アラビア - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集7
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1. 現代世界ノンフィクション全集7

こんでから、トマスが敢行した旅のことを思いめぐら しながらライフルのポルトをはずした。ペドウインは した。彼はこの砂漠を横断して、アラビア探検におけ ライフルを分解するのが好きなのだ。彼がわたしに、 わたしからもらうお金でライフルを一梃買うつもりる最後で最大の成果をおさめたのだ。ダウティ 行家。一八四三ー一九一一六。一八七六年から三年間にわたってアラビア だというので、わたしは彼をからかって、ハドラマウト 砂漠地帯を探検し、エリザベス朝文学の雄渾華麗な文体をかたどった旅 にわたしと同行したときわたしが貸してやったライフ行記『アラビア・デ ) その他の有名なアラビア探検家がこ 【一物 7 靆「望第一ルに目をつけたの成果を夢みながら、その夢の実現はトマスとフィル 。をんだな、といっ ビイ ( セイ 0 ン生まれの英人、アラビア探検家・ ) を俟たねばな た。それから彼らなかったのである。この二人の名は、ちょうどアム ナ ( 一 ( ビはトマス ( 彼のンゼンとスコットが南極と結びつけられているように、 ルプアルハ ーリー砂漠の横断と結びつけられて共に永 、」一 - ) 部族といっしょ ただったことのあ遠に記憶されるであろう。ベルトラム・トマスは、こ 乗ゑわたし以外の砂漠がかって想像されたように通行不能ではないこ こ ーリー砂漠を横 とを実証した。彼の目的はルプアルハ の唯一のイギリ , のス人 ) に会った断することであり、当然彼は、砂丘が小さくラーシド ことがあるかと族のガイドが知っている泉の多い最も楽なルートを通 レ って横断した。今日では、旅行者は前途にあるものを ラたずねた。わた しは会ったと答知っているので、このルートは決して困難ではない。 え、あとで彼がしかしトマスがとったル 1 トが楽なものだったからと いって彼の成果を過小評価することは、高峰への初登 いいヾ、、、、話をやめて眠り

2. 現代世界ノンフィクション全集7

プス人種的形質のものもあるなどといわれているが、よくはわからない。言語的には中国語との親縁関係が考え られ、ビルマ語とはかなり近いといわれているが、ここでもまた材料の不足と調査、研究の不充分のため、断定 はできない状態にある。 アラビア半島は全く典型的な乾燥地帯であるが、いわゆる内陸ではなく三方を海に囲まれている。半島の北半 と沿岸地帯の一部を除いてはひどい乾燥地帯で、年中流れている河もなければ、水源になるような高い山脈もな い。この地域で降雨があるといえるのは、紅海の沿岸の南部と半島東南岸のオーマン湾に面した地帯にすぎな く、それも三ー五〇〇ミリぐらいである。アラビアにおける農耕はほとんど全く灌漑に依存するオアシス農耕で こうしんりよう ある。ここではムギの栽培以外に香辛料、ナツメ、イチジク、ザクロ、ブドウなどの果樹やタマネギ、キュウリ など野菜の栽培が行なわれている。オアシス以外は広大な砂漠と草原で遊牧地帯である。 アラブ人はセム人種に属する。いわゆる古代東方において大活躍を演じたバビロン、アッシリア、フェニキ ア、ヘ・フライなどはみなセム系に属し、アラブと同系だといわれている。 アラビア半島、とくにその南部の先史時代については調査研究がまだ進んでいないので、よくはわからない。 しかしこの地方は前二〇〇〇年代にすでにエジ。フト人と接触があり、そのごもギリシア、ローマ人はこの地方に ついてはかなりの知識をもっていた。その理由は紅海に面する半島南部は香辛料の産地であるとともに古代東方 ようしよう 文化圏とインド洋とを結ぶ東西海上交通の要衝にあたっていたからである。アラビアでは古くからラクダが飼養 されていたらしいが、まえに述べたような生活形態としての遊牧は、おそらく東方からヒッジやウマをともなっ て伝播してきたものと考えられる。 半島西岸地帯はこのように早くから開けたので、メッカやメディナのような大オアシス都市は商工業の中心と 474

