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検索対象: 現代世界ノンフィクション全集2
466件見つかりました。

1. 現代世界ノンフィクション全集2

神・墓・学者 ー一彼らの進撃の力に抗らの歴史的な働きにおいては、発明の才のあ 0 た〉、 しきれなかった他民メル人に似ている。とすれば、マヤ人は、すぐれた発 族 ( トルテック族 ) 明の用益者として一つの文化国家を築いた・ハビロニア の残骸の上にその帝人である。そしてアステック人はすぐれた精神からな 国を建設していった。お利益はえているが、その精神を純粋な権力につくり かえている好戦的なアッシリア人である。このような ルらに比較するならば、 比較をつづけると、首都メキシコはその栄誉の絶頂の エトルスキ人にくらときにスペイン人に首をはねられたことになる。ちょ うどアッシリアの首都、華麗なニネヴェがかってメ 、ー。つべることができる : の ディア人に攻めおとされたときのように。 しかし両者の比較は、つぎの一点において一致しな 「当第主本書をいささかで 、。すなわち、トルテック族の帝国が亡んでからはる られた読者に、わた かのち、トルテック族がまったく突然に新たに活動を 2 一一るしはいま一つの比較おこしてマヤ族の新帝国に侵入し、チチ = ン”ィッツ ミ ~ を要求してもよいでアに彼らの特徴を遺したという、このほとんど説明で 0 一あろう。トルテックきない事実がそれだ。このようなことはヨーロッパの 人は ( そしておそら古代史には例をみない。しかし、はたしてそうだった 一くは、さらに古い か。事情は、まったく異なっていたのかもしれぬ。そ ルテック人は ) 、彼してまったく別の伝説があって、そこではスペイン人 0 っちょう

2. 現代世界ノンフィクション全集2

こうえい モンゴリア人種の後裔であるアメリカ民族 ( インする単なる総称を見出したに外ならないことを明らか ディアン ) は、二万年ないし三万年前に、地峡を通るにしなければならない。おそらく、トルテ ' ク族とい 5 かポートに乗って、シベリアまたはアラスカをへてアう語は、実際に「建築師」という意味しかないのでは メリカにやって来た。ーー・今日、われわれはたしかに / し、刀 このことを認めてはいるが、正確にはわかっていない。 しかし、このインディアンの三大帝国の相互の影響 このように想像されている移動群のいずれから、テオを秩序づけるには、古代世界との比較によることが許 ティフアカン文化の建設者やトルテック族は出てきたされよう。それは、ドイツの学者テオドール。ヴィル のか、なにゆえ彼らはアラスカからパナマにいたる間 ヘルム・ダンツェルがメキシコについて著した本に、 にあらゆる文化を最初につくりだす状態にあったのか、つぎのように引用している。 われわれにはこれらのことはわかっていない。 「アステック文化とマヤ文化の特質を明らかにするに いや、そのような文化を創造したものは、主としては、ときには古代世界との比較を引用して、アステッ トルテック民族であったのかどうかについても、正確ク族をローマ人に、マヤ人をギリシア人に対比するの にはわかっていない。つぎに、たとえばメキシコのい カよし この比較はまったく適切である。マヤ人は、 たるところにその痕跡をみせているサポテック人ある実際に諸国家に分かれてたがいに抗争し、ただときど いはオルメック人は、、かなる役割をはたしたのか。 き、共通の敵に対抗する必要のあるときだけ、固い団 せんくしゃ いま、われわれがマヤ文化やアステック文化の先駆者結をむすんだ民族であった。マヤ人が演じた政治上の を総称してトルテック人と呼ぶとしても ( 最近の学問役割は、決して大したものではなかったけれども、彫 では、トルテック文化とテオティフアカン文化とを区刻、建築、天文、数学の領域においては注目すべき仕 別している ) 、さしあた 0 て、中米文化の創造者に対事をした。他方、アステ ' ク人は好戦的民族であ 0 て、 、 0 あらわ

