部屋 - みる会図書館


検索対象: 病室から
34件見つかりました。

1. 病室から

174 ち 老人病棟を回診していると、看護婦さんが「大部屋の安宅のおばあさん、きのう、養護特 別老人ホームへ行かれました」と言う。「家の人も珍しく来てあげられました。でも、そん なときだけじゃなくて、ふだんから来てくださればよかったのにつて思いましたけど」。 しつもチョコンと座っていた たしかに , ハ人の大部屋の一番奥の右側のべッドの上には、、 安宅のおばあさんの姿はなく、かわって新しくはいってきた、安宅さんをもうひとまわり 小さくしたおばあさんが、遊園地のプランコにでも腰かけているように座って、キョロキ ョロとして、まだ落ち着かないようだった。あいさつを済ませてばくは、いつもそう言っ ていた安宅のおばあさんにかわって、「さあ、みなさん、元気出して一曲、歌いましよう ーテープルの上には、看護婦さんが手書き か」と一言う。大部屋のおばあさんたちのオー してくれた歌詞の紙が、いつものように配ってあった。

2. 病室から

118 そして連絡を受けて、娘さんのご主人がやってきました。朝の七時すぎでした。ばくら は部屋を出ました。そのとき、他の部屋にも、いや病棟中にも響くような、病室が割れる くらいの大きな泣き声がその部屋からしたんです。彼女、ずっとがんばっていたんです。 しゅうとめ 自分の子どもは夫と姑さんにたくして、ずっと母の付き添いをしてきた。とうとう、そ の母が亡くなった。自分をこれから助けてくれるのは、きっと、もう母ではない。夫でし よう。それから自分たちの子どもでしよ。その夫が、母が他界した直後にやってきたとき に、力いつばい泣かれた : 泣かれる声を詰所で聞きながら、ばくはこんなことを感じましたね。娘さんがおなかの なかにいたとき、息をしてくれたのは、おかあさんですよね。生まれ落ちて、自分も息を するようになって、そして、そのおかあさんが最後の息をしたとき、娘さんは、自分の息 を、また別の意味で始めたと思うんですね。そのきっかけが、泣くっていうことです。泣 くっていうのは、普通の息とは違った大きな息で、違った形の呼吸だと思うんですね。 そのようにして、ひとりの息が終わり、ひとりの息がバトンタッチされるようにして始 まっていく。 そういうような感じを受けました。「ひとりの息」っていう話です。

3. 病室から

五か月ほどまえにさんは女性の五人部屋に入院していた。その部屋に癌の人が三人い もち て、ばくはそのうちのひとりの患者の主治医だった。「トチ餅が食べたいな」とみんなが 話をしていた。「この部屋は病室とは思えんくらい明るいね」と一言うと、「ワハハハッ とみんながい っしょに笑うのだった。ついでのときに駅前のデパートでトチ餅を買って持 っていくと、みんなが喜んだ。さんは進行癌だったのに抗癌剤が効いて、癌は縮小し食 欲もでて、みるみる元気になっていった。毎日がとても明るかった。ばくの患者さんは病 状が悪化し個室に移ることになり、そのころ、 ()n さんはみんなに祝福されて退院していっ それから数か月して、彼女は再入院した。「腹が張って、食欲がのうて」。腹水がたまり、 せんし ふくくう 腹腔内に大きな転移があちこちに生じていた。何度も腹水穿刺がくり返された。「先生、 もういけません。治るでしようか。今度はいけんような気がします」と彼女は病室を訪ね たときに一一一一口った。 ばくは亡くなる二日まえの夜中に病棟に呼ばれた。主治医が出張中で、さんが腹水を 抜いてほしいと言っているというのだった。 ・も、つ この塊。手術でもなんでもしてください 室「先生、取れるもんなら取ってください、 病 おなかがはち切れそうで。先生、私、死ぬんと違いますか ? 死ぬと思います。こんなに 弱って」。ばくはどう一言うべきか迷いながら、首をたてにふり、「手術はできません。えら

