のだ。 ミキルミック ! ( ほんのすこし ) しかし、今日は、 最後に、全員が立ち上がり、しかめ面をして、トナそんなことは考えもしない。人づき合いをよくしよう カイの毛がいつばいに入った大きなコップを、部屋のとする本能が、エスキモーたちの場合は、生存本能よ 真中に残して立ち去るのだ。 りも、ずっと強いのだ。自分の持ち物を一番ふるまっ わたしが言う。 た者が、最も人望のある者になれるのだ。 テュチアックはつねにこの法則を心得ていたが、こ 「みんな眠りに行くのかな ? 」 「とんでもない ! 」と、ギブソンが言う。「これかられで得をしようということも考えていた。彼は湾で、 マイナス三十五度の寒さの中で、トム鱈を釣っている いよいよ食べるんだよ」 外に出てみると、パディの言うのは本当だった。午最中だった。トム鱈というのは、顔中がロだらけのよ うなみにくい、およそ気にくわない魚だ。しかし、彼 前三時に、彼らは、橇からくさったような魚を引っぱ は、エスキモーの一列が店の方に歩いて行く姿をみつ り出して、本格的な酒宴にとりかかった 翌日、ウタックは立往生になったままの橇を探しにけると、すぐに何もかもほっぽりだして、まるで競走 行った。もっと現実的なオデュドレルクは、彼らが、 のように、丘を駆け登った。そして店にとびこんでく ここから五、六キロのところに隠しておいたという、 ると、他の連中に、品物のある場所と、その使用法を トナカイの肉を探しに行くことを申し出た。 駄弁を弄しながら説明しだした。彼は、唾をはき、ほ 者ウタックは、新来の人たちを、是非自分の雪小屋に かの連中を笑わせ、そこらじゅうに太い指を置いて、 泊めたいと思った。三日もしたら、食糧もなくなって「タムナロ ! 」 ( こいつだ ) と言いながら、自分が何も 北しまうだろうし、それこそすっからかんになって、お かも承知していることをみせようと、盛んにしゃべり 茶と石汕を手に入れたいと泣言をいってくるたろう。 まくっている。出張所で、食事時になったのを嗅ぎつ
このファレーズ司教は、ベルギー人とフランス人とてくる。 「あんたの肺も凍るじやろう。あんたは、氷の牢獄に アメリカ人の三人の神父に助けられて、石炭袋をつか み、手押車の上によいしよと積み上げた。司教にとっ閉じこめられてしまうのだ : : : 」 あのスリム・パ ーセルの別れの言葉がきこえてくる。 ても、石炭は生命であり、お祈りと同じように大切な 「あばよ、なんだか、もうお前がかわいそうになって ものなのだ。 きたぜ ! 」 それから十六日後の八月二十八日に、「オードリー・ リー・リヴァーにあるハドソン湾開発会わたしは沈んだ気持ちで、事務所にもどってきた。 号」は、ペ きずな とうびよう 社の事務所の前に投錨した。そして、その翌日、この文明世界との最後の絆が、こうしてブツツリと断ち切 られたのだった。 舟はもどっていった。ここ数日の間に、夏は終ってい た。突き刺すような冷い雨が降っていた。舟が結氷期それにしても、このペリーは、まだわたしの最後の に入る ~ 間にコ 1 ーマインにもどるには、一刻の猶予目的地ではなかった。わたしはアンガス・ギャヴィン もなかった。耳を切る風も、海の色も、早い冬の襲来という出張所員といっしょに、一週間その事務所に滞 、、、ほがらかな若 を告げている。わたしたち全員は、船内の箱を大いそ在した。その出張所員は、元気のし ぎで岸に積み重ねた。指は、寒さで麻痺していた。最い男だった。その後、半ば文明化したアングラリーク 後の箱を地上に積み上げると、「オードリー・号」というエスキモーが、わたしをその小帆船に乗せてく 者 は、ただちに汽笛を鳴らして動き出した。わたしは岬れ、キング・ウィリアム・ランドへの最後の四百キロ をつれていってくれた。九月九日の午後五時に、わた 拠まで走っていって、一人で舟を見送った。「オードリ の ・号」は、水平線の彼方にゆっくりと遠ざかってしはついにヨーア・ハ 1 ヴェンの静かな入江にたどり 1 . の , 2 、 0 、 しつかの司教の言葉が、わたしの耳元にきこえ
