それを引張り上げるのに苦心させられる。それでもど返しそうである。 8 マイクはシェル。 ( の様子を見に行った。ダ・ナム うやらもぐり込めた。顎の所まで寝袋の中にはいり、 体をもそもそさせて、やっと寝心地のいい場所を見つギャルとバルは、「下へ降りる」のが唯一の治療法だ ということになった。ダ・ナムギャルの凍傷は、二週 ける。風は相変らず唸りを立てて吹いている。 間もすれば治るだろうと、マイクが診断した。すっか 風は朝まで吹き続けた。午前八時二十分に私はテン こんろ り悲観していた彼も、これで安心したようであった。 トから這い出し、既にシェルバたちが。フリマス焜炉に 火を燃やしていることだろうと思いながら見にいった。強い風が唸りを立てて吹いて行く。だが四人のシェル パたちは、ゆっくりゆっくりと下って行った。彼らの だが。フリマスはテントの外の雪の上に放り出されたま まになっているのだ。それを持って来て火をつけるま姿が見えなくなってから、私たちは自分たちの仕事に でには一時間もかかった。まず石油を入れることから取りかかった。仕事は二つあった。マイクと私とは、 エドマンド小学校の卒 トのセント・ 始めなければならなかった。朝の太陽はまだ当らず、同じハインドへッ 日蔭は凍るように冷たいのだ。風はズボンを突き通し業生である。献立はス 1 プと、コソデンスト・ミルク て、膚に痛いように感じられる。石油を入れると、こを塗ったライ・ヴィタだけではあったが、それでも二 人の卒業生が同窓会員中で最高の晩餐会を開いたとい んどは火をつける仕事である。それがすむと、テント の中に坐「て、窓の外から雪の塊を何回も取らなけれう手紙を書いて出そうというのが、一つの仕事であっ ばならない。私の坐っているまわりには、靴や、ビスた。もう一つの仕事は、私たちが第七キャン。フへ登っ て来た口実である肺胞実験をすることであった。 ケットの箱や、チュー・フ入りのミルクや、本や、日記 マイクは彼のルックサックから、ガラスの球と試験 や、そんなものが積み上げられている。うつかりする 管を幾つも取り出し、まるで貴重なドレスデソ陶器で と、これらだけではない、。フリマス焜炉までひっくり
たちのだれかがいるのだ。『ロンドン・タイムズ』の 見は述べなかったが、可能だという見解を持っている 4 空輸版が、隊員たちのところへ来た手紙の読みかすと のは明らかであった。非常に活気のある晩だった。 い、ごちやごちゃに並べられた寝袋のまわり それが終ってから、星の輝く外へ出てみた。前進・ヘ混ざり合 1 ス・キャンプは、今では立派な基地の姿となってい 一面に散らかっている。棚の上にはチェダー・チーズ る。エヴェレストの西山稜のはるか下の方に、小さなの大きな塊りが載っている。もうだいぶん固くなりか テントが六つ、一列に並んでいるのだ。大テントは幾けているのだが、隊員たちの間ではますます好評であ る。そしてその脇には二つの石油ランプが、窮屈そう らか雪が高みになった所に張られている。アイス・ フォールの方向へは、夜になると雪が凍って滑りやすに棚一杯に並んでいる。トーンドウ。フは彼の炊事道具 くなる。その大テントの向うには、荷箱が大きく積みを持って、このテントから引越してしまった。 キャン。フのローツェ斜面に向った側は、下の方から 上げられている。初めのうち、この大テントは炊事場 に使われており、すぐ近くにある小さなクレヴァスが登って来ると、まっ先に足を踏み入れる所であり、そ ドーム・テントが張られている。な こには大ぎな白い ごみ捨て場になっていたのだ。だが中が広いのと温い のとが魅力で、いつの間にやら隊員たちが侵入し始めんとも言いようのない臭いを立てこめてシェルバたち が、その中にいるのだ。それからシェルバでなくては たのであった。全員からの督促で、急いで下から登っ て来たトーンドウブは、このテントの中を見て、手のできないやり方で、何本かの棒に防水布を張りめぐら つけようもないと思ったらしい。大テントの一隅を初して、トーンドウブの新しい炊事場がある。その炊事 めのうちは集会場にしていたのだが、やがてそれが広場の床は、食糧の紙箱をほごしてそれを一面に敷いて がり始め、それと同時にテントの中の混乱状態もはなあるのだ。この炊事場の近くに、キャン。フの最後の一 はだしいものとなっていった。しかも一日じゅう隊員角をなして、三人用の。ヒラミッド型テントが一つ張ら