3. 現代世界ノンフィクション全集7

明世界と同じような生活が営めるようになった今日、かって ぐさま彼はひとりの探検家として、まず、本書に記されていの るアラビア砂漠の踏破をはじめ、ティグリス、ユーフラテス ・リヴィングストンやヘディンの探検記が・ほくたちに喚起した ・古典的な探検家の肖像を求めることはほとんど絶望的である。両河の接合点であるイラクの湖沼地帯、ヒンドウ・クーシュ、 カラコルム、モロッコ、エチオ。ヒア、ケニヤ、タンガニカな セシガーの『アラビア砂漠』はこうした奇蹟を見事に・ほく どに探検を試み、年来の宿願を着々実現した。 のまえに実現してくれたのである。つまり、文明の洗礼をほ 『アラビア砂漠』につづいて一九六四年に刊行された『沼地 とんど浴びたことのない、文字どおり未開のアラビア半島の 奥地の砂漠を彼は踏破したわけで、それはそれとして探検史のアラビア人』はイラクの湖沼地帯で原住民といっしょに生 活した数年間の記録をつづったもので、前著におとらぬすぐ 上画期的な偉業であるが、さらに注目すべきは、このさい 彼はありとあらゆる困難に直面し、かっ生命の危険におびやれた出米栄えである。 最後になったが、セシガーは実に立派な英語を書く。簡潔 かされながら、現代文明の利器をほとんど用いず、あくまで で、しかも達意の古典的な剛毅な文体というべきで、 ・彼個人の肉体的、精神的資質をフルに発揮することによって、 ン、ダウティ、 e ・・ロレンスの文学伝統を恥ずかしめぬ きまざまな困難や危険をのりこえていったことである。 彼はまさに生まれながらの探検家とよぶにふさわしい人物ものである。 で、あの十九世紀の大探検家たちの精神的血脈をいささかも 原書はプロローグと十七の章から成る大部のものであるが、 薄めることなくそのままうけついでいるといっていいだろう。 ( 篠田一士 ) ここには六章分を訳出した。 外交官を父としてエチオビアのアディス・ア・ヘバに生まれ、 ィートン、オックスフォードで教育をうけたあと、一九三五 しのだはじめ 篠田一士 年に当時エジ。フトと共同でイギリスが管理していたスーダン 一九二七年、岐阜市に生まれる。一九五一年、東京大学 に官吏として勤務したが、やみがたい生来の探検心のために 何度か職を辞そうとする。まもなく第一一次大戦が勃発し、ス 文学部英文科卒業。文芸評論家。現在、都立大学人文学 ーダン防衛の任に当らざるをえなくなり、戦中は探検への欲 部助教授。著書『邯鄲にて』、『現代イギリス文学』、『伝 統と文学』、訳『白ナイル』ほか。 、望はやむなくおさえられることとなった。戦後になると、す

