か、を叙述している。「わたしたちはすべてをつき破護符、装飾品、覆いを、わたしたちは八等分いたしま りました。わたしたちは王妃が生けるがごとく休んでした」 9 レステッド著『 = ジ。フトの古記録』第四巻 いるのを発見しました。」文章はつづく。 五三八節 ) 。 「わたしたちはいくつもの棺を開き、包んでいる覆い この自白によって彼らは有罪と判決され、拘置所に を開きました。わたしたちはこの王様の堂々たるミイ送られ、王自身による重刑決定を待った。 ラを発見しました。 ・ : その胸には護符と黄金装飾品 この裁判および同し性格の他の多くの裁判にもかか の数多い品目表がありました。 ミイラの頭は黄金のマわらす、王家の谷における事態は急速に悪化していっ スクをかぶっていました。この王様の堂々たるミイラ には、くまなく黄金がかぶせてありました。その覆い アメンホテ。フ、セティ一世、ラムセス二世の墓は侵 は、内側も外側も、黄金と銅で細工してありました。 入されたものとして宮廷記録にあげられている。次の また、あらゆる高価な石で象眼してありました。わた王朝においては、墓を護衛することについてのすべて したちはこの神の堂々たるミイラの上にみつけた金を、の企ては捨てられたように見える。かくして、ミイラ 胸の上にある護符と装飾品を、ミイラを包んでいる覆を保存しようという絶望的な努力の中に、諸王のミイ いを、剥ぎとりました。わたしたちは王様の妃が同じラが墓から墓へと移されるのを、わたしたちは見るの ようになっているのを発見しました。わたしたちは彼である。たとえば、ラムセス三世はこの王朝時に荒さ らの覆いに火をつけました。わたしたちは彼らの調度れ、少なくとも三度埋葬し直されたし、他の諸王は、 品を盗みました。それらは彼らと一緒に見つかったもア ( メス、アメンホテ。フ一世、トトメス二世、および のであり、金、銀、青銅の器でありました。この二つ ラムセス大王その人すらも、移葬されたことが知られ の神の上に、つまり彼らのミイラの上にみつけた金、 ている。ラムセス大王の場合、訴訟事件表はこう記し こ 0
ッタンカーメン発掘記 遠なることは、生きはじまっている。 とし生けるもののロ ミイラの左右両側に沿ったこれらの帯とならんで、 にのぼっている。お肩から足まで、横帯にむすんだ飾り紐の花づながあっ お、オシリスなる王て、数珠玉や、ていねいなっくりの小さい象眼の金板 ッタンカーメンよ、 が糸に通されていた。この両側の飾り紐の模様は、幾 なんじの心臓は永遠何学模様、ジェドとテトのシンポル、太陽をいただく になんじの身体にあコブラ、王名をかこんだカルトウーシ ( かこみ ) な る。ラーが天空にと どであった。これらのものの汚れをおとしてみると、 どまるごとく、なん一部分、スメンクカラー王の葬式のさいの残余物が用 いられているようであった。七宝の飾り板の裏面に、 に存在している」 『心臓の章』からのテキストがしるされており、そこ 0 、 00 「 0 、 00 一 横帯のテキストは にスメンクカラーの名がはいっていて、その多くの部 「アヌビス、 分をのちに意識的に磨減させたあとがみえる。 ケベ・センヌエフ、 これらの飾りをよくしらべてみると、宝石職人は飾 ドア・ムテフの前に り ( テキストや花づな ) の主要部分をミイラの寸法に 礼遇せられしもの」、 合わせてつくったが、完成したミイラのほうが予想よ または「オシリスのりは大きかったので、一部分は切り、一部分はつけ加 前にゆるされしもえて、寸法に合わせたことが明らかになった。 の」などの言葉で、 ミイラには神々の属性があたえられているけれども、 3
