実に私の我慢の力は、そういう事情によって養われたものなのである。 もし私に目覚めのいい、寝ポケない娘がいれば、もし世の中の看護婦さんがみな優しい声で 答してくれるという安心があれば、もし、どこのお医者さんもすぐに往診に応じることになっ いたならば、私の我慢の力は養われなかったであろう。 かんけっ 深夜、時計の音を聞きながら、間歇的にさし込んで来る痛みを耐えつつ、これが間歇的に来み からまだいい、と思う。世の中にはこの痛みがぶつ通しに襲って来る病気の人もいるであろう。 その人に較べたら、我慢出来ないことはない、と思う。 戦時中を考えよー と突然、想念は飛躍する。戦時中は何の薬もなかった。歯が痛くなっても、歯イタ頓服といら ひょうのう 気休めのような薬を飲むだけだった。頭痛には頭痛膏をコメカミに張るだけ、耳が痛いと氷嚢 耳に当てるだけ、お腹が痛いと温めるだけ、胃が痛いと唸るだけ、スリムキ傷にはツバをつける だけ : : : 我ら及び我らの先輩はそうして病に耐えに耐えたではないか。かって耐えたことが、ム「 耐えられないわけはないツ。うーむ、チクショウ ! 意地でも我慢するぞーツ ! 学そう思い思いしているうちに夜が白々と明けはじめる。 の人は困苦欠乏によって鍛えられる。かくて私は痛みに対して強い人間になった。今のお医者さ んは往診、夜間診療を拒むことによって、甘ったれの我慢知らずになった現代人を鍛えておられ るのかもしれない。
続白熱戦 前回、嫁姑の白熱戦というテーマで書いた。それを読んで電話をかけて来たさる男性。 「あの文章、身につまされて読みました。全く女というャツはすぐに興奮し、興奮すると自分の いいたいことをわめき立てて、人のいうことを聞けなくなるのが困ります。例えばぼくが遅く帰 宅した。その理由を説明せよというから説明をします。すると最後まで聞かずにウソでしようと いう。そして自分勝手にしゃべり出す。しゃべり出すと止らない。仕方なく黙っていると、ウソ を見破られていう一言葉がないものだから黙ってると怒る。そこで説明をはじめると、またウソで しよう、だ。こういうことは、男には絶対ありませんね。女性には人の話をちゃんと聞ける人は 皆無といってもいい」 そういわれると思い当る節も色々あって、 「おっしやる通りかもしれません。これから我々女性はそういう点で男性を見習いたいと思いま 神妙に答えて電話を切った。
「ある」から使う。「壊れない」から使っている。ただそれだけのことなのだが、あんまりびつ くりされると、そうもいえなくなって、何かこう、湯たんぼについての文明論的考察を述べなけ ればいけないような気持になって来るのが厄介である。 こういう会話をひとつひとっ思い出していると、どうも私は人一倍、ケチな人間だということ になるらしい。 娘が高校三年になり、勉強机が小さくなった。小学校に人学した時の、子供用の机を今日まで 使わせていたのである。 「机が小さいから参考書なんか広げられないのよウ と娘がこぼした。この頃、比較的勉強をするようになってきたので机の小ささに気がついた。 これまではいかに勉強しなかったかという証拠のようなものだ。そこで新しく机を買った。する と、それまでの机をどこに置くかが問題になった。 どの部屋もそれなりに道具が人っていて、小汚ない机を置く場所がない。そこで甥を呼んでい 校「この机、いらない ? 」 の「いらないよウ」 男 と甥はニべもない。 「そんなこといわないで持っていってよ」
192 行くつもりだなどといったことはないとハッキリいったじゃないかッ ! 何たる厚顔、鈍感、 ズサン、無責任。ここまで来ると私は、自分のアタマが ( ンになっているのではないかと心細く なって来る。 彼らをかばう人曰く、 「悪意があってやってるわけではないんですよ」 それくらい私にもわかっている。今は仕事優先時代だ。仕事への熱意のためなら人 ( の誠意や 敬意を捨ててよいと思っている。彼らにとって人は素材にすぎない。だから平気で無視する。悪 意があってやってるわけじゃないだと ? 蚤だって悪意があって人間を噛んでるわけではない。しかし間違いなく蚤は害虫なのである。
男性的若者論 高二の娘とテレビの素人のど自慢などを見ているとき、娘がいう。 「ほら、ママの好きそうなのが出て来たー・ 娘がそういうときは、たいてい丸刈り頭で歌はヘたくそ、不器用、てれ屋で、司会者に話しか けられても当意即妙に答えられず、頭をかいて引きさがるような若者が出て来たときである。 やがて私がいう。 「ほら、あなたの好きそうなのが出て来た ! 」 長髪でジーンズをはいた脚は長く、痩せて面長。着ているものにも神経が配られていて、世馴 じよさい れて如才なく賢しげに応答する。そんな青年が出て来たときである。 娘は必ず私の断定に不服を示し、私は、 「あんなの、キザすぎる」とか、 「自意識過剰」 などと文句をつけるのだが、私と娘の好みが一致したことはまだ一度もない。そんな私たちの
