りえだと言った。子供たちは、ニグロ部落に近いから、れたり、ひき裂かれたりして混沌たる状態を呈してい タ・ハコや古着やヤシ酒をねだるのに都合がよい、と喜た。。ヒグミー たちは小さな斧をふるって、さながら鼠 んでいた。 のように巨木に噛りつき、四十五メートルもある木が 森林のはすれにあるべニへ行くと、旅行者の世話を倒れるのを利用して、小さな木も同時にたくさん始末 したり、森では絶対にやらないこと たとえば、部してしまおうと考えたのであった。ところが、彼らに 落にきた時以外は絶対に着ない洋服を身につけて写真は、それを片づける方法がないために、結果は足のふ をとらせたり、ニグロしか用いない武器を旅行者に売み場もない有様となった。そして、私のように、建築 ったりしている。ヒグミ 1 族がいるが、この連中もまる材料を探しているニグロだけが、取り片づけの役を果 くろうと で彼ら同様その道の玄人になってしまった感があった。す仕儀となったのである。どう見ても、。ヒグミーが農 しかし、モークは私に心配は要らぬとカづけてくれ園にたいした熱意をもっているとは思えない。 た。みな、じきに森にもどるから一向案ずるには及ば わが家の建造にあたっては、彼らが森の世界を外に ぬ、と歯のない口を開けて、私の心配を破顔一笑に付出て働く場合の特徴を丸出しにして、大計画を立てて してしまった。「わしらはあそこの人間なんだ。だか大騒ぎした。彼らの野営地はニグロ族の部落をまね、 らじきにもどって行きまさあ。森からおん出るなんて、土造りの小屋を二列に向い合わせてつくられていた。 わしらにはできっこねえ」と彼はいった。彼のいった 小屋は幅二メートル奥行き一・五メートルほどの小さ ことに間違いはなかった。 なもので、しかも、屋根がなかったり、壁がなかった 最初の数日間、私はケンゲたちといっしょに、新しりして、一戸として完全なものはなかった。大きな家 くできた「ビグミー農園」に出むいて、新居用の柱や族では二軒をあわせてつくってあった。エキアンガの 若木を集めにかかった。農園は木が倒されたり、折ら 小屋だけは、案の定、一風かわっていた。彼の家は一 じよういつぶう
ってくると網を張る一番よい位置を指図した。女性軍いで木の枝や若木に順々にくくりつけた。全長約九十 はすでに、付近でキノコや木の実をあさっていたが、命メートルにも及んだので、一方の端から見ても他の端 令が出ると、籠をつかんで小さな子供たちといっしょ は全く見えなかった。マイべはそれを端から端まで見 てまわり、一メートル二十センチの高さに張った網の に一足先にもち場へ向った。彼女らは実に足が軽く、 落葉を敷きつめた地面の下に深く埋もれた腐った木の裾がきっちり地面に着いているかどうかを調べた。ま 枝が時折きしむ以外には、コトリとも音を立てずに遠た支えがなくて網がたるんでいる箇所を見付けると、 ざかって行った。われわれは長い半円をつくって展開若木を切ってきて地面に突き刺し、それに網をゆわえ した。私はマイべと組みになった。じきに他の連中のた。網の準備が完全にでき上がったのを見ると、次に 姿が見えなくなり、足音も聞えなくなったが、マイベ槍を取り上げ、石を拾って穂先に磨きをかけた。 にはどこに網を張るのかよくわかっていた。そこで彼それから五分もたったろうか、彼は突然立ち上がる は近道した。私は全く方向感覚を失い、女たちが網のと私にも立つよう合図した。彼は頭を心もち一方に傾 ほうへ獲物を追い込む信号を待っているのは、どの方げるようにして、身動きひとっせす耳をすませていた。 向であるかさえわからなくなった。われわれは小川の私も耳をすませてみたがなにも聞えなかった。森は静 ひょうせき 流れに沿って進み、巨大な漂石が露出したところで足まり返っていた。コオロギの鳴き声ひとっ聞えなかっ 一を止めた。ほとんど真四角な石で、中には差しわたした。マイべが槍を高くもち上げたなと思った瞬間、な グ二メートル半に及ぶ見事なものもあった。マイべはあにか合図でもあったのだろうか、どっと歓声が湧き起 人たりを見まわしてから腰をおろした。数分後モ 1 クの こって、女や子供が獲物を追い立て始めた。一キロほ くさむら の甥が左手の叢の中から網を引きずりながらあらわれた。 ども離れていたろうか、彼らが近づくにつれて、叫ん マイべはその網を自分の網に巧みに結び合わせ、つだり手をたたいたり地面をふみ鳴らす音は耳をつんざ 8