つながら完全に炭化していたからである。 はじめに、わたしたちは手桶に二杯ばかり液体香油 しかも、ざんねんなことに、マスクもミイラも、凝を金棺にそそぎ、同じ量の香油を棺の中のミイラの上 固した香油のかすによって、棺の底にかたく付着してにそそいだ。熱だけがこの物質をとかし、やわらかく しまい、まともな力ではどうやっても動かすことはでする唯一つの実際的手段であるし、古代エジ。フト工芸 きなかった。どうしたらよいであろうか ? のおどろくべき傑作に損傷をあたえす、目的をとげる に十分な程度の高い温度を適用するため、金棺の内側 この粘着性物質が熱をくわえるとやわらかくなるこ とは知られているので、日中の太陽にさらせば、ミイ には、摂氏五百二十度以下の温度ではとけない、厚い ラを棺からもち上けることができるほどはとけるだろトタン板を張りつけた。つぎに、重なった棺を台架の うとわたしたちは期待した。そこで、華氏百四十九度上でさかさまにし、外部の棺には、水をたっぷり含ま ( 摂氏六十五度 ) の暑さに達する高い太陽熱のもと、 せた数枚の毛布をまいて、過熱や火にそなえる防衛と 数時間ためしてみたが、さらに効果はなく、他の措置した。つぎの手順は、金棺のくぼみの下に、さかんな を講ずることもできないので、重なった二つの棺にお勢いでもえるいくつかの。フライマス・パラフィン・ラ さめたまま、王の遺体の調査をつづけなければならな ンプを置くことだった。ランプの熱は、ブリキの熔解 いことが明らかになった。 点以下の温度にとどめておくように、調整されなけれ 発当然のことながら、王のミイラの原位置における科ばならない。書きとめておかなければならないのは、 メ学調査を終え、ミイラを金棺から最終的に運びだした第二の棺表面に塗ったパラフィン蝋が高熱計として役 ワックスが、ぬれた毛布の下で溶け 力あとでなければ、黄金のマスクをとりはずし、金棺を立ったことた 々′ 第二の棺の外穀からとりだすきわめて困難な仕事を解ないでいるかぎり、明らかに損傷をひきおこす不安はノ 決するわけこよ、 冫 ( し力なかった。
したが「て、釘をひきぬけば、ふたをもち上げること影にすぎなかった若いファラオの遣体が横たわ「てい ができる。二つの棺の間のせまいスペースでは、ふつる。 うの釘ぬき道具を用いるわけにいかないので、他の方わたしたちの目の前には、黄金の棺の内部いつばい に、印象的なほど、形のよい、入念につくりあげられ 法を考えなければならなかった。条件に合うようにつ たミイラが横たわっており、棺の外側と同様、ミイラ くりかえられた長いねじ回しを用いて、純金の釘ない し栓はひとつひとっぬきだされたが、ざんねんながらの上にもやはりふんだんに注がれた清めの香油は、歳 これらの釘は、儀牲にしなければならなか 0 た。黄金月とともに固まり、黒くなっていた。香油の影響によ の取手によって、ふたはもち上げられ、王のミイラはる、全体的な暗い効果とは対比的に、かがやかしい 壮麗なともいえるほどの、磨きあげられた黄金のマス ここにあらわれた。 ク ( ロ絵参照 ) 、あるいは王の肖像が、頭と肩をおおっ この瞬間の興奮は複雑で、動揺していて、言葉にい いあらわせるものではない。人間の目がこの黄金の棺ており、そこは足の部分と同様に、意識的に香油はそ ミイラはオシリスを象徴して型 をのそきこんでから、三千年以上もの歳月は過ぎ去っそがれていなかった。 たのだ。消えうせた文明の荘重な宗教儀式をいきいきどられていた。打ち出しの黄金のマスクは、古代にお ける美しい、ユニークな肖像の傑作で、若くして死に 記と追想させるこの光景を前にしては、人間のはかない 発生命を規準にした時間など、そのありふれた展望を失奪い去られた青春をしのばせる、悲しい、しかし、し 心ってしまいそうである。しかし、畏敬とあわれみの感ずかな表情をたたえている。その額には、金のかたま ゲタカのネクベ カ情からでているとはいえ、このような気分にお・ほれてりからっくられた国王のしるしーー、 ( トとヘビの・フト 王が支配した上・下エジプト両王 タいてはならない。考古学の研究には情緒的な側面はふ ここには、これまで名ばかりの国のシンポルがあった。そのあごには、金とるり色ガ くまれない。 6 3
