た。「よいしよ」と酸素濃縮器を居間に運びあげた。吸入用のチュープは長くしてあった から、酸素を吸いながらトイレにも行けたし、お風呂にもはいれた。さんの家で、その ちそう ことを確認した。コーヒーをご馳走になっておいとました。 「昼間は酸素を吸わず、家のまわりを歩いたりしてます。動くと、やつばり、息苦しいで す。家におるときは酸素を吸ってます。酸素を吸うと楽です。あれま、、 。しし」と、外来で受 診したとき、さんは言っていた。予約の日でないのにやってきて、「いつもより息苦し くて」と言ったのは、去年の十二月一日だった。顔も足も腫れていた。、い臓に負担がきて 肺性心を生じていた。そして入院したのだった。 解剖依頼 さんの奥さんと弟さんのまえで話した。「肺線維症の病像をより深く知りたい。胃癌 の進展具合を知りたい。 もしよかったら解剖をさせていただきたい」。弟さんは、一瞬た めらわれたようだった。「みんなと相談してみます」と言って部屋をでた。 医者になったころは、解剖を断られることは敗北のような感じを受けたものだった。大 ま・つけん の学の教授たちのなかに、「検率の高さは、医療者の誠意と熱心さを表わしている」とい うようなことを言う人がいて、そう信じていた。しかし、誠意と熱心さのほかに強迫性や 権威もつけ足したほうがいし 、ように、このごろは思う。のびのびと断れる自由さをも医療
249 ″初めて性〃をできるだけ取り込んで″現場教育〃を実践するという困難な営みを実現す るためのカンフル注射を受ける思いを抱いて、人は「臨床からの伝言」という魅力的な タイトルでの徳永進さんの話を、ふかく聞き吸いこんだ。 この本 ( 『病室からしの十の。ヘージを埋めている「Ⅱ臨床からの伝一言」には、そのと きの話がほばそのまま文章化されている。 五つの話のタイトルにされている「不良患者」「ひとりの息」「日常」「正しさ」「コンク ひごろ リートのやき、しき、」は、。 とれも日頃出会うことの多い、じみな、普通の言葉だ。それが、 この本の中で鎌首を持ち上げて読み手に迫ってくるのを感じるはすだ。そのとき、これら の言葉は新しい意味を抱いて輝いている。例はどの話からでもとりだせる。 ″癌の末期や慢性病の多くは治すことが不可能な病気ですね。そんなとき患者さんのそ ばで話を聞き、背をさすり、手をにぎってあげるという看護がもっている″やさしさ〃 は、とてもたいせつなものなんですね。「時間を点滴してあげる」という言い方が臨床 にはあるんだけど、ふつうはなかなかにしくて患者さんの横にいてあげられる時間はと ても少ないんですね。でもそのとき、横にいて患者さんの話を聞き、背をさするってい うこと、それがたとえ治すということにつながらなくても、たいせつなことだと思うん ですね。これは医療の場になくてはならない″やさしさ〃のひとつですね。 でもその″やさしさ〃のはかに、もうひとつの″やさしさ〃が臨床には欠かせないん
がっこ一つ がっこ , つがもえている きょ , っしつのまどから どすぐろいけむりがふきだしている つくえがもえている こくばんがもえている ばくのかいたえがもえている おんがくしつでびあのがばくはっした たししくかんのゆかがはねあがった こ , っていのてつば , つがくにやりとまがった がっこ , つがも , んている せんせいはだれもいない せいとはみんなゅめをみている おれんじいろのほのおのしたが うれしそうにがっこうじゅうをなめまわす がっこうはおおごえでさけびながら からだをよじりゆっくりとたおれていく
一、春よ来い早く来い あるきはじめたみいちゃんが 赤い鼻緒のじよじよはいて おんもへ出たいと待っている 二、春よ来い早く来い おうちの前の桃の木の 蕾もみんなふくらんで はよ咲きたいと待っている 大きな声で ( と言っても大きな声なのはばくだけだったが ) 歌ったあと、「もう一度一 番を」と言って、「春よ来い、早く来い、あるきはじめた、みいちゃんが : : 」と歌った。 不思議なもので、歌っていると歌も生き物なんだなと思えた。小学生のときに教室で歌 った「春よ来い」と、大学生のときのワーク・キャンプで歌った「春よ来い」と、同級生 室だった石川美代さんと結婚した友人の松村理司くんの結婚式のときに歌った「春よ来い」 と、そして老人病棟でいっしょに歌った「春よ来い」とは、それそれに別の響きや思いが あるのだった。