当の娘は赤痢にかかって非常な重態だが、まだ死ん 私は最初、彼が何を言っているのかわからなかった が、彼の言葉はエキアンガの妹であるアソファリンダでいるわけではなかったらしい。。ヒグミ 1 は病状の程 未亡人からただちに反応を呼び起こした。彼女は大股度をあらわすのに熱い、熱がある、病気だ、死んだ、 で野営地を横ぎり、マンブ = アが麻痺した足を突き出完全ないしは絶対的に死んだ、そして最後の段階とし して坐っている場へ、つかっかと近寄った。彼女は腕て、永久に死んだ、といった具合に使い分ける。 不運にも翌朝はやく四百メートルほど離れたところ を前後に振り振り、骨ばった指を相手の鼻先に突きっ にあるセフーの小屋の方角から大きな泣き声が聞こえ けて、彼などのくちばしを入れるべき場合ではないこ とを、あらゆる角度から述べ立てた。彼は人を見さえてきたので、少女が今度こそ永久に死んだことがわ オかが病気になると、女の縁者 すればすぐ面倒を起こすのが好きな人間だときめつけかった。彼らには、ど たがるが、彼こそその張本人だとか、永久に死ぬまでが泣く習慣がある。しかし、それは形式的なもので は、完全に死んだなどというべきではない、と叱りつあって、おそらく = グロの真似であろう。だが、誰か が本当に、すなわち、永久に死ぬと、この時ばかりは けた。 マ = アリボの養子、マドャドヤは二人のあいだにぶ親類だけでなく、生前死者と親しかった者たち全部の どうこく らりと割って入り、アソファリンダだってずいぶん騒あいだから抑えようのない慟哭が起るのである。それ 騒しいほうだ、といいながら、。〈ッとつばきを吐いた。は前とは非常に異なったひびきをもった恐ろしい音で おアソファリンダは来たとき同様、大股で自分の家へもある。私はその音を夜明け後まもなく耳にした。 葬式は、同日ニグロの指揮下に取り行なわれた。私 人どって、木の扉をびしやりと閉めた。マイフニアは一 も墓掘りを手伝ったが、ケンゲ、ケレモーク、アマポ の人でぶつぶついっていたし、マシシは誰かタバコをく 。しナ . し、刀」、つこ 0 ス、マシシの長男アゲロンガが墓掘りの責任者であっ れる者よ、よ、 9 っ 0-
よくよう りゅうちょう 彼らは、流暢に、生き生きと、変化に富んだ抑揚と の話しに聞き入っていた。べンとバイヤンといっしょ 0 に燃料や食糧の補給のため貯蔵所に出かけ、数日前に身振りで語った。しばしば、デ 1 ・フやべンが通訳して 帰って来てから、私たちといっしょにいることを大層くれる前に、彼らの話すことがわかった。たとえば、 よろこんでいるチャ 1 ルズが、そっと席をはずして、或る暑い午後、ヌクソ 1 は、彼の好きな話を語ってく れていた。大カモシカ、先祖、大食いの子供たち、キ 彼らの話を録音してくれた。それからというものは、 狩猟や撮影から解放される度に、彼らの話がずっと続ジバト、ミツの尽きない源、すべての話は魔法に満ち、 いた。話は、・フッシュマンの創世と「われわれを夢見地上の虫や塵の腐敗から奇跡的に復活したものだとい る夢」があるというヌクソ 1 のシェイクス。ヒア的な主う具合に解決されていた。さて、カモシカの爪は長く、 張に始まり、彼らの先祖が、種族の根幹から残忍に引弾力があるので、人間の手のように、蹄を拡げて砂地 き裂かれ、砂漠はるかに抛り出された時の、混乱と苦を歩きやすくできていた。堂々とした踝を立てると、 しみの心の表現で終った。最後には、彼らにとっても爪先は、精巧な電気器具の爪のように、かちっと正し 最も貴重なものを、私たちとともに分かち合えたことい位置にはまり込む。ヌクソーの話が、神のごときカ モシカがやむなく死んで行く段に及ぶと、砂漠の沈黙 を喜んで、すべてを私たちの前にぶちまけてくれたの だ。わたしは、質問をして、より明らかにしたい気持の中を歩きながら立てるカモシカの声を、あまりにも ちでいつばいだったが、不本意に話に立ち入って、ぶ生き生きと真似るので、暑さにうたた寝していたべン は、がばとはね起き、銃をつかむや、叫んだ。「早く ! ちこわしてしまうことを気づかった。すでに今まで、 最先進国の知識人たちによって、アフリカの原始の魂あれを聞いたか。繁みの後に、大カモシカがいるに違 は、深く傷つけられたことがあるのだ。それゆえ、私 いないぞ ! 」 ・フッシュマソ族の物語と神話については、別の機会 はただ耳を傾け、うっとりと聞いていた。