ス一世、トトメス三世、アメンホテプ二世の墓がふくように、そこに残された。 まれている。最後に示した墓は非常に重要な発見であ不幸にも、この話には続編がある。発見から一年ま った。第二十一王朝において、十三体の王のミイラがこ たは二年以内に、墓は現代の墓盗人によって荒らされ のアメンホテ。フの墓に避難所を見つけたということは、 たのである。疑いもなく、護衛員の共謀によるもので すでに記した。一八九八年、ここでその十三体のミイあった。そして、ミイラは石棺から引き出され、宝探 ラが発見された。残っていたのはミイラだけであった。しが行なわれた。盗賊たちはただちに遺物局首席監督 埋葬のさいに、権力にまかせて惜しみなく使った富は、官によって追跡され、逮捕された。ただし、彼は現地 すでにずっと昔に消え去っていた。しかし、彼らは少人法廷において有罪判決を得ることはできなかった。 なくとも最後の侮辱だけは免れていた。たしかに、 こ公式報告で示されているように、その全体の議事は、 の墓は侵入されていた。墓の中身は盗まれ、埋葬調度前章で記した古代の墓荒しの記録を当然に思いおこさ 品の大部分は荒らされ、壊されていた。しかしながら、せる。わたしたちは、現代のエジ。フト人は多くの面で 他の王墓が受けた全面的破壊を、この墓は免れていた ラムセス九世の治世下の彼らの祖先とほとんど変わっ のである。またミイラは無傷で残っていたのである。 ていない、と結論せざるを得ないのである。 アメンホテ。フ自身の遺骸は、三千年以上も昔から休ん このエビソードから、わたしたちは一つの教訓を引 できた彼自身の石棺の中に、今もなお横たわっている。き出すことができる。わたしたちは、墓から品々を取 きわめて正当なことに、政府はサー・ウィリアム・ り出すということで、わたしたちを野蛮人 ( ヴァンダ ガースチンの建議により、遺骸の移動に反対する決定ル ) と呼ぶ批判者に対して、この教訓を推す。遺物を かんぬき をした。墓には閂が通され、閂が閉じられ、墓の上に博物館へ移動することによって、わたしたちは真に遺 護衛員が配置された。かくして王は、安息をつづける物の安全を保証するのである。現場に残されるとき、
肖像は明らかにツタンカーメンのもので、容姿端麗で、からだに油をそそいで、あらかじめ葬りの用意をして 0 おだやか、かれの像や棺のすべてにみられる特徴をそくれたのである」というキリストの言葉を思いうかべ なえていた。容貌の特定な面からみて、ツタンカーメるのである ( 『マルコによる福音書』第一四章第八節 ) 。 ハ 1 トン氏がくわしい写真記録をとったあと、わた ンの顔は、義父である王アクナトンを想起させるし、 また一面、横顔はアクナトンの母、偉大なる王妃テイしたちは物ごとの状況、ミイラの保存状態を、いっそ にいっそう酷似している。別の言葉でいえば、これらう綿密に調査できるようになった。王杖とから竿の大 の人々の容貌をながめいるとき、この二人のいずれに部分は、完全に分解しており、すでにくずれてこなご もッタンカーメンと相通する親和力の最初のきらめきなになっていた。リンネルの外被の上におかれた黄金 の両手と飾り物をむすびつけていた糸もくずれて、こ をおぼえるのである。 ふんだんにそそがれた香油は、冥界のオシリス大神のため、ほんのちょっと触れただけでさまざまの断片 のみ前に立とうとする死んだ王を清める、葬儀の一部はばらばらに散ってしまった。黒い樹脂のスカラベに として用いられたようである。香油は、第一の棺の足も、小さいひびがはいっているのは、縮んだせいらし 、 0 したがって、これら外部の飾り物、装飾品は、一 の部分には ( 足の部分にのみ ) 注がれているのに、第 品ずっとりだし、台架の上にしかるべき順序と位置に 三の棺と王のミイラの場合、頭と足の部分に香油をか ならべ、今後の掃除と修理にそなえなければならなか けることを慎重にさけている点がとくに注目される。 った。わたしたちが仕事をすすめるにしたがい、、 この最後の儀式とその意図について考えるとき、あの 癩病人シモンの家に「ひとりの女が非常に高価で純粋ラも、ミイラをつつんでいる包み布も、危険な状態に なナルドの香油が入れてある石膏 ( アラバスター ) のあることが、ますますはっきりしてきた。ふんだんに 、わたしの注がれた香油の脂肪酸によるはたらきが作用して、二 っ・ほを持ってきた」場景と、「この女は :