210 彼女が書き直して来たものを見て驚いた。 「原稿は書けませんので、足からず」 「あなたちょっと、あしからずは悪しからずと書くのよ」 「あらいやーだ、アハ あらいやだはこっちでいうことだ。こういう手合いにかかると、さすがの私も憤るよりも逃 げ出す方が早いという気になったのである。 私の娘は高校生だが、この頃頻りにアル・ハイトをしたがる。しかし私は断乎として許さない。 「あなたのような者が世の中に出て働くなんて、人に迷惑をかけます」 これが反対の第一理由である。 「学生たる者が勉強をせず、金を稼ぐことを考えるとはもってのほか」 これが反対の第二理由である。働かねば学校へ行くことが出来ないという事情があるのならば ともかく、自分の遊びやほしい物を買う金を稼ぐために、世の中に迷惑をかけるべきではない。 そういうと娘はいった。 「迷惑なんかかけないよう、一生懸命にやるわよう。仕事はやってみてだんだん覚えて行くもの でしよう」 「よろしい、そんなら、少なくとも十日は無報酬で働きなさい。それなら許す」 いきどお
私はあわれな選手のために、 「ちょっと、あんた、杢ロ監さん、夜釣りくらいしたっていいしゃないですか。何でそんなうるさ いことをいうんです」 そういってやりたいと思ったが、次の文章を読むと、何とこう書いてあるではないか。 「何も魚釣りまで禁止しなくても、と思うのが人情だが、球団側にいわせるとちゃんと筋が通っ ている。咋年、夜釣りをしてカゼをひいたのがいた」 困るねえ、全く。 せつかく味方してあげようと思ってるのに、夜釣りしてカゼをひくとは子供ナミだ。それでも にわ 心身鍛えているスポーツ選手かと同情は俄かに消えて情けなさに代った。 しかしそれにしても夜釣りをしてカゼをひいたのがいるから、夜釣りを禁止するというのも、 何という単純極まる発想であろうか。男とっき合うと身を誤るから、男とっき合ってはいけない といった昔の女学校教師とますます似て来た。木に登ったら落ちるから、登ってはいけませんと 子供を叱る母親にも似ている。発想が女性的でいかにも小さい。 校天下の巨人軍の選手、大の男がこんなことまで戒められて、いったい、男として恥辱を感じな のいのが不思議である。こんな戒律、憤怒して破り捨てる選手が一人もいないとは情けない。 男 プロ野球選手の、スポーツマンとしての自負心はいったいどこ ( 行ってしまったのか。何かと いうと彼らはいう。 いまし
「また来たよ : : : 」 これを見ていると私は、何ともいえずいやアな気持になる。 なぜいやアな気持になるのか。彼は息子夫婦と「スープが冷めない」ほどの距離を隔ててひと り暮しをしており、決してみすぼらしくなく、小綺麗に、悠々と老後を楽しんでいる。ここには にのの 現代の最も合理的理想的な親子のあり方が描かれていて、仄々と心あたたまる寸描ではないか、 と人はいうであろう。 しかし、いくらそういわれても私はいやアな気持になる。まず気になることは、「また来たよ」 という、その「また」だ。この「また」が私にはかなしい。「お父さんたら、また来たわ」と顔 をしかめられることを先どりした、自嘲の響きがここにはある。飯どきになると現われる後ろめ たさ、恥ずかしさを知ってはいるが、しかし行かずにはいられないこの孤独。 業つくばりのばあさんが借金の取立てにやって来て、 「また来ましたよ、ハイ、ごめんなさいよ」 校ずかずかと病人の枕もとに坐り込むときの「また」とは違うのだ。 のしかもこの人は猫を片手に抱えている。それが私には何ともいえずかなしい。猫を抱えて何が 男 いかんと叱られるかもしれないが、この猫のために彼のひとり暮しの淋しさがよけい浮き出るの である。
かった。だからこそ愛人は弘田さんをおいて、妻と一緒に家に帰ろうとしたのであろう。 それを頭ゴナシに、「甘える芸能人」と決めつける。 妻が隣の亭主と浮気をしたので、隣の亭主を殴ったオッサンがいる。隣の亭主は怪我をしたが、 べつに警察へは届けない。自分が他人の女房を寝盗ったのが悪いと思うからである。こういうこ とは世の中にいつばいある。しかも誰も、「隣のオッサンは甘えてるーといって咎めはしないの である。 被害者がことを荒立てることを好まないのならば、それでよいではないか。私はそう思う。殺 人鬼をかくまっている、というのと話は違う。芸能人だから届けなかったのではなく、隣のオッ サンも届けなかった。 とん こういうケースでは殆どの人が同しようにするだろう。だが芸能人だけが新聞の五段ヌキで批 判されるのである。 「自首なければヤミの中」だって ? ヤミの中、結構ではないか。わざわざ明るみに出して、何のトクがある。たとえ、届け出があ まっさっ 校ったとしても、こんなくだらない事件はわざわざ世間に知らせず、ヤミの中に抹殺するのが大新 の聞の見識というものではあるまいか。 男 どうもこの頃、重箱のスミをせせくるような発想が多くなって来た。そうして弱い者イジメを
こへ行って訊ねた。 「出来ますよ」 窓口の人は簡単に ( いい替えればぶつきらぼうに ) いい、その切符を貰って来れば金を返すと いう。 私は改札係のところへとって返した。 「さっきの切符下さい。向うで払い戻してくれるそうですから」 すると改札係の顔が忽ち険悪になった。 「払戻しなら向うの窓口だよ」 奥の窓口を顎でしやくる。 「でも向うの人が持って来なさいといったんです」 「払戻しは向うだよツ、向うへ行けばいいんだッ ! 」 噛みつかんばかりに怒鳴った。 怒鳴ることにかけては人後に落ちぬつもりの私も、機先を制されてポカンとした。人が泣いた 学 の り怒鳴ったりするときは、それなりの必然性があるもので、その必然性は必ず怒鳴られている相 男 手にも通じるものなのである。 ところがこの改札係が怒鳴る必然性は、いったいどこにあるのか、私にはわからない。そもそ