して、すべてがおそろしく真剣であることを悟らされそれで算術の計算をする問題が出た。この試験では計 8 た。目の検査が実に念入りに行なわれた。視力につい算の速度と答えの正確さの両方が採点されるはずだっ昭 て一定の「単位」をとる必要があった。つまり一定のた。一見したところ、問題は簡単に解けそうに思えた。 距離から、表に記された文字や記号を、大きいのからところが突然ス。ヒーカーから声が流れはじめ、単調な いちばん小さいのまで、全部確実にすらすらと読みあ調子で問題の解答をささやきだしたのである。しかも この声は、私たちの助けになるどころか、考えの集中 げなければならないのである。潜在的な斜視はないか としつこいくらい調べられ、夜間の視力の検査があり、をさまたげることおびただしかった。注意が散ってし 眼底を綿密に診察された。ふだんのように一回だけでまい、「おせつかいな友人」には注意をはらわずに計 はすまず、眼科医のもとへ七回も通わされ、しかもそ算をつづけるよう、たえず自分に言いきかさなければ のたびに万事最初からくり返されるのだった。またしならなかった。これはむつかしい仕事だった。もっと ても文字と記号の表、色盲検査。右の目で見てくださも、こんなことはまだほんの序のロで、本番はまだ先 左の目で見てください、こちらを見て、あちらをに控えていたのである。 医者はたくさんいた。そしてどの医者も、まるで検 見て、といった調子である。要するに、この医師は、 「七度はかって、一度裁て」の原則を文字どおり実行事のようにきびしかった。彼らの宣告には、上告の余 していたのである。もっとも、さんざんあら探しをや地がなかった。宇宙飛行士の候補たちは、この委員会 からすさまじい勢いでふるい落されていった。内科医、 られたが、結局私の目にはなんの支障も見つからなか っこ 0 神経科医、外科医、耳鼻咽喉科医などが、不合格者を 混乱した条件下で仕事をする能力の検査も行なわれつぎつぎとはねていった。私たちはあちこちやたらに た。まず最初に特別の表のなかから数字を探しだして、体を測りまわされ、体全体にわたってモールス記号で
頭を押しつけられることもない。ただ背中をそっと押世界にはいる。わたしは飛んでいる。飛んでいるのだ。 きれる感じがするだけだ。滑走路の白線が頭部車輪の やわらかなイアフォンから聞こえる声は自分のと似 下で最初はのろのろとほどけていく。はじけるようなても似つかない。びたすら自分の仕事に打ちこんだ男 雷鳴が下のほうでねじれ荒れ狂い渦を巻いて、徐々にの声。まだしなければならないことがたくさん残って 滑走路のコンクリートの標識灯がぼやけ、気速の針が いるのに、しゃべっている男の声。親指がマイクロ はねあがって五〇ノットから八〇ノット、さらに一二 フォンのボタンを押し、言葉が管制塔の受信機を通し 〇ノットに達し ( 離陸速度 O x) 、二本のぼやけたて伝えられる。「ウェーザ 1 フィ 1 ルド管制塔へ、空 白い線のあいだに、滑走路の先端に闇のなかで待って軍ジェット 29405 号機、ウェザ 1 フィールド空軍 いるフラッシュ ・パリア 1 が見えてきて、右手袋にに基地および基地周波数をはなれて目的地にむかう。」 ぎられた操縦桿が楽に後へ傾斜し、気速計の針は一六 愛機は南部イングランド上空の不思議に澄んだ大気 〇ノットを記録、前車輪が滑走路のコンクリートからを抜けて楽々と上昇し、怠惰に我慢できない手袋は操 浮きあがるかと思うと、半秒後には主車輪もそれにつ縦席内を動きまわって、手袋にあてがわれた小さな仕 づき、生きて一体となったわたしと飛行機しか存在し事を片づける。高度計の針は一挙に一、五〇〇メ 1 ト なくなって、わたしたちは風ととけあい、暗い空や頭ルのマークをとびこえ、手袋が、エンジン計器群のス 上の星たちに同化して、クラッシュ・ ハリアーは背後ィッチを切ったり、落下タンクに圧力を加えたり、手 ップコ 1 ド でしたいに小さくなりながらぼやけて忘れられてしま動曳索から曳索ハンドルの紐をはずしたり、エア・コ ~ っ 車輪は縫い目のないアルミニウムの肌に縫いこま ンプレッサーを始動させたりする仕事にかかっている とれて姿をかくし、気速は一九〇にあがって、下げ翼のうちに、突然、月が出ていないことに気づく。月が出 2 レヴァ 1 を前に倒し、気速は二二〇、わたしは得意のてくれることをねがっていたのだ。 ェアスビード