3. 現代世界ノンフィクション全集2

スは洞窟に下り、ついに法典を手にしてあらわれ、ゼ 好意的になっていたからだ。ホガースは、エヴァン ウスその人の手からそれを受け取ったと報した。」 ズのように、想像力豊かで感受性の強い人であった。 これは決して十分に探検されたことのない、聖なる 彼がゼウス降誕の地の調査を始めた時、彼はその神話 的なもろもろの関係に深い興味をもっていた。一九〇洞であった、それをホガースとその助手達は今こそ調 一年一月から三月までの『マンスリー・レビ、ー』の査しようとしていた。彼はこれがいかに格別の栄誉で あるかを知っていた、というのは、彼は次のように書 彼の記事の中で彼はこういっている。 いているからだ。 「みごもった后 ( レアー ) は最初に思いやりのある大 「クレータの高地の近づきがたい山奥は、過ぐる多く 地母神の手でそこへやられた。そして近くの丘へ新し く生れた赤児を置くため、夜そこを出発した。その赤の歳月の間、学問的探索の的とはなっていなかった。 児は、その人の前では老いた『時』その人でさえ頭をそしてヴェニス人を拒み、武装したトルコ人をたった 一度だけしか入れた事のないラシチ地方は、古典古代 下げなくてはならぬ『不死の神』 ( ゼウス ) になった。 そして後になってもゼウスは、自分の生誕の洞に足を世界のどこよりも、世に知られないままの状態にある。 運んだのである。何故ならここにルーキアーノスが一実際、海岸の嫉妬深い役人と、内陸の嫉妬深い、横柄 番とっておきの行儀でもって言うところによると な山男たちは、現代のわれわれの時代までクレ 1 タの ゼウスは頬を染めて半信半疑のエウローベーをここに大部分を処女地のままにしておいた。」 当然のことながら、彼には先輩がいた。偉大なイタ 導き、彼女がその夜みごもった息子『ミーノース』は、 リアの考古学者であり、エヴァンズや、ジョセフ・ 今一人のモーゼとしてクレータ人に律法を与えようと ジダキス博士の友人であり、また ( クレータ考古学会 思った時、そこで父を探した。クレータ人が上で待っ の ) 会長でもあるフレデリコ・アルベルは洞に入りこ ている間に と物語はつづけているが ノ 6 ノ

4. 現代世界ノンフィクション全集2

ぎよく をなす峡谷、春の牧歌的な谷の青さ、深く澄み渡った出かけた。たしかここで、もっと多くの玉の印章の象 8 いや、それ以 紺青の海に輝く白砂の岸辺ーー。そして中でも、すべて形文字の実物を見つけられるだろう : を包む、底しれぬ古い歴史があった。クレータ人、ギリ 上かもしれない、とエヴァンズは考えた。おそらく原 シア人、ローマ人、フランク人、ヴェニス人、トルコ人ー始的クレータ語に鍵を与えるであろう二国語の彫られ タ・フレット すべてがこの島にそれぞれの痕跡を残していた。 ている、エジプトの『ロセッタ石』のような板を見 ホメーロスはそれを知っていた。ここには つけられるかもしれない。 ミーノータウロ ス王と、彼の娘で英雄テーセウスに、 ミノスという名を名のる一人のクレータ人の紳士が スを切り捨てた後、彼女の腕に立ち戻るようにと貴重すでにクノーソスで試掘溝を掘「て、厚い壁や、多数 な糸玉を与えたアリアドネー姫の、伝説的な故郷があの。ヒトスと呼ぶ石の壺を掘り出していた。これは = った。神の中の王たるゼウスはここで生まれた。島のヴァンズの食欲をそそるに十分すぎるほどだった。 そび 北方には雪をいただくイーデー山が聳え、そこでは神「クレ 1 タ調査協会」のためと ( その時にはまだ存在 が生まれた洞を今なお見ることができると言われて いしなかったが ) 大胆にも宣言して、その地の回教徒の た。そしてイラクリオンの港のすぐうしろ、北側に、 地主から遺跡の一部を買い求めた。が、オットマンの 神の伝説的な霊廟であるユクタ山がある。「そうです法律の下では、彼以外の人による発掘を禁止するとい ねえ」と町の人々は言う、「ある角度から、そしてあう、必要かくべからざる事実以外には、彼にはたいし る明るさでその山をちょっと見てごらんなさい、ゼウて役に立たなかった。五年後、トルコの軍隊がクレー スご自身の横臥した姿が見られますよ」と。 タを去り、ギリシアのジョージ王子が大英帝国、フラ ンユリー マンと同じく、ニヴァンズはイラクリオン ンス、イタリアとロシアーーーの諸強国の総督となるや、 から数キロの所にあるクノーソスの伝説的な遺跡へとエヴァンズはこの地に戻り、遺跡の残りの部分の自由

