阿弥陀如来像 ( お東 ) お仏壇とは何か あんち お仏壇は阿弥陀如来を安置するところお仏壇は、浄土の根本 の仏さまである阿弥陀如来を安置するところです。阿弥陀如 しよぶっしよばさっせんぞ 来はすべての諸仏、諸菩薩、先祖、さらに私たちにとっての ほんそん 親です。そこでご本尊として阿弥陀如来を安置します。阿弥 わす 陀如来を忘れて、お仏壇を先祖をまつるところと考えていて はなりません。 すべてのご先祖は、阿弥陀如来のもとにおられるのです。 ですから阿弥陀如来をおうやまいするとき、一人二人の亡くむ なった人だけではなく、はるか昔からのご先祖ことごとくを うやまうことになるのです。 ぶつだんじようどあら お仏壇は浄土を表わす阿弥陀如来も浄土も目には見えませ ぶつだん こんばん
ろうそくの光り心の闇を照らす 如来の智恵の光りを象徴してい ます ちえ じひ 仏さまで、すなわち智恵の光りが限りなく、慈悲のいのちの 限りない仏さまです。 こうみようほんぞん ご本尊は光明本尊ともいし 、光りを放たれる姿が描かれて ろうそく いますが、蝋燭の光りは、如来の智恵の光りを象徴するもの です。蝋燭の光りに、すべての人の心の闇を照らし出し、救 済しようとはたらきかけておられる如来の心を感じたいもの です。 じようか この蝋燭の光りは、″浄火をもやす″との意味から、電気 で間にあわせることのできないものです。 お花お仏壇のお花は、阿弥陀如来のいのちを象徴するも のです。 阿弥陀如来は無量寿の仏さまですが、すべての生けるもの むりようじゅ は、この如来の無量寿のいのちに生かされて生きています。 人をはじめ、鳥や虫や動物、それに草や木や花もす・ヘてそう いちりん です。木の葉一枚、花一輪とて、人間のこしらえたものは何 ろうそく やみ しようちょう 3
阿弥陀如来お仏壇はご本尊で ある阿弥陀如来を安置するとこ ろです 阿弥陀如来像 ( お西 ) ん。お仏壇の中の絵像や木像の阿弥陀如来は、本来は目に見 おが えないものを形に表わしたものです。私たちはその形を拝み、 その形を通して、真実の阿弥陀如来にふれさせていただくの です。 ・とう・よう・ 同様にお仏壇とは、目に見えない浄土を形に表わそうとし おも たものです。私たちはそのお仏壇を通して浄土を想い、浄土 にふれさせていただくのです。 ほんぞんあお お仏壇の前に座わり、ご本尊を仰いで心静かに手を合わせ たいめん るとき、私たちは阿弥陀如来はじめ浄土の人びとと対面をし、 そのこころにふれることができるのです。 安置する場所 かみざあんち ・ふつだん あんち へやかみざ 部屋の上座に安置するお仏壇は部屋の中でも上座に安置し ぶつま ます。仏間があればそこに安置をします。そうでない場合は、 とお あら しんじっ えぞうもくぞう ほんらい
浄土金色に美しく輝くお仏壇 は、仏さまの世界である浄土を 表わしています 亡き人は浄土に人は死ねば、それですべて終わりというわ けではありません。死んだらしまい、というわけではないの がんりぎ です。人はこの世での生命が終わると、阿弥陀如来の願力に かえ ほとけ よって、その阿弥陀如来の仏の世界へと還っていくのです。 じようど この仏の世界のことを浄土といいます。亡くなった人は浄土 に還り、浄土の住人として阿弥陀如来のみもとにおられるの せんぞ です。先祖はみんな浄土におられるのです。そこで浄土を くえいっしょ 「倶会一処 ( ともに一つのところに会う ) 」の世界ともいし ます。 浄土はこの世を超えた世界で、色もなく形もなく、人間の たりきしんじっ ・こかん 五官ではとらえることのできない世界です。ただ他力の真実 しんじん 信心においてのみ、知ることのできる世界です。 こうだいむへん 阿弥陀如来は浄土の根本仏広大無辺な浄土の根本の仏さま が阿弥陀如来です。阿弥陀如来は浄土の主人であり、親です。 こ こんばん
お花すべてのものをいつくし み生かしている如来のいのちを 象徴しています もないのです。それらは如来のいのちを賜わり、みずみずし く、美しく育ったものです。如来のいのちの現われです。 生き生きとした美しいお花を通して、如来のいのちにふれ させていただきたいものです。 ぞうか ですからお花は、いのちのない造花で代用させることはで きません。 お花は、花屋で仏花用に売っているのを買い求めてもよく、 庭で丹精こめて育てた花をお供えするのもよいことです。た むぞうさ だありあわせの花を無雑作に立てるというのでは、仏さまに ささげるとい、つむに欠けるでしよ、つ。 どくかあくしゅう なお、トゲのある木の花、毒花や悪臭のある花は避けます。 得 の 線香の香り線香の香りは、すべてに行きわたり、あたりを 壇 清らかにし、私たちの心身をすがすがしく安らかにさせる、仏 というはたらきをもっています。それはまた、阿弥陀如来の しよう さべっ 清らかで、だれをも差別することなく遍満しているお心を象 たんせい ぶつか へんまん あら
