二時間 - みる会図書館


検索対象: 現代世界ノンフィクション全集7
471件見つかりました。

1. 現代世界ノンフィクション全集7

めやしの実を食べ、数滴のコーヒーを飲み、太陽が昇 かが、いつなんどき彼らを襲って貧窮におとしいれ、 ると、また出発した。 あるいは、その生命までも奪ってしまうかわからない ときに、彼らにとって、明日の備えをするのは不可能その日も寒く、灰色に曇った日だったが、風はなか なのである。彼らはカの及ぶ限りをつくす。また、彼った。最初の一、二時間は徒歩で行き、やがて、駱駝 らほどに自己を頼む民族もいない。しかし、事がまずに乗りたくなると、駱駝の首を下げて、それに足をか くいった場合、彼らは、自分の運命を、神の意志としける。すると、身体が持ち上がり、鞍のいちばん近い て、いっさいの痛恨を見せずに悠然として受け入れるところにとどく。ム ( ンマッドがたいてい一番最初に 乗り、わたしが最後であった。長時間歩けば、それだ のである。 わたしたちは、小石の平原を渡「ていった。この平け乗る時間が少なくてすむ。他の連中はまたが 0 たり、 原はいつの間にかウル 1 ク・アル・ザザの砂漠の中へ鞍に膝を折ってすわったりして、姿勢を変えていたが、 と消えていく。昼ごろには北東の風が吹き寄せて、身わたしはまたがる乗り方しかできないので、時間がた を切られるように寒かったが、この風はわれわれの足っと、徐々に、鞍の端が腿に食いこんでくるのである。 跡をかき消し、追跡から守ってくれるので、ありがた次の二日間は、堅く平坦な、とび色にくすんだ砂の かった。牧草地を見つけようと、むなしい希望を抱き上を渡っていったが、相変らず牧草地は見えず、夕方 ながら、夜まで行進を続け、夜には、手さぐりで、薪まで止まることなく行進を続けた。二日目に、ちょう のを拾い集めた。ここでは、暗くなってから火をたくこど荷物を解き終ったとき、オスのオリックスがわたし バとは危険であるが、あまりにも寒く空腹で、用心もしたちの方に向かって真直に歩いてくるのを見た。オリ ックスの方からは、ちょうどわたしたちが逆光になっ 3 ドていられなかった。小さな窪みを見つけ、火を起こし、 ほっとして火のまわりにすわった。夜明けには、なっているので、仲間と間違えたのであろう。アラビアの

2. 現代世界ノンフィクション全集7

思えたのだが、金がわずかしかないことだった。私物 らう必要があるので、ヒンドウスタニ 1 、チベット語、 6 日本語の初歩を勉強した。次に図書室にあった中央アで必要でないものは売ったが、これで集まったわずか さかだい ジアに関する本を読みあさった。とくに、わたしが予の金では、チベットでの生活が必要とする賄賂や酒代 には十分ではなかった。しかしわたしはこれに打ちく 定しているコースについては熟読した。わたしはノー トをとり、地図をコビ 1 した。デラ・ダンの収容所にじけないで、組織的に準備をすすめた。脱走するつも 収容されているべータ 1 ・アウフシ = ナイターは、アりのない仲間たちからは援助がもたらされた。 わたしは最初一人で脱走を試みるつもりだった。一 ジア遠征に関するたくさんの本と地図を持っていた。 彼もまた熱心にそれによって研究し、ノ 1 トやスケツ人なら、行動は自由で、与えられたチャンスを最大限 に利用できるからだ。ところがある日のこと、仲間の チをわたしに見せてくれた。略図はすべて二枚のコ。ヒ ロルフ・マゲナーのいうことには、わたしと同じ計画 1 をとった。一枚は脱走の際に使用し、残りの一枚は 予備として、最初のものがみつかってしまったときか、を立てているイタリア軍の将軍がいるという。彼の名 なくした時に使えるようにした。脱走に成功するためは前にも聞いたことがあったので、ある闇夜、マゲナ 1 とわたしは四十名のイタリア将官が収容されている の第二の条件は、わたしの脱走のコ 1 スを考えて、自 分の体力をベスト・コンディションに保っておくこと近くの建物にもぐりこんだ。 わたしの脱走相手はマルケ 1 ゼという名だった。年 だった。そこで、わたしは毎日、数時間を運動にあて た。晴雨にかかわらず、わたしは毎日野外でこの労働は四十歳くらい、背が高く痩せぎすの男だった。わた を課した。そして夜は番兵の様子をうかがい、彼らのしたちにくらべて比較にならぬほど立派な服装で、わ たしは、彼の体格をたのもしく思った。 交代時間をノートした。 わたしたちはどうにかこうにかお互いの意志を通し 第三番目の難関は、わたしにはこれが最大の難物に わいろ

