じようど の岸というのに対して、仏さまの世界すなわち浄土を表わし あみだによらい ています。浄土とは阿弥陀如来の世界であり、また亡き人び とのおられる世界です。 ひがんえ ぶっぽうちょうもんしゅうかん 彼岸会とは「仏法聴聞週間」とでもいうべきもので、私 たちが仏法聴聞にはげんで浄土を明らかに知り、浄土への道 を歩もうとっとめる法要です。亡き人びとをしのぶとともに、 ぎひら 亡き人のおられる世界を聞き開くための仏教行事なのです。 ひがん おかざりは、打敷をかけます。お供えは、彼岸だんごなど けそく いろいろ売られていますが、供笥にお華東といって白の小餅 、も を重ねて盛ってお供えするのが基本です。 うら・ほんえ うらぼんえ 盂蘭盆会 ( お盆 ) お盆と一般によばれる盂蘭盆会は、地方 によって違いがありますが、七月十四日から十五日、または ひと月遅れて八月十四日から十五日の二日間です。 ついば お盆は、亡き人びとを追慕し、亡き人びとのご恩に感謝を する仏教行事です。 おく ばん うちしき な こもち
えいえん・せったい 浄土は、この世を超えた永遠絶対の光明の世界です。その 世界から亡き人びとは、自分のいる浄土に目を向けてほしい、 浄土をたずねあててほしいと私たちに呼びかけているのです。 その呼びかけの声を聞こうともせずに、死んだ者が闇路を まよ 迷っているのではなかろうかとか、先祖が祟っているのでは ないだろうか、などと考えていては申し訳ないことです。 こた その呼びかけに応え、私たちが浄土を見い出し、その浄土 なや を依りどころとするとき、悩み多きこの世にあって、光りと かっこふどう 安らぎと確固不動の生き方が与えられるのです。 亡くなった人は、お仏壇の中におられるのではありません。 またお墓の石の下におられるわけでもありません。阿弥陀如 来の浄土におられるのです。そしてその浄土を形に表わそう としたものがお仏壇なのです。 こ ぶつだん もうわけ あら やみじ
そして亡き人びとは、浄土にあって、その仏さまの子どもと かんけい いう関係にあります。子どもである先祖よりも、親である阿 弥陀如来へのおうやまいが第一とならなければなりません。 りようしん 私たちは先祖をうやまうといっても、せいぜい亡き両親、 そふぼきようだい 祖父母、兄弟、子どもといった狭い範囲のことです。それは 浄土におられる先祖の、ほんのひとにぎりの人たちです。先 祖を大事にしているといっても、これではご先祖すべての方 へのおうやまいにはなりません。 浄土の根本の仏さまである阿弥陀如来へのおうやまいを第 にいたしましよう。そのことが一人二人の亡き人のみなら ず、すべてのご先祖をおうやまいすることになるのです。 得 しんしゅうもんと の 浄土を人生の依りどころに真宗門徒の生き方は、亡き人び 壇 じようど みずか とのおられる浄土を明らかにし、その浄土を自らの人生の依仏 りどころとして生きることにあります。「死の帰するところ を、生の依りどころとする」と教えられるゆえんです。 せま はん
阿弥陀如来お仏壇はご本尊で ある阿弥陀如来を安置するとこ ろです 阿弥陀如来像 ( お西 ) ん。お仏壇の中の絵像や木像の阿弥陀如来は、本来は目に見 おが えないものを形に表わしたものです。私たちはその形を拝み、 その形を通して、真実の阿弥陀如来にふれさせていただくの です。 ・とう・よう・ 同様にお仏壇とは、目に見えない浄土を形に表わそうとし おも たものです。私たちはそのお仏壇を通して浄土を想い、浄土 にふれさせていただくのです。 ほんぞんあお お仏壇の前に座わり、ご本尊を仰いで心静かに手を合わせ たいめん るとき、私たちは阿弥陀如来はじめ浄土の人びとと対面をし、 そのこころにふれることができるのです。 安置する場所 かみざあんち ・ふつだん あんち へやかみざ 部屋の上座に安置するお仏壇は部屋の中でも上座に安置し ぶつま ます。仏間があればそこに安置をします。そうでない場合は、 とお あら しんじっ えぞうもくぞう ほんらい
しんしゅう よ、」、一宿 0 真宗の教えによれば、亡き人は浄土におられるのです。そ まも 感の浄土からつねに私たちを照覧し、護ってくださっています。 むか ですから″迎え火〃などをたくまでもなく、亡き人はいつも みじか 私たちの身近におられるということができるのです。 しんしゅう れいこんげんせ 真宗では、亡き人の霊魂が現世に来たり、また帰ってい かんねん という観念をもちません。だから迎え火、送り火などはしま お・せん 、ミ、せん。御膳を供えることもしません。 めいしんてき お盆は迷信的な要素の多い行事となっていますが、真宗の もんと 門徒は、亡き人の心にふれ、仏さまの教えを聞く機会とした いものです。 おかざりは、打敷をかけます。お盆にふさわしい夏用のも けそく のを選びたいものです。お供えは、供笥にお華東という白い心 こもちも 小餅を盛るのを基本とします。 しんしゅう しゅう仏 ほうおんこう 報恩講 ( お取り越し ) 報恩講は、真宗の教えを開かれた宗 きようおん そしんらんしようにん しようかい 祖親鸞聖人のご生涯をしのび、その教恩に感謝して営まれる お盆仏さまの世界である浄土 へ還られた亡き人びとを追慕し、 浄土から常に私たちを照護され るそのご恩に感謝をする仏教行 事です に第諟ド洋 -4 当 うちしぎ ほうおんこう しようらん