えところだ こんどのパ 1 カー騒動があったいまは、 のといったら、これがせいぜいさ。白人の陪審がリン なおさらだよ。」 チの暴徒の不利になる証拠なんか見ようともしねえっ てえのこ、、 「やつらは黒人と見れば、まるで大みたいに扱おうつ どんな希望があるんだい ? 」 てんだ。」スターリングが言った、「悪いことは言わね 言うべき言葉がなかった。 え、ゆかない方がいい。」 「おれたちは南部の正義なんかになにも期待できない ということを知った方がいいんだ。やつらはいつだっ 「これも仕事の一部なんだ。」 ておれたちの不利になるようなことを、しようとして 「いいかい」ジョーがしつこく言った。「おれは知っ るんだ」とスタ 1 リングは言った。 てるんだ。まえに一度あそこにいったんだが、抜けだ 黒人社会の外部の人間には、この行為がどんなに痛すのに容易なこっちゃなかった。それでもあのころは、 いまほどひどい状態じゃなかった。」 烈に、黒人の希望を抹殺し、士気を沮喪させているか、 「なるほど、だけどミシシッ。ヒ よ、ま力の廾 . に。 想像することはできないだろう。 そこの黒人たちとはたいへんうまくやっていると言っ わたしは、いまこそ、黒人たちがこれほど恐れてい るその州へ入ってゆくべきときだ、と決意した。 ているーーーっまり、白人と黒人とは互いに理解しあい ジョーが売りものの。ヒ 1 ナツツをもって帰ってきた。好感をもちあっているってね。外部の人たちにはわか 、シシッ。ヒ 1 州へゆくことに決めたらないだけだと言うんだ。そこでだ、そこへでかけて わたしは二人に、 に と話した。 いって、果たしてわかるかわからないか確かめてみよ よ の うというわけなんだ。」 二人はこれをきくと、怒らんばかりに非難した。 し た「いったい、あそこへ いって、なにをしようってん「それがお人好してんだよ。」ジョーが言った。「しか 2 だ ? 」ジョ 1 が反対した。「あそこは黒人にはむかねし、あんたがそんなことをするのを、とても見てるわ
ることを見て、喜ぶだろう、おそらくは少しねたまし 階の八五〇号で七十五ドルの勘定書しかこないのに、 く思うだろうと確信していた。この夜、ケネディ夫人 2 なぜ一晩に百ドルも払わなければならぬのかわからな 、は『ポヴァリー夫人』のあてこすりを口にして、たいへ かった。この八階のつづき部屋は入口が一つしかなく 大統領護衛官の二名と市警の私服警官一名によって警ん愉快がっていた。もっとも、この小説をジョン・ケ 固されていたが、寝室二つ、サロン一つ、浴室三つがネディは一度も読んだことがなかったが。何といって も彼女は、アメリカの関心をちょっと横にそらせるこ あった。 ・フォ 1 ト・ とができたことで気をよくしていた。 ついさきごろ、現代東洋趣味に装飾された部屋で、 錦張りの非常に低いソフアがあり、これが青い絹の壁 ワ 1 スにきた別なアメリカ大統領が案内された部屋に かけのある壁と対照をなしていた。さらに、フォ 1 は、石油会社の株券を壁にはりつけてあったというで 、ぐュ / . し、刀 ト・ワースで貴族に属するものと考えられている・ リー・ジョンソン夫人という名流婦人は、レン・フラン なお「ファースト・レーディ」はこの夜かなり疲れ トからビカソに至る巨匠の署名ある絵画、彫刻、自分ていたので、この臨時の小美術館を嘆賞する気にはな の個人コレクションや地方の名士のコレクションかられなかった。彼女は午後一時三十一分、大統領専用の もってきた陶器、など三十点あまりで飾り立てて、こポ 1 イング機からサン・アントニオ空港に降りて以来、 の部屋を全くの骨董美術店みたいにしてしまった。まこの日はほとんど一日中立ち通しだった。たしかにす た、各室にテキサスの州花たる黄色のバラの大きな花ばらしい一日 ! 大統領夫妻を出迎えに集った群集は、 東がおかれてあった。 市長によれば約一万はいた。ヒューストンでは、その ・リー・ジョンソン夫人は、ジャックリーヌが地数はさらに倍になっていた。ジャックリーヌは「ホテ 方でもホワイト・ハウスにおとらず見事に部屋を飾れル・ライス」での集まりで、スペイン語であいさっし