さな贈り物をすることすら、かえって、彼ら自身のも に贈り物を与えた。彼らは不思議そうな顔をし、夢見 っダチョウの卵殻や、汚れた根や、色のついた木に満ごこちに受けとった。これが最後だ、という悲しみの 足しないように仕向けてしまうのではないかと気づか感情もあったようだ。静かに彼らはった。スクソー った。それでも、彼らと私たちとの邂逅が、私たち同だけが、私たちのよく知っている旅人の安全を祈る歌 人種間の邂逅とは異なるという事実を、彼らと私たちをうたおうとしていた。 の心に封印しておくには、私たちからのある贈物が必彼らが帰っていくのを見て、べンは言った。「間も 要だと思う、私の本能は強かった。それは、砂漠の中なく、彼らもここを去るだろう。」神の手の大きさを の泉に狩猟者たちが集まり、大きな意義と転化をもたした雷雲が、暗くなってきた空に稲妻をはしらせはじ らした、危険な足跡を共に追ったという事実なのであめている、はるか南に向かって、彼は手を振った。 「でも、老人たちはどうやっていくのだろう。」最初 った。そこで、彼らには私有の観念がないことに敬意 を表しつつ、女たちひとりひとりには、老若を問わず、の日の朝に出会った高齢の老夫婦が、他の者の後にゆ つくりとついていくのを見て、私は言った。 あざやかなスカーフと一つかみのビーズを贈ることに 決め、男たちには、狩猟用ナイフと噛みタバコとを用「彼らも行けるところまで行くだろう。そして行けな 界 意した。 くなる日が来るのだ。すると、みんなは、はげしくす 世 別れの日の夕方、空き地のはすれにテー。フルを据え、すり泣きながら二人の周りを囲むだろう。ゆるすかぎ りの食物と水を二人に与える。野生の動物から身を守 失その上に贈り物を積み、最後の残りのミルクで柔かく し砂糖の溶けこんだコーヒーをいれて、すべてのブッ るために、茨で厚い小屋をつくってやる。二人の死は、 ラシ = マンを招待した。もう一人の猟人であるタ映えが、今泣きながら進行しているのだ。遅かれ早かれ、水や 4 空を血で美しく染めている間、私たちは彼ら一人一人食料のなくなる前に、たいてい、豹か ( イエナが踏み
いられるはずはない、と私はかねがね確信していた。 ゲムスポック ・パンは、われわれの最後の補給基地 であった。いったんここを出発して、砂漠へ乗り出しカラ ( リの水源はすでにことごとく他種族によって占 たら最後、もはや水も、ガソリンも、食糧も入手でき領され、ブッシマンは近よることができない。ブ ない。われわれはさっそくトラックに荷物の積込みをシ = マンにとって唯一の給水源は、深い砂の底の「吸 始め、あらゆる必要物資を満載した。積込みの最中い上げの泉」しかないはずなのだ。そのような泉がど に、日は暮れた。私ははじめ、中央砂漠の周辺を一周こにあるか、それはブッシマンしか知らない謎なの する計画でいたのだったが、もうそのひまはなさそうである。多年にわたる私の探険旅行を通じて、私はま であった。われわれは、ブヒイ ( ンゴ、オクワ両水系だ一度もこのような地下水の存在を目撃したことはな の間にはさまれた地域をめざして、直行することに決かった。 砂漠の奥地めざしての、それからのわれわれの旅に 定した。どちらももう完全に干上っている。しかし、 ついては、もうここにくだくだしく述べる必要もある ある夏のこと、雨季開始の直後に、私はブヒシバンゴ よう 水系の奥地で、ブッシマン部落の遺蹟を発見したこまい。来る日も来る日も、雲ひとつない青空の下、容 しゃ とを思い出したのだ。それにべンも、少年のころ、父赦なく照りつける日光の中を、やぶや茂みをかきわけ 界と砂漠を横断中、同じ地域で小さなブッシ = マンのグて、深い砂の上をゆっくりと進んで行く単調な旅がっ ル 1 。フに出会 0 たことがあり、しかも彼らはその時づいた。そしてある日のこと、われわれの一行は砂漠 失「吸い上げの泉」の近くにいた、という思い出を話しの中を大急ぎで歩いてくる混血土人の小グル 1 プに出 の てくれたのである。「吸い上げの泉」という彼の言葉会った。彼らはわれわれに、秘密の泉の場所を知って いる純血ブッシュマンの部落が、ここからそんなに遠 力が、私に決心させたのだった。このようなかくれた水 源の存在なしには、ブッシマンが砂漠で生き延びてくない所にあるはずだ、と教えてくれた。そしてとう
