出し - みる会図書館


検索対象: 男の学校
51件見つかりました。

1. 男の学校

弱き哉、男ー 男性が数人、女の「品定め」をしているところ ( 行き合わせた。もはや五十路も半ば近く過ぎ た私なれば、男たちも心許して仲間あっかいをする。私がいるからといって格別遠慮することも なく、専らあの女この女の性的魅力についてしゃべ 0 ている。男が女を「品定め」するときは、 なぜか女の人間性についてはあまり語らない。誘惑に弱いか強いか、性的に達者か達者でないか、 処女か非処女か、なんてことが関心事のようで、そんなことに一生懸命にな「たところで、あん たさんのヨメさんになるわけじゃないのに、といいたくなる。 「いや、あれは・ハージンだよ ! ぼくは保証するネ ! 」 「そうかね、しかしぼくの経験からいうとだな : : : 」 うんちく 長々と蘊蓄を傾ける人もいて、論議は尽きない。中に長老格の男がいて、 「いや、あれは処女だ」 重々しくいえば、みな怖れ人って、 「そうかなあ」

2. 男の学校

ハンティーの洗い方 「この手紙は記事にされても結構です」という追記のある手紙を山口県在住の五十七歳の男性か らもらった。 その男性は身体を悪くして無職、年金生活者で、奥さんは病院の看護婦、十九歳の娘さんは短 大へ行っている。 「ご多忙のこととは存じますが、我が家では次のようなことから、父である私と妻娘との間にわ だかまりを生じております。ただ、良い悪いのご返事だけで結構ですから、お考えを承りたく 存じます」 そういう書きだしで手紙ははじまり、 学「私は常、子供はいずれ結婚し、家庭を持っことを考え、躾で良い習慣を身につけておくこと のが大事だと思っております」 男 と、真面目な人柄を思わせる前置きががあって本文に人る。 しつけ

3. 男の学校

208 ものは使いよう ある地方のホテルに泊った。フロントの若い女性に、明日の朝は八時に車を呼んでおいて下さ いと頼んで寝た。翌朝、出かけようとすると車が来ていない。汽車の時間が迫っているので私は 詰問した。 「これでは昨夜から頼んでおいた甲斐がないじゃありませんか」 するとホテルの責任者が謝りに来ていった。 「何ぶんにもアル・ハイトの女の子だものですから : 私はまたか、と思う。その二、三日前、私は飛行機に乗り遅れて、飛行場から講演先へ電話を かけた。一便遅れますといったはずだが、飛行場に着いてみると迎えの人がいない。仕方なくタ クシーに頼んでもよりのホテルへ連れて行ってもらった。ホテルから改めて連絡をすると、責任 者があたふたとやって来た。 「電話に出た者がアル・ハイトの者でして、何しろ馴れないものですから、連絡を怠りまして」

4. 男の学校

180 たた と褒め称える。 私はポンポン時計を思い出した。ガキ大将もポンポン時計のように懐かしい存在になったのだ。 即ち稀少価値が出て来たのである。 「うちの息子は大学なんかへ行かないといっていますの、オホホ」 と朗らかに笑った人がいる。なぜ笑うかというと、それが母親の子供自慢のニューモードなの だそうだ。 「おかげさまで東大にストレートで人れましたの、オホホ」 この子自慢はもう古い。「大学へ行かない」といわずして、「大学なんか」という、この「なん か」がミソなので、それはその青年の自信と覇気を物語っている一一一口葉なのである。本当は行きた くても行けそうもない、というのが実情かもしれないのだが。これまた稀少価値。 「ほう、なかなか気骨のある息子さんで」 と感心されている。 この分でいけば、今にハナタレ小僧、クリクリ坊主のジャリっ禿なんて子供も、 「まあ、可愛いわねえ、素朴だわア」 と珍重されるかもしれない。

5. 男の学校

203 男の学校 我慢の修業 土曜日の夜、胃ケイレンで苦しんだ。 たんのうわずら 三年ほど前に胆嚢を患い、それを手術せぬまま放置しているので、その再発かと不安を覚えな がら痛みと戦って一夜を明かした。しかし今回は胆嚢ではなく、胃ケイレンであったことが翌々 日の診察で判明した。 翌々日までそのままで痛みに耐えていたのは、日曜日が間に挾まっていたためである。よくま あ、胃ケイレンの痛さを、そんなに辛抱しましたね、と見舞客が驚いたので気がついたことがあ 三年前に胆嚢の激痛に苦しんだ時も、ついに一度も鎮痛の注射を受けたことがなかった。おそ っちか らく今回、胃ケイレンの痛みを我慢出来たのは、胆嚢炎時代に培われた我慢のおかげなのであろ 胆嚢の痛みというものは、なぜか夜中に起ることが多い。そうして夜中に病気になれば、この 節はまず、お医者さんの往診は期待してはならないと、覚悟を決めなくてはならなかった。

6. 男の学校

「よしなさいよ、恥ずかしいじゃないの」 と娘が袖を引く。 「子供が泣いているのがわからないんですかツ。押すのはやめなさいッ りんぜん 凜然と制したつもりだが、何の反応もない。私の方を見る人さえいない。相変らず沈黙のまま、 ジワーツと押して来るのである。 ようや 漸く航空会社の人が出て来て、飛行機は乗客を積み残して出発するようなことは絶対にしない から、安心して、押さないで下さい、といっている。 「皆さん、一列に並んで下さい」 というが、こんなになってしまってから、どうして一列に並べるか。 そこで私はまた怒った。 「並んで下さいじゃなくて、どうすれば一列に並べるかを考えるべきですッ ! 」 しかし私の怒声は空しく消えた。誰ひとり私の言葉に耳を傾ける人はいないのだ。 「うるさいおばはんやなあ」 という表情で、前の青年がふり返っただけである。たださえ大きな私の声が、耳もとで炸裂し たので驚いたのかもしれない。まわりの群集は、凝然と前を向いたまま、相変らず静かに、ジワ ーツと押して来る。私は、