ダラスの紅いバラ ・「そだが、そのときは少しも注意しなかった。男が包みを 「テキサスの黄色いバラ」を思い出させる。 ら、お前は英雄として、愛をもって迎えられるだろもっていたところで、おどろくことはない。でも、フ レージアはそれを見て、何げなしに質問した。「そ う」と歌の文句はいう。空港では、学生のオーケスト ラがこの民謡を演奏したが、その音楽は出迎えの群集りや何だ、リー ? 」 「カーテンのレールさ」とオズワルドは答え、それ以 の歓呼の声で、少し圧倒されていた。 ジャックリ 1 ヌが紅いバラの花束をうけとったとき、上説明しなかった。 リ . 1 ー・ ーヴェイ・オズワルドは「テキサス教科書倉「あの朝、それについて私たちが口をきいたのはそれ 庫」の六階で、持参してきたチキン・サンドを食べてだけでした」とのちにフレージアは語る。「なるほど ォズワルドはロ数が少なく、子供の話以外にはほとん いた。サンドイッチは粗末な茶色の紙に包んであり、 どしゃべりませんでした。それから彼はニコニコし、 その紙の中には細長い荷物もあった。この日、オズワ ルドは午前六時半ごろ起床し、自分でいれた・フラッ子供についていろいろ逸話を話し、写真を見せてくれ ク・コーヒーを飲み、まだ眠っている妻子にさよならました。」 ・フレージアのガレージ さらにフレージアはつけ加える。「職場には八時ご も言わずに、同僚ウェズレー の家の方に歩いて行った。生れたばかりの赤ん坊の世ろ着きました。ォズワルドは早口にさよならといって、 話で夜中に二回おきた妻のマリーナは、疲れているの遠ざかりました。それ以後は二度と会いません。」 で、少し朝寝ができればよいと思っていた。 「テキサス教科書倉庫」にはエレベ 1 ターが二台ある。 フレージアの妹ウィリアム・ランダル夫人は、七時玄関の右手にある自動式なのは、主として従業員が使 十分ごろ、オズワルドが少なくとも長さ一メートルのう。もう一つの、中庭からでも、ビルの地階を横ぎつ 茶色の包みをもってあらわれたとき、窓のそばにいた。てでも行ける裏側のエレベーターは、荷物運搬用で、 3 9
を掃射するのに二時間かかったが、連中は一発も撃たごろから前夜と同じ砲声がきこえた。 0 なかった。」 ところが司令官はこんどは午前八時ごろやっと立ち 現われ、うんざりした顔で「また何もなかったよ。い 「ではあの大砲撃は一体なんです」と私はきいた。 「ああ、いつものことさ。前哨基地の一つが攻撃されままで反撃してこないところをみると、全然くる気が たことがわかると、他の基地がそこら中を砲撃するのないのだな」といった。 さ。ねらい定めぬ盲撃ちだが、撃ち続ければ自分の前 タンドンの前哨基地は全減し、守備隊はまたも一発 哨基地はその夜だけは攻撃されずにすむと思っているも撃たずに逃げたのだった。そこで司令官はまったく のさ。」 タイニンからたった二キロ半 不敵な作戦を決めたーー 増援部隊もつぎの日、われわれは増援部隊の反撃のタンチ = ンを白昼攻撃するというのである。「敵は 現われずを待ったが何事もなかった。日中に相 こんどこそタイニンから増援部隊を送らなくてはなら 当の規模の戦闘を行ない、夜になってから撤退するとん」と彼はいった。ところが信じられないような話だ いうのがわれわれの最初の予想だった。しかし二、三が、タンチュン守備隊は解放軍部隊の尖兵の影を一目 の偵察機がぎたほかは静かだった。司令官は踏みとど見たとたん、部署を放棄してタイニンへ逃げ込んでし まってつぎの夜もう一度攻撃をかけることに決めた。 まった。またも一発の弾丸も撃たれなかった。三回の 日没後、われわれは再び前進し、タイニンの南へ向か攻撃を通じ、夜間こうむった砲撃も含め、大隊は一人 った。私はバムコドン川の堤の壕に残された。こんどの損害も出さなかった。衛生兵が手当しなければなら の目標はタイニン市の西南四キロのタンドンだった。 なかった損害といえば、実のところ私だけだった。私 「敵は下流に武装舟艇を何隻かもっているから、こんはサソリにかまれたのである。 どはきっと向かってくる」と司令官はいった。真夜中