3. 現代世界ノンフィクション全集7

・ミヤオまでの途上、 は、草原の広大な距離を事もなげに横断する。かれら数が少なすぎるのだ。シャンデ 0 は幽霊に似ている。かれらは砂漠の船の中の幽霊船で中国人をもう十人やとうことにした。かれらは百姓だ / が、ラクダを扱うすべを知っている。 ある。しかし、かれらは座礁する。早い、やわらかい ラクダの騒ぎのおかげで、また一週間が消えてしま 歩調で、かれらは暗夜に遊牧民のテントの村をかけぬ ける。騎者や遊牧民は、かれらが草原の上を足ばやに った。まったく、隊の歩みはのろのろとして進まない。 滑ってゆくのを見る。みんな、何ごとがおこったのか だれかが、これではあんまりのろすぎるというかもし 知っている。だれもかれらを捕えようとはしない。でれない。しかし、わたくしは考えている。われわれは きないことを知っているのだ。こういう 動物は、魔も何も急ぐことはない。われわれはマラソンの走者では のにつかれていて、人間の用には立たないのだ。かれない。行進がおそければおそいほど、考古学者たちは らは永遠に失われ、必ず死ぬ。 仕事をする機会を見つけ、他の成果も上るというもの だ。行進が早ければ早いほど、成果は乏しくなり、考 この夜、ラクダの街では人口調査が行なわれた。ワ ルッとフォン・カウルとミューレンヴェークとラルソ古学者は発掘し研究する時間がない。前の場合にはわ ンとハスルンドがかそえた。メ 1 レンとゴンポーもかれわれは成果を得、あとの場合には時間を得る。どち ぞえた。十一回かそえた結果、失われたのは三頭だとらにせよ、何かは得る。しかし、われわれは時間を得 いうことがわかった。そのうち一頭はまだ見つかる望るためにここに来たのではない。アジアの土の上で探 みがあった。しかし、それなしでもけっこうやってゆ検を行なうために時間を捧げに来たのだ。そしてそれ ける。かれらはすっかり狂っている。かれらがいなくゆえに、毎日が利得である。われわれは自分たちの活 動に、時間の制限はいっさいつけていない。そして、 なってよかったかもしれぬ。 隊には、ラクダの数にくらべて、それをあっかう人全大陸がわたしたちの前に開かれている。

4. 現代世界ノンフィクション全集7

ひどい西風にわたくしは骨の髓まで冷えて、キャンプ ただ、モンゴル人たちは歩くことに馴れていないので、 七十二号を待ちこがれた。幸い、開けた泉までは十四まだラクダに乗っていた。わたくしは例の「鳥の巣」 キロメートルばかりで、その氷のはった泉をとりまい の中に坐っていた。 てかなりの草地があった。テントのあいだでたかれた十二月十一日、フンメル博士はわたくしの傍につき 火のそばで、フンメル博士ははじめてわたくしを診察そうて歩いた。二時間進んでから、かれは停止を命し した。そして、まぎれようのない確信をもって即座に た。火をおこして、軟い砂の上の毛皮のべッドの中に、 たんせき 診断をくだした。また持病の胆石がおこったのである。わたくしをねかせた。胆石はひどく痛んだので、フン フンメル博士は休養を命じた。さし当り今日と明日。 メルはモルフィアとカフェインの注射をした。まる二 シュイもフンメルの肩をもって、発作がおさまるまで時間、火のそばで休んでから、ほかの人たちの足跡を べッドにいるように懇願した。わたくしの抗議。 よ無益たどって旅をつづけた。そのときわたくしは、ラクダ であった。わたくしは、旅行をつづけられないほど悪の上の高いゆれる座席にしゃんと坐っていることがで いとは思わなかった。いかなる事情ありとも、キャラきなかった。わたくしは、これほどキャンプを待ちこ ハンの進行を止めたくなかったのだ。特に今や隊は危がれたことはない。 一行は二十・六キロ進み、そして、 機にある。ラクダは疲れ、糧食は尽きようとしている。これまでどおりわたくしは行進ルートの地図を書いた。 一日滞在してつぎの日、また行進がつづいた。このついに遠くにキャンプの煙が見え、とうとう仲間のと 数日は、隊員たちはみな、中国人までも歩いた。ラク ころに到着した。パオはすでにつくられていて、わた ダの力がだんだん弱って、ほとんど毎日新しい殉難者くしは「野戦病院」にかつぎこまれた。 か後にとりのこされた。今や運搬力を保持するために、 その翌日、先行したままながく分れていたノリンが 乗用ラクダをも荷物用にしなければならなかったのだ。やってきた。ベルクマンやフォン・マーシャルは、北 ノ 44

