深海 - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集20
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1. 現代世界ノンフィクション全集20

このとき、その文字板にある赤色の警報指示器が正午揚げ機は骨折ってこれを陽光の下に持ち上けると、次 を示していることには全く気がっかなかった。私たちに静かな海に浮ばせた。私たちは三時間かかってタン は朝から大骨折りで最後の重荷を付け終り、さて次のクの中にガソリンを送り込んだ。その幕合いにはタイ 段取りにと思っていたとき、ちょうど正午に、例の錘工とデュ ーマが潜って、水面下の装備を点検し、この 外し時計が動作したのだ。取り付けてあった数トンの墓穴の中にいるような学者たちと厚い窓を通して身振 金属は一大轟音とともに船艙の中に落下した。 りをかわした。タイエは上ってくると「万事オーケー 奇蹟的にもちょうどその下にだれもいなかった。そだ、連中はチェスなどやりおるよ」と報告した。 れからというものは、深海潜水艇はあたかもはれもの やがて太陽が沈んだ。スカルジからの索が断たれる えいこう 扱いにされ、水兵たちがそのそばに行くときは、いちと、深海潜水艇はランチで曳行された。母船の船体の いちまちがいないよう、直接大声で命令を受けること下で沈下することのないようランチは十分離れた所で になった。幸い私たちはもう一つの大きな電池を用意 これを離してやった。母船のサーチライトが深海潜水 していたので、このこわれたやっと取り換えることが艇の上でおどった。この徐々に沈下する潜水艇の上に できた。 は舵手のジョージが立っていた。彼は一見海面に立っ 。ヒカール教授との初乗りの光栄に浴するため、私たているかのごとくであった。ビカール教授はかくて地 ち七人は籖を引いた。当り籖としてあったいちばん短中海に閉じ込められると潜水艇のライトを試してみた。 界いのを引いたのはテオド 1 ル・モノドだった。かくて一瞬大洋は光り輝いた。ジョージは船員から鋼粒を受 世 深海潜水艇は一九四八年十一月二十六日十五時、そのけ取るとバラスト溜に追加した。彼は首の所まで沈む の 黙行動を開始した。。ヒカールとモノドは最後の声援と希と飛び離れてポートにしがみついた。かくて深海潜水 望を託されると白い観測球の中に閉じ込められた。捲艇は沈下してしまった。母船の乗組員たちは、てすり ため

2. 現代世界ノンフィクション全集20

たたび帰らなかったならば。ヒカールのこのすばらしい てしまった。私たちは意気沮喪してしまった。ラ・ フォルス船長はこのためひどい打撃を受けたので、今考えは永遠にその終りを告げたろう。今日失敗すれば、 後、母船の船体に打ち当てて深海潜水艇がこわれない人類を最後にはばんでいるこの深海侵入の科学の夢は うちに、この試験はいちおう中止しようと いいだした。十年もおくれをとるだろう。一方幸いこれが帰ってく しかし私はこの中し出に心から反対し「この事故は何れれば、この原理にもとづいた深海乗物には人間がは も理論的な欠陥からきたものではないのだからもう一 いって行けるということを、私たちはその存命中に知 度やってみよう」と主張した。科学者たちももちろんることができるわけである。 私の肩を持ってくれたので、船長もやっともう一度や全船団の人々は強い感銘に打たれて静まりかえって ってみることに同意した。かくて船団はサオ・チアゴ いた。私は深海潜水艇を最初に見付けた人のためにコ 島のサンタ・クララ湾にむかって進んだ。そこの水深ニヤク一壜を賭けた。水夫たちはこれを聞いてマスト は一七〇〇メートルであった。 や煙突の上に駆け上った。このため、青空は水夫たち 夜明けに、コサインは深海潜水艇の錘外し時計が一 の帽子の赤リポンで点々をつけたようになった。二七 二時間さきに動作するよう仕掛けておいた。すなわち、分後、耳をつんざくような叫び声がおこった「あそこ 一六時四〇分に錘を落とそうというのである。甲板長にいる ! 」深海潜水艇の風船がほ・ほ二〇〇メートル離 は曳き綱の上に斧をあてていたが、私が手をふって合れた所に現われたのだ。しかし私たちはその異様な光 界図するとその綱を切り落とした。 景を見て驚歎のあまりしばし茫然自失の態であった、 世 デューマとタイエは深海潜水艇とともに泳ぎ降り、 というのは、あのしつかり付いていた、アルミニウム の 黙四五メートルの所で、青色の深みにむかって急速に消製のレーダ 1 マストは、まるで機械工が取り払ったよ え去って行くのを最後に認めた。もし深海潜水艇がふうに、きれいに取り除かれているではないか。