「きみは教会の伴僧だったんだろう ? 」とわたしは言 ら知ってるだろ、おじさん。」 っこ 0 かれは帽子をうしろへはねあげて、一心に思いをこ 「そうだったんだ、ーかれは顔をあげずに言った。「牧 らし、両手をこわばらせ、掌をうえにむけて、なにか 嘆願するような恰好をすると、実にきれいなラテン語師になりたか 0 たよ。」表情の豊かな顔が、感情をの で『大いなる秘蹟をば伏し拝みたてまつらむ』を静かこらず表わしていた。後悔で眼が曇 0 ていた。 通路のむこう側に坐っている男が、にやにやしなが に詠唱しはじめた。この有名な聖句のグレゴリー聖歌 を詠唱しているあいだ、わたしはあ 0 けにとられてから言「た、「そいつの言うことは信じない方がいい・せ。」 クリストーフの美しい顔つきが、たちまち憎悪に凍 れを見つめていた。 かれはやさしくわたしを見たが、おだやかなその顔りついた。 「おれにむかって口をきくなと言ったろ ! 」 は、いまにも涙が溢れそうだった。「知ってるだろう、 男の兄が仲に入った。「こいつ、ちょっと忘れたん おじさん ? 」 だ。」それから貧相な身なりをした男にむかって、「や 「知ってるよーとわたしは言った。 かれは大きな十字を切って頭を垂れると、ふたたびつになにも言うな。あいつはおまえに我慢できないん 完璧なラテン語で『告解』を朗誦した。終ると、深くだ。」 内省するように、そのままじっとしていた。路上を走「おれはほかの人に話しかけたんだ、あの黒眼鏡の人 るパスの轍の音のほかには、周囲にはもの音一つしなに」と男は言った。 「黙れ ! 」クリストーフが叫んだ。「きさま、おれの かった。だれも喋るものはなかった。わたしたちのい ことを言ってやがった , ーーそんなことしやがったら承 ちばん近くでこの異常な光景を目撃していた人たちは、 知しねえ。」 たしかにちぐはぐな感じを抱いていた。 5 2
が、同時に歪曲され曲解されている。 カナ ( 一以二五ー一九六四。ア 家 ) を訪ねてみないかとわたしを 誘ってくれたが、わたしには二、三時間しか時間がな いから、修道院の人たちとその時間を過さなければな かれはさらに、叡智を衰えさせるこの種の宗教は、 らないように思うと言った。 たとえそれがキリスト教的だと言おうとも、本当は無 かれが去っていった。個室は寒かった。そとでは神論同様、反キリスト教的なのだと言っている。 ジョージアの田園が眠っていた。明日の日を始めるた このフランスの哲学者が、わが国南部諸州の人種主 めに二時に起きようと思っていたから、もうこのまま義者の特徴をかくも完全に記述しているのに、わたし 眠らないことにした。スチームの暖房器に触わってみは思わずはっとした。さらにわたしは、かれがいたる た。わずかの暖かさも残ってなかった。マリタンの本ところでいつも人種主義者のことを書いているのに気 が寝床のうえにのっていた。べッドに入って、僧がしづいたーーーすなわちこのことは、自分たちの心をよじ おりを挾んでおいてくれたページを開いた。 曲げて、人種的偏見をもっことが一つの徳であると考 人種主義者の信仰心に言及して、マリタンはこう述える人たちの宗教的特性だと言うのだーー白人市民会 ガウラ べている。 議だろうと、クランのメンバーだろうと、ナチの下級 行政官だろうと、南アフリカの白人至上主義者だろう 神は呼びだされる : : : そして神は、知と愛を司ど と、あるいは、「こいつらイタリア人 ( それともスペイ る霊魂の神に対抗して、呼びだされるーーこの神をン人、イギリス人、デンマ 1 ・ク人、等々 ) くらい悪い とり除き憎悪せんがために。これはなんと不思議なやつはない」と言っているだれかの叔母さん風情だろ うと、同じことである。 霊的現象ではあるまいか。人々は神を信じはする、 だが神を知らない。神という観念は確認されている 眠りについたが、また例のみなれた悪夢にうなされ 344