い直線の進入のあと着陸パターンにはいる。 の小隊は低空の小隊を越えて、隊長機は目標を捜す。 これは仕事だ。楽しいものではない。比重を計る針飛行機雲高度で飛んでいればそれはやさしい。わた はナイ ( 1 四に跳ねあがっていた。しかし人々が州空したちの四機以外に飛行機が見えればそれはどれも敵 軍のこの壮挙を眺めて喜んでいた瞬間は、飛ぶことは機である。戦時において、飛行機を見つけたとぎは、 やりがいのある仕事だった。ェイブル・レッド隊の隊それは警戒すべき敵戦闘機であるか、爆撃機かにわけ られ、ときにはそれを攻撃する。「ときには」という 長はべつのちょっとした仕事をなしとげていた。 のは、わたしたちの飛行機は高空で敵戦闘機と一戦ま それは数カ月前のことだった。そのころはヨーロッじえて撃墜するようには作られていないからだ。それ はーー 10 4 と、カナダのマーク・シックスと、フラ パにいて、わたしたちの編隊はショウのためではなく 戦争のためだった。見物がいないときの四機編隊はゆンスのミステールの仕事だ。わたしたちのサンダース トリークは地上を移動している敵を攻撃する爆弾やロ ったりして快適、パイロットはその全思考と小さな動 作までショウのための飛行に集中することもなく、たケット、ナ。 ( ーム弾を運ぶために作られた空対地攻撃 だ自分の位置だけを注意していればよい。わたしたち機なのだ。わたしたちは相手が攻撃しやすい目標であ は高空で隊長機の左右偏揺を待ってさらに展開にうつるときだけ敵機を攻撃する。それは輸送機とか速度の り、戦闘隊形にはいる。三番機と四番機はともに隊長遅い爆撃機とかプロペラ戦闘機などである。弱い敵だ ひきよう て 機と二番機の三〇〇メートル上にのぼり、各僚機は自けを襲うというのはフェラではないし、卑怯だが、こ っ を分が護衛している飛行機と同時に周囲の空を眺められちらは特別に戦闘機と戦うために作られた最近の敵機 る位置をとる。戦闘隊形と空中戦の演習においては、 の相手ではないのだ。 夜 しかし、わたしたちは目標上空で敵戦闘機に襲われ 責任は明確に定められる。僚機は隊長機を越え、高空 アイローチ 3 5 3
「もうデザインの話はやめましよう」ホールはいった。のために、別に大洋横断機を製作中だった。 6 「重量と重心位置と、それから強度の計算をしましょ 私は新聞をたたむと立ち上がって、決然としていっ 4 う。それから、さっそく製図を急いで、工場に仕事をた。「食事にしたほうがいいよ。」 はじめてもらいましよう。」 ドナルド・ホールも椅子から立ち上がった。彼は早 製図室のドアのハンドルがガチャガチャ鳴った。鍵朝からここにすわりどおしで仕事をつづけ、椅子を立 を回さなければならなかった。ドンドンたたく音がすったのは、食事をさっさとすませるためと、工場のマ る。ーーマホニイだ。ドアをあけ、彼を入れた。 ハウリー・ボウラスと打ち合わせに二、 「いつまで仕事をしているんだね。新聞を持ってきた。度階下に降りただけだった。 ここに君の見たがる記事が出ているよ。」 地上と大洋合わせて五千八百キロに及ぶ大圏コース に沿っての大飛行を、どうしてやったらいいだろう ? ワナメーカー後援 これまでの 私は今まで海上飛行をやったことがない。 ニューヨーク パリ間飛行 私には、常に私を導いてくれる地上の目標があった。 ードの壮挙に十万ドル 夜間の郵便飛行でも、下方には見慣れた光があった。 私はサン・ディエゴで海軍士官たちに教えを乞うこと それはニューヨーク電だった。ロドマン・ワナメー はできたのだが、しかし、やはり彼らに、私の無経験 ード中佐を暴露することはいささかちゅうちよされた。大多数 カー氏 ( 有名なアメリ ) よ、リチャード・ 力の百貨店主 のために、三発のフォッカー機の製作を後援していた。の人々は、私がまだこんな大それた企てを実現するに 、当局のだれかが私の飛行を中止さ シコルスキー社は、昨年九月離陸のさい、機をめちやは若すぎるといし めちゃにしたフランスの空の勇士ルネ・フォンク大尉すべきだ、といっていたともうわさしていた。このこ