3. 現代世界ノンフィクション全集20

ルの所まで到達したのであった。皮肉なことには、彼 女はこのような深海の圧力にはりつばに耐えたくせに、 不思議にもレ 1 ダーマストを失ったり、海面の波浪の 十海底動物園 ために役にたたなくなるほど打ちのめされたのである。 すなわち、私たちは深海に人を送ることのできる器械 は作りえたくせに、ぜんぜん問題にならないような空深海潜水艇実験の航海の途次、数週間にわたって、 気と水の層のほうはうまく通過できなかったのである。私たちは大西洋の大海原ではじめて仕事をした。私た この経験を基として深海潜水艇はよく海に耐えうるよちが海図を調べているとマデイラとカナリヤ諸島との うにふたたび設計しなおされている。こんどのものは 間のサレく ノ / ージ島に不思議な標が二つ付いているのに 母船なしで曳行できるもので、操縦者は沈下の直前に 気がついた。案内書を見ると、これらは無人島だと書 乗り込めるし、また観測球が浮上するとすぐ出られる いてあった。私たちはこの島にむかって行くことにし ようにしてある。将来、もういちど実験が行なわれる たが、そこはサメのいる海域が待っていたので、私た だろうが、この第二の深海潜水艇は必ずや、世界の深ちは十分安全策を講じて行くことにした。すなわち、 奥に人間をもたらすことを私は固く信じて疑わない。 潜水者たちは二人一組になって下り、互いに警戒する こととした。さらに醋酸銅というサメよけの薬品 ( トル潜水に成功し ~ 」。フランスの深海水艇号がそれで そのことを私たちは「フライ・トックス」と呼んでい 界ある。八年前に日 世本にもやってきた たがーーーを足首に結びつけておいた。 の この大サルバ ジ島に着くと、ディディと私は最初 の潜水をするために梯子を下りた。このとき彼は破裂

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びん にならんで沈んでいったところを眺めていた。するとすと、一つの特許強壮剤の壜をつかんだが、そのレッ テルはカメラに真正面に向いていた。これは彼の後援 潜水艇はまた浮き上ってきた。これはジョ 1 ジ自身の 重さが・ハラストに影響したわけである。みなが大笑い者の一人が作ったものであって彼は儀式張ってこれを をしていると、ジョージもにやにやしながら、また光飲んだ。かくて無事に深海潜水艇は深海から帰ってき たわけである。 に照らされてこんどは自分の重さに相当するだけのパ ラストを追加した。これで深海潜水艇もやっとまた沈成功のニュースは、ただちにラジオで放送されたが、 もちろんこのさいはその放送料を深海潜水艇の方に追 下し、こんどはうまくそのままになっていた。 一六分後すなわち、一三時一六分、まず信号塔が水加することになっていた。次に探検隊はフーゴー島に 面に現われた。これはアルミニウム製の奇妙な形をし廻航し、そこで回答を待ちながら、次の大潜水の最適 たもので、まるでパゴダ塔のように見えた。深海潜水地を得るため音響測深による海図を準備していた。 艇を船艙の中に納め、乗組員を自由にするために私た深海潜水艇が、乗員なしで最初の深海潜水をする日 がきた。それは日曜日だったが船員等は時間外手当が ちは曳行したり、ポン。フ作業をしたり、引き揚げたり、 五時間の連続作業をしなければならなかった。観測球出るので大悦びだった。この角張った乗物はその自働 を取り巻いたカメラマンたちのために、まぶしいほど装置とともに引張り出された。もちろん海底にさわっ の光が注がれた。私たちはハッチの止め金をはすしてたときに投げ出すパラストの錘もみな付けてあった。 なめしがわ この重たい扉を開いた。まず片方の鞣皮の長靴が現わこの錘はロー。フで巻き付けてあったのでちょうどサラ れると、つづいて、裸の脛が見え、次にもう一方の長 ミソーセージのような恰好をしていた。しかし運の悪 ことこよ、、・ しさというときにこれが揺れてポートの 靴と脚が現われた。それから。ヒカール教授の眼鏡をか けたあのもしやもじゃの頭が出てきた。彼は手を伸ば吊り柱に当り、甲板の上に三トンものパラストが落ち

