航海士はうなずいたが、何もいわなかった。眠りた「どうにもやりきれない感じです」 くないといったとき、本当のことしかいわなかったの 「きみもか。わたしもだ」 で、わたしとしては、よいことをしたという気持には 「どのくらいかかるもんでしようかね、またもう一服 たやすくなれた。 やれるようになるには」とわたしはそれとなく聞いた。 風は夜じゅうすがすがしかった。いかだ舟の位置は 一等航海士スコウンは、しばらくわたしをじっと見 赤道の南だったから、南東の風は冷たかった。帆布幕つめた。「そんなことがだれにわかる ? どこかの船 の陰のわすかの風下をもとめて、いっしょに丸くちちに拾い上げられる見込みはかなりある、とじっさいに こまって、頭をひくくし、わたしたちは当直をつとめ考えてはいるけれども。われわれはまさしく航路の上 た。一時間ばかりのあいだ、どちらも口をきかなかっ にいるのだし いや、昨日はいたわけだ。アフリカ た。やがて、航海士がうまいタ・ハコが一服できたら何海岸にまともにぶつかる強い潮流があるが、われわれ をくれてやっても惜しくないといって、その沈黙を破はそのはしつこにいる。だからヨーロッパ行きの交通 った。そのとおりだ。わたし自身、タコ好きで、約路に真直ぐ向かっていることになる」 一一十四時間一服もしていなかった。「思い出させてく わたしは黙っていた。しばらくして、航海士はつづ れてありがとう」とわたしは乾いた声でいった。「タけた。「わたしは昨日も今夜も、進もうとは試みなか ハコのことなどすっかり忘れていました。三十秒前ま った。もう一人か二人生き残りを拾い上げる望みを、 では考えてもいなかった」 まだ捨ててはいないからだ。われわれは明日海の中で 「ひどいもんだな」一等航海士は同意した。「タバコ だれかを見かけるかもしれない。その上、明るくなる を吸わないと何倍もひどい感じになる。きみはどうだまで漂流物のあいだをうろうろしていられさえすれば、 何か食べるものを拾えるという望みはつねにある」 3
てきた。夕食のとき、彼は肩に刺すような痛みを感知めることができた。これがこのような深みで写した最 した。私たちはさらうようにして彼をすぐに甲板の上初のカラーフィルムであると私は信じている。 にある再圧縮室に押し込めダイヤルをまわして内部の アテネの大理石はみな海の生物で厚く蔽われていた 圧力を四気圧にした。このように潜水者が水面に上っ ので、その輪郭はぼんやりとしたうす暗い青色をして てしばらく経ってからおこってくる種類のかがみ病に いた。私たちはその下に吊り索をとおすために、犬の ついては、特別の装置でもないかぎりなかなか適宜に ように手で掘り下げた。大理石は上に上がるにつれ、 処置することができにくいものであった。再圧縮室かその外面にとりどりの色が出てきて、空中に吊り上げ ら潜水者の控室に拡声機を通して電話がかかってきた。られたときは、その生物の色で輝いていた。しかしひ 私たちが食事を終ったとき、デ = 1 マはマイクを通じとたび、甲板の上にあげて水気を切るとこのきれいな て一人の相棒を飢えさせるつもりなのかと船員仲間に 動植物群はその色を失って生命のない土色に変ってし 対して悪態を放った。私たちは一時間も彼をなだめすまった。私たちはそれをけずったり、こすったり、ま かした。私たちが潜水に際して再圧縮室を使用したの たその雪のような大理石の柱頭の渦巻にホースで水を はこのときただ一度だけだった。 かけたりして、古代のアテネ以来最初の太陽の光に当 大商船の世界はぼんやりした水色で、その中では人ててやった。 間の膚は緑がかったパテ色に見えた。遠くの太陽は私海床にあるかずかずの大理石の中から私たちは四つ 界たちのクロ 1 ム製の調節器に当ってきらきら光り、マ の柱と二つの柱頭とそして二つの柱の基部とを持って 世 の スクの縁にちらっき、私たちの排気の泡を銀色に輝かきた。私たちは古代の錨の不思議な鉛製の部分を二つ 黙せた。下の方はプ。ンド色に強く光を一面に反射して引き揚げたが、それらは船の外形と想像される所の近た いたので、仕事中の潜水者を十分カラーフィルムに収くで発見され、その位置から判断すると船が沈んだと
