ミズフキ刄り 生命の色ってどんな色だろう。生命の音ってどんな音だろう。生命の形ってどんな形だ ろう。ひとの生命の形もさまざまだけど、生命はひとに限らない。すると、色も音も形も、 もっともっとさまざまに広がる。そしてどんなに広がっても、生命はまだまだ無尽蔵だろ う。無尽蔵の生命のたったひとつをばくらひとりひとりはもらっている。そのひとつの生 命を大事にしたいと思う。 まくら 枕元の電話が鳴った。反射的に受話器を取り、低い声で「はい」と答える。どんな大変 なことを電話のむこうで言われても動揺しないように、身構えた態度がいつのまにか習慣 化してしまった。「たもつだ。そろそろ背ものびてきたし、いまならとれるそ、くるか ? 」 電話の声の主は男で、いつものように病院の看護婦さんではなかった。「なんだあ、たも つつあんか」と寝返りをして緊張を解除して答える。「わしの声じゃあ目が醒めんかな、 生命体 0
186 何もできない。殺されちゃう、死んじゃう。はやく、はやくしてください」とさんは叫 び続けた。看護婦さんが義姉さんに連絡をとったと言っても、承知しなかった。 「私が電話します。私を公衆電話のところまで連れていってください、お願いします、お 願いします ! 」。命令形に近い形でさんは懇願した。朝のミソ汁を看護助手さんが配っ ている廊下にべッドを出し、電話口まで押していった。目がはっきりと見えず、手がふる え、さんは間違い電話を三回かけたあと、「もういいです。部屋まで運んでください お願いします ! 」と言った。そして病室で彼女はこう言った。 「なぜこの病気は、よくならないんですか ? 年ごとに悪くなる。去年は歩けたのに、今 年は座るのさえ難しい。どうしてですか ? どうして治らないんですか ? 」。詰問するよ うにそう言った。ばくの、いに彼女の悩みを受けとめる余裕はなかった。 「だって二十五年間、ステロイドを服用せすにおれなかったんだもん。そして骨にまで副 いしゆく 作用がおよんできたでしよ。痛いから歩かない。歩かないから廃用性萎縮を生じる。いろ んな悪循環が重なって、仕方がないんだよ」とばくは言ってしまった。 その日の夜からさんは何も飲まず、何も食べなくなった。静脈に留置していたカテー テルを抜去し、点滴をすることも拒否した。そして翌日の夜、カミソリの刃で手首を切っ た。傷は浅く、出血も少なかったが、彼女は一言もしゃべらなくなった。さんの父や母 や義姉が説得を続けたが、拒食は続いた。二日後の夜中、家族の「がんばってみよう」と
夜中の解剖 午前一一時半 枕元の電話が鳴った。「六病棟からです」。キョロキョロと部屋の時計を探す。二時半だ。 「さんの呼吸数が一分間に一八回です。プルスレイト ( 脈拍数 ) も七〇です」。いけない な、と思い、「わかった。行きます」とだけ言って電話を切る。ドアをふたつあけて台所 に行く。台所の椅子にシャッとズボンがひっかけてある。くっ下は椅子の下にころがって っ下は裏表、右左をか 、る。バジャマを脱ぎ捨て、急いでシャツを着、ズボンをはく。く まわすにはく。ドアをあけ玄関に出、そこのハンガーにつるしてあるジャンパーをひっか 日け、ネジ式の鍵をあける。車のドアをしめて病院に向かう。 の呼吸数は一八回、脈拍数七〇回、いすれも正常値だ。しかしさんにとってはそうでは なかった。元気なころのさんは、少し動いたあとだと、呼吸数は六〇、脈拍数は一三〇 になった。確かに苦しそうだったけど、それだけの数で命を支えていた。それがいま一
彼の訴えは、胸が苦しいというものだったのです。でも、心電図の変化はさほどでもな 頭が痛い、胸が痛いって、いろいろ訴えるけど もね、まあ、どっちかっていうと精神的なもので、器質的な病気ではないよ」って言った んです。回診も毎日しなかったんです。ほかに重症の患者さんがいましたしね。 するとあるとき、六病棟の病室の窓から机やイスやスタンドを投げる音がきこえるんで すね。ものすごく荒れているんです。 一病棟という、外科病棟から電話がかかってくるんです。「いろんなものがとんでくるけ ど、おたくの患者さんとちがうか」って。看護婦さんが行ってみると、彼、ばんばんといろん おれ なものをすててるんですね。とにかく腹を立てているというわけです。「俺には、ほんとに 病気はないのか」って。ばくは、ないって答える。