スです。ライト飛行機会社を代表いたしまして : : : 渉でいる「アメリカ号」だ。 外関係をやっているものですが : : : できるかぎりのご だれかがいう。「・ハードは再起の準備ほ・ほ成ったに 援助をするように命令をうけています。」 違いな、。 私は、熟練技術ェで発動機を点検してくれる人がい ・フライスが共同記者会見の準備を進めてるあいだ るかと尋ねた。 に私は格納庫にこっそりはいってみた。整備員たちが 「アメリカ一の優れた技術屋を二人ここに待たせてあ「セント・ルイス号」を押して庫内に人れている。ポエ ります」とプライスが答えた。「ご承知でしようが、 デッカーとマリガンは仕事をはじめる仕度を整えてい ケン・ポエデッカー君、それからこちらがエド・マリるが、事はなかなかはかどらない。 ガン君です。」 「羅針儀のことで明日の朝電話をかけてほしいのだ 操縦席から降りると、カメラマンたちが私をとり巻が」と彼らにいうと、 いた。サン・ディエゴやセント・ルイスではないこと「その必要はありませんよ」とポエデッカーはいって、 だ。連中は互いによい位置をとろうとしてどなり合い、私にパイオニアー器械会社の男を紹介した。その男は 押し合いながら、あらゆる角度から写真をとる。記者私の機に取りつける磁気羅針儀を用意していた。ヴァ 連中が私を取り囲んで、矢つぎ早の質問を浴びせてくキューム・オイル会社の社員が、ガソリン積みこみの る。とうとうディック・プライスがなかに割ってはい注文を受けに進み出てくる。驚いたことには、私がこ る。 れから折衝しようと思っていた会社全部の代表者が、 いまもうここに来て、私に手伝おうとしているのだ。 「さあ、諸君、一つ組織立ってやりましようや。」 腕をつかむ人がいる。ディック・プライスだ。記者 大きな三発のフォッカー機が頭上でうなっている。 みんな見上げる。先月破損してのち、修繕なって飛ん会見のため、新聞記者をいっしょに集めておいたから 2 6
とアメリカ合衆国よりはるかに大きかった。したがっ識もなしに彼らの独占地区内へ侵人したのである。や てすぐ解決を要する問題もこれに見合って大きかった。むをえず万事を短時間に学ぶほかはなかったのだが、 さいわいなことに、飛行機さえあれば何とか真似事程参照できる資料はきわめて素朴なものでしかなかった。 度に仕事のできる現地人。 ( イロットがまだ幾人かいた。海岸地帯についてはだいたい正確な地図があったが、 いったん南米の中心部に侵入してしまうと、その地図 アメリカ国務省では、飛行機は与える、どこへでも望 もはなはだ簡単なものになってほとんど役に立たなか むところに送ってやるといった。すると新しいびかび かのやつをリオデジャネイロにくれといってきたのでつこ。 ある。 ポリビアのラ ・パスから東へむかってコラン・ハへ行 こういうわけでパークと私とがコラン・ハという町にき、そこからさらにリオの近くへ行くまでのあいだ、 休息しているのである。ここは、リオへ西から行くとわれわれは、当局者のよりあいがすくなくとも正直に その無知をさらけ出した空白だらけの模写の地図をた して、すくなくともその途中にあたったのである。 よりに道を探すほかはなかった。北と南はたしかに正 つい昨日私をおそったある気持ちがまだ私につきま とって離れなかった。すばらしい気持ちなのだが、私確だったが、このスケッチと実際の地形とが多少とも いったいあのふしぎな瞬間にはなにか私には永久似ていたのはそれきりだった。山頂の高さがぜんぜん 記入されていない山が多い。ときによると山脈全体の にわかりそうもない大事なことが潜んでいるのだろう か、と考えた。たしかに二つとも冒険だった。一つは位置が違う。河はあいまいな点線で描いてあったが、 それがほんとうの水路どおりのことはめったになかっ 私の自由になったが、もう一つは運命のままだった。 命従来アメリカ国外の長距離飛行は、パン・アメリカ た。わずかに記載されている町は私たちの知識程度に幻 2 ン航空の独占区域だった。われわれはほとんど何の知正確なだけで、ようやく探しだしたときには今度は自