5. 現代世界ノンフィクション全集2

神・墓・学者 人 ( ケツツアルコアトル ) の最後の約束を思いおこし て、彼らは「東から来た白い神々」だとみなされたと 、、つこ AJ しかしこれらのスペイン人 ( あらゆる 国民的な誇りからはなれて、一般的にヨーロツ。 ( 人と 、ったほうがよいが ) は、たしかに、習慣と正義とを こうえい 説いたケツツアルコアトルの後裔ではなかったという ことである。 0 457

6. 現代世界ノンフィクション全集2

されるわけである。 はマルセーユ 、トゥーレー・ス、。ホレ【「 そしてリョ このような局所的なできごとは、たとえそれに一連ン、ナント、 パリから突然に移動したと想像しなけれ の疑問が投けかけられるにしても、ともかく説明できばならない。しかもそれだけではない。彼らはモロッ る事件である。しかしながら六一〇年ごろに起こった コに到着するや、ただちに、彼らがいま棄て去ってき できごとは、どうにも説明のしようがない。 たもの、すなわち大寺院や都市をそのままそっくりこ 幾多の都市の住民からなる全民族がことごとく出発こに再建しはじめた。マヤ人の場合は、この想定とま して、その堅固な家、道路、広場、神殿、宮殿を棄てったく同じことだった。 て広い荒涼たる北方に移動していった。この移民は、 このようなできごとは、マヤ人の場合は、フランス 一人も帰ってこなかった。都市は荒廃し、ジャングル人の場合より理解しにくい が街路をおおい、雑草が階段や敷居に生い繁り、風の このような事実の痕跡に行きあたったとき、さまざ 運ぶ腐植土で埋まった建物の接ぎめには森の木の種子まの解釈がつぎつぎに出てくる。他国人の侵入がマヤ が芽をふき、若芽が成長して壁を崩した。もはや人間人を追いだしたと想定するのが、もっとも自然だった。 しぎいし の足が宮廷の舗石を歩むことも、ピラミッドの階段をしかしそれは、どのような侵入であったのだろうか。 登ることもなかった。 マヤ人は、当時その発展の頂点にあり、戦闘力におい このように奇怪でまったく不可解なできごとを正してそれにまさるものはどこにもなかった。しかしこの 者く思い浮かべるには、一〇〇〇年前にフランスの全民説明は、 : しすれにせよ不十分である。これら棄てられ 族が、突然、密集してモロッコに出発し、その海岸に た都市には、征服者が活動した痕跡がない。 新しいフランスを樹てた、と想像する必要がある。彼では、天災が移動の動機となったのか。しかしわれ蠶 神 4 どこ らは自分たちの大寺院と大都市を後にして、ひとびとわれは、ふたたびこう質問せざるをえない。