六秒すると、またもて、壁面に沿って一周してみた。 やカメラは動かなく まもなくわれわれは、他にもいくつかの絵画を発見 した。しかしそれらは、あのキリンとカモシカの絵ほ なってしまった。 ・、ハッキリしてはいなかった。おそらくは、さらに 「こんな事って、聞と いっそう古いものなのであろう。絵の主題はすべて動 いたこともない ! 」 族ダンカンはすっかり物で、それも、サイのような、今はもうこの辺には生 。る逆上してしまったら存していない動物ばかりだった。・フッシ = マンの岩石 》、笑しく、大声でどなっ絵画でも、サイなどが描かれているのは、ごく初期の た。「長年カメラと時代に属するのである。絶壁の割れ目の一つに入っ てみると、そこには、多分この「すべり山」の岩石芸 をとっ組んできたが、 『火 こんなヘンテコな故術中でも、最高傑作と思われる名画 ( ? ) があった。 と縦四メートル横十五メートルほどの画面に、野獣の一 障は初めてだ ! にかくこれじや仕事大王国が描き出されているのだ。その大部分ははげ落 にならん。大急ぎでちてはいたが、それでもなお、画家の精妙な技術は、 キャン。フへ帰って、見るものの感嘆を誘うに充分であった。片隅に一人の 予備のマガジンを取人物が描かれているところを見ると、この絵は比較的 新しい時代のものに相違ない。しかし新しいとは言っ って来なくちゃ。」 いったいこれは何千年前のものなのであろう ? ダンカンとチェリオットがキャンプへ引っ返して行ても、 私はこの絵が、初めて描かれた日のことを思った。カ った間に、残ったわれわれは、岩壁のふもとに近づい
とびあがるのだ。 建物をおいて、三つの雪小屋がまわりに建てられた住 キャンプに着き、地面にとびおりると、挨拶である。居さえある。雪小屋は、それそれふたつの家族を収容イ ここで、その小事件というのが起った。アラカヌアクし、ふたつの海豹油のランプを持っている。その直径 はわたしの前に来て、いかにも優雅に手を握った。そをはかってみたら、三メートル半あった。他のところ れから息子の方を向いた。ところが驚いたことに、 ニでは、一室の四分の三を占領してしまうイグレルクが ブタョクは横を向いたまま、景色に夢中になったよう ここでは半分にもならないのだ。ランプというよりも な様子をつくっている。あとでわたしは尋ねてみた。海豹の脂を入れる皿の大きさは、直径が一メートルも 「あの親子は仲違いをしているんですか ? 」 ある。こういう豪勢さは、キング・ウィリアム・ラン 「そんなことはありません。ただ、あまり長く会わなンドには見られない海豹が、ここにはたくさんいると いでいたので、息子は親父の顔をまともには見られな いうのが原因なのだ。 かったのです」というのが答えだった。 ランプのうしろに設けられた雪の台は、どこでも食 料品置場である。海豹や、トナカイや、麝香牛の肉が ごちやごちゃに積まれていて、誰でも雪小屋に入れば、 大きな雪小屋の生活 好みの一片を切取って、気に入らないものは肉の山に キャンプからキャンプに移るたびに、わたしは雪小戻してかまわないのだ。 屋の大きさ、いやむしろ、その壮大さに打たれる。玄雪小屋の構造で最も驚くべきことは、私生活と共同 関には、どれもふたつの小部屋がついている。ひとっ生活の両方ができるようになっている点である。女は、 は牽具や橇の道具を入れるもの、もうひとつは海豹のめいめい自分の生活があり、自分のランプ、自分の毛 肉を貯蔵しておくところだ。なかには、中央に円形の皮を持って、好きなように自分の仕事をしていられる。