えてしま、 しいかに努力しても、晴間のところへ出るをみつめている。道ばたのよたものに行く手をさえぎ か、全然なにもみえなくなるかしないかぎり、二度とられた男のように悲しげに首をふる。さあ仕事だ。お 立ちかえってはこない。突如としてわれわれは倍率のもしろくない仕事だ。手に負えない不良も危険だが、 大きな顕微鏡下のガラス上の標本のように微小になっ これからの争いは避けようがないのだ。 てしまう。瞬時にしてうぬぼれの消えるこのときの気定期便のパイロットの現実主義的な連中でも、大部 持ちはショッキングだ。よくもこんな微小な生物がそ分の乗務に関するかぎり自分たちが高給にすぎること のかよわい不平や希望で天を乱そうなどと大それたまを率直にみとめていゑこの生活が天国と呼ぶにはい ねができるものだ。今この巨大な力のそばにいるわれささか欠陥があることにきづくには手間がかかるのだ。 われは無にひとしいではないか。 というのは人間すべての職業の例にもれず、この仕事 地表から三千メートル以上というわれわれの高度は、にはほんとうの理想どころかほぼ完全といえるものさ もっとも大きな入道雲の高度の半分にもおよばない。 えないのである。飛行には故障がっきものでしかもそ このたけだけしい集団は堅固な絶壁となって翼の端かれが年に一度はかならずやってくるのだ。パイロット らころがるようにまっすぐ下へ伸び、さいごにうす黒は一年分の全給料をその二分たらずの時間にかせぐと く緑に光る。白濁した牛乳攪拌器につつこんだ大きい いってもいいだろう。事故がおこった時なら、よろこ 手のようなものが、ぶつかりあうようにしていくつもんで他の職業とひきかえに全給料を返すだろうからだ。 暗い底の方へばっと散る。もっと暗い部分ではしきり どうやら、ロスはこの八月の夕暮のために給料をか に光が炸裂し、同時にわれわれのイヤホーンが猛烈にせぐ以上のことをしそうだ。 命ばりばりと鳴る 0 彼は機を急傾斜させると、しばらく、どこまでもっ ロスは大きなため息をつき、疑い深い目でじっと雲 づく雲の絶壁にそって飛ぶ。普通の巡航速度で飛んで
変りばえもせぬ気もきかないやり方のような気がしてるか東北に凸レンズ状の雲が一つみえた。太平洋のこ 私は情なくなる。エンジンが非常に頑丈にできているの辺でみえることは減多にない雲なので私たちは何分 ことは明らかなのだから私はのんびりとこう言ってれかその優雅なスプーンのような形に感心して見いった。 しばらくするとスミスが私の前までやってきてジャイ ばよかった。 ロ・コンパスの上へ縛りつけてあった小さなスリップ 「まあ、あれが翼からとれさえしないうちは : : : 」 檗縦にかわった。すくなくをちぎった。それには六十二度と書いてあったのだー 午後も時間がたって私は手 ー今飛んでいる地域でのコースの覚えである。そのか ともそこに坐っていれば心が落着いた。仕事そのもの は簡単すぎて閉ロするくらいだった。〈イズと一緒にわりにスミスがくつつけた紙片には六十三度と書いて 私はときどき前方を眺めた。それ以外は十分か十五分あった。たちまち、一体スミスは自分を何たと思って おきに手をのばして自動操縦装置の小さな握りを回し、るんだ、いつでも航行術の天才というわけかというよ うな冗談がとび出した。どうしたら一度ばかりのコー 正確なコ 1 スを保つようにするだけが主な仕事だった。 高度は時々客室の乗客が動くにつれて変化するたけで、ス変更が必要なほど正確な位置決定ができるんだ ? 安定輪を四分の一もまわせば修正できた。私はこのと一度以内の誤差で飛んでいるわれわれを何だと思って るにたらない仕事を小指の先でわざわざ細心にやってるんだ、それにコンパス自体が一度以上狂っているか のけた。 もしれないことを知らないのか、などと彼は辛辣にや 気流は穏かで、もう沈みかけている太陽が前方を美つつけられるのだった。するとバクラビックが、飛行 しんちゅう のしい色に染めていた。海の上には大きな真鍮のような 士がくだらない雑誌ばかり読むのも無理はよ、 命楕円がいくつもうかんでいる。時々南の水平線にそっしろ洗濯場の中年女みたいなおしゃべり仲間とせまい 4 て群がっている雲のかたまりも真鍮のようだった。は場所に押しこまれているおかげで、たえず集中力をす しんらっ