「なかへはいってもいいかい」と聞いた。私はあの。ヒ背の高いニ = ージーランドからの二人の間に、私はず ラミッド・テントで一人で寝ることを思うとそっとしり込んだ。寝袋の中へはいりたいと思ったのだが、二 た。その上にジョージが親切に彼らのテントへ来ない人用のテントの中で、しかも二人の間のわすかの隙き かと誘ってくれたのだ。 間で、体を動かし廻すのも面倒なので、そこに寝袋を 彼らは体をすらして、二人の間に空間を作ってくれ置き、その上にころがった。寝袋の中にはいったので た。そして私は、自分の荷物を取りに行った。プリスなく、それを体にまとったようなものである。プリマ ター・テントは、しんと静まり返っている。なかをの スがよく燃えていて、テントの中は温かかった。 そくと、テンジンとパサンの二人が、気持ちよさそう に寝ころび、こちらに笑い顔を向けた。私は。ヒラミッ 二ヒラリーの話 ド・テントにもぐり込み、半分ほど出しかけた荷物を、 もう一度ルックサックに押し込み、 ミート・テントの 夕日は、この高度の高いサウス・コルには、いつま 所まで運んでいった。二つのテントの間は十五メート でも残っていた。そして私たちは、温く気持ちのよい ルしか離れていないのだが、この往復に二十分もかか夜を迎えた。これから夜が明けるまで外へ出ないです ってしまった。羽毛入りの登山服を着ているので、テむようにと、三人とも心の中で思っていたことは確か ントの窓からはいるには、逆にする方が楽だと思い である。そして幸いにも私たちは、朝まで十二時間 ト岩の上に手をつき、足から先にはいり込んだ。 テントの中で過ごしたのであった。そして私たちは、 レ風の吹いて来るクムの方向の窓は、閉められている。自分自分で得意の献立を作った。私はたつぶり砂糖を ヴ私はプリマスの火が、消えないように用心しながら、 入れたレモネイドと、スープと、乾葡萄と、チョコレ 2 ルックサックや、寝袋などを窓から引っぱり込んだ。 1 トと、コルに残してあったスイス隊の蜂蜜の罐の残
族や友人たちがどんなに喜ぶだろうと思った。私は自た。 8 ほかの連中は用意を整え、それからエドとテソジン幻 分の妻や生まれて一年になる子供のことを思った。し かし登山が、無事にそして成功に終ったことを、だれのために、酸素装置を準備するのに手間をとっていた。 もが喜んでるに違いあるまい。事故が起るなどというテントの入口には、鍋や焜炉が置かれたままで、それ が邪魔で仕方がなかった。これらの貴重な物を、みん ことは、私たちの頭の中には全然なかった。私たちは な置いて行くのかと思うと、惜しい気がした。私たち 愉しかったのた。だがもうそろそろ出発しなければな らないという時間が来たとき、私たちは急にいやな気が担いで来た攻撃用の食糧も今では無用になったのだ。 持ちになった。テントの入口に一番近い私が、まず体何かを持って帰ろう、私はそう思った。そしてもう一 を起し、靴をはきテントの外へ一番先に出なければ度、。ヒラミッド・テントに引き返した。床の上には百 八十グラム入りの砂糖の袋が、幾つも幾つも吹き飛ば ならないのだ。寝ていた時は、風もそんなに強いよう には思われなかったが、さてテントの外へ立ってみるされていた。砂糖は大切だ。私はそんなことを、のろ と、すっかり幻減させられてしまった。私はまるできのろと考えていた。そして幾つかの袋を拾い、ルック りきり舞いするような形で、ビラミッド・テントの所サックに入れた。後になっての話だが、実は砂糖がう へ吹き飛ばされて行き、その中へもぐり込んだ。テンんと余り、チャンポチェでずいぶん大量に売り払った トの中は昨日よりも、もっとひどく、惨憺たるものでのであった。 あった。私は二人といっしょに寝られたことをよけい 感謝した。最上の仲間と、最も寝心地の悪い、だが最 も幸福な一夜だった。私はテントの中で靴の紐をしめ、 ぎやはん 脚絆を巻き、それからまた元のテントの所へ戻って来 四ローツェ斜面を下る エヴェレストは登られたのだ。高度の影響で心の働