切り出した大きな長方形の氷を、事務所の近くまで運切り出した。それは必要量のやっと三分の一にしか当 び、三つの樽の上に二枚の板をならべてつくった台のらなかった。ところが、その翌日には、湖の氷の厚さ 上に積み重ねる ( 地面に積み重ねると、犬が汚してしは四十セソチにもなり、もはや鋸で引くことができな まうのだ ) 。こうしておくと、冬の間中、この四角なくなってしまった。三日間待たなければならなかった。 氷のひとつを樽に入れて、ストー・フから一メートルの三日目に、湖の同じ箇所を、ようやく切ることができ 所に置いておきさえすれば、ただちにとけて、飲料水た。 北氷洋では、万事がこの調子なのだ。ここでは、す が手に入るのだ。樽をストー・フからあと五十センチも べてのものが不安定であり、変り易い。昨日可能であ 離すと、氷はもうとけない。 わたしたちはワニのような形をした二メートル半もったことも、今日はもはや不可能になってしまう。雪 ある鋸で、腰を曲げて、氷を長い帯のような形に挽く。を例にとってみれば、昨日はやわらかすぎて旅ができ それから斧で、その氷をこまかく砕く。今度は、大きなかったのが、今日になってみると、風が雪を固めた な鉤で水から引上げるのだが、氷塊は沈んだり、すべために具合よくなり、旅に出られるという調子なのだ。 ったり、くるくるまわったりして、なかなかうまくいもっとも、それも新しい雪が降り出さなければの話な かない。氷塊を引上げると、その形をととのえ、事務のだが。そういうわけで、人がいっ旅に出られるかと いうことは、神さまだけが御存知なのだ。 所のそばまで引きずってくる。そして、それを人間の 者高さよりも高い壁に積み上げる。氷の壁は、青白く透 きとおっていて、日光を浴びると、水晶のようにキラ エスキモーの橇と大 の キラと美しくかがやく。 極 その月の終りごろに、新しい季節に入ってからの最 最初の日、わたしたちはこういう氷塊を三十ばかり
色をしたエカルト。ヒクを何匹も次々とものにした : いい。たとえ警官がきたとしても ( それも、冬にならい 6 ・ : オオクトが死ぬのを妨げるために、わざわざ魚がこ なければ来られない ) 厚みが二メートルちかくもある こにいるみたいだ。 氷の下の屍体など、みつけられるはずはない ! 工カルックは、すっかり忘れてしまった。狩人の本 工カルックの頭の中では、こうした筋書きがはっき り組み立てられた。しかし、相手に襲いかかろうとし能を前にしては、すべては消え失せた。凍った魚の一 た瞬間に、オオクトは立ち上って、あっさりこう言っ山が眼の前につみ上ると、エカルックは、橇の上にの せ、犬どもは立ち上り、橇は動き出した。 ふたりのうち、どちらも口をきかない。釣のことで、 「アンギイユク ! 」 ( でつかいぞ ) でつかい魚 ! ここしばらくは、小さな魚しか銛でふたりとも心がいつばいなのだ。ときどき、エカルツ クが手綱をしめようと、犬に声をかけたり、橇が氷に 突けなかったから、エカルックにしてみれば、そんな ちっぽけな魚をとるよりもと、カナイオクの雪小屋でつつこまないように、オオクトが橇からとび下り、ま たとび乗る。彼らは、カキヴォクタルヴィクの湖を横 毎日過すことにしていたのに。それが急に : : : そうだ、 断して、キャンプ場に近づいてくる。ところで、北国 きのうは新月だったから、そのせいで : にはよくあるように、風はだしぬけに落ちてしまった。 工カルックは、相手を殺そうと、短刀で身構えたこ となどは忘れてしまった。何も言わないで、彼はオオ天色の霧は晴れ、西の空に、薄日が現われた。 工カルックはハッと思い出した。二百メートル足ら クトのそばにひざまずいた。オオクトは、また穴に身 をかがめた。殺される寸前だった男と、殺そうとしてずのところでは、カナイオクが、自分といっしょに旅 立とうと待っているのだ。犬どもは歩みをゆるめた。 いた男とは、ふたり並んで穴の奥をうかがっている。 彼らは、四キロ半はたっぷりありそうな、どぎつい赤犬が。ヒタリと止った時に、エカルックは、オオクトの