4. 病室から

それこそ : : : それどころか、そういう質問をすることができたことに驚きましたね。ある ときには、ばけているおばあさんなんです。ばくらは、ふつう、そんな質問をすることが できないんです。当然、自分は役に立っているとおもってる。ばくはおもってる。きっと 錯覚なんでしようけどね。どうですか、みなさんは : おばあさんに「わたし、役に立っているでしようか」って、とっさにきかれて、ほんと うに答えに困ったんです。役に立ってないどころか、迷惑になっているっていうのが、世 の中のおばあさんに対する答えかもしれない でもね、このおばあさんを大切に思っている人がいたんですね。 : たまたま手をこう やってふって、「おじようすね」と言われたおばさんが、呼吸困難におちいって、酸素の ある部屋にかわったんです。 症状が落ち着いてから、「役に立っていますか」と言ったおばあさんがいる部屋に車イ スで行ったときのことを書いているんです。このかたも、猫を二匹かっていて、ひとりぐ らしの人なんですね。そのかたがね、こんなことを日記に書いておられたんです。 なっかしかったのね。あのおばあさんがなっかしいから、自分は車イスで昔の 病室にいったんです。その人のことですけれども、とてもおどろかせたり、笑わ せたりするんです。ていねいなことばをきくとまともにみえるけども、子どもが

5. 病室から

「おばあさん、これ、海だよ」と言うと、「わかってます」って言う ( 笑い ) 。何の感動も ないんです。ばくだけひさしぶりに海をみて、自分が感動してるんですけども、おばあさ んは、しらあっとしている。 しばらくそこにいました。おばあさん、ビールぐらい飲みたいかなとおもって : : : ほん とは、自分が飲みたかったんですけどね ( 笑い ) : : : おばあさんに飲ませたら、「苦い ! 」 とか言って。それで帰ってきたんです。まあ、自己満足だったわけですね。 それすらしてあげないと、もうなにもしてあげられないという気が : : : あとは、死を待 つだけっていうのか、むなしいというのか、まあ、それが真実なんですけども : : : そうい う気がしたんです。それで帰ってきました。 帰ってくると、おばあさんに部屋の人がきくわけですね。 「おばあさん、どうだった ? 」 先生や看護婦さんに連れていってもらうなんて、すごく恵まれているって、部屋の人た 言ちはおもっているんですね。おばあさんはそれなのに、みんなの期待に反してね、「たの のしくありませんでした」と言うんですよ。 か「わたしは行きたくなかったのに、医者や看護婦が行こう、行こうっていうから : : : 」 臨「みんな、たのしそうにお酒のんでいました」 ( 笑い ) とか言って、えらい評韵が悪かった んです。

6. 病室から

たけど、やつばりしないといけませんか」と君は不安そうに尋ねる。「決心してもらう よ」と答える。消化管出血や肺血症を克服して、おちついた透析が行なえるようになった ころ、君は自分にとっての学校について話してくれた。 君は七歳のときにネフローゼ症候群にかかり、入院生活を始めたらしい。病気が落ち 着かず、瀕死の状態になったこともあったそうだ。入院中、算数を教えてくれる看護婦さ んがいて、勉強がおもしろく思えだしたという。 「長いこと学校に行ってないでしよ。すると、勉強したいなあって思うんです、子供なり に。知らないこと知りたいなあ、もっと勉強したいって思いましたね。白い部屋で一日中、 天井見て過ごす日々って、ほんと退屈ですよ」 それから君は養護学校のある、遠くの病院へ転院する。おなじように慢性の病気をか ・ ) うげん かえる子供たちといっしょに勉強をする。「つぎはおれかな、と言いながら死んだ膠原病 の友だちがいました。何も言ってやれすに部屋を出て、それが最後になってね。ほかに何 人かの養護学校の友だちが死にましたね。つぎは自分かもしれないって、ばくだけじゃな 日しに、みんなが思ってたと思いますよ」と君は一一 = ロう。子供のころからいつも死がそばに のあったのだそうだ。 病 もっと勉強したいと思って、彼は通信教育を受ける。病気が悪化したりして中断しなが らも、スクーリングに参加する。友だちができ、人生のことなどを話し合えるようになる。 ひんし

7. 病室から

ら一歩まちがえば地上まで直通だ。「登るっていやあ、おかあちゃんの腹の上くらいで、 こんな高いところは恐いですわ」と言いながらはき集めている。 ハチンコでもできたら 時間はすぐに経つ。十一時を回っている。点滴を刺し終えた看護婦さんたちは、頭に白 い布をかぶり大掃除のようなかっこうをして、二、三人で部屋を回っている。シーツを交 換しべッドメイキングをする。詰所のナースコールが鳴り、「点滴が終わりました」「は、、 行きます」という会話がしばらくくり返される。 十七号室は男の大部屋である。さんは眠りにおちていた。通りすぎようとすると目を 醒ました。「いけません、やつばり腹が張ります。粘液便がでますし。それにてのひらと 足の裏に汗がでます。なんででしよう」。顔をしかめて、いろいろと訴える。過敏性大腸 炎が外にあらわれた病名だ。四十二歳なのに年老いて見える。離婚、失業、そして視力障 害を認定されて、年金生活者として保護されている。保護の板にかまばこのようにペタッ とくつついて生きている。「くつつくのをやめて、ひとりで這いあがって歩かないといけ ない」などという説教はど無力なものはない、ということを教えてくれるのもこの人たち である。「依存」も楽しいうちは病まない。 「自立」もできないし、「依存」も心からでき なくなったとき、人は病むのだろう。「裏板にべったりくつついていきましようよ」と一一一一口 は