4. 現代世界ノンフィクション全集7

アジア大陸の東北部から西南部にかけて大乾燥地帯が対角線状に延びている。ここで乾燥地帯というのは年間 降水量がだいたい五〇〇ミリ以下の土地のこととしておく。この乾燥地帯は満州西部、モンゴリア、華北から中 央アジア、チベットを経て中近東にいたり、アラビアに達している。そしてアラビアからさらにその西方の北ア こうりよう フリカ乾燥地帯に連続する。このアジア乾燥地帯には世界でもっとも荒家たる砂漠が含まれているとともに、世 界最高の山脈を擁している。 この地帯には水がすくないから、植物もすくないし、動物も多くはない。したがって人口も稀薄である。しか し人間ほど環境に対する適応性の強い生物はない。それは、人間は環境を改造していけるからである。だからこ の荒寥たるアジアの大乾燥地帯にも 、いたるところに人間が住んでいる。三〇〇〇メートルを越す高山とか、降 チ水量ゼロに近い砂漠のまっただなかとかは無理としても、たいていのところには人間が住んでいる。谷底の高度 ジが二〇〇〇メートル以上もあろうと思われるような山あいの斜面に洞窟や石を積んだ家屋を建て、耕作し、ヤギ しゅうらく 央を飼って生活している聚落もある。砂漠のまんなかに地下水渠を引いて小さいオアシスをこしらえて住んでいる 農民もいる。こんな人たちの生活に接するたびに、わたくしは一体なんでこんな土地に住みつかなければならな 中央アジア・チベット・アラビア アジアの乾燥地帯 岩村忍

5. 現代世界ノンフィクション全集7

五砂漠の冒険 解題 中央アジア・チベッ ト・アラビア岩村忍 467 463 436

6. 現代世界ノンフィクション全集7

Wilfred Thesiger ARABIAN SANDS 01959 by Wilfred Thesiger Japanese translat ion ri ghts arranged through Charles E. Tuttle Co. , T0kyo 中扉カット アラビア砂漠の駱駝

7. 現代世界ノンフィクション全集7

して非常に古くから成立していたものと思われる。これらの都市の市民は同じアラブでもアラブ農民や遊牧民と ちがって、早くから都市文化を発達させたが、しかしアラブ人の特性である強度の部族制度、個人主義、宗教性 は失わなかった。強烈、峻厳でありながら世界宗教として多くの異民族を結合することができたイスラム教が、 このような都市に発生したことは不思議ではない。 現在アラブ人といわれているのは、じつは一つではなく、二つに分けられる。一つはアラビア半島のアラ・フ人 ぼっこう で、もう一つは同じようにアラブ語は話しているが、イスラム教の勃興、サラセン帝国による大征服の結果とし て西アジアや北アフリカのいろいろな民族と混血した民族である。そこでこのアラビア半島以外のいわゆるアラ ・フ人 ( エジプト、シリア、イラクなど ) は一応別にして、半島のアラブ人でもその大半は遊牧民ではなく、町や オアシスの住民である。しかしアラブ遊牧民は人口こそ市民や農民にくらべてすくないが、アラ・フ社会における 遊牧的影響はきわめて強い。 アラブ遊牧民の社会組織は、アジアの他の遊牧社会と同様に部族的、血縁的であり、大きな部族でも共同の祖 ア ビ先という擬倒のもとにすべて構成されている。さらにかれらには個人主義的傾向が強く、したがって政治機構の ア結合力は弱く、 部族の連合体のようなものも非常にルーズな組織にすぎない。アラブ社会をつねに動かしてきた ツものは組織ではなく、むしろ強烈な個性をもっ指導者であるといってよい。 チ ア ジ ア 央 中 475

8. 現代世界ノンフィクション全集7

アプー・ダビ 1946 ー 47 年の探検 50 150km IOO ・・ソールト・フラット : ? 0 を・ " 第叫ン量い ′彳プリー 第 / ごル・ノヾラク、ら ノ V ヾび、 、」こナ 0 ' ヾノ、 ルプアルハ ーリー砂漠、 、ウル・ビン , アタリット ビル・ハル u 心 - ーーグシン ジャッダット・アル・ ハラシース ア、ス , 、サ ・、ウル・ウイルー v みンリグ各 ンイラク イラン サウジ アラビア インド洋一一 327