「そのこと、証明書にかけ」って一言うん です。「その証明書をもって、自分は大阪のなんとかという病院へ行って診断してもらう。 その診断がちがっていたら、おまえ、責任とれ」って一言うんです。五十歳くらいのかたです。 言「責任ってどういうことですか」って聞くと、「昔なんとかいう病院に入院しているとき らに似たようなことがあって、そのときに責任とれっていうたら、医者が小指をもってきた 床が、こんどは指はいらん」と一一一口うんですね。そういう脅迫、はじめてでしたけど : 臨 結局、彼は退院しました。退院して、夜中ちょっと遠いところから電話してくるんです。 皿かならす夜中の二時とか三時に。「苦しい」と言って。 0
ってみたが、 さんは頭をなでて苦笑いをするだけ。この世界はなんともむすかしい 「電話がかかっています。家庭酸素の会社のかたからです」と看護婦さんが呼びに来る。 「ええ、午後二時に病院に来てください。そこからいっしょに〇〇町の患者さんの家に行 きましよう」と言って電話を切った。 「おはようごさいます。もう、おはようでもないですね。どうですか、腰の痛みは」と十 七号室のさんに言う。「ましです。楽になりました」。さんの前に立っと気が楽になる。 うそ 進行した肺癌だったのに化学療法が嘘みたいに効果をあげて、呼吸困難がなくなり、普通 に廊下が歩けるようになった。「おかげさんでな、ええようです」と度の強いメガネをか けて奥さんが自分のことのように返事をする。 「この人はべつに取り柄のある人じゃありません。何ができるわけでもありませんが、も し病気がようなったら、パチンコでもできたらって思います。昔からパチンコだけが好き でしてなあ」と、看護婦さんたちとの、ターミナル・ケア・カンファランスで堂々としゃ べっておられた。「お前は黙っとれえ。あの、外出してもええでしようか」とさん。「い 日いですとも」と答えると、「ありがとうございます、ええって先生が」と奥さん。「わかっ ーテープルには、目薬のような形をした のとる、いえ、ははは」とさん。さんのオー なんこう 下剤用の水液、うがい用の水液、そして口内炎の軟膏、それに、目薬がそれそれ二本すっ セットされている。「まるで、スパイスですね」と言うと、ふたりとも笑っている。
ことばもいろんな面をもっている。あるときは人を支え、慰める。でもあるときは、人 ふち を悲しみの淵に、そして死にさえ追いやる。病室にはそんな一言もある。 今から二十五年まえ、さんは二十歳で気管支喘息にかかオ弓しイし っこ。虫、発乍こおそわれて、 大学病院に入院しステロイドを内服するようになった。一年に五、六回は入退院をくり返 していた。まえの主治医が開業したため、ばくが主治医になったのが十年まえだった。そ がんば のころすでに、ステロイドの副作用が出ていた。糖尿病・満月様顔貌・尿路感染症など。 喘息発作で救急室に運び込まれたときに苦労するのが血管確保だった。表在する静脈はは とんどっぷれてしまっていたし、ステロイドの使用のために皮膚は紙のようにうすくなっ てしまっていた。何度も、今にも呼吸が止まりそうになった。その都度、大量のステロイ ぜいじゃく か体にはいり、その副作用で骨が次第に脆弱となっていった。 歩けなくなり、立てなくなり、座るのがやっとになった。そのためにさんは、イライ ラすることが多くなった。家族の人たちも何百回もの発作や百回におよぶ入院そして看病 と こよ、もうくたびれきっていた。 室家族の看病も遠のき、さんも自分の身の回りのことがほとんどできなくなったある朝、 小さな事件がおこった。ばくは病棟から電話で起こされ、さんの病室にかけつけた。 あね このままじゃ、 「おこしてください。義姉に電話して、看病にくるように言ってください ぜんそく