5. 現代世界ノンフィクション全集20

潜水者たちはいっせいに海中に飛び込み、竸って船 化炭素でガソリンを吹き出させることを命じた。ガソ 0 を調査した。私もこの水面に没した器械のまわりを泳 リン蒸気はそこら中を漂ってスカルジ号もつつんでし ぎまわったが、船は好調に浮いており、ガソリンの洩まった。この状態ではたった一つのスパ ークでも、大 れもなかった。しかしちょうど水面すれすれの所の風爆発を誘発し、二つの船は爆破されてしまうだろう。 船外皮の薄板が剥がれており、ちょうど肥った巨人が ジョージと甲板員は顔じゅうガソリンをふきつけられ 火を吹いているときの頬のように波打って内側に凹んながらも、英雄的にその弁にしがみついていた。噴き でいた。 つけられていた彼らはついに仕事をやりとげ、ガソリ ンは除かれた。しかし彼らは一時的に失明し、たいへ 日没に、私たちは深海潜水艇を母船の側に曳行しょ うとしたが、舟艇類はみな島の避難所を離れて漂流しん消耗した。一晩じゅう私たちは深海潜水艇を助ける ためにたたかったが、ついにかがやかしい朝日の光を ていたので深海潜水艇に鉤をかけて曳くことができな かった。ジョ 1 ジと一人の甲板員とはスカルジ号から受けながらやっとのことで彼女を格納庫に降すことが できた。私たちは、この自信たっふりだった乗物をみ 風船のてつべんに乗り移り、努力をくりかえしては、 これをしつかりつなごうとした。深海潜水艇は突風のて、いまさらながらうんざりした。覆いはとても修理 ために前後左右にひどくゆれていたので、私たちはこの見込みないほどにいたんでいた。片側のモーターと れがスカルジ号に激突して、こわれやしないかと心配プロペラはちぎれていた。風船のなかは洩れたガソリ した。デューマとタイエは一晩じゅうスカルジ号の上ンで溶かされたペンキがいつばいついていた。私たち は器械類を調べるために ( ッチを開いた。そして到達 で働いて、この衝突を避けた。彼らはガソリン溜めか らサイフォンで吸出するためのホースをどうしても接した深さを示す計器の読みを調べ、これに温度と塩分 合することができなかった。やむなくコサインは二酸の補正を加えた。深海潜水艇はじつに一四〇〇メート おお

6. 現代世界ノンフィクション全集20

深海潜水艇のかずかずの付属品にまじ 0 て、私たちることにな 0 ていた。この。ヒカールーコサイン砲の根 がツーロンで作ったビカールーコサイン式深海砲もあ元には銛と怪物とをたぐるためのス。フリング仕掛のリ ールがついていた。 った。これは陸上では、かって見たこともない一種の この深海潜水艇は既述のように水平方向に自由に航 海中砲であり、口径二五ミリの砲身が七個組みになっ もり ていた。各砲身には一メートルの銛が装填されており、行できるので、浮き上った場合、乗組員の酸素が尽き ないうちにどうやったらこれを発見できるかというこ これは砲身の根元の水圧。ヒストンで発射される仕掛に なっていた。すなわち、砲が海中に下るにつれて、そとが問題であった。この船が静かな海底に降りている の水圧自体が砲の推進力になるわけである。九〇〇メあいだに、その母船は風や海流のために流されること ートルの深さで、操縦者がその砲の引金を引いたとすもあろうし、浮上しても霧の中で見失われる心配があ 丿 1 ・モニエ号に特 れば、飛び出した銛は四・五メ 1 トル離れた樫の板にる。海軍ではこの万一に備えてエ 1 八センチ突き刺さるほどの威力を持っていた。水面で殊の超音波探知器を設備したり、ル・べリエ号やクロ ワ・ド・ロレ】ヌ号などのフリゲート艦のマストの上 は当然この銛は無力である。 海底で興味ある動物に出くわしたとき、この深海砲または飛行機に特殊レーダーを装備して万全を期した。 深海潜水艇は電磁石でつけてある錘を落して表面に でやつつけようというわけである。海底にはもしかす るとガリハ 1 の巨人国に棲んでいるような巨大なイカ帰ることになっていたが、万一乗組員に事故が起った ときは自働的に浮上できるような万全の準備が整えて 界がいないともかぎらない。動物は銛でやられるばかり 世 でなく、さらにその銛索を通って流れる電流のためにあった。 の 私たちの最初の旅行地はポルトガルのベルデ岬にあ 黙弱らされるようになっていた。もしそいつが電流にも 抗するようなときは銛の先からストリキ = ンを注射する一群の火山島の一つボアビスタ島の陰になるような