なるほど彼の言うとおりだ。わたしは、すべての小 屋をもれなく訪問するという、エスキモーの礼法の第三時間のあいだ、この小さな峰々の間の航海がつづ 一条を忘れていた。しかも、その雪小屋に住んでいた く。これらは、たいてい人間には近より難く、夏の間 老婆は、キャンプで大きな勢力を持っているのだ : ・ は、北アメリカからやってきた無数の鳥のすみかにな 午前中は、この誤ちをつぐなうために過される。やっ る。教会の尖塔に群がる鳩のように、鳥は、その峰の と出発だ。彼らの橇のひとつが案内をしてくれる。 まわりを飛びかい、翼をうつのだ。 わたしたちが横切りつつあるべリー湾は、縦が百五 わたしたちの橇は、右に左に方向を変え、クレ。ハス 十キロあまり、幅が三十キロ、そのなかに小島が点々を避けるために大きく迂回する。このクレバスは、目 とつながっている。キング・ウィリアム・ランドとは、のとどくかぎりの彼方に伸びて、さながら海面をふた 何というちがいー 輪郭のない空虚は終った。単調さつに区切っているかのようだ。わたしは、これから会 も、失意落胆もおさらばだ。ここには、目を楽しませ いに行こうとしている人のことを考える。百年の間に るさまざまの形があり、表面がある。海面からすくな 訪れた白人は三人しかいないこの土地に、一人の僧、 わたしの国の男が住んでいるのだ : : : 案内のエスキモ くとも百五十メートルは突出した峰々がある。ツンド ラからやってきて、前の夜を、岩にかたよせて築かれ 1 は、犬に鞭をあてて、岬のむこうに消えた。きっと、 た二メートル幅の雪小屋にうずくまって過した者の眼白人がやってきたという、驚くべきニュースを知らせ 者 には、これらは巨大な高峰と映じ、大伽藍の壮麗さをに行ったのだ ! わたしの旅行がはじまってから十七 思わせる。旅人の眼前にそそり立っマンハッタンより 日の間、時間というものは存在しなかった。いまや、 北も、なお高いのだ。キング・ウィリアム・ランドには、その時間がふたたび戻ってきた。それも、今日か明日 消え入りそうな卑小さがあった。ここには偉大さがあかというようなまだるつこい時間ではなくて、一分一 る。
日は照っていたし、目的地に着いてからも日ざしは変森の他の場所では時として自尊心を傷つけられるこ らず、緑の草木は青々と日に映えていた。それは差渡ともある。つまり、すべてがあまりに豊か過ぎるので し二百メートルほどの天然の空地で、中央部に木立ちある。たとえば、頭上で重なり合う木の葉の屋根にし と藪があるので、二つの開拓地からなっている感じでても、余り高いのでその下にうごめく人間は、他の動 あった。広々とした空地でありながら、空を仰ぐと木物同様、微小で無意味な存在に思われるのである。と 木は頭上でかすかながら交差していた。地面は落葉のころがアパ・レロでは、人は他の動物に対して優越感 しとね 褥のかわりに、一面に草でおおわれていた。ケンゲは を抱くことができる。小さな動物たちは眠下のくさむ 見はらしのきく小高い丘の上に立って、もっと早くくらを駆けずりまわり、小鳥は頭上でものうげに羽ばた ればよかったといった。彼はそれから私にレロ川を見いていた。どこもかも優美な色彩と陰影とささやくよ に行こうといった。たつぶり水浴びができるという意うな音でみちみちていた。一番高い木の枝では、蘭が 味である。 その優美な花を苔のあいだに恥ずかしげにかくしてい アパ・レロ、すなわちレロの野営地は私にとっても ヒグミー っとも美しい森の思い出となろう。一カ月も大雨が降 、なににも増してするレロ川は、レロの りつづいて、野営地が泥沼と化し、、 しよいよこの地を野営地を取り巻くような格好で流れている。湾曲した 去らねばならなくなった時にいたっても、その美しさ部分は差渡し約百メートルの浅瀬になっていて、澄ん は変らなかった。そもそもビグミ 1 は泥だらけの野営だ水がさらさらと流れていた。ケンゲは、この水なら 地をひどく嫌う人種であるが、そのビグミ 1 でもこの いくら飲んでも平気だといった。食物も水も、不潔な 野営地ばかりは離れたがらなかった。しかし、今はす部落の生活とは大違いである。彼は女が水浴する場所 べてのものが緑にいきいきと輝いていた。 を示して、彼女らを怒らせるといけないから上流にい らん