る。それから私たちは、テントの方へと帰り始めた。 二人の足どりには弾力性はなかったが、しかししつか りしていた。 テントの所へ帰り着くと、二人は酸素装置を取りは ずしたり、テントの間を行ったり来たり、しばらくは 忙しい仕事が続いた。そしてテンジンは、パサン・。フ タルのいるプリスター・テントによ、り、エドはミ 一ついに頂上へ ード式テントの彼のライ・ロウの上にうつ伏せになっ た。私たちは二人のルックサックをテントに入れたり、 話が山を過ぎたときは、講演を早く終りにするのが、 焜炉に火をつけたり、いろいろの仕事をした。その間 少なくともそれからあとは余りだらだら長びかさない にも風がテントをゆすぶっていた。 のが本当だと思う。頂上へ登ることによって、私たち エヴェレストは登られたのだ。世界で最高の頂上が、の目的は果され、私たちの行為は完結したのであった。 三十年の努力を積み重ねた後に今日、一九五三年五月希望と夢がクライマックスに達したここで話を終える 二十九日に登られたのだ。世界各国の人々の眼が間もべきだという人もあろう。だが私のような個人的な体 なく私たちの上に注がれるのだろう。 験を語る場合、最も重要な話はまだその後に残ってい ジョージは焜炉の上にかがみ込みながら私に話しか るのだと言えよう。というのはエヴェレストの持っ個 けた。 性の問題が、その頂上が登られてから、いっそう強く 「あすこでエドに出会ったとき、エドがなんと言った 私の心に感じられるようになったからであり、また私 が子供の頃から、もしエヴェレストが登られたら、そ と思う。『とうとうやつつけたよ』と言ったんだ。」 七エヴェレストは登られた 2 4
かった。そこで私の体は、上半身を横向きにしなけれを吹きつけてくることはなかったが、ときどき氷の破 6 ば、その間に割り込めないのだ。私は羽毛入り登山服片が支柱に当ったり、テントの外の岩にぶつかる音が の頭巾をかぶり、ルックサックを枕にした。そしてルしていた。もっと恐ろしい風の情景を描くことのでき ックサックは、テントの窓の下に押しつけられているないのは、まことに残念だと思う。一番恐ろしかった のだ。私は苦心してどうやら両脚を寝袋の中に入れた。のは、二十四日にテントを張ったときの風だったのだ だがテントの中はかなり温められていたので、このまが、そのときには私はいなかったのだ。北側の風と比 まなら朝まで大丈夫だろうと思った。私の腰は寝袋の較して絶望的な状態を書けるといいのだが、私にはそ の経験がないので、それもできない。私の経験は、風 上に乗っていたのだが、夜なかにエドのライ・ロウの にひどく苦しめられたというほどのものだけであった。 上に乗せた方が楽なので、そっちの方へ持っていった。 しかし私はよほどよく眠ったらしい。というのはず そうするとエドは、紳士らしく体をずらせて空間をつ っと後になってマイク・ウォードから聞いたところに くってくれた。問題は足指だった。夜どおし冷えたき りだった。何度も眠を覚ましては、重ねたり、伸ばしよると、その晩エドとジョージは後に酸素を使って寝 たりいろいろしたのだが、しまいには感覚が失われてたのだそうだが、私はそれさえ知らなかったのだ。そ いくようであった。イギリスへ帰ってから、足指の爪して午前五時に酸素が切れると、二人は眼を覚まして 話をしていたということだが、私はそれも知らなかっ が全部黒くなってしまった。 た。私が眼を覚ましたのは、風が烈しい音を立ててお 風は朝まで止まずに吹き通した。コルを吹き抜けな がら、テントにぶつかって行くのだ。テントの支柱をり、太陽はまるでテントが火事にでもなったように明 押したり引いたり、そして布を圧しつけたり、膨れ上るく照らしている時であった。私はテントの窓を開け、 がらせたりするのである。コルには雪がないので、雪東の方を見た。コルの上の氷が、波のようにきらきら