9. 現代世界ノンフィクション全集7

ムールはたいへん親切にしてくれて、次の旅の準備に あらゆる援助をおしまなかった。彼は、英国空軍に課 されていた制限をわたしには適用しないし、サラーラ 1 に滞在中はどこへ行って誰と話してもよいと約東し てくれた。このために、準備をするのにどんなに楽だ ったかしれない。 ラーシド族とともにムカラーへと旅を続 けて、アラビア南部の踏査をしめくくる。 今回は、東部アデン保護領のムカラーに旅し、北の 砂漠に向かって流れるワディと南の海へ注ぐワディと サラーラ】で過ごした日々は楽しかった。いままでの分水界にそって、この地域の地図を作成する計画を 苦労してアラビア語ばかり話していたのが、いまは英立てた。この地域の地図と、前年、ハドラマウトに旅 語を話し、あつい湯につかり、ちゃんと料理された食をしたとき作成した地図とを合わせると、ダウファル 事をして、さらには、くつろいで、足を投げだして椅西部の未知の地域の概略が明確になる。 子にすわり、いままでのように膝を折って窮屈に地面わたしは、ビン・カルトと相談して、彼とラーシド にすわる必要もない。この変化は快いものであった。族の一隊がわたしとムカラ 1 に行くことを取り決めた。 しかし、こうしていても、やがては砂漠にもどってゆわたしの方からは前年と同様に十五人分の手当てを支 くのであり、現在の状態は息抜きで、わたしの旅の終払うが、実際に何人わたしと同行するかは彼らラーシ 着点ではないことがわかっていたればこそ、この楽しド族たちの間で決めることに意見は一致した。二カ月 みも大いに増したというわけである。 前にダハム族の大軍がラーシド族とマナヒル族を襲い 初対面のサルタン、サイイド・サイド・ビン・ティ多数の駱駝を掠奪したので、わたしの仲間たちは、わ 四サラーラーからムカラーへ れ 2

10. 現代世界ノンフィクション全集7

が神の思召しなら、彼は死ぬであろう。それに、彼は っていた。頑丈な、角ばった、風雨にさらされた顔を 自分たちとは無関係な部族出の見知らぬ男だ、というしていて、銀の輪を右の鼻腔につけていた。彼女は三 のであろう。彼も同じ人間だからといって、関心を抱人の小さな子持ちにしては、ずい分と年をとっている く者は誰もいなかった。彼の死は彼らに何らの影響もと思った。彼女は少ししわがれ声で、ガイダット・ア 与えないのだ。それでもなお、たとえ歓迎されざる客ル・マ ( ラの海岸に一荷のいわしを取りに行くところ であれ、自分たちとともにいる間は、攻撃を受ければ、 だと話した。ビン・ガ・ハイシャがアイベクスを射った おきて 彼を守って戦うべしという、彼らの掟はあったのであので、昼食に肉スー。フをこしらえた。子供たちもいっ しょに食べたが、ヌラだけは一人別に一皿を与えられ わたしたちはハくルットこ 冫いた間、ひっきりなしに た。アラビア人は女といっしょに食事をしないのだ。 訪問をうけた。一人の女がわたしたちのところにやっしかし、後では彼女ももどり、一座から少し後ろにす わり、コーヒーとお茶をもらい、わたしたちといっ 彼女は昨年わたしが会ったヌラであった。 て来たが、 / 彼女の三人の子供もいた。一番上の九歳ぐらいの子だしょに飲んだ。 アラビアの女は家にとじこもっている、とイギリス けが着物らしいものをまとっていた。彼女の話では、 彼らは六キロ離れたところに野営しているが、わたし人たちは一般に信じているが、それは、町に住む女の がここにいると聞いて、子供たちがどうしても会いに多くには当てはまるのであるが、部族民たちの間では の来たがったというのである。わたしは子供たちに、なそうではない。木の下で、あるいは、一方が常時開い ン つめやしの実と砂糖を食べるようにいった。そして、 ているテントの中で生活するときに自分の妻をとじこ ウ わたしはヌラと話をした。彼女はヴェ 1 ルをしていず、めておくことなどできないばかりか、水や薪を運んだ幻 この地方のたいていの女と同じく、濃紺の着物をまと り、ヤギの番をしたりの仕事を妻にやらせたりもする。