「これだけあったら、盆も正月も食べれるそ」とたもつつあんは言い、 ばくはトランク、 つばいにミズプキを積んで山道をくだった。 家に帰ると女房や子供たちがちょうど起きたところだった。い っしょに朝ご飯を食べ、 食べおわると出勤までの時間、ミズプキの皮をむいた。熱湯につけると、緑の茎も赤の茎 もよりいっそう鮮やかな緑色に変化した。生命体の不思議さをまた感じた。その日一日、 ばくはいままで知らなかった生命体に触れたような気がして、楽しかった。 ハレー彗星 冬の夜、病院からの帰りの路上で空を見上げる。オリオン座が堂々と空を占領していた。 キラキラと光る三つ星をじいーと見つめ、三つ星の右上の星と左下の星を結んでみた。真 ん中の星はその直線上になかった。わすかに右にすれていた。い ままで三つ星は一直線に 並んでいると勝手に思いこんでいたので、なにか大発見でもしたような気持ちになった。 夜空にかかる星を見ていると、そこには生命がない世界のはずなのに、生命のもとはその 星ばしが隠しもっているような気がしてくる。 室昨年の夂、 、リーンと枕元の電話が鳴った。「夜明けまえに起こしてすみません。いまな 病 ら雲もなくて晴れていて見えそうですよ」。男の人の声だった。みんなを起こし、家族全 員で電話の主の家へ急ぐ。その屋上に天体望遠鏡が備えつけてあって、何組かの家族の人
0 集英社文庫 1996 年 7 月 20 日 1994 年 7 月 25 日 病室から びようしつ 第 1 刷 第 5 刷 なが 水 菜 定価はカバーに表 示してあります。 著者 発行者 発行所 印刷 徳 若 すすむ 進 正 集英社 東京都千代田区ーツ橋 2 ー 5 ー 10 〒 101 一 ( 323 の 6100 ( 編集 ) 電話東京 ( 323 の 6393 ( 販売 ) ( 3230 ) 880 ( 制作 ) 廣済堂印刷株式会社 本書の一部あるいは全部を無断で複写複製することは、法律で認められた 場合を除き、著作権の侵害となります。 落丁・乱丁の本が万一ございましたら、小社制作部宛にお送りください。 送料小社負担でお取り替えいたします。 OS. Tokunaga 1994 Printed in Japan ISBN4-08-74819 ト 3 C0195
観「先生、どうもないんだね、おれは。だけど、苦しいよ。どうもないのは、まちがいない んだな。責任とってくれるんやな」 そういう脅迫が、何回かつづきましたね。 医療者が脅迫されるってことは、そう多くはないとおもいます。ばくははじめての体験 でした。学校の先生もときどき脅迫されますねえ。子どもの通信簿の点が気にいらんとか、 だれかがいじめただとか、いろいろありますね。新聞で読んだことがありました。校長先 生が脅迫に来るお父さんに、月々、お金をわたしているうちに、百万円になったという記 事。 : : : ばくが脅迫されているころに載っていましたね。ばくも、お金を払ってでも脅か されるのだけはもう終わってほしいなとおもいました。 結局、彼は、ばくとの電話のやりとりでもう一回、病院にもどってくるということにな ったんです。もう一回、入院しました。 きようしんしよう ばくは彼の心電図に狭心症を思わせるわずかな変化を認めながら、でもまあ、それほ どたいしたことはないとすましていたんです。 ごくわずかな差ですけど、けっして精神的な訴えだけではなかったようだったんです。 それで、そのことを認めて、脅かされたからこわくて認めたということではないんですけ ど、わすかな変化があったっていうことを見なおして、その薬を投与したんです。すると 彼は「らくになった」って一一一一口うんですね。
静かな死 六病棟の詰所に帰ると、「ごくろうさまでした」とそれそれがお互いに言いあう。「みん っ なで笑ってたんですよ。先生はパジャマじゃなくて、服を着たまま寝てるんじゃないか て。だって、電話連絡して、あっという間に病室に立ってられるんですもの」。そう言わ れて、ばくも笑った。「いえいえ、ちゃんと。ハジャマですよ。でも、。ハンツ、靴下の左右、 裏表は確かじゃないけどね」と言うと、みんなが笑った。 「あのね、ちょ 0 と聞きたいことがあるんだけど」とばくはこの道二年目の若手の看護婦 さんに尋ねた。「どうしてあのとき、ただドアのそばに立ってるだけで、心臟マッサージ や吸引なんかはせずにいてくれた ? 」 彼女は、「だって静かな死がさんにはふさわしいなって思ったんです。さんは奥さ んと弟さんに囲まれておられたし、私はなぜかその場面から遠く離れたところにいるよう な気がして、それでドアの近くにただ立ってたんです」と答えてくれた。 Q さんの静かな 死を可能にしたのは、 Q さん自身、そして奥さんの人柄によるところが大きいだろう。し かし、二人の様子を察知して、死の直前の医療や看護行為の介入を放棄した若い看護婦さ んの人を見る豊かな心も大切な役目を果たしたな、と思った。