りていった。私たちは、それからテントを眺めた。こ こともできるだろうと思った。 昨日の興奮のあと、私は次第に幸福な倦怠を感じ始れらのテントは、ここに二週間近く立っていたのだ。 毎日太陽の光で雪は融け、夜になると凍り、それを繰 めていた。ゆっくり下ったっていいじゃないかという り返して来たのである。テントの張り綱を止める釘も、 気持ちだった。もう問題は片づき、天気もすばらしい いまは氷の中に固く凍りついてしまっている。そして のだ。西の方の空に金色に光っていた大きな雲も、紺 テントの床のシ 1 トは、幾つものみに波打っている。 色の空の中に消えてしまっている。遠く地平線に近い 辺りには銀色の小さな雲が浮び、空の色はそのあたりアン・ドルジは、昨日の疲れから、まだテントの中で では淡青色に輝いている。これはエヴェレストの最後寝ていたが、プウ・ドルジとパサン・プータルの二人 の下りである。「 = ヴ = レストは登られたのだ。そしに手伝わせ、私たちは氷斧で止め釘を掘り起し始めた。 て最後の下りなのだ。」この言葉に現わされた気持ちは、ずいぶん手間のかかる仕事だった。テントには、なん きっと私がローツェ斜面を下る一歩一歩に、深い感慨でこんなに数多くの止め釘がいるのだろうと思ったく をもたらすだろう。そしてその一歩一歩の下りに、あらいである。一つうまくいっても、まだ次ぎがあるの だ。同じ仕事を何度も繰り返さなければならないので らゆるものをよく見て行こう。そう思ったのだ。だが、 それにしても、やがて始まる苦労がどんなものであるある。テントの周囲は、まるで祭日の遊び場のような、 かを知っていたら、私はチャールズといっしょに残ろだらしのない光景である。やっとテントが倒れた。大 きな塊りがそこに横たわっているのだ。これを畳んで うなどとは言わなかったかも知れない。 し。小さな道具はルックサッ エドと、ジョージと、テンジンの三人は、羽毛入り荷造りしなければならな、 のズボンをルックサックに詰め、ロ 1 。フを結び、それクに入れた。やっと荷造りを終え、もう一度あたりを からもう一杯レモネイドを飲み、氷塊の角を曲って降見廻した。何週間かすれば、この場所も、また元のと 2 6 2
は、酸素マスクをつけた私が、まるで象が唸っている後三時まで、なんにも食べなかったからだというので ようにしか見えなかったことにすら気がっかずにいた。ある。だがこれから二日後の彼らの働きを考えると、 第七キャンプにたどり着いたのは午後一時四十五分だ食べもののせいではないように思われる。やはり原因 った。まずミード式テントと、。ヒラミッド型テントをは、喉の渇きと、暑さと、そして予想に反した荷の重 張る仕事があった。あちこちごたごたと動き廻らなけさのせいだったのだ。一人十五キロの荷を七三〇〇メ 1 トルへ担ぎ上げるのはこれが最初だった。 ればならない仕事だが、大勢のおかげで片づいてしま テントの横のポケットへ、だれかが忘れていったサ った。そしてだれも彼もが、疲れ切ってテントの中へ 1 ディンの罐詰を、私は実にゆっくりと、そして非常 倒れ込んでしまった。 紅茶を作るために、私は、神聖なサウス・コル用のな喜びを感じながら食べた。すっかり乾き切った唇と、 分から石油を取り出し、プリマス焜炉を働かした。私空になった胃袋にとっては、この罐詰は、遠征中の最 は自分のテントの中で、熱いレモネイドが魔法瓶の中大のご馳走のように味わわれた。その上に罐詰の中身 に残っているのを見つけた。だがこのテントは、シェ が少ないので、シェルバたちと分けずに一人で食べら ルバたちのいるもう一つのミード式テントと繋がってれることも、私にとっては嬉しかったのだ。私は何を するにも、できるだけのろのろとやった。一罐のサー おり、私一人だけないしょでこれを飲むわけにはいか ない。高い地点へ登るほど、ものの考え方も、感情も、ディンを食べるのに、二十分ぐらいかけたろう。この その道徳的水準が低くなるものである。みんなでこれような高い地点で当面するジレンマについて、ジョ 1 を分けて飲んだ。私たちの元気を回復さしたのは、飲ジの言 , ったことはまさに正しかった。仕事をすればす みものであった。カンチャの言うところによると、 るほど、それだけよけいに食べものが必要になる。そ シェルバたちの元気がなかったのは、朝の八時から午して食べるという仕事をすれば、それだけまたよけい つな