島にかえると、私たちは多くの日常茶飯事的な問題 なっていた。隔壁は幾何学的な唐草模様を現わしてい にぶつかった。たとえば、どういうふうにして栄養を て、そこに排水管等のパイ。フ類や計器類が埋まってい た。私たちは全く未知の場所をうろついて、すでに三とろうかなどという問題であった。潜水者は一日に 〇メ 1 トルの深みにいたのである。私たちはそこに停一・八キロの食事を必要とした。タイ工とデ = ーマは って斜面を見下しながら切断されたダルトン号の船尾魚をャスでつくために消費されるカロリーは、とった の一部を眺めた。こちらから見るとちょうどその断面魚では補えないという規則を無視することに決心した。 が枠型になって、も一つの砂丘のかなたに沈んでいた。ダルトン号の船首艙のまわりにいる大 ( タは、これま で人に漁獲されたことがなかったので、デューマの突 それは約九メートル下に横たわっていて、装備はたい して損傷している様子もなく、二本のマストもそのまき出すャスにも太矢にも逃げないでじっと一つ所に停 っていた。私たちは大鍋でブイヤべース・スー。フを作 まになっており、何となく人を招いているかに見えた。 った。魚は裂いたけれど内臓を出さないで鍋に入れた。 私たちがアクアラングによる潜水をはじめたのはべ つに深くはいるのが目的ではなく、二〇メ 1 トルぐらでき上ったス 1 。フは正式な料理の場合はとても味わえ ない頭や目玉や脳みそ等の一種形容出来ない複雑な匂 いの所に少しの時間でもいたいと思ってのことであっ たが、海はさらに私たちを深みにと誘惑した。私たちいがした。もちろん目玉は食べるわけにいかないが は危険な一七ひろの海層にいた。潜水しうる水深の限このスー。フの中には原始人だけしか食べなかったかと 度はどのくらいだろうか、それはきっとダルトン号の思われるような、魚のあらから出る飛切上等の汁がい つばい入っているのであった。 二つに分かれた船体の中間にあるあのいかにも人をい らだたせるような砂丘の付近だろう。だが私たちは水私たちがとったこの大ハタはメル タ ) と呼ばれ る大きな魚で、眼鏡潜水者がそれらを突いてくるまで 面に出て考えた方がいいと決心した。 0 3
た。針は三時四十分を指していた。突然、ひとつの考だいたい、船はジグザグに進んだが、たっぷり約十ノ 0 ットは出して進行していたろう。われわれはこの前知 えが浮かんだ。コリンも手首に腕時計をはめているこ った位置からほ・ほ百五十キロのところにいる、とわた とにわたしは気づいた。まったく何気なく、わたしは 彼に時間をたずねた。するとわたしと同じようにま 0 しは判断する。それはちょうどこのあたりだ」彼は鉛 筆で x をもうひとっ書いた。わたしたちには、それは たく自動的に、彼はちらりと腕時計を見た。 はじめにつけられた x からごくわずかの距離のように 「止まってるよ、もちろん。おれはばかじゃないんだ 思われた。 ろうな ? 」とくすくす笑いながら彼はいった。 しかし、航海士はわたしが何をもくろんでいるか知「そうすると、アセンション島が最寄りの陸地点にな るが、そこへはうまくいき着けないだろう。かなりり っていた。「何時で止まってる ? 」 つばな龍骨のある帆走ョットが手中にあったにしても、 わたしたちは時計を見くらべ、コリンの時計がわた しのよりもちょうど三十秒前に止まっていることを知多少の付属品がいるだろうし、その場合でも、そこへ った。二人とも時計が信頼できる代物であることはわ上陸するとなると、どうしても補助エンジンが必要に かっていた。コリンはわたしよりも一足先に海へ跳びなる。これはひとつの点にすぎないが、終着駅へ着く こんだのだ。それでわかったのだが、両方の時計が水には力が必要だ。実のところ、われわれには六分儀も クロノメ 1 タもないありさまだ。いや、われわれの最 に漬かるとすぐに止まったことは、かなり確実になっ 上の賭けは、アフリカ海岸を見つける望みにかけるこ てきた。 とだろう。潮流でそこへ押し流されるかもしれないし、 「そのとおりだ」そういったのは一等航海士だった。 「それがこれからの手がかりになる。そこで、船が沈大きすぎて見のがす心配がないという利点もある」 「。 ( ーナムプコはどうです ? 」とコリンがたずねた。 むまえに約十時間は進んだということになる。その間