う意味だそうである。彼の部落はこの近くにあり、そくない一つの窪地に到着した。あそこなら、焚火の木 8 して彼は、もし今までのやりかけの仕事を終るまで待もたくさんあるし、日中は日蔭もある、とヌクソーは ってくれれば、適当なキャン。フの場所へ案内し、そして言い、翌朝早く来るから、と言い残して、うやうやし 明日の朝われわれを迎えに来て、部落へ連れて行ってくおじぎをすると、立ち去って行った。 砂漠の中のキャンプ風景というものは、概して殺風 あげよう、と言った。それから彼はわれわれの見守る 中で、先に鋭いカギのついた七メートルほどの長さの景なものだが、それにしても、こんな不便なキャンプ しなやかなムチを取り出し、それで砂上のいくつかの地はわれわれも始めてだった。まわりのイバラの茂み はやっと三メートルほどの高さで、日蔭どころではな 穴を探り始めた。それらの穴は、ウサギ穴であった。 、 0 われわれはトラックを横に並べ、その間にナイロ 穴のそばには、短い木の棒が置いてある。まもなくウ サギが一匹飛び出してきたのを、彼はその棒であっとン製防水帆布を張り渡して、これから何週間かのカラ いうまになぐり殺した。それがすむと彼は、槍と、弓 ハリの太陽と砂煙との生活に備えた。キャンプはこん と、何本かの矢と、水の入ったダチョウの卵のからをな貧弱な有様だったが、しかしわれわれは皆、かって 入れた皮袋を集めて手に持ち、皮袋は肩から皮ひもで味わったことのない深い満足感にひたっていた。つい この に、ブッシュマンの生き残りを発見したのだ ! ぶらさげ、棒とウサギとを拾い上げて、用意はできた、 しくら誇張しても、しきれるものではなかっ と言った。トラックの座席は満員なので、私は彼を私喜びは、、 のトラックのポンネットの上に積んだスペア・タイヤた。こんなにもたびたび失敗を重ね、荒れ果てた沼地 の上に坐らせた。彼は自動車というものをまだ見たこや砂漠の中を、何千キロもの旅をして、苦労に苦労を とがなかったので、車が動き出すと、こわごわタイヤかさねてきたわれわれなのだ。しかしそれも、やっと こうして報われたのである。 につかまっていた。こうしてわれわれは、そこから遠
いなかったら、どちらが白人だか、見分けがっかなかサギなどには弱い毒を使うという。矢尻は、火打ち石 ったことだろう。 や骨で作る。 だが、・フッシュマンについて、何にもまして注目す射手としての彼らは、真に百発百中の名人だ。走っ べきは、彼らが先天的な狩猟者だということだ。牧畜ているシカを、百五十メートルの距離から射とめたの や農業は、彼らとは縁がない。なるほど、女や子供たを見た、という私の祖父は、「やつらと闘う時は、百 ちは、器用に先をとがらした木の枝で地面を掘り、球五十メートル以内に近づく気は、絶対にしなかった 根をとって食べたりする。また、野イチゴや果物を食よ ! 」と言っていた。彼らはまた、葦を編んで作った べることもある。しかし、男たちの猟の獲物である野わなを水中にしかけ、金色のコイや、オリー・フ色のニ 獣の肉こそは、彼らの最大のよろこびなのだ。その使ゴイをたくさんつかまえるのが上手だ。わなについて 用する道具は、ます弓矢、ついで槍である。矢尻には、 いるかごは、形はヨーロッパのウナギかごに似ている 毒草や、ヘビ、トカゲ等の毒を混ぜ合せた毒汁をぬり が、そんな殺風景な実用一点ばりの代物とはわけがち つける。彼ら自身、この毒のききめを非常に恐れてい がう。何しろ、白と黒との葦を一本一本交互に編み合 げどく るので、どこへ行くときも常に解毒剤を持ってあるくせた、だんだら模様の、すばらしくきれいなかごなの ことを忘れない。それは小さな皮の袋に入れられておだ。それも全く彼らの美的感覚を満足させるためで、 り、彼らはそれをいつもしつかりと腰に結びつけてい実用上の目的からではないのだ、と伯母は強調してい る。祖父や伯母の話では、・フッシュマンは生まれつき の植物学者で、かっ有機化学の専門家なので、いろい 河のほとりの、葦の間に、彼らはおとし穴を掘り、 ろな種類の毒を、相手によって使い分けるのだそうで穴の中央に鋭いくいを植えならべ、穴の上を巧みに覆 ある。オオカモシカやライオンには、猛毒を用い、ウ いかくして、夜行性のカ・ハの出てくるのを待ち伏せる。 こ 0 0 3