然気づいていなかった。かれの別れの会釈にも、わたあいだは、自分のまわりに息つくところがある、たと 8 したちは仕方なく会釈を返すだけだった。 えそれが棺桶ほどの広さしかないにしろだ。中世には、 サンクチュアリー わたしはいちばんあとにバスを降りた。くたびれた人々は教会に避難所を求めた。現代では、五セント白 告い作業衣を着た、初老の禿げ頭の体格のいい白人が銅一枚で、わたしは黒人用便所のなかに避難所を見つ サンクチュアリー じっとわたしを見つめていた。それからいやらしいもけられた。当時の聖域は、壁にしみこんだ香料の匂 のでも見るように、わたしに顔をしかめると「ちえ いがしていた。いまの聖域には消毒剤の匂いがしてい っ ! 」と吐きだすように言った。その小さな青い眼はる。 反感でぎらぎらしていた。それは、わたしの肌に対し おかしな皮肉に思いあたった。わたしは祖先の土地 ていわれのない侮蔑を露骨にあらわした眠っきだった ジョ 1 ジアに帰ってきた。グリフィンという町は祖先 ので、わたしは救われない気持でいつばいになった。 の一人にあやかってつけられた名前だ。わたしもまた こんなことはほんの些細なことだ、だがほかにもあ一人の黒人として、黒人みんなに嫌われているこの名 るこんな小さいことが積み重なって、それがわたしのをもっている、というのは、グリフィン前知事 ( 親戚 なかのなにかを毀すのだ。ふと、もうたくさんだと思とは思いたくないが ) が、黒人たちを「つけあがらせ ない」でおく仕事に、華々しく献身したからだ。その った。ふと、もうこんな蔑視には耐えられないと思っ たーーーわたしばかりじゃない、わたしと同じように色かれの努力に一半は感謝して、このジョン・グリフィ の黒い人はみんなそうだ。わたしは急になきをかえてンはこの土地に凱旋してきたのだが、かれの同胞たち 立去っていった。大きなバス停は人で溢れていた。男は、バス停の便所のなかに聖域を求めて、すでにこの 土地からとびたっていたのだった。 子用の便所へゆき、その一つに入って鍵をかけた。い いっときの っときにしろ、安全だし一人でいられる、 クレンジング・クリームを取りだして、手と顔にこ
りだした。一日じゅう飲まず食わずでいたことに気が 「ここの状態を言っておこう。わしらはおまえたち黒 人を相手に仕事をする。おまえたちの女どもをたつぶついた。寒さが急にわたしをとり囲んだ。立ちあがっ り利用してやるからな。その他のことは、わしらの方て、暗くなった ( イウェイを歩きだした。凍えるより から言えば、おまえたちは闇から闇へ葬られちゃうだは歩いている方がましだった。腕にさげたズックの袋 けさ。だからこのことを早いとこ頭にたたきこんでおが重くなり、どうやら食べるか休むかしないことには、 これ以上歩けそうもなかった。 いた方が身のためだそ。」 アラバマ・ハイウェイが、こんなに車の通らないと 「はあ : : : 」わたしはそとにでて、ドアを閉めた。か れはこまかい砂利を敷きつめた脇道をあとにして、車ころとは驚いた。車は一台も通らなかった。道路わき を走らせていった。遠くトラックの音がきこえなくなの砂利を踏むわたしの足音が、壁のように林立した樹 るまで、わたしはその音を追った。沼の腐ったような木から、うつろなこだまを返した。 匂いのする、夕方の重苦しい空気が、かえって快く匂しばらくすると、葉の茂みのあいだに、灯りが見え った。わたしは ( イウェイを横切って、ズックの袋にてきた。 ( イウェイのカーヴに沿って足を早めてゆく 腰をおろし、次の車を待った。一台もこなかった。森と、やがてそれが、丘のうえににつんと一軒立ってい にはもの音一つしなかった。夕暮れが夜に変ろうとする給油所から洩れてくる光だとわかった。その真向い る静寂のなかで、一人・ほっちで孤立していると、へんにきたとき、わたしは ( イウェイを狭んで、しばらく に に身の安全を感じるのだった。まだ青さを残している立って様子をみた。店のなかには年取った白人夫婦が の夕暮れの空に、一番星が現われ、大地の暑さが空の方腰かけていて、そのまわりには、野菜の棚や、食糧の し 自動販売器、ソフト・ドリンクや煙草の自動販売器が 7 へと逃げていった。 ならんていた。二人は親切でやさしそうに見えたので、 のどはからからに渇き、腹の虫が食べものをほしが