とスカルをはめ、そばを当てもなく泳いでいる奇妙な とを知り、ひどく心配になった。 航海士がなにかつぶやいた。「うふ。ほかに仕方が恰好の魚を、ぼんやり見つめていた。わたしは魚たち あるまい ? どうかね ? 」彼は小さく徴笑した。「よを呪った。まるでわたしたちの希望のない試みをばか いと引け、おいみんな ! 」わたしたちはたっぷり二時にしてでもいるかのように、楽々とすすんでいくから 間のあいだ、背中の裂けるほどオールを引いては掛けだ。 声をかけた。ふいに航海士は、ひと言もものをいわず太陽はいっそう高くのぼり、太陽があたえてくれる に、いかだのあふれたあか筒の中へ崩れおちる。わた熱は、ありがたいことに前夜から苦しんできた寒さを しは彼を見つめ、まる一晩水の中ですごして息を吹き少しずつ追いはらっていった。遠くでカモメの鳴く声 返したというだけなのにたゆまず漕ぎはじめたことを が聞こえてくる。あの生きものは陸地からこんなに離 思い出して、彼の大きな努力にたいする讃嘆の念で胸れたところで何をしているのだろう。その鳴き声 . はふ がいつばいになる。後方を見やり、二時間漕いでも二たたびわたしの心をかき乱した。カモメは沿岸に住む 百メートルぐらいしか近くならなかったことがわかることを知っていたから、どこで鳴いているのだろうか とあたりを見まわした。 と、わたしはもう一度首を振った。 わたしたちのよほど後方で、コリンが大きくはらい コリンはなおも漕いでいたが、わたしたちのスカル が動かないのを知ると、彼も手を休めた。疲労が積みのけるような身振りで、両腕を振りながら、いかだ舟 日かさなり、力を使いはたしたのだ。わたしたちがあれにつっ立っている。すぐにわたしは、あの音が遠くか 十 ほど痛ましい努力でちちめた貴重な距離も、失いはじらの彼のさけび声だとさとり、しばらくしてから、彼 五 つまり、わたしたちが流されているほうを % 流めるとそれほど時間はかからなかった。不安が冷たい が西北 ぬるぬるした指でわたしをつかむ。わたしはのろのろ指さしていることをさとった。
圧力の影響を主観的に感じない。人間の体は非圧縮性中に多量のガスが吸収され、また二酸化炭素を除去で のものである。このため、潜水艦の船体を押し潰すよきなくなるため、この理論的深さまでは潜ることがで うな高圧の下でも、何らの装甲なしに泳ぐことができきないのである。 る。すなわち、人間の体はその内部からこれを支える事実たんなる圧力変化のみについていえば、これは ための対抗圧を必要としないのである。 深く潜るほど耐え易くなるものである。一〇メートル 陸上にいる一個の人間は、その身体の全面で無意識までの層のあいだを下りたり上ったりしている人は、 のうちに数トンにおよぶ大気圧を支えている。ところ下に着くたびに外圧が二倍になるため、苦痛と消耗を が大洋の中では一〇メートル下るとその圧力は、大気おぼえるが、それより下の方に行っている仲間はそれ 圧の二倍となり、二〇メートルでは三倍、三〇メート ほどひどく体を調節しなくてすむのである。一〇メ 1 ルでは四倍と順次一〇メートルの倍数になって増大す トルから二〇メ 1 トルのあいだにいる人は、第一の層 るのである。 にいたときの半分の変化しか感じない。次に一〇メー 海面下九〇〇〇メートルの所にも動物が棲んでいるトル下ったときはそれまでの三分の一しか圧力が増加 のだが、それらの体には一平方センチあたり一・ 一トしないし、さらに次の層にきたときにはそれまでの四 ンの圧力がかかっているのである。もし人間が海の中分の一だけの圧力増加があるわけである。このように にはいったときに問題となるものがたんに圧力だけだして四〇メ 1 トルから五〇メートルに進んだときの水 界としたら、私たちは少なくも六〇〇〇メ 1 トルは装甲圧増加はそのときの水圧の五分の一である。私たちは のなしで下ることができるだろう。しかし実際は圧力に この点に関して次のような大ざっぱな経験」 員を知って 黙よる間接的な効果のため、これよりはるか下まわった いる。すなわち、肉体的に一〇メートルの潜水に耐え % 深さで人間はとめられる。すなわち、その身体組織の得る者は、六〇メ 1 トレ ノの所まで体に別状なく行ける
