奥さん - みる会図書館


検索対象: 病室から
172件見つかりました。

1. 病室から

214 尻のシワを数本すっふやす。 この奥さんが術前に看護婦さんを笑わせたことを思い出した。医学用語のいくつかは昔 更ま Kot ( コ のなごりでドイツ語が残っていて、たとえば、尿は Harn ( ハルン ) と、 ト ) 、血圧は D 「 uck ( ドウルック ) などという。看護婦さんどうしの申し送りのときにはそ ういうドイツ語を使う。部屋まわりをしていた看護婦さんが思わず「さん、今日はコー トありましたか ? 」と聞いた。するとべッドの下にゴザを敷いて座っていた奥さんが、べ ッドの下をゴソゴソさせながら、「いえ、コートはありません。コートじゃなしに傘なら ありますが、ほれ」といって雨傘をさしだしたのだった。説明を聞いて、さん夫婦もほ かの患者さんたちも笑った。 二病棟は混合病棟。そこに建具屋さんが入院している。抗癌剤を使用し、その副作用の 肺線維症が始まった。痛みが強く、鎮痛剤も使っている。仕事仲間の大工さんがよく見舞 いにきてあげていた。頼んでいた建具は、他の建具屋さんに作ってもらうことにすると内 緒で奥さんに耳うちしていた。「あと一週間もっかどうか、と言われてますし、ほとんど 寝たきりですし、テレビも持って帰りました。ですから、建具のほうもどなたかによろし く」と奥さんは大工さんに言ったらしい すると、建具屋さんは目を醒まし、宙をつかむようなしぐさをし、「やあ、大工さん、 すんませんな、仕事が遅れて。あしたは寸法を取りに行くつもりですけえ。あそこの戸は

2. 病室から

護婦さんが死化粧をしてくれているあいだにばくは元の白衣に着替えた。 霊安室にはいってお礼を言った。解剖の結果はばくのロだけの説明でいいでしようか、 それとも臟器もごらんになりますか、と尋ねた。「見せていただきましようか、ねえ」と 、、「ええ」と奥さんが頷いた。解剖室からガーゼで覆 弟さんが奥さんに尋ねるように言し った臓器をバットに入れて持ち運び、霊安室の床の上に置いた。弟さんは、まるで自分が ' カーゼを取ったとき、いま 切腹でもするような形でかがみ込み、両手を組み力を入れた。・ まで声を出して泣くことを抑えていたさんの奥さんが突然に泣き声をあげ、顔をそむけ 目をおおった。ばくは説明を続けたが、生命を可能にし生命を維持してきたひとつひとっ の臟器に秘められたカというものを、二人をまえに改めて感じた。 解剖室のドアがあき、白い布で顔を覆ったさんがはいってきた。みんなで線香をあげ 医者という人、技師という人、看護婦という人、患者という人、家族という人、そう いう人たちが霊安室のなかにいて、ひとつの死を構成しているようだった。霊安室の重い ドアがあき、「お迎えにあがりました」と言って葬儀社の人がはいってきた。みんなで徴 動もしないさんを車に運んだ。車は地下から地上へと続くスロープをゆっくりと上がり、 のばくらはそれを見送った。大寒のころの朝の六時過ぎ、外はまだ暗かった。