7. 現代世界ノンフィクション全集20

込むこどになった。これは後援者や崇拝者等に満足し 静かな場所であった。このときの担当者はビカール、 「サイン、モノド、それにフランシス・・フフの諸博てもらうためである。みな彼の意見に従 0 たので、私 士たちであ 0 た。スカルジ号の船長ラ・フォルスは深たちの船は全部ボアビスタ島の陰の方の三〇メートル 海潜水艇を海に入れたり、これを発見することの責任の海に錨をおろした。そしてそこで潜水艇を進水させ 者であ「た。タイ = とデ = ー「と私の受持ちはガソリるためのこまごました退屈な仕事がはじま「た。五日 ンをつめたり、バラストをつけたり、潜航中の潜水艇のあいだこのとどこおりがちない 0 ぷう変 0 た骨折り を探知したり、海上に浮き上 0 たときに綱をかけて、仕事をしたのち、や 0 と最後の段取りとな 0 た。それ は五四三キロの電池と何トンもある銑鉄塊を電磁石で ラ・フォルス船長に引き渡すことであった。受取った てはす 船に取り付ける仕事であった。深海潜水艇が一定時間 船長はこれを格納するという手筈になっていた。 しかしいざとなると機械爪や深海砲を能率よく検査ののち自働的に浮き上るようにするためには、スプリ する時間がなくなり、これらの付属品は放棄しなけれングまきの時計に特殊の時間警報装置を連絡させてお ばならないことが明白とな 0 た。この深海砲の悲連をき、この作用で上述の重荷を海中に投げ棄てる仕組に 聞いたデ = 1 マの失望は非常なものだった。彼は、三なっていた。 二〇〇メ 1 トル下の方で巨大なイカが電流と毒で同時この深海潜水艇がまだ船艙の中にあるうちに。ヒカー ル教授は装置類の最後の点検をするために観測球の中 に攻撃されて、その三〇メートルもある長いあしをの たうちまわらせる光景を楽しみにしていたのに、す 0 にはいった。彼はクロノメ 1 ターを見たが、これはう まく動いていた。しかしもう一つの時計は動いていな かり裏切られてしまったからである。 。ヒカ 1 ル教授の要求によ 0 て、彼の発明になるこのか「た。彼は、これも優秀なスイス製なのにと思いな 深海潜水艇の最初の潜水の時には、まず発明者が乗りがら、あわて気味にその時計のねじを巻いた。しかし ノ 36

8. 現代世界ノンフィクション全集20

にその目標としていた。私たちの中でもっとも勇敢な ディディでさえ軽業師ではないのである。私たちがい っそう深い所に行くわけは、「陶酔状態」についてじ 八五〇ひろの海底 つに多く学ぶためにはこれが唯一の方法であるし、ま たそのような深い所の苛酷な条件の下で、アクアラン 私たちは「深海の陶酔状態」について頭を悩ましつグによる作業が個人的にどのような異った反応を呈す づけてきたが、この問題は私たちがさらに深く行くよるかを試すためなのである。この試みは、明瞭なデー うに挑戦しているようにも思われた。一九四三年、 タ 1 を得るために注意深い用意と管理によってなされ ディディが行なった深海潜水がこの問題に私たちの注た。私たちがとりきめた目的の範囲は九〇メートル、 意を向けさせた。そして調査団は深海潜水についてのすなわち五〇ひろであった。デ = ーマはさきに六四メ 詳細な報告を集めた。しかしこの下の方で起る深海 ートル潜ったことがあるが、その後どの単独潜水者も の「陶酔状態」の詳細については私たちはただ文献的まだそこまでは到達していなかった。 知識を持っているのみであった。一九四七年の夏、私今回は潜った深さをエリー・ モニエ号から下げられ たちは、一連のさらに深い潜水をするために船を仕立た重たい測量綱によって計ることにした。その綱には てて出発した。 五メートルの間隔で白い板がついていた。潜水者たち 界ここで私が一言しなければならないことは、この潜は、その到達しえた最深部にあるこの記録板に署名し、 世水は結果的には幾つかの新しい世界記録を樹立したのまたその感覚を描写することにな 0 ていたので、各人 黙であるが、私たちはべつに記録的下降をしようとしては消えない鉛筆を携えて潜水した。 いたのではない。私たちは生きて帰るということを常精力と空気を倹約するために試験潜水者たちは四・ ノ 23