を下ろし、しばらく息をついた。それから四つ這いと日のことは、こまかい点で記憶していないことがたく なり、ばたばた風にゆれるビラミッド型テントの中へさんあったが、大体のことはよく記憶に残っていた もぐり込んだ。両腕で泳ぐようにして円い入口から中 ( 私は第四キャン。フに下ってから、この二日間の日記 へはいり、床の上にそのまま転がった。やっと起き上を書いたのであった ) 。 がり、あたりを見廻した。テントの中は驚くほどの混 ーの頂上から見た姿は、ジョージ・ロウであっ 乱である。床に敷いたシ 1 トに大きな三角形をしたか た。彼は私のテントの中へはいって来た。「どうも頂 ぎざきが幾つもできている。その切れ目から、下の岩上をやったらしい。これから迎えに行くつもりだ」と 言った。 が頭を出している。テントの布の一部も切れている。 そこへ風が当ると、切れ目が大きく開き、いっそう強「ジョージ、どんな調子だった。」 ジョージは、顔じゅうに、ロビンソン・クルーソ 1 く吹き込んで来る。床の上には攻撃用食糧が一面に散 らばっており、そのほかに、チーズのかけらや、凍っのようなひげを生やし、あぐらをかいて坐っている。 たビスケットなどが、酸素装置のチューブ、酸素マスまるでべース・キャン。フにでもいるように平然として 、る。だが彼の眼はまっ赤である。トムとチャ 1 ルズ ク、酸素容器の頭、携行装置などと、ごたごたになっ のすばらしい努力と、その疲労ぶり、昨日彼とグレグ て転がっている。破れた紙もそこらじゅうに飛んでい の二人で八五〇〇メートルの地点 ( 世界最高のテント 私は入口の穴から顔を出して、二つのルックサックを張った場所である ) まで荷を運んだ話などをしてく っしょにはいってれた。 レを引っぱり込んだ。私はパサンがい タ来たのか、それとも直接にプリスター・テントに行っ 「ジョンが山稜の上に置いてった荷物も途中でまとめ 2 たのか、はっきり記億していない。 この日と、その翌て背負って登ったのだが、それだけでもかなりあり、
くなり、テントの屋根が頭にばたばたとぶつかるよう それでも風の侵入を防ぎ、プリマスは無事に燃え続 になった。問題はプリマス焜炉で、風が吹きつけるたけていた。 = ドは午後四時にシェルバたちと帰って来 びに、風除け装置があるにもかかわらず、今にも烙がた。私たちの荷物を第七キャンプへ置いて来てくれた 消えそうになるのであった。私たちが使っているミー のである。彼は一時間五十分で第七キャン。フへ登り着 ド式テントは、その両端に、直径九十センチほどの円 いたのであった。恐らくこれは最後まで最高記録だっ い窓があり、その窓の縁にはカイ ( スで作られた長さたろう。太陽の光がまだ残っているうちに、 = ドはア 六十センチほどの円筒が附いている。この直径九十セ ン・ニイマやシェルバたちを連れて前進べースへと下 ンチの円筒を通ってテントの中へはいり、中からこの って行った。だが寒さはすでに厳しく、風が皮膚に触 円筒をし・ほ 0 てくくってしまうのである。ところがこれると痛いようであ 0 た。私たちの仕事は山ほどあっ の入口の円筒をくくる紐が切れてしまっていた。私が た。五時にはジョージがラジオで、中継キャン。フのこ ちょうどその入口の所に腰を下ろしており、しかも風とやその他の用件を、前進べースと長い時間をかけて が強く吹き込んで来るので、私は風の音を聞くと片手打ち合せた。私は雪を掻き集めてくることにしたが、 で、この円筒を一生懸命に握りしめていた。夕方になテントの外へ出る決心がつくまでに、た 0 ぶり十五分 ってから、やっとテントの天井からぶら下っている紐はかかった。雪を運ぶのに、二度往復しなければなら に気がつぎ、それを切って入口をくくることにした。 なかった。私は氷斧で凍った雪を大きく砕き、その塊 トだがこれでも完全というわけこよ、 冫。しかなかった。外へをテントの入口の所まで運んで積んで置くのだ。だが レ出るときにはこの紐をほどかなければならず、外からずいぶんたくさん積み上げたつもりでも、不思議に早 ヴ帰ってくると、こんどは紐がどこへ行 0 たかわからず、くなくな 0 てしまうのであった。 また天井からの紐を切るというような具合であった。 こんな仕事をしていると、指が感覚を失いそうなく ~ 53