3. 病室から

すね。島で彼は、残してきた妻と子どもたちのことをいつも思うんです。「元気にしとる かな。ちゃんと学校いってるかな。ちゃんと飯くっているかな」って。療養所では作業が あってわすかな作業賃がもらえたんだけど、金さんはいちばん安いくすタバコを買うお金 だけ残して、あとはぜんぶ橋の下の家に送るんです。 その後、金さん一家は広島へ引っ越し、そこで廃品回収業を営み、子どもたちも独立し 結婚していくんですね。金さんのところには、そのつど結婚式の写真が送られてくるんで す。長男、次男、長女と。金さんは療養所にいて、その写真をまるで自分もいっしょに写 っているかのように見て、顔をほころばすんですね。でもどの写真を見ても、金さんは写 ってないんですね。 ばくは金さんに、「どうして病気のことを、息子さんたちの奥さんや親類の人たちに明 かさないんですか。わかってもらえたら、金さんは息子さんや娘さんたちのところにも行 けて、奥さんにも会えるのに。、ちばん苦労してきたのはあなたでしよう。どうして最後 言までみじめでないといけないんですか ? 」って聞いたんですね。すると金さんは、まった の く動じることもなく、「このことがわかったら、みんなの、いに傷がつく。わからないまま ら 蹴のほうが、みんなしあわせになる」って言いきるんですね。ばくはもう、なにも言えなか 臨 ったですね。 さあ、飲みなさい ナシをむいてくれて酒をついでくれて、「さあ、食べなさい

4. 病室から

ってみたが、 さんは頭をなでて苦笑いをするだけ。この世界はなんともむすかしい 「電話がかかっています。家庭酸素の会社のかたからです」と看護婦さんが呼びに来る。 「ええ、午後二時に病院に来てください。そこからいっしょに〇〇町の患者さんの家に行 きましよう」と言って電話を切った。 「おはようごさいます。もう、おはようでもないですね。どうですか、腰の痛みは」と十 七号室のさんに言う。「ましです。楽になりました」。さんの前に立っと気が楽になる。 うそ 進行した肺癌だったのに化学療法が嘘みたいに効果をあげて、呼吸困難がなくなり、普通 に廊下が歩けるようになった。「おかげさんでな、ええようです」と度の強いメガネをか けて奥さんが自分のことのように返事をする。 「この人はべつに取り柄のある人じゃありません。何ができるわけでもありませんが、も し病気がようなったら、パチンコでもできたらって思います。昔からパチンコだけが好き でしてなあ」と、看護婦さんたちとの、ターミナル・ケア・カンファランスで堂々としゃ べっておられた。「お前は黙っとれえ。あの、外出してもええでしようか」とさん。「い 日いですとも」と答えると、「ありがとうございます、ええって先生が」と奥さん。「わかっ ーテープルには、目薬のような形をした のとる、いえ、ははは」とさん。さんのオー なんこう 下剤用の水液、うがい用の水液、そして口内炎の軟膏、それに、目薬がそれそれ二本すっ セットされている。「まるで、スパイスですね」と言うと、ふたりとも笑っている。

5. 病室から

と七〇。生命の維持が不可能になった証拠だった。国道二十九号線を走っている車もほと んどなかった。県庁前の信号も青だった。車を病院の玄関に横付けして、医局にかけ上が ジャンパーを脱ぎ、白衣をひっかけながら病室へ急いだ。 真夜中の死 病室のドアをあけた。ドアの近くに電話をかけた看護婦さんが立っていた。ただ、立っ ているだけだった。さんのべッドサイドには、奥さんとさんの弟さん夫婦がいてさ んを見つめている。病室の蛍光灯は消され、べッドランプだけがついていてさんを照ら していた。 カカく 呼吸数はみるみる減少した。下顎呼吸だった。元気だったときに聞かれた吸気時のザー ザーという異常な肺音さえ、もう聞かれなかった。 一分間に五回、そして二回と落ちてい った。頸動脈も触れなくなり、顔も手も冷たくなった。べッドランプを隅にやって、ペン ど、つ一 : っ ライトの光を瞳孔に当ててみた。瞳孔は散大し、対光反射はもうなくなっていた。もう一 度聴診器を胸に当てた。ひとつの呼吸音も、ひとつの心音も聞こえない。 心電図モニター の記録用紙を看護婦さんが持ってきた。もう基線だけになっている。 「〇〇〇〇さん、昭和六十三年一月二十二日、午前二時五十分に、亡くなられました。長 い間の闘病と看病、ごくろうさまでした」と一一 = ロい 一礼した。奥さんが「いろいろお世話