8. 病室から

「いえ、悪いことはありません」と、えらくても我慢して、いい返事をする。ブドウなら 食べられると言って、テー。フルの上にはブドウの箱が重ねて置いてある。「長いこと口に ふくんどるとブドウ酒になるかと思ってやってみますけど、なりまへんなあ」と言って笑 わせる。「それじゃ、また」。そう言ってばくは部屋を出る。ポケットベルが鳴り、外来に 患者さんが来てるとか、病理標本ができたとか、交換手が言う。 こうもん 十一号室の女性の大部屋の—さんは、人工肛門の手入れを自分でしている。少し病気が さわいで入院したが、なかなか落ち着かない。「どんなあな」と聞くと、「どんなあなって 聞きたいのは、わしのほうだわ」と—さん。「ちいたあようなりましたけど、まだ白い膿 みたいなもんが出ますで」と言って、処置をつづける。「先生、歌詞を忘れとったこのあ いだの歌、わかりましたぜ」と言い うたを歌う。 たた めし 「スットントンスットントンで戸を叩く主さん来たかと出て見れば、空吹く風にだま されて月に見られて恥ずかしやスットントンスットントン。これが一番。二番、三 番はこうでしたぜ。スットントンスットントンで通わせるいまさらいやとは貪欲な いやならいやだと最初から一一一一口えばスットントンで通わせぬスットントンスットント ンうちのかあちゃんママハハでそうけで水を汲め汲めとそうけで水が汲めるなら 河原の石はママとなるスットントン」 「スットントン節」はおもしろい —さんも歌いながら笑っている。笑いが終わらないう うみ

9. 病室から

176 もう春と呼べるほどの季節は二度とこないだろう、もう歩きはじめることもできないだ ろう、そんなふうに感じながら、「春よ来い、早く来い、あるきはじめた」と歌っている のではないかと思えるおばあさんたちが、声にならない声でご詠歌のような唸り声で、 ズムとトーンのはすれた声でこの歌をうたうのを聞くと、この歌の地の底からの叫びのよ うなものが聞こえてくるようで、不思議な感動を覚えた。 歌い終えて、六人を回診した。トイレまで歩けるのは、ヨシばあさんだけ、あとの五人 はべッドの上に、・ とうにか座れるくらいだった。タッばあさんは一年まえまではなんとか 歩けたのに、なんとか床まで足をおろし、つっ張るまでとなってしまった。 「この足でなあ、せめて一歩でも歩けたらなあ。一歩でも外を歩けたらなあ。いや、一歩 ふしゅ でのうても半歩でも」。そう言って、少しだけ浮腫のある足を自分でさする。 大部屋を出るとき、木下静香のばあさんが「安宅さんが老人ホームにいかれて、さびし ゅうなりました」とポツリと言った。お互いに事情があって、自分の家で療養することが できなくなり、町のなかの病院の、この老人病棟の世話を受けるようになったという共通 の境遇によってさえ、そしてまた、一歩も歩けす床上で過ごすという共通の日常の形によ ってさえ、親しみは互いのなかに湧くものなのだな、と感じた。 いつもは無愛想にさえ見える静香のばあさんに、「ほんとですね」とばくは答え、部屋 を出た。

10. 病室から

たりするが、今朝も廊下に便をいくつも落としてしまった。ネムばあさんは、まったくわ けのわからんことをモグモグ言いながら天井を見ている。そのとなりにはチュープ栄養で ねたきりのキイさんがいる。「サア、先生、そしてみなさん、いっしょに歌いましよう」 おんど ーテ と、狭心症発作が落ち着いた安宅のおばあさんが音頭をとる。八人の大部屋のオー ープルの上には、看護婦さんが手書きしてくれた歌詞が配られている。毎週水曜日に新曲 になる。 みんなが独特な世界をひきずりながら調子はずれで合唱する。 ばくらはみんな生きている 生きているから笑うんだ ばくらはみんな生きている 生きているから悲しいんだ 手のひらを太陽にすかして見れば まっかに流れるばくの血潮 みみずだっておけらだってあめんばだって みんなみんな生きているんだ友だちなんだ ( 「手のひらを太陽に」やなせたかし詞 )