る前に、カイロでいささかの仕事をしなければならなのうちの第三の作業ーーー宝物室の作業ーーは、王のミ 2 かった。この種の仕事をエジ。フトでするには、手間をイラからたくさんの遺物が発見されたため、実行でき なくなってしまった。三つ一組の棺をとり出して、開 とるのは予想されたことだし、辛抱づよくがまんしな くことだって、やってみてわかったように、予想以上 ければならない。カイロ博物館遺物局長ラコー氏はヨ っこ 0 ーロッパにでかけて不在であった。十月一日、ラコー ルーカス氏がわたしと一緒に十月六日、ルクソール 氏の代理のエドガー氏と博物館で会って、王家の谷で へ行き、化学者として遣物保存の仕事に従事すること も電燈が十月十一日から使用できるように準備するこ このシーズンの作業のもとりきめられた。 とを打ち合わせ、その機会に、 ヨーロッパに休暇でいっているラコー氏がミイラを 全般計画について語り合った。 もちろんまずとりかかるべき作業は、石棺から一組開くさい立ち会うことを希望しているがどうかという こよエジ。フトへ戻 問題もでた。ラコー氏は十一月以前冫ー の人型棺をとりだし、一つ一つ開き、調査すること、 第二の作業は、カスル・ = ル・アイ = 医科大学解剖学らないとのことなので、作業が遅延することのないよ うに、同氏の帰国の日をたしかめるよう、もし遅れる 教授ダグラス・デリー博士および前同大学学長サラ ・べイ・ ( ムディ博士の助力をえて、王のミイラをならば、調査の間、エドガー氏が代理人として立ち会 うのに異存はないか、電報してはどうかとわたしは提 調査すること、最後に、時間がゆるせば、玄室につな がる宝庫のなかの遺物を整理・記録することであった。案した。 翌日、ラコー氏から返答があって、王のミイラの調 カイロへ送りだすために、遺物はすべて保存・包装し なければならないから、これだけの仕事をするには一査に立ち会いたいし、遅延してわたしに迷惑をかける シーズン以上を必要とすることだろう。しかし、計画ことはしないとったえてきた。ラコー氏の要請にこた
のために、 ミイラがすべての必要に対して十分な備え ミッドにおいては当然に弱い点であるーー・・・は幾十ト をもっていることが肝要であった。贅沢で、誇示するもの重さをもっ花崗岩の一枚岩で塞がれた。偽の通路 ことの好きなオリエントの君主の場合、それは黄金と がつくられた。秘密の扉が考案された。器用さが思い 他の宝物を惜しみなく使うということをもちろんふく つくことのできる、あるいは富が入手することのでき んでいた。その結果はきわめて明らかである。建造物るすべてのものが使われた。それらすべては空しい努 の豪華さそのものが破壊の原因となった。せいぜい数カであった。なぜなら、墓盗人は、彼らを阻止しよう 世代のうちに、 ミイラの眠りは妨げられ、宝物は盗ま として設けられたすべての障碍を、いかなる場合にも、 れるのであった。 忍耐と持久力とによって乗りこえたからである。その さまざまの手段が試みられた。入口の通路 , ーービラ上、それらの手段の成功、すなわち建造物そのものの 安全さは、作業を実施する石工の善意と設計する建築 家の善意とにいちじるしく依存していた。不注意に仕 上げることは、もっともよく設計された防衛措置の中 に危険な点を残すこととなった。少なくとも私人の墓 墓の場合、盗人のための入口が、墓を設計した役人によ 墳 の ってしばしば考案されていた、ということをわたした 諸ちは知っている。 王の建造物の防護を保証するための努力はひとしく 無効であった。ビラミッド担当官吏と護衛官という大 部隊を維持するために、一人の王は膨大な基金を残す 273