5. 現代世界ノンフィクション全集7

をやりなおしておいたのがよかったのだ。一日中、朝えている森を横ぎっていった。ときどき、インド人が から晩までわたしたちは歩いた。それなのにどうも同現われると、わたしたちは幹の背後に身をかくした。 じ場所を堂々めぐりしているらしい。予想に反し、そ脱走後十二日にして、わたしたちは突然ガンジス河 けいけん 。いかに敬虔なイ してまた、山稜を一つ越えたのに、わたしたちは相変に抜け出た。この聖なる河の眺めよ、 わらずドシャンナ流域にくすぶっていて、あらかじめンド人たちにも、わたしたちほどに強烈な印象を与え はしなかったろう。今後は巡礼路をたどるのだ。この 立てておいた時間表より二日おくれている始末だ。 道は再び急になってきて、しやくなげの森が現われことから考えると、これからは辛い道を歩かないです た。やっと、これで、めんどうな連中にぶつからずにむのじゃないだろうか。それでわたしたちとしては無 休めるわけだ。とんでもないおかどちがい ! 休もう駄な危険はすべて避けることにした。正しい路にでて いるからには、もつばら夜だけ歩くことにしよう。 と一息ついたところで牛番に立ちのきを強制された。 次の二晩は、住民のまばらな地方を通過した。その食料も使い果たし、気の毒なマルケーゼは人間とい のど がいこっ 理由は間もなくわかった。水が不足しているのだ。喉うよりも骸骨がよたよた歩いているみたいだ。だが、 が乾いてたまらないところで小さな沼をみつけたのでヘこたれまいと頑張って、最後の意志の力をふりし・ほ っている。わたしの方は比較的調子もよいし、新しい その水がどんなかを確かめもせずにがぶがぶ飲んだ。 苦労も突破できると感じている。食料を入手する唯一 朝になってみると、眼から星がとびでるように痛い。 の望みは、巡礼路に沿って並んでいる店だ。そこでは この沼は暑さが猛烈な時に水牛がこの中にころがりこ 、むところなのだ。水は牛の尿でよごれている。そっと茶や食料を売っている。入り口の燈火でそれとわかる おうと っ店のいくつかは、夜おそくまで開いている。そこで、 して嘔吐をもよおし、落ち着くまでに何時間もかか た。わたしたちは三日三晩、松柏科の木がまばらに生変装を確めてから、店の一つにのこのこ歩いて行った。 つら 222

6. 現代世界ノンフィクション全集7

みずごり 水垢離を掻かないのだから。」 とまらなくなった。あとの連中は、駱駝の足下でさく このペドウインたちは狂信者ではない。以前、わたさくと鳴る塩の音以外なんの物音も聞こえてこないこ しが大勢のラーシド族といっしょに旅をしたとき、その沈黙の世界にむかって大声で歌をうたった。歌詞は ト ~ 、、ムら・ の中の一人がわたしに「な・せあなたは回教徒にならな南方のことばだったが、リズムや抑揚は、わたしがシ いのか、そうすればほんとにわしらの一員になるだろ リア砂漠でほかのペドウインのうたうのを聞いた歌の うのに」と訊いたことがある。わたしが「アラーの神と同じだった。はじめ見たところ南アラビアのペド よ、わたしを悪からお護りください」というと、彼ウインは北方のペドウインとはずいぶん違ってみえた らは笑った。このお題目はアラ。フ人がなにか恥ずべき、が、この相違はおおかた表面的なものであり、彼らが 下品なことをしりそけるときにきまって唱えるものの身につけている衣服によるものであることがわかって 一つなのだ。もしああいう質問をほかのアラブ人からきた。わたしの仲間たちをルアラ族の野営地に連れて されたのだったら、わたしはそんなことをいわなかっ いっても場違いとは感じられないだろうが、アデンか ただろうが、もしわたしが、そんな質問をした男にキマスカットの都会に住むアラブ人をダマスカスに連れ リスト教徒になれといったのだったら、彼はおそらくていったら目立つだろう。 そう唱えたにちがいない。 ようやく停まることになってわたしはかじかんだ体 食事をすますとわれわれはソールト・フラットにそで駱駝を下りた。一杯の熱いコーヒーのために高い金 のって二時間前進した。両側の砂丘は月光を浴びて青白を払ってもいいくらいだったが、もう十八時間も待た イく光り、日中よりも夜のほうが高く見えた。月に照らなければ飲めないことはわかっていた。わずかばかり ウ ドされた斜面は非常になめらかに見え、くぼんだ陰の部の薪を集めて火を燃やし、体を暖めて寝ようとしたが、 3 分はまっ黒だった。そのうちにわたしは寒さで震えが ほとんど一睡もできなかった。わたしは疲れていた。