148 やき、しき、 だれもがもっているものなのに、しよっちゅうなくすもの、だれもが与えたいと思いな がら、届けられなくて悲しい思いをするもの、 " やさしさ〃ってそんなものですね。臨床 には、光ることばがいろいろあるんだけど、〃やさしさ〃もそのひとつでしようね。その ことばを深く考えていくと、だんだんとむずかしくなってわからなくなる。人間にほんと の意味の″やさしさ〃なんてあるのか、と問いつめていくと答えられない でも臨床って不思議なとこでね、そんな問いにもかんたんに答えてくれるんです。「あ るよ」。それが臨床の答えなんです。でも臨床はもうひとっ答えをもっていてね、「ないと きもあるよ」 ( 笑い ) 。ふたつをあわせたのが答えかな。 ま、とにかくむすかしいことばで、たくさんの人がこのことばについて語っていて、ば くなんかが語れることばじゃないとも思うんだけど、ばくはばくなりに、いに残ってる何人 コンクリートのやさしさ
祐遠足や運動会は小学一年生のとき以来、久しぶりのことだった。 e 君にとって一番うれし かったことは、自分のほうからだけでなく、むこうから話しかけてくれることがスクーリ ングなどであるようになったことだという。「体が大切だから無理するなよって、友だち が励ましてくれましたもんね」と言う。「そんなことって、ほんと、おれの人生っていう おおげさ と大袈裟だけど、なかったんですよ。おれ、やつばり、学校って好きでしたね。知らなか ったことを教えてくれるでしよ。できなかったことができるでしよ。友だちもできるし。 病気だったからっていうこともあるけど、ほんと、学校に行きたかったですよ」と一 = ロう。 彼は病室から教室のほうをすうっと見ていたのだと思う。見続けてきたのだなと思う。 病室から見ると、教室はやはり輝いている。教室から見ていると、見えないものが、病室 からはきっと見えるのだろう。ばくもばくの学校生活を振り返ってみて、「友だち」がい つもいたこと、そのことが一番大切なことのように思えるし、君の思いを聞かせてもら っても、やつばりそうなんだな、と思う。 そしてもう一度、ジョン・ ーニンガムの簡単な絵本『がっこう』をめくってみる。
216 薬が効いたのだろう、ある日、「今日は楽です。咳も少ないし」と子さんは言った。「そ りゃあよかった。めいい ( 名医 ) ですね」とばくがいうと、子さんは、「この子はめい ( 姪 ) じゃなくて、娘ですよ」とべッドサイドの椅子に座っていた娘さんを指して言う。 名医と姪が混線してしまった。説明を聞いて、馬喰も娘も、そして子さんも笑った。 だじゃれ ことばのとちりも駄洒落もただのジョーク一つも貴重品だと思う。笑って病気が治るわ けでも、うつ屈した心が永遠の央晴に変わるわけでももちろんない。ただの一瞬のことに しか過ぎない。そうであっても、そこで笑えることは、救いだという気がする。子さん の部屋には、ふたりの娘と夫がいっしょに泊まっている。最後の日々を、昔とおなじよう に、四人水入らずで過ごしている。 集中治療室での笑顔 さんの奥さんに廊下で会い、外科外来のまえの椅子に座って話す。—oo ( 集中治療 室 ) の世話になって一週間が過ぎた。パ ラコート ( 農薬 ) による薬物中毒で、可能な限りの じん 治療を受けたが、肺・腎・消化管への病気の進行を防ぐことができなかった。ばくはうつ 病のさんを三年間、外来で診ていた。 「近くにス ー。ハーができるまでは、商売のほうも調子がよかったんです。人も五人雇って ましたし。昭和五十八年にスー ハーができ、そのころからしだいに元気がなくなりました。