7. 現代世界ノンフィクション全集2

とぎばなし ち帰ってきただけではなかった。彼は、彫刻の原物と、とにかく、この語り手の話はお伽噺以上のものである 8 せつこう ことがわかってきた。それでディエゴ・デ・ランダは、和 すばらしい模写と、さらに浮彫りや碑文の石膏写しな マヤ人の生活、その行為、その神々、その戦いなどに どをもってきたのであった。 その蒐集品はイギリスに渡り、ヴィクトリア】アル関する物語を書ぎとめ、しかもそのうえにその記録に ート博物館から大英博物館に移管された。この「モ彼のスケッチをつけ加えた。この絵から、マヤ人の月 ーズリイ・コレクションーが一般の研究に公開されたや日の記号がわかった。 それは面白い、と、この際、誰しも言うであろうが、 とき、これらの記念物の時代と起源を探究するための しかし、なにゆえこの報告が特別重要になったのであ 材料は出揃った。 さて、われわれはここで、話をディエゴ・デ・ランるか。 いまや、これまでその恐ろしい装飾のためにただ無 ダへかえそう。このユカタン第二の大僧正のなかには、 熱狂的な僧侶と同時に知識欲にもえる近代科学の愛好気味なマヤ人の記念物にすぎなかったものが、このス とつじよ 者という両者が、調和せずにあった。一つの胸のうちケッチによって突如として豊かな生命を得てきたので の二つの精神の闘いにおいて、狂信者のほうが最終的ある。スティーヴンスはディエゴ・デ・ランダの記録 に勝利をえたということは悲しむべきことだった。とを手にして、またそのころ明らかとなったマヤ人の数 いうのは、ディエゴ・デ・ランダは、手に入るマヤ人字の知識をたずさえて、神殿や階段、柱やフリーズの 前に立って眺めた。 の記録をことごとく悪魔の書として集めては焼却した これらのマヤ芸術は運搬用の動物も車も使用するこ 僧正の一人だったからである。しかし彼のなかに生き ていた第二の精神は、まだ生き残っていたマヤの王子となく、ジャングル内につぎつぎに積みあげられ、石 の一人を、伝説の語り手として使うことをゆるした。器を使って石から彫ったものであった。その装飾、浮

8. 現代世界ノンフィクション全集2

いることはできなかった。そこでカ 1 ナーヴォン伯と とんど忘れられている一人の王の埋葬式に、参列した からである。 ラコー氏が出たとき、他の人々が二人一組となっては いった。最初はそこにいた唯一の女性イヴリン・ハ わたしたちは二時十五分に、縦隊になって墓の中に ハ 1 ト嬢とサ 1 ・ウィリアム・ガースチンであり、つはいったのであるが、三時間後に、暑くなり、ほこり いで、残りの人が交代ではいった。わたしたちが前室をいつばいに浴び、髪・ほうぼうになって、もう一度日 に立っていて、彼らが一人また一人と扉から現われての光りの中へ出たとき、同じ王家の谷そのものが、わ たしたちにとっては変わったように見え、前よりも人 来るときの表情を見るのは、興味ふかいことであった。 間的な様相をおびたように見えた。わたしたちは「自 各人の目は茫然自失の態であり、それぞれ出てきたと きに両手を前につき出した。それは、彼の見た驚異を由」になっていたのである。 表現できないということを示すための、無意識の仕種二月十七日は、エジ。フト学者の王墓視察のためにと なのであった。 くに用意された日であった。さいわいなことに、エジ まことに、その驚異は表現不能であった。その驚異プトに滞在中の者のたいていは、参列することができ がわたしたちの胸の中にまきおこした感動はあまりに た。翌日、とくにその目的のためにエジ。フトへ来てい 深いものであり、かりに言葉をもっていたとしても、 たベルギーの女王と王子アレクサンドルは、わたした 発伝達することのできないものであった。それは、そこちを光栄にも訪ねて下さり、ご覧になったものすべて おにいたわたしたちのうち、だれ一人として忘れること に熱心に興味をおもちになった。ロ 1 ド・アレンビー 力があり得ない ( とわたしは確信する ) 経験であった。夫妻と多くの他の知名の訪問者がそのさい、同席した。 タなぜなら、わたしたちは想像の中でーーしかも想像の 一週間後、はじめのほうの章で述べた理由により、墓 3 中でのみとはいえない はるか昔に死者となり、ほは閉ざされ、再び埋められた。