しかし不時着などを考えるよりは、もっと重要なこ ほうに二度傾いてしまった。もし磁気羅針儀に、五度 とがある。今日の飛行計画をたてることのほうが本質食いこませて、そしてもし陸が見つからないとしたら 的な問題だ。上空の風は、下よりも強く吹いているだ ろう。私の判断はあくまでも推測だが、それが正しい 前方の波が見えなくなった。霧が海上をおおってき にしろ、まちがっているにしろ、とにかく判断をたて た。私はとっさに高度計を直して上昇にかかる。海面 なければならない。 上三十メートル、しかも烈風の中では盲目飛行どころ 風や、昨夜の羅針儀の動揺や、雷積雲を避けて迂回ではない。航空術のことなど考えておられず、直ちに したことなどをどう考えるべきか ? 眠くてぼんやり「セント・ルイス号ーを三百メートル上昇させる。度 していた数えきれない瞬間に、右や左と針路をはずし数を加えたり引いたりして、一つの答を頭の中で出し たことを、どう計算したらいいだろうか ? ながら、一方でなんらかの関連性を考えるなんて、ぜ ニュ 1 ファウンドランドをあとにしたとき、コンパ いたくすぎる。それに計器盤の針のうごきを見つめな スコ 1 ス北一五度に機首を向けた 。これは私の航がら同時に紙と鉛筆の仕事をするなんて、むちゃな話 空図から百五十キロ南になっているのを償うための五だ。万事は、霧が去ってから計算するとしよう。 なかなか霧がはれない。私は文字どおり空白の中を 罅度と、横滑り風を計算に入れての一〇度だ。 の しかしいまの風をもう五度ばかり計算に入れたほう飛行する。一分一分が重なって十五分になり、それか ががよいだろうか。私はもう一度、波を見た。風の流れら四十五分になる。まだ波が見えない。私は再び計器 あは横風というよりは追い風のほうだ。五度は多すぎる盤の数字を見ながら、自動的に飛んでいるが、何も見 よかもしれない。そのうえ一時間以上、大圏コースを少えない。 いけない ! し南に寄せて羅針儀を直さなかったので、針路が北の いけない、横になって眠るなんて、 Z23
篷命とのたたかい ちだった。 ・ハルコニーを去る前に、私は西に向って長いあいだ 最後の眺めを惜しみ、アンデスの姿をそこにふたたび 描き、その前にひろがるジャングルを思いうかべた。 するとその明けがたの夢は、現実というよりもむしろ 幻想のような雰囲気につつまれるのだった。だがあの 矛ランダ人は実在したのだ。そして二つの冒険も。 戦争が終るとまもなく遂に航空事業の大混乱時代が もう熱い太陽が背中を焼いているのに、身震いが出やってきた。ながい歴史をもっ航空会社は安定した地 た。私はあのオランダ人にもらった丸薬を捨てなけれ位を獲得しようと争い、戦後派の投機的な会社は認可 ばよかったと思うのだった。 を得ようと鷦っていた。ありあまった飛行機の値段は 私はマラリヤにやられながらもそれからさらに二度、やすくなり、比較的容易に民間むきに改装できた。 そこで無数の小航空会社が誕生した。中には何重に リオまでロッキードを運んだ。だがこの仕事はそれで 終った。三度目のリオ行きのとき、サン・ジ = アンのも抵当に入っている機が一機だけで、機長と副操縦士 飛行場で私たちは真珠湾の奇襲を聞いたのである。もだけが重役のすべてという会社さえ珍らしくなかった。 うこんな仕事には用があるまいと私は考えた。 まもなく、経済的条件がこういう同情したくなるくら 事実そのとおりだった。 い勇敢な小会社を駆逐してしまった。 新しい航空会社の多くは無責任で、事実、危険なもの だった。だが特にこのアメリカのような国で、自由な 企業が政府の冷たい手によってじわじわと圧迫されて 四悲劇と脱出 求められる慈悲には限りがある