7. 現代世界ノンフィクション全集7

やすいものである。 護衛兵たちがシュイ教授のところへぎた。弾薬が足 らぬと不平をいって、一行の薬包をくれというのだ。 しかし、シュイ教授は、兵隊たちの弾薬はできるだけ 少ないことが結構だと考えたので、一行の薬包はかれ らの銃には大きすぎるだろうと返事した。 毎朝、四時ちょっとすぎに、ラルソンが「整列 ! 」 今日はまた四人の学生が六人の護衛兵とともに不寝とどなる声で、みな目がさめる。中国人たちは、その 番に立った。各すみに一人ずっ立ち、二人はパトロ 1 言葉の意味は知らないのだが、この「モンゴル公」の ルした。二時間ごとに歩は交代した。また、二人の号令を聞くとみな笑う。しかし、ラルソンは容赦しな ドイツ人が見はりに加わることにきまった。かれらは すぐに起きて朝めしだ。そのあとで、テントをた 大戦に加わったことがある。油断のないのは生れつき たみ荷づくりする。これに時間がかかるので、そのあ である。とっ・せん奇襲をかけられた場合には、中国人 いだどこかよい場所で寝足しするくらいの余裕はある。 よりはるかに頼りになる。かくして、一行は安全にましかし、実際問題として、まわりで中国人、モンゴル もられ、見張りされていた。 人が大声でどなり、ラクダが鳴きさけぶところでは、 しかし、この夜は何ごともなくすぎた。ただ、夜っ眠るどころではない。ストックホルムの家では、わた びて嵐が咆え、風の混声合唱がつづいた。陽が上って、くしは朝の四時に床に入る。ここでは同じ時間に床を 漠飛んでいる土ぼこりを赤く照らし出した。一行は、人出る。しかし、わたくしは思う。何ごとも慣れればで ビも物も一つも失っていなかった。テントには弾丸のあきるものだ。その上、ここではわたくしは九時に床にノ 3 と一つなかった。 入る。 四集合

8. 現代世界ノンフィクション全集7

たわけなので、夜が近くなるとホッと吐息をつくのだ。 2 キーロン出発三日後に、わたしたちは手がかり一つ ベルグ・チョ湖をめざして ないような岩壁に突き当たって、につちもさっちもい わたしたちは森林帯での最後の野営をした。その後、かなくなってしまった。どうしたらいいだろう ? 重 荷を背負って無謀にも登るなら、地獄行きだ。あきら 数年間というものは森をみかけることはなかった。 めて、いくつにも支流をつくって分離しているクリ川 日が暮れると、袋をかついで森林帯を後にし、谷間 を横断しようと後戻りした。徒渉するにはまったくむ に下った。このあたりは何度も遠足しておいたので、 かない季節で、気温はマイナス十五度だ。水から出て、 山道にはすっかり馴れているわけだし、ラン。フもあっ たのに、何度も道に迷った。一度、アウフシ = ナイタ靴下をはく間に、足やくるぶしには氷の皮が薄く張っ 1 は氷に滑ってころんだが、無傷のまま起きあがった。てしまう。道を間違えやしないだろうか ? 処置に困 クリ川にかかっている無数の橋にはいささか消耗させったわたしたちはこの場に隠れ、隊商が通ってわたし たちに通路を教えてくれることを待っていた。翌日、 られた。橋といっても丸木橋で、その上に薄氷が張っ 日の出の少し後に、岩の背後に身を潜めていたわたし てつるつるしているので、軽業師の役を演じなければ たちは、谷のどんづまりにある例の岩壁の方に歩いて ならないのだ。四十キロの重荷を背負っているだけに なおさら大変だった。泊まり場所や隠れ場所をみつけ行く一隊のヤクをみた。人間と獣は岩壁の腹を巻いて いる肉眼ではみられないほどほそい山道を一列になっ ることは比較的容易だが、寒さが厳しいので、そうし た場所にぶつつづけに十時間もじっとしていることはて進み出した。川を横断するには人間たちはヤクの背 やりきれたものではない。それに、悪いことには谷幅中に飛びのり、対岸まで渡るのだ。わたしたちも彼ら こうしの真似をしたいが、日没まで待機した。月が昇り、わ がせまいので、陽は全然射しこんではこない。