してそこに残しこ、、 オしとわたしたちは希望している。 わたしは谷そのものを言葉で描こうと企ててはいな 。それは過去数カ月にわたって、あまりに頻繁にな された。むしろ、わたしは谷の歴史に対してある程度 の時間をささげたいと思う。な・せなら、それはわたし 王家の谷。その名自体がロマンスにみちている。すたちの現在の墓を適切に理解するのに必須だからであ べてのエジ。フトの驚異のうち、これほど切実に想像力る。 をかきたてるものはない、とわたしは思う。ここに、 谷の行きづまりの一角に押しこめられ、突出した岩 りト - ら . は一 このさびしい谷の奥に、天然のビラミッドのように見の稜堡によってなかば隠されて、一つの非常に質素な 張っているテー・ヘの岡の最高峰「角の山」によって、 墓の入口がある。それは簡単に見落され、人が訪ねる この世のいかなる音からもさえぎられているこの谷の ことはまれである。ところが、それは谷で建造された 奥に、三十人あるいはそれ以上の王が横たわっている。最初の墓であるために、非常に特別な興味をたたえて その中には、エジ。フト諸王の中の最大の王もいる。こ いる。そればかりではない。それは墓の設計に関する こで三十人の王が埋葬された。いま、たぶん二人の王新しい理論の実験として注目に値するのである。 だけがここに残っている。石棺の中にミイラとなって エジプト人にとって、肉体のために建造された場所 奇妙な形で横たわ「ているのが見られるアメンホテ。フで肉体が犯されずに存続することが、根本的に重要な 二世、および黄金の厨子の中に無傷のまま今もとどま問題であった。初期の王たちは肉体存続の場所の上に、 っているツタンカーメンの二人である。学問の要求が まぎれもない石の山を築くことによって、肉体の存続 満たされたとき、ツタンカーメンを横たわったままにを保証しようと考えたのだった。また、 ミイラの幸一悩 二王家の谷と墓
こうして、ツタンカーメン王墓におけるこのシ 1 ズ掃を完了することができるのでなければ、わたしたち ンの、わたしたちの予備作業はおわる。こんどは、わは首尾よい作業をしたとはいえないであろう。さらに たしたちの前に横たわっているものについて述べよう。 別の一シーズンが、雑多な中身をそなえた副室のため 来るべき冬には、困難で心配な仕事となるわたしたちに、確実に必要となるであろう。 の第一の仕事は、玄室にある厨子を解体することであ墓が何を見せるだろうかを思うとき、想像力もたじ ろう。ラムセス四世パビルスによって与えられた証拠ろぐ。な・せなら、本書で扱った遺物は、墓がおさめて から推して、わたしたちが王の横たわっている石棺に いた宝物の四分の一ーーーしかもそれはたぶん、もっと 達する前に、 一つが他を包んでいるという形でつくらも重要性の少ない四分の一 にすぎないからである。 れた、五個を下らない厨子があるたろうということは、わたしたちが仕事を完了するまでには、なおも多くの ありそうなことである。そして、わたしたちは厨子と興奮する瞬間が用意されている。わたしたちは、前に 厨子との間の空間に多くの美しい遺物があると期待し横たわっている仕事を熱心に、楽しみをもって待って てもよいであろう。ミイラと一緒になってーー 1 もし、 わたしたちが期待し、信じているように、 ミイラが盗 一つの影が、やむなくその仕事の上に残っている。 賊の手を免れて残っているならーーエジ。フト王の王冠それは、カ 1 ナ 1 ・ヴォン伯が彼の仕事の完全な成果を と他の王の象徴が確かにあるにちがいない。 見届けることができなくなったという嘆きである。全 玄室の作業にどれくらいの時間を要するか、いまの世界もまた、その嘆きをともにするにちがいない。 わたしたちにはわからない。しかし、もっとも奥の室の仕事をこれからはたさねばならぬわたしたちは、仕 と取り組む前に、その仕事は終わっていなければなら事が完成したとき、わたしたちの心の中の最上のもの ない。しかも、ただの、一シ 1 ズンで、二つの室の清を、彼の霊に捧げたいと思っている。