半ばうつつの状態でありながら、この大切な夜の最後な感情が私を襲った。唐突ではあるが、昨夜、大地と 雨に対して抱いた感情と同じものを、この二人の男に に、全てのものの最初の言語を再発見した。さらに、 女が恋人はまた来てくれるだろうかと秘かに疑ってい 感じたのだ。彼らに出会ってからはじめて、意味をも った同一の言語に近づいたのであった。 ただけに、やって来た恋人をいっそう強く抱きしめる 衝動的に私は訊ねた。「ヌクソー、最初の・フッシュ ときのように、大地が雨を受容し、その時に明らかに 発する深いつぶやきの声をも聞くことができた。私は、マンはいったい誰なのだい。」 瞬間、精緻な顔に、慎しみ深い老いの表情がきらめ まるで聖書の神々とギリシャ神話の神々を前にしてい るのでもあるかのように、暗闇に横たわっていた。周 いた。そして、澄んだ目をして、彼は言った。「もし ろう 囲で雷の音は、近づいては耳を聾し、遠のいては荘厳誰かが、その名はオエング・オエングだと私にいうな に鳴り渡った。それは人けのないシナイ山上のモーゼら、それに対し、私は『違う』などとはいえません。」 「とすると、最初の男はオエング・オエングと呼ばれ が耳にした声のように響いた。夜が明けても、雨は烈 しく降り続き、木の葉や、草や、獣の隠れ場には、早ていたのだね。」 「ええ、そう、そうなんです。その名は、オエング・ くも新しい生命の息吹きがあった。 界夜が明けても、ヌクソーは私のところへ来なかった。オエングでした」と答えるヌクソーの瞳は、障害がと 幃彼がバウクソーを伴って現われたのは、正午ごろであうとう取り除かれたことを、私以上に喜ぶかのように 失った。二人の温い裸の肌に落ちる冷い雨の衝撃にいか輝ゃいた。 ハウクソ 1 はにやにやしながら言った。「そのとお リにも当惑しているように見せつつ、歓びの笑いをたて り、オエング・オエングでした。」 ラながら彼らは走ってやって来た。二人を小屋に招き入 れ、 それから、その日は、彼らはしゃべり続け、私はそ い一杯のコ 1 ーヒーを飲んでいるとき、次のよう イ 39
専門家でもない。したが 0 てこういう論争に深人りす 0 た。遠い昔、すでにギリシャの大歴史家〈ロドトス が、次のような意味深長な言葉を書き残しているでは る資格も興味もないけれども、しかし次のことだけは 「リビアの奥地に、小柄で敏捷な、弓矢 言えると思う。すなわち、たといブッシ、マン以前アないカ フリカに未知の民族が存在したことを事実として承認を持っ狩猟民族が住んでいる」と。私のうちにいた老 こんせき するにしても、その民族なるものの痕跡は、現在何ひ人たちは、ブッシ = 「ンの思い出を物語る時、「ク ファイ・クフウェ」や、「エジ。フトのエプロン」や、 とっ残されていないではないか。私にとって重要なこ とは、アフリカ最古の原始民族中、ブッシマンだけ岩石絵画の話につけ加えて、このヘロドトスの言葉を が、かってたしかに存在し、しかも今なおーーーほそ・ほきっと引用したものだ。。フッシ = マンが少なくともア かろうじてその人種的命脈を保ちフリカ最古の原始民族であることを否定する証拠は、 そとではあるが つづけている、唯一の種族だ、ということだ。太古の何ひとっ現存していない。 アフリカと、現代とを結ぶクサリは、ブッシマンに私の家から遠くない所に、南西アフリカで「なべ」 と呼ばれる地があった。ダイヤモンド坑の鉱夫が、 しか見出すことができないのである。いわば彼らは、 原始アフリカ大陸の、最後の生き証人なのだ。この古その底を掘った時、表面から二メートル半の所で、プ 界 世い古い民族が、今もなお残存している、という事実、 , シ = マンの遺跡を発見した。そこから、ダチ , ウの 卵のからで作った、ブッシ = マン特有の首飾りがたく それが私にとって意味を持つのである。 失前にも言ったとおり、私の幼い時分には、若いころさん出てきた。地表と、その遣跡との間の土から、小 の つ。よ、出てきたが、その骨というのが、 ・フッシュマンと直接接触した体験をもっ老人が大勢いさな獣骨がい。し ラたのだが、その人たちは、・フッシ = マンがアフリカ最なんと、はるか昔に絶減した動物のものだったのであお 。くール河の流域で、何千年も昔の地層から、まぎ 古の原住民族だということを、誰一人疑ってはいなかる ,