っさっと殺せ、殺せ、殺したらええがな」と大きな声をあげた。少しは効いてきたのか、 しやが 嗄れ声だった。「この検査はどうしても必要。検査が済んだら、タバコ一本吸っていいか ら」と一言うと、「タバコちゃなもん、何本でも吸ったる。退院したら、何本でも吸ったる けえ」と機嫌が悪い。プロンコファイバーを声帯のむこうに挿入すると、強い咳の発作が 生じた。「だめだめ、ファイバーを抜いちゃあ。もうちょっとだから」。てるじいさんはフ アイバーを引き抜きそうだった。急いで気管支を見ていく。腫瘤は見えないが、気管支が 圧迫され、細くなっている。「。フラッシング」と言うと、看護婦さんが小さなハケのつい た長い針金を渡してくれる。一か所をこすり、細胞を採取し、検査を終えた。じいさんは 怒っている。 こつばんようつい できあがった骨シンチフィルムをみると、骨盤や腰椎に広く転移している。左足が臀か ら足先まで痛むのもそのためだった。大量の塩酸モルヒネを処方して飲んでもらっている。 回診のとき、じいさんはべッドサイドをつたうように歩いていた。「きようはよう歩った け。そろそろタバコ ( 休憩 ) しようかと思っとるところだ」と一言う。「そのタバコなら何本 日でもええよ」と答えると、「先生、ほんとのタバコは一日に何本までだったらええな」と のたすねる。「 0 本。 0 本なら吸っても、 しい」と答えると、「そりゃあ無理だ。一本減らして 十九本はいけんか」と問いかえす。「ええい、あいだをとって十本 ! 」「よっしや、なら、 先生十本。でも、守れるかな」などとお互いに言って、遊んだ。
うまれそうですなどといわれると、はてなっと首をかしげてしまう。人工肛門の 手当てをされているところをみると、大きな穴が二つもあいていて、とても痛々 しい。亡くなった母の姿をありありと思い出させられ、つい、むめばあさんこと、 ムーータンがかわいそうになる。朝、しきりの白いカーテンをあけて、「おばあち やま、おはよう。ぐあいはどう ? 」とたすねると、につこりわらって、「だ、じ ようぶです」と、とてもやさしく答える。 まわりの人から、以前のようすをあれこれきくが、以前がなんであれ、わたし はムータンのこの笑顔が大好きだ。酸素がいり用になってまえの部屋に移ってし ばらくして、少しよくなったとき、おばえているかなと、ムータンを見舞いにいっこ。 ムータンは、につこりして、「今岡さんでしよう ? 」って、わたしの手をにぎ いまおかは、ムータンの記憶ちがいで、わたしは丸岡であったが : 「よくなってよかったですね」って、言ってくれた。「また、きます。たいせつに ね」って一 = 日っと、王」をにぎって、につこりとした。 の ら そういう、おばあさんの笑顔を見てほっとする人がいたということなんですね。 床 臨 また、看護婦さんたちが、こう一一一口うんです。 四若い人が胃癌で苦しそうにしている。その人は癌だと思わないから、なおろうとしてい
さんには、やさしゅうにしてあげてよ」って言われるんだそうです。そう一言われて彼女は、 ぐずぐず一言って、いつまでも退 力アーツと腹がたつんですね。もう退院すればいいのに 院しない患者、病院のまえの酒屋でこっそり酒を飲む患者、ちょっとのことで文句を一言う 患者、どなる患者、甘える患者といろいろ浮かんでくるんですね。 「あんな、おかあさん。そう言いんさるけどな、かわいそうな患者さんばっかりじゃのう て、やさしゅうにできん患者さんもいつばいおるだが」と一一 = ロいかえそうと思うんですね。 でも彼女は、一日中ラッキョ畑で働いて、日焼けして汗をかいてる母の顔を見てフッとそ の言いわけをのみこむんですね。そして「うん、そうだなあ」って言ってしまった、とい うんですね。 ばくはその話を聞いて、医療者の″やさしさ〃ってそれだなって思いましたね。ものす ごくかんたんなことなんだ、″やさしさ〃って、と思いましたね。現場に長くいるといろ んな事情がわかり、ものがたくさん見えてくるんですね。するとラッキョ畑のおかあさん 言のことばに対して、いつばい言いわけができるんです。 の でもものがたくさん見えると、かんたんで大切なものが見えなくなるんですね。原点に ら 床かえってみると、やつばり「やさしゅうにしてあげてよ」というラッキョ畑のおかあさん 臨 のことば以上のものはないんですよね。彼女がその言いわけを飲みこんだと聞いたとき、 できないことだなって思いました。