米のごった煮だということがわかった。ジョ 1 はまえ べた。おかしなゲームだった。歩道で食事するまでに の晩、これを家で料理しておいて、ミルクの空箱に入落ちぶれたわたしたちも、この男のみじめな境遇のお れてもってきていたのだ。熱が通ると、ジョ 1 はうえかげで、にわかに優越的な立場におかれた。わたした の方を切り落したミルクの空箱に盛りつけて、スタ 1 ちは貴族であり、この男は乞食だ。わたしたちはいい リングとわたしにくれた。ジョーはフライバンからじ気持だった。やつよりは格段とうえにいるというわけ かに食べた。腐ったような匂いがしたが、うまかった。で、この喜劇はわたしたちに幻の自尊心をあたえてく ジョ 1 がわたしの方に身をのりだして、スプーンで、れた。そのうち、金持ちのような太っ腹になって、こ 通りのむこうにいる一人の男をさし示した。「あの酔の活人画のしめくくりをつけてやろう。食べ残しをあ つばらいを見ててごらん」とかれは言った。「あそこの貧乏人に施してやるのだ。 に坐りこんじゃうからなーーあいつはこの食べものが飯は十分にあった。腹いつばいになると、わたした ちの空箱に残った残飯を、ジョ 1 の皿にかきあつめた。 欲しいんだ、だけどこっちで呼ばなきや、来やしない のさ。」 ジョーがスプーンの背で、気ながに食べものをなら むこう側の通りのふち石に腰かけて、その男はじっしていると、男はいまかいまかと体をふるわせた。や とわたしたちを見ていた。声をかけられたら、いつでがてジョ 1 は、その浮浪者の方を見もしないで、フラ イバンをつきだした。へんにやさしい作り声をだして も食べものにとびつけるように緊張していた。真黒い 顔に、眼をぎらぎらさせ、拳をしつかり握りしめ、と言った、「よーし、犬っころめ、飯をとりにこ、 のびだしてきて食べものをひつつかみたいのをじっとこ 男が通りからとびだしてきて、フライバンをひつつ たらえているようだった。 かんだ。 男が見つめているなかで、わたしたちはゆっくり食「車でもきたら、轢き殺されちまうところだ。」スタ 231
ダラスの紅いバラ この旅行中どこでも、彼はほぼ同じス。ヒーチをしてきケネディ夫妻は飛行機に乗りこむ前に、何百人の人々 たが、彼が訪れた場所と地元の名士を喜ばさせるよう と握手した。機は午前十一時二十四分離陸、ケネディ な、つけ足しをする点だけがちがっていた。スビ 1 チは前方の席を占めた。テ 1 ・フル一つ、安楽椅子数脚、 は一部はあらかじめ起草されたもの、一部は即席のも ソフア・べッド二つ、それに食堂をそなえたコンパー , 「メント 0 のだった。しかし、フォート・ワ 1 スのそれは歴史に 残るであろう 0 ジョン・フィッツジェラルド・ケネ フォート・ワースからダラスまでは、砂漠を横ぎつ ディが公式の席上で発言した最後の言葉になったからて自動車道路でわずか三十キロの距離である。だが、 である。彼はまたもやアメリカのカ、フォート・ワー この二つの都市の間には鋭い対立抗争があり、お互い スで建造される飛行機について語った。その型の飛行 に無視し合っている。大統領としては、直接にワシン 機「リべレーター」で、彼の兄ジョゼフは第二次大戦 トンからきた、少なくとも遠いところからきたように 中戦死したのであった。ついで、急にわき起ったイン見せかけるため、飛行機でダラスに行くのが賢明なや スビレーションにうながされたのか、「われわれが生り方であった。飛行機での旅行はとりわけ、ほんのわ きている非常に危険で、かくも不安な世界 : ・ : ・」につずかながら彼に息ぬきの時間を与える。記者団はこの いて語った。この句が終らぬうちに、彼は会場を出た。機会を利用して、 。ハーが閉鎖されているフォート・ワ 歓衆は考えにふけり黙々として、大統領の退席には拍 1 スのあとでは何よりのカクテルをいつばいやり、ノ 手しなかった。 ートを読み返すのだった。 ジョンソン副大統領は自分の専用機をもっていた。 大統領の行列は、歓呼の声のトンネルをくぐ 0 て、規則からすると、大統領と副大統領は絶対に同じ飛行 ゆっくりとカースウエル空港の方にすすんで行った。機で旅行してはいけない。万一にも事故があった場合 8