そいった。ある夜ジプシー ・モス三号はその真価を発に、艇尾を空中に揺りながら走っていく、ふしぎなこ 揮し始めた。舷側のバタバタという音、それから帆がとにミランダまで静かになった。以前にやったような幻 うなって切れそうなさわぎに、私は甲板へ駆け上った。ひどい揺れもバタバタだのパチパチだのと音も立てず、 風が刻々、ひどくなっていく。私はきっと帆をきつく静かにくねらせているだけとなった。私のヨットはそ 張りすぎたのだろうと思ってゼノア・セールを降ろすの後の二時間は、八ノットで突っ走った。そのため揺 箭に、これをゆるめたら、意外な結果になった。ョッれが激しくて、夕食の支度をしていた私は、ストーゾ トは静かになって暗い夜の霧の中を、矢のように走り に突き当り、ストープが据えつけ台からとび出してし 出した。私は何だかョット : カ ( これを待っていたんでまった。 すよ ) といわぬばかりに徴笑しているような気がした。 翌朝八時ころョットが自分で間切っているので目が 何一つさわぎ立てる様子もなく、波跡も乱れず、ほとさめた。揺れ方があまりひどいので、舵柄の所へかけ んど音も立てない。地獄のような真暗な闇の中を、艇つけよう思って、傾斜を計る振子に目をやると、驚い 尾の灯火が輝いて走り続けるのをデッキから眺めてい たことにヨットは依然右舷へ二五度以上の傾斜を示し るのは、この上もなく荘厳極まる光景で身のひきしまている。つまりョットは四五度の傾斜から自然に大分 る思いだ。暗夜の沈黙を破るのはメイン・ブームの立立ち直ったのだが、私は頭がぼんやりしてそれが感じ ・てる音だけで、ケビンで聞いているとまるで馬の歯がられなかったのだ。 カチャカチャかち合うようなひびきだ。ジ。フシー ・モ夜間の一二時間一一五分にジプシー ・モス三号は一三 ズが矢のように快走するので、私はちゃんと立ってい 八キロ進んだが、その間終始追風に助けられたとして ・ることができないほどだ。ョットはまるで、背中を伸 も、すばらしい快走振りだった。私は理想的な結果を 縮させながら倒れた材木を飛び越えて行く駿馬のようみてまったく嬉しくてならなかった。
に時間がかかる。私は荒天に、メインスルを張ったり だから ) 。 . 縮帆するのに一時間半を要した。これは随分非能率的 こんなに苦労したあげく、ある時など私がメインス に聞こえるだろうけれど、五・五メ 1 トルのメイン・フルをやっとマストの頂付近まで引き上げた時、リーチ ームは縮帆の場合、実に厄介至極の代物なのだ。このがひどくたたきつけられたので、バテンがソケットか 作業の時私は船尾突出部でふらふらしながら、片手でら外れてしまった。私はあわてて帆を降ろして、。ハテ ラームからメイン・シートをゆるめ、さらに別の手でンを直して、またさっきの作業を初めからすっかりや ラームを上げるために、トツ。ヒング・リフトを手繰り り直すのだった。 込むのだが、その間にも・フームは左右に振れているの このいやな三日間が過ぎた時、私はやっとプリマス で私はなぐりつけられないように避け続けるわけだ。 の西南三〇キロの辺を走っている。扉が急に開いた時、 メインスルを張っている間、ヨットが自分で間切転倒してョットの一方へたたきつけられて打った胸が って、余計の世話を焼かせることが案じられて、私は うずく。また反対側のわき腹は、私がよりかかってい ョットを風に向けられなかった。その結果、スライド た時、ケビンのハッチが突然開いて、尖った角でひど はつかえて動かなくなる、帆は風下側動索にからみつく打って、刺すように痛む。アバラの辺の皮膚がすり き、帆を張ろうとするシ = ラウドの後をステンが引っむけている。そのうえケビンの天井に頭をぶつつけ怪 。かける。そのうえ腹が立つほどすごく左右上下に揺れ我をしている。枚挙にいとまの無い、こんな災難つづ 続ける。雨は土砂降りだし荒波が私の体をすたずたにきだが、船酔いがなおったあとで、日誌に、こんなに び切り裂きそうだ。全く狂気しそうな絶望感に満たされ愉快な旅はない、誰が頼んでも代ってやらないそと記 酋るのだが、気を取り直して、私自身こ 冫いい聞かせる入している。 ( 急ぐことはない、落ち着いてやれ。きっとやれるん毎日の練習のおかげで、私の操縦は日に日に上達し 24 ノ