9. 現代世界ノンフィクション全集2

ようやくトン。フソンは、他のすべてをしのぐような成渫機の籠を舟に残して、われわれは身仕度をした。そ しゅんせつき 果に達することになった浚渫機がっかんでくるものれは防水材料でつくった服だが、大きな銅製の〈ルメ つうふうべん カラス入りの大眼玉、耳のそばには通風弁、 はしだいに少なくなり、ついにはただわずかの石塊をット帽、・ 首のところにはヘルメット帽の約半分の重さの鉛の玉 運んでくるばかりとなった。そのときトンプソンは、 がついている。そのうえ、厚い鍛鉄の底をつけた帆布 いまこそ手で、浚渫機の歯が水底の割目や隙間のため につかみえなかったものを取り出すべき時がきたと、製の靴・・ー・・。わたしは発送管、空気入りのズボン、細 判断した。そこで、この非凡な考古学者みずからの言 心に装備した救助用の綱をつけ、助手に助けられて、 葉で伝えるのがよいであろう。 甲板から水中に通じている短くひろい梯子のもとへお 「ギリシア人の潜水夫ニコラスとわたしは、あらかじぼっかない足どりですすんだ。わたしが梯子の最初の かいめん 段に立ったとき、ポン。フ係の一人一人がーーみんな土 め万事を打ち合わせていた。この男は海綿をとってい た・ ( ( マス島一 ' ) から来ていた。彼は一人の助手着人の忠実な男だったがーー・一列に並んで厳粛な顔つ を連れてきたが、これもギリシア人だった。われわれきで握手をして持ち場にかえり、合図をまった。彼ら の胸のうちを読みとることは容易だ。彼らはわたしに は水底調査の準備をととのえた。 「われわれはます小舟、ではなく架橋用の船に空気最後の別れの挨拶をしたのだった。二度とわたしに会 えるとは期待していなかった。わたしは梯子を離れて、 ポンプをもちこんだ。二人のギリシア人が教師になっ 者て、人夫のなかから選んだものに、われわれの生命をあとに一連の銀色の泡を残して一塊の鉛のように沈ん のあいだに、光線は黄 託する空気ポン。フの取扱い方法、また水底からおくるでいった。最初の一〇フィート 信号の読み方と答え方を教えた。人夫が完全に習熟し色から緑に、ついで紫がかった黒色に変わった。その 神 たことを確かめて、われわれは潜水の準備をした。浚後は濃い暗黒のただ中だった。強くなった空気の圧力 たんてつ はんふ

10. 現代世界ノンフィクション全集2

してそこに残しこ、、 オしとわたしたちは希望している。 わたしは谷そのものを言葉で描こうと企ててはいな 。それは過去数カ月にわたって、あまりに頻繁にな された。むしろ、わたしは谷の歴史に対してある程度 の時間をささげたいと思う。な・せなら、それはわたし 王家の谷。その名自体がロマンスにみちている。すたちの現在の墓を適切に理解するのに必須だからであ べてのエジ。フトの驚異のうち、これほど切実に想像力る。 をかきたてるものはない、とわたしは思う。ここに、 谷の行きづまりの一角に押しこめられ、突出した岩 りト - ら . は一 このさびしい谷の奥に、天然のビラミッドのように見の稜堡によってなかば隠されて、一つの非常に質素な 張っているテー・ヘの岡の最高峰「角の山」によって、 墓の入口がある。それは簡単に見落され、人が訪ねる この世のいかなる音からもさえぎられているこの谷の ことはまれである。ところが、それは谷で建造された 奥に、三十人あるいはそれ以上の王が横たわっている。最初の墓であるために、非常に特別な興味をたたえて その中には、エジ。フト諸王の中の最大の王もいる。こ いる。そればかりではない。それは墓の設計に関する こで三十人の王が埋葬された。いま、たぶん二人の王新しい理論の実験として注目に値するのである。 だけがここに残っている。石棺の中にミイラとなって エジプト人にとって、肉体のために建造された場所 奇妙な形で横たわ「ているのが見られるアメンホテ。フで肉体が犯されずに存続することが、根本的に重要な 二世、および黄金の厨子の中に無傷のまま今もとどま問題であった。初期の王たちは肉体存続の場所の上に、 っているツタンカーメンの二人である。学問の要求が まぎれもない石の山を築くことによって、肉体の存続 満たされたとき、ツタンカーメンを横たわったままにを保証しようと考えたのだった。また、 ミイラの幸一悩 二王家の谷と墓