9. 現代世界ノンフィクション全集7

やぐら 合った。マルケーゼはドイツ語を一語も話さないし、条網には八十メートル置きに見張りの櫓が建っている わたしの方ではイタリア語はまったく駄目だ。二人の ことだった。櫓の屋根はわらぶきで熱帯のてりつける 英語の知識もほんのわずかだ。そこで最後には仲間に陽から番兵を守るために円錐形になっていた。もしこ 助けられながらフランス語で話し合った。マルケ 1 ゼ の屋根のどれかにのぼれるなら、それは同時に二重の はソマリアとアビシニアの戦いに参加し、すでに一回鉄条網を突破できることになるのだ。 脱走を試みたことを話してくれた。 一九四三年五月、脱走の準備はできあがった。金、 幸いなことに、彼は英軍の将官と同額のサラリーを食料、磁石、時計、靴、二人用の小型テントまでそろ もらっているので、彼の場合、金の心配はなかった。 そして、彼の方では、脱走行に必要な品々をすべて手 ついにある夜、わたしは内側の囲いをくぐりぬけて、 に入れることができるようだった。これほどうまい話マルケーゼの建物にすべりこんだ。最近の小さな出火 はない。彼に欠けているのは、ヒマラヤを知っているの際に、ごまかして盗んだ小さな梯子がかくしてある。 ( 1 トナ 1 だ。わたしたちはたちどころに話が決まり、わたしたちはこれをバラックの壁にたてかけ、身をひ わたしの方では脱走の。フランを引き受け、彼の方では そめていた。ほどなく午前零時、番兵交代の時間だ。 金と道具類を引き受けることになった。 番兵たちは交代を待ちきれないかのようにゆっくり往 て 毎週何度も、わたしはマルケーゼとともに脱走計画き来している。月がキャンプの周囲の茶畑の上に出て をを検討した。何回も鉄条網をくぐっているうちに、わきた。 屋たしはこ - の道のエキスパートになってしまった。そし 二人の番兵の間の距離が一番開いた時、わたしは立 界て脱走するためのいくつかの可能性がわかってきたが、ち上がり、梯子をかかえ、塀めがけてつつ走った。塀 一番やっかいなことは、収容所を囲んでいる二重の鉄の上部に梯子を立てかけて登り、見張り櫓の屋根にの っこ 0 2 ノ「

10. 現代世界ノンフィクション全集7

塊をごろごろ流している。どうやったら渡れるだろおそすぎる。わたしたちはとある小屋をその夜の泊ま り場と決め、近くの杭にアーミンを結んだ。わたした う ? 河の向こう側には僧院と数軒の家がみえること ちを怪しむ者は誰もいない。巡礼者や商人たちはここ から判断して、どこかに渡し船があるにちがいない。 河岸伝いに歩いていると、驚いたことに吊り橋がみつで停止しては、またその旅をつづけることにしている かった。ただこれは歩行者のためにつくられたもので、のだ。 翌朝、わたしの心配していたことは無駄だったこと 動物を渡すためのものではない。人間がこの吊り橋を 渡っている間に、ヤクやろばなどの動物の方は対岸まがわかった。アーミンはすばらしくよく泳ぐ。波をか で泳ぐわけだ。まずいことにわたしたちの馬は鼻息をぶり、流れに引きずられながらも冷静さを失わずに向 こう岸まで泳ぎつき、長い毛並についた水をふるい落 フウフウさせていやがっている。どんなになだめても ムチうっても駄目だ。ことここに至っては荷物を下ろとそうと体をぶるぶるゆすぶった。 させ、二時間前にした物々交換をなんとかやりなおし橋の向こう側のチャン・リヴォチ = の村でわたした てもらうため道を引き返した。ところが、ここでも予ちはその日の残りを過ごしたが、すばらしい僧院があ 想外の反対にぶつかった。しかし最後にはわたしの威った。山腹に建てられた僧院は河にその姿を映してい 嚇的な態度を前にして、相手の男はしぶしぶア ! 、、ンる。扉には支那の碑銘がはいった寺院が、河岸に建つ え二世をもどすことを承知した。ア 1 ミン二世が前の主ている。村と僧院は堅固な城砦で囲まれている。ほか を人のもとに帰れたのをはたしてうれしがったかどうかの土地でみるよりもずっと大きく、二十メートルの高 さもあるチョルテンがこの場所の神聖なことをしめし 屋はわからない。 界橋のたもとで待っていたアウフシ = ナイタ 1 のもとている。そしてこのチョルテンを囲んで、神の祝福を に帰った時には、日は暮れていた。渡河するにはもう祈る祈疇文を書いた細長い紙片のはいった八百もの祈