9. 現代世界ノンフィクション全集20

「あの深海潜水艇は全く安全なものですよ、なにも心と、母船とを提供した。海中調査団はフランス海軍の 配することなんかありませんよ」とい 0 て、私はこの賛助を得て、偵察救助用飛行機と二隻のフリゲート艦、 リ . 1 ー・ モニエ号を使うことにな 人たちを慰めてやるのだった。しかしこれは少しく言それに調査団所属の = った。またフランスの科学者が二人っいて行くことに い過ぎのところもあった。というのは、この計画には まだは 0 きりしない部分がいくらかあったからである。なった。一人は暗黒アフリカ研究所長のテオドール・ っ モンド教授であり、も一人は海洋学調査研究所の創立 しかしタイ工とデュ 1 マと私は、こんどもまたい しょにな「て、この大冒険をするために西部アフリカ者たるクロード・フランシス・・フフ博士である。私は にむか「て航海することにな 0 ていたのであり、なに「海の , キスパート」という名目で特派されたのであ ものも私たちをとめることはできなか「た。私はこのるが、ますこの探検隊の保安係とでもいうところであ った。私たちのグル 1 。フは準備に二年を費した。すな すばらしい潜水艇の乗組員として選ばれたのである。 そしてこれまでに人間が到達した深さの五倍も深く潜わち、この深海潜水艇の奇妙な付属品をたくさん作 0 ろうというのである。。ヒカ 1 ル教授は、さきに高空たり、かってないような恐るべき海中武器を作「たり、 モニエ号の船 へ三〇キロ上った人であるが、このたびは四〇〇〇メ自働的に海中写真を撮るために = リー・ ートルの深海に行くことを提案しているのである。こ首にカメラ架台を取り付けたりした。九月一日午前四 丿ー・モニエ号は塗り立ての白ペンキをびかびか の年とった科学者は極端なことを思いつく人であって、時工 1 十年前にすでに深海潜水艇を設計していたのであるが、させながら、学者たちの主人格であるビカール教授と 世界大戦でながびいた後でベルギーの有名な物理学者深海潜水艇を乗せたベルギーの貨物船スカルジ号と出 マックス・コサイン博士によって建造された。ベルギ会うためにダカール港を出帆した。貨物船に出会うと、 ーは国家科学研究基金から、この大潜水のために人員私は潜水艇が見たくてとてもがまんできなかったので、 ~ 32

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とはできないのである。この深海潜水艇の金属風船はることとなっていた。観測球の下にはスケート型をし 理論的には一五〇〇〇メ 1 トルという実在しない深さた一三六キロの錘が付いていて、これが海底に着いて の圧力にも耐えうる。私たちは安全なゆとりを残して船をとめたり、速度をゆるめたりする。なおこれは深 平均海深四〇〇〇メートルの所に降りようとしている海潜水艇の長靴のような役目もするのであって、この おかげで船は海底から一メートル離れながら一八キロ のである。 。ヒカール教授の最も思い切った着想というのは、海の距離を一ノットで航行できる。船の外側には、深海 面から何ら連絡綱なしに降下することであり、これはの暗黒の中でも天然色映画が十分撮れるほどの強力な すでに私たち海中調査団のアクアラング使用者たちが、照明が用意されており、その光の下に操縦者はリ、ー っとにその価値を認めていたことである。彼は以前ケサイトの窓越しに海底の景色が見られるようになって 1 ・フルで装甲球を吊り下げる式の深海潜水球を設計し 観測球の中にはまるで迷路のように恐しく多数の操 たことがあるが、それは採用しなかった。ウィリアム 博士はかって、このような莫大な重さをもったケープ縦装置が配置されていた。私たちグル】ブは機械の爪 ルでぶらさげた球体を使って降下したことがある。こを作ったが、内側の人々はこれを使って海中の物をつ の種のものは操縦性がないばかりか、長いケ 1 ブルのかむことができるようになっていた。またたくさんの 指示器やゲージや種々の装置があったが、この中には ために乗手が危険に陥ることがある。 この深海潜水艇は普通の潜水艦の二五倍の深さに潜宇宙線測定用のガイガーカウンターも含まれていた。 航できる。これは垂直に降下するのであるが、そのとその他、現在最も進歩した酸素発生器や空気浄化器も 備えてあって、この装甲球の中で二人の人が二十四時 き鉄粒 2 ハラストを捨てて降下速度をおくらせたり、 間生存できることになっていた。 ・パルプを調節したりす または必要に応じてガソリン ノ 34