6. 病室から

レントゲン技師がポータブルの撮影機を押しながら病室で x 線写真を撮っている。ビ ル・クリーナーのおばさんたちが、モップで廊下をふいている。寝たきりの患者さんをス トレッチャーでお風呂へ連れていき、体を洗う看護婦さんたちの笑い声が風呂場のほうで する。 七号室の斜めまえの十九号室にさんがいる。六十五歳である。病識はほとんどなかっ た。少し息苦しいと思って近所の医者にかかったときには、すでにひどい陰影が肺にあっ た。そして腹部超音波の検査では、肝臓にもおびただしい転移病巣があった。原発病巣は 不明のままだ。急速に悪化してさんは寝たきりになってしまったが、一週間まえまでは、 自分で歩いてトイレヘ行けた。タ陽が沈むころになると、西側のべランダに出て手を合わ せ一礼した。三歩ほど後ろで、奥さんが手を合わせ一礼した。自分たちの信じる宗教団体 のお堂が、病院から見ると西の方角にあるのだった。寝たきりになっても、さんの首に はじゅずがかかり、お寺の名を刻んだバッジを寝まきにつけ、ときどき天井にむかって手 を合わせる。 「おはようございます。申しわけないことをしました、先生。酸素の管は取るし、点滴の き一く チュープも引き抜くし、それに小便の管まで」と、さんの手を柵越しにしつかり握って 奥さんが言う。昨夜、体にくつついたありとあらゆるチュープを引き抜いたのだった。 「これすると体のバイ菌が出ていくだけ、と言ったら、それからはこの鼻の管を取らんよ

7. 病室から

死こ したい、なんて口にすることもありましたけど、特別に様子がおかしいというふうでも ありませんでした。その日の昼は、『うどんが食べたい』と一言うので月見うどん作ったら、 『うまいな』と言いましたから。それからテレビみてて、タモリとサンマを見て笑ってま した。『ちょっと出てくる。草でも抜くか』と言って。たぶんそのときに農薬買って飲ん だんだと思います」 一週間まえの夕方、救急室に呼ばれたとき、さんの処置をしていると警察官がやって きたのを思い出した。警察官は救急隊から連絡を受け、事情聴取ということで奥さんに質 問していた。「こういうときですから、質問は簡単にしてあげてください 」 , つい , っ必市ズ があって薬物中毒の患者さんに警察がいろいろと聞くんですか」と抗議した。すると若い 警察官が怒りを顔に表わしながら、「加害者がいるかどうか、それとも自殺行為か、それ を調べてるんです」と言った。もうひとりの年輩の警察官が、少し笑い顔をし、若い警察 官を制するように「まあまあ」と言い、その説明をくり返した。警察官はその後も奥さん まにいろいろと質問をしているようだった。 と 外科外来のまえで奥さんは、少し尋ねたいことがあると言って、こう続けた。 室「主人の生命保険ですが、病気はないし、入院したこともないといって二年まえに加入し ているのがあるんです。でも、それまでにうつ病で何回か入院していて、そのことがはっ きりすると、お金がおりないかもしれないんです。こういう場合、何かいい方法はありま