7. 男の学校

のである。 父は細やかな心づかいを示すことが出来る女性、言葉数少なく、控え目な女性、献身を喜びと し、男から愛される女性に私をしたかったであろう。父は、男に愛され、よい家庭を作ることを、 女の至上の幸福と考えていたから。 しかしそのための教育を父はしなかった。したのかもしれないが、成功しなかった。 十八歳の時、私は旅先の旅館の廊下で酔漢に抱きっかれ、その頬に往復ビンタをくらわせたの で、酔漢のメガネはふっとび、外れたレンズは廊下を転がって庭〈落ちて割れる、という騒ぎを ひき起したことがあ・る。 旅から帰った私が父にそのことを報告すると、父はカラカ一フと笑って満足そうに叫んだ。 「よく、やった , この「よく、やった ! 」の一言は、女は優しくなければいけない、言葉数少なく控え目で、男 に愛されなければいけない、という平素の父のお説教など一瞬に吹き飛ばす力を持っていた。 家庭教育について私が語り渋るのは、身をもってその難かしさを知っているからである。 年中、酔っ払っている父親がいて、母親は愚痴をこぼして泣いてばかりいた。だからあんなろ くでなしの息子が出来上った、と人は簡単にいう。しかし、父親が酔っ払いで一家が悲惨だった

8. 男の学校

これまたあわれな話で、今の子供はいつ、どうして、こんなに人の立場や気持ばかり考えるよ うになったのだろう ? 父親がハゲ隠しの苦心の作を頭にいただいていると思えば、何とかしてあの秘密を暴露して困 こしたんたん らせてやりたいと虎視眈々、いたずらの目を光らせるのがかっての男の子というものだった。 その頃の子供は、おとなの無理解と権力に圧迫され、何かというと文句をいわれ、説教され、 感謝を強要されてばかり。おとなを困らせてやらなければとても身がもたぬ、といういい分があ ったかもしれない。 そのため、昔の小学校では「修身」という課目を作って、親のお手伝いをする子はいい子です、 親に心配をかけぬよう、感謝しその恩に報いましよう、と親孝行を説いたのである。 何年か前より、修身教育を復活せよという声が上っているようだが、今の子供はみな親孝行で ある。 「我が身を抓って人の痛さを知れ」などといわなくても、ちゃんとわかっている。我が身を抓っ たりしなくても、親はいろいろたいへんなんだ、と理解しているのだ。 親が、勉強しなさいよ、勉強、勉強と叱らなくても、すすんでハチマキしめて机に向う、塾へ 行く ある家庭で父親が浮気をした。外泊が重なり、母親は怒り泣き叫んで子供たちに訴えた。する

9. 男の学校

「ちイよオにイイイ やアちイよオにイ さアざアれェ」 と一息に歌って、ホッとイキを人れる。「千代に八千代にさざれ石の」という歌詞なれば、「さ ざれ」で切ってはおかしい。 「さアざアれエーいイしイのオ」 とつづけなくてはならないのではないかと素人心に疑問に思いつづけていた。 しかし、なにぶんにもこの歌は、テンポがのろくて、「ちイよオにイイイやアちイよオにイさ アざアれェ」とノロノロ歌って来ると、どうしても肺活量のない者はひといき人れたくなるのだ。 本当なら、「千代に八千代に」と「さざれ」の間で、す早くイキを整えて、そして「さざれ工い イしイのオ」とつなげるべきなのだろうが、そういう芸当は子供やおっさんおばさんには難かし い。 そんな難かしさのためか、曲が荘重すぎるためか、「君が代」を歌うと ( あるいは歌っているを 人をテレビなどで見ていると ) 何となく私は気の毒なような、困った気分になってしまうのだ。 学 のみな、実につまらなそうな顔で歌っている。本当はつまらないのだが、荘重ないい歌だと教えら れつづけて来た身には、つまらない顔をしてはいけないのだと自ら戒める気分があって、 「こオけ工のオオ

10. 男の学校

以来、私はその呉服商が来るたびに、 「この人は今に滅びるのか」 とっくづく顔を眺めたものだ。しかし呉服屋は滅びる気配なく、お世辞も上手、かけひきの手 際もよく、商売は繁昌している気配だったので、私は父に、 「お父さん、平田屋のおっさん、なかなか滅びないね」 といって、母にそんなこというものではありませんと叱られた。 親の教えというものはおかしなもので、親が子供に向っていい聞かせたこと、お説教のたぐい はあまり子供の中に残らないのではないか。少なくとも私の場合はそうである。そうして何げな く親がいった他人の悪口とか褒め一一一口葉とかが心にひっかかって、「なるほど、ああいうことはよ くないのだな」「ああいう人は立派なんだな」とわかって染み込む。 アンコロ餅を食べる前に胃腸薬を飲んでおくというのも、ひとつの処世の用心であろうが、な にも薬飲んでまでアンコロ餅を食べることもなかろう。アンコロ餅を食べるにも小心翼々として 学食べねばならぬとは情けなし。食べてひっくり返るもよし、ひっくり返るのが心配なれば、いっ のそ食べねばよいのだ。それもひとつの生き方である。 我が親の教えがよかったか悪かったかをここで論じるつもりはない。ややもすれば私がアンコ ロ餅を食べ過ぎてひっくり返る方の人生を歩いてしまうのは、幸か不幸かこういう父の、折にふ