ジ・フを変えていた乗員二名が海へ落ちたのを二時間費 して探しまわったためだった。普通航行コース上で一 度見失ったものを発見することは不可能といわれてい るので、この乗員二名もついに探し当らなかったのは 無理の無いところた。 大西洋を東から西へ横断する単独ョットレースは、 シイラ ( 三七年に黠婚 ) はこの大レースにぜひ参加な イギリスでかって企てられたことのない勇壮無比なレさいと終始熱心に激励してくれた。私をまだまだ半病 1 スで、私の想像力を物凄く刺激した。四八〇〇キロ人だと思っていた人々は、彼女のこの態度をかなり手 の長距離を、強い西風に抵抗しながら、あるいはメキひどく非難したが、 , 彼女はこのレースによって私の健 シコ湾暖流に根気よく逆行し、挑みながら、しかも世康が回復するものと固く信じて譲らなかった。私はこ 界で最もひどいといわれる濃霧の中を暗中模索しながのレースの発案者 ( ズラー大佐に手紙を出して、レー ら、漁船の密集する = 、ーファウンドランド沿海のグスの条件のうち次の点に異議を中立てた。それはこの ランド : ハンクスを横切って行くのだ。だから今日ま レースの参加資格条件が私にはあまり厳しすぎると思 で大西洋を東から西へ向って横断するレースカナ ・、、こつわれたからだ。というのは、条件の一つであるファス った一回より企てられていないのもふしぎではない。 トネット・ロック往復レースは、陸に近い沿海、こと れは一八七〇年にドーントレスとカムプリアというス に多数の船舶の航行筋に当るコースだから、単独のヨ ひクーナー級の大型ョット二隻で行なわれた。前者は全 ットマンは六日ないし一〇日間を要する航海中終始操 西長三八メートル、乗員三九名、最大速カ一四ノットの縦席から離れられず、絶対に安全、完璧の航海を強要幻 2 快速艇だが、一時間三七分の差で敗れた。その理由はされて、ほとんど眠るも無いことだ。・フロンディ・
などという航海日誌記述が、その行間にどれほど巨きな自然と人間のドラマを秘めているかは想像つく。 そうした純粋な記録に返ろう、優れた行為者たちの記録は、それが読まれる時にもまた、それが行われ、記さ 竦れた時、と同質の態度で読みとられることが最も希ましい筈である。我々がそうした記録に求めるものは、情緒 へや感傷に彩られた徒らな小説性ではなく、ある根元的な衝動に操られ行為した人間の事実の感動をである。 よく、ノンフィクションはそこらの小説より面白いという声を聞くが、これは同次元で比べられるべきもので 、一・ノ・ ( ール自身、数行の自己批判で終えているが、この時の彼の 船の食糧を僅か口にしてしまう件りの部分は、 : 揺れ動く心理、それを乗り切る勇気の決断、そして、海上で他人の提供する食物を僅かながらロにしてしまう彼 の小さな挫折は、それまでの行程がどのようなものであったか曲りなり感じとれる人間には、小説よりもはるか に興味深く、感動的である。 こうした、茫大な体験に裏打ちされたストイックな文体というものは、海洋の偉大な行為者の筆の共通性であ って、それはとりも直さず、航海日誌の清潔で正確な素朴さに通うものだ。その点、自分の日本記録を世間の無 知のために世界記録とされて、訂正することなく口をぬぐったままでいる日本のある単独航海者の、優れた職業 的ゴーストライタ 1 の手による航海記は小説類似の感動はあっても、逆にそうした記録としてリアリティを妙に 欠いて見えるから不思議である。 「 x 月 x 日、海位 x x にて台風に遭遇。気圧 し」 ・ハール、風力十五。 x 時脱出、前甲板左舷ハッチ浸入甚