8. 病室から

二枚じゃなしに四枚戸でしたな」などと言ったらしい。「ありや、テレビがないな。わし や『水一尸黄門』が見たいな」などとも。 大工さんと奥さんはびつくりし、大工さんは、「いやいや急がしませんけえ、ゆっくり 病気治してからしてもらったらええです。待っとりますけえ」と励まして部屋を出たのだ オ ( いま、ちゅ , っことじゃないでしよ、つ そうだ。「先生、おかしなことを一言いますけど、い お。自分じゃあ、まだ仕事する気でおるようですー」と、いままでにもう何度も涙を流し はほえ た奥さんは、大工さんがきてくれたときの話をしながら、少しだけ微笑んだ。 四病棟は小児科病棟。そこにも内科の患者さんが入院している。子供たちの声や、若い おかあさんの声が聞こえてきて、病院のなかでは明るい雰囲気をもっている病棟だ。胃癌 の手術を受けて、まだ二年と経たない子さんがここにいる。「なんとはなしにえーらい です。食べとうもないし」と訴える。痛みにはいい薬ができたが、「えーらい」に効く薬 せき 。いまのところない。癌は広範囲に転移し、わずかな連動や咳で息苦しくなる。「もう、 死んだほうがええわ、こんなにえらかったら」と投げ捨てるように言って、「ね ? 」と情 とけなさそうに笑う。 ・はくつつ、つ 室かっては馬喰 ( 牛や馬の仲買商人 ) で、北海道まで馬の買いつけに走り回っていたご主人 「いけんです、こんなことばっかり一言って。治らないけんし、冶るって思って、い強う にしとかにやいけんのに」と一言い、視線を床に落とし、涙を浮かべる。ステロイド剤と麻

9. 病室から

ま、「 0 」と「 1 」では・ないかと田つ。 政平さんは、元一流ホテルのコック長だった。背が高いから、コックさんの白い帽子が よけいににあっただろうと思われた。「今は洋食っていっても、コースで食わせてくれる ところは少ないでしよ。とくに、こんな田舎ではね。私が横浜でやっていたのは、主に外 国人相手でね、みなコースでした。ますオードプルを出して、それからスープ。そして魚 て肉料理。そしてデザートにケーキとコーヒー、最後に果物。洋食はやはりコ 料理に続い ースですね。私は鼻が悪くてね、臭いが全然だめだったんですよ。今だから言えるけどね。 でも、色や硬さで、わかるもんですよ。ローストビーフには上等の肉といいスパイスを使 うからね、あれはおいしいですよ」。 、ふうー」と唇をすばめてする。 政平さんはそう言いながら、吹くようなを「ふうー 五、六年まえに、階段の昇降が息苦しくてできないと言って受診した。慢性肺気腫だっ た。そのころは、脳血管障害で寝たきりとなった奥さんの看病を、病院に泊まり込んでし ていた。政平さんはしばらく外来に来なくなり、半年ほど経って、「ちょっとものがっか しくい」と言って久しぶりに受診した。奥さんは亡くなり、病院とは縁が切れ えて、食べこ て遠ざかっていたのだそうだ。 力い、よ、つ 食道透視で欠損陰影が見つかり、食道ファイバースコープで不整な潰瘍と隆起を認めた。

10. 病室から

252 な ? 」と聞くのだった。「そうですか、それならちょっとは安心してええのですな。あ あ、よかった。あのおかたも、このことさえなかったら、立派なおかたですけどなあ」 と言い残して面談室を出ていった。 ある日の回診で、その小指さんが見舞いにきて帰っていかれたあとだったので、ばく は小さな声で棟梁に尋ねた。「どうしたら、そのようなことが実現可能になるのですか」。 すると棟梁は怪訝そうな顔をするので、「奥さんから聞きました」と言うと、ニャッと して「先生も何か心当たりでも」と逆に聞き返された。「いや、今のところ、まだそう いうありがたい話はもちあがっとらんのですが」と答えると、棟梁は天井を見つめてい た視線をこちらにむけて、ひとこと言った。「そうですなあ、嘘をつくことですなあ」い 猥雑な間年を生きてすれつからしとなり、 いま肝臓癌を腹にもって病室でこれを書いて いる私 ( 篠崎 ) は、棟梁のイメージにつんのめる。 一ヶ月後に自 5 をひきとる棟梁は、このとき遠くない自分の死を感じていたにちがいない。 天井から移って徳永さんにむけられた棟梁の視線は、死を見て、そのむこうに " 「ほん とは、これつばっちも許しちゃあおりませんッ奥さんを、見舞いにきた小指さんを、刻 みおわって取り替えのきかぬ自分の人生を見て、見直して : : : そしてひとこと、「そうで すなあ、嘘をつくことですなあ。」と呟い