はまた、リ - 男の茶番なのだ。彼はニスキモー流に、頭ょに濡れる。お茶を飲み終った彼は、法にかけられた りおしりの方を高くあげて、床を起きだしてくる。そようにおとなしく、じっと黙りこんでしまう。そして のあたりをかき回したり、物を探しまわったりして、 わたしは、ふたたび床の中にもぐりこむ。 わたしをおこそうとする。 「アイイ ! 」 物に動じない極北の男 それからしばらくしてまた、 「アイイ ! 北氷洋は、絶えることのない教訓の連続だ。最初の 「フナ ? 」 ( 何だ ) 眠りを妨げられたわたしは、機嫌教訓は、平手打ちをくわせるような激しい勢いで、天 がわるい。 候が与えてくれた。たまたまわたしは、ションギリに 「カマクト ! 」 ( 夜が明けます ) 対する不満で、はらわたがにえくりかえる思いでいた 9 「嘘をつけ、まだだ。」 と、雪嵐が起って、たちまちわたしは何もかも忘れて これがみな、お茶を飲まんがための策略なのだ。出しまった。自分自身をも忘れはてて、ただ、ここにい 発してから気がついたのだが、彼は、自分のものは、 るのは、同じ目的のために闘っている二人の人間なの 何ひとっ持って来なかったのだ。 だということを、いやというほど思い知らされた。 十分ばかり沈黙がつづくと、彼はまたはじめる。っ はじまったのは二時ごろだった。わたしたちが橇を 、こ艮負けして、わたしは起き上がってお茶を入れる。駆っていると、急に風が吹いて来た。橇大が視界の外 に消え、最後の一匹だけがかろうじて見える。すさま 大きな茶碗に三杯ずつ、それにビスケットを二枚。 しやがんだままで、彼はじっとわたしの動きを見守っじい突風が、わたしたちの橇を藁きれのように吹きと昇 ている。大きな手が茶碗をかかえこみ、ロひげがお茶ばす。陰欝な大の吠え声が、風に消されて、とぎれと
なラスコーの洞窟絵画によって、その事実をたしかめ・フッシ = マン族の命脈は、まさに地球上より絶えんと 0 ることができた。この絵画は、エジ。フト人の男性がしている。しかし、この保存本能こそが、彼らの最後 の生き残りをして、砂漠の彼方に、わずかな亡命の地 「クファイ・クフウェ」の持主だったことを、私に 教えてくれたのである。とにかく、ブッシマンの岩を発見させたのではなかろうか。 石芸術なるものが、いかに古い起原をもつものである その初期のころ、岩石絵画の題材は、常に動物だっ か、以上の事実だけからも、ほ・ほ推察がつくだろう。 た。画面の大きさに制限のある場合は、カモシカの首 私は現在の自己の生活を熱愛している人間なので、 だけが描かれているが、その目は、ビザンチン派の画 生まれ変って別の人生を送ってみたいなどと思ったこ とはない。しかしただ、もしも何世紀か前に生まれて、家たちの描いた人物の目にそっくりだ。カイ ( スにゆ この大陸に足をふみ入れた最初のヨーロッパ人になるとりのあるときは、百五十頭ものシカの群が、一頭一 頭の姿態に至るまで念入りに、いきいきと描写されて ことができたら、とは思う。その時、山々の大岩は、 、る。私の見た岩面のひとつには、疾走するオオカモ ・フッシュマンの製作になる色とりどりの絵画に飾られ て、この神話的な大陸は、一大美術館の内部のようでシカが描かれていたが、その躍動する姿態の描写は真 に迫るできばえで、大地をふみ鳴らす力強いヒズメの あっただろうに ! 事実、彼らは、ある植物から作っ 音が、今にもきこえてくるかとさえ思われるのだった。 た特殊な絵具を持っていて、色がはげると塗り直し、 しかし、やがて・フッシュマンの芸術家は、動物に代 かくてこれらの岩石絵画は、何世代にもわたって大切 って、彼ら自身の生活をその画材にとりあげるように に保存されてきたのである。彼らが、祖先の残した芸 なった。題材はいっそう複雑なものとなり、描写はよ 術を、かくも貴重なものとして扱い、永遠に保存しょ うとしたその熱意は、実におどろくべきことだ。現在、り細密になった。子ども、夫、猟師、闘士、そして内