるものよりさ 調査を助け、そしてまたクノーソスにおける発掘のたらに悪い、新しい狂的な非寛容におし流される運命に め道をひらいてくれた人だった。 あるということを彼は認識しただろうか ? 「彼の徴笑、彼の親しげな振舞は皆の心をかち得た。 彼は第二次世界大戦を生き永らえなかった、最初の そして彼の思い出はクレータ村人の間に今なお生きて苦しい二年間を生き抜きはしたが。フランスの崩壊、 いる。夜安心してその中で眠った『網』や、『野山羊ギリシアとクレータへの侵略、ユーゴースラヴィアの のように』岩を登り、それに乗って彼がフェストスか占領ーーすべてエヴァンズが知り、かっ愛した国々で らカンディアまでトルコの道をほぼ五時間あまりで駆ある。一九四一年、ロンドンで彼は大英博物館を訪れ 工ポック 232