方便法身尊形ご本山からお受 けしたご本尊の裏には、この文 字が書かれています 方法身尊形 ご本尊裏書 ( お西 ) ウソの本尊を拝んでいるのかという人がありますが、とんで まちが もない間違いです。 じひ ちえ 阿弥陀如来は、限りなき智恵と限りなき慈悲をもたれ、一 によらい ほとけ 切のところに満ち満ちたもう仏さまです。しかし如来そのも のは、色もなく形もないのみならず、有にもあらず無にもあ あら らず、いかなる言葉でも言い表わすことができず、いかなる じかくいしきちょう・せつ しりよふんべつおよ 思慮分別も及ばず、およそ私たちの自覚意識を超絶したもの ほっしようほっしん です。これを「法性法身」といいます。 ぎゅうさい 、法性法身の如来が、人間救済の本願 この色もなく形もなし、 を起こされ、その本願を成就されて、形をとって現われられ ほうべんほっしん たのを「方便法身」といいます。阿弥陀如来のご絵像、お木 ろくじみよう 1 」う 像、そして南無阿弥陀仏の六字名号、九字名号、十字名号は、 いずれも方便法身です。 方便法身の尊形である阿弥陀如来のおすがたは、形なき阿 弥陀如来が、私たち凡夫のために、私たちの目に見え、耳に 聞くことができるようにと、大悲の心から形をとって現われ おが ・ほんぶ じようじゅ ほんがん 4 フ】
お脇掛親鸞聖人 6 と蓮如上人 の御影像をおかけすることも あります 物第すを 0 ご本尊・お脇掛三通りのご本尊のいずれが尊いということではありません。 ぶつだん お仏壇では、絵像ご本尊をおかけすることになっています。 わきがけ わきがけ お脇掛 ( 酉お脇懸 ) お仏壇は、中央に絵像ご本尊をおかけ りようわ、 わきがけ し、両脇に「お脇掛 ( お脇懸 ) 」という軸をおかけします。 お仏壇の上段には、ご本尊と、お脇掛二幅とで、三幅の軸を おかけします。 きみようじんじっぽうむげこうによらい お脇掛は、向かって右側に「帰命尽十方無碍光如来」と書 なむふかしぎこうによらい くじみよう じゅうじみよう・こう かれた十字名号を、左側に「南無不可思議光如来」の九字名 しゅうそしんらんしようにん 号をおかけします。または、右側に宗祖「親鸞聖人」のご影 ほんがんじちゅうこうそれんによしようにん えいぞう 像、左側に本願寺中興の祖「蓮如上人」のご影像をおかけす ることもあ一ります . 。 お脇掛は、九字名号・十字名号をおかけするのが古くから えいぞう の作法で、ご影像は近年に行なわれるようになったものです。 なむふかしぎこうによらい きみようじんじっぽうむげこうによらい 「帰命尽十方無碍光如来」と「南無不可思議光如来」とは、 あら いずれも「南無阿弥陀仏」の意味を表わしたものです。 ぞう こう ぶつだん じく えぞう ほんぞん
「開進守 御祈之御 在赭神畿神符 お札お仏壇の中へは絶対に入 れてはなりません とおと お仏壇に入れてはならないもの 真宗の教えからいって、お仏壇の中には入れてはならない ものがあります。他宗の仏像、お札、故人の写真、位牌、お しょち 骨などがそれです。もし自分で処置のできないときは、お寺 の住職さんに相談をしましよう。 しんしゅうあみだによらいいちぶつぎえ 他宗の仏像を入れない真宗は阿弥陀如来一仏に帰依するこ ぶつばさっ とを教えています。阿弥陀如来は一切の仏・菩薩の根本の仏 さまで、阿弥陀如来に心から帰依すれば、すべての仏さまをむ 尊ぶこととなるのです。 ・ふつだん こうそうぞう みずごじぞう お仏壇の中へは、他宗の仏像や高僧像、さらに水子地蔵や、仏 かんのんぞう おみやげで買ってきた仏像・観音像なども入れないようにし ます。 こじん
・お仏壇の心得 目次 はじめに 亡き人はいずこに 亡き人は浄土に阿弥陀如来は浄土の根本仏浄 土を人生の依りどころに お仏壇とは何か お仏壇は阿弥陀如来を安置するところお仏壇は浄 土を表わす 安置する場所 部屋の上座に安置する向きにはこだわらない お仏壇の種類 金仏壇と唐木仏壇お仏壇の大きさ 0- 3
ろ、っそく 蝋燭・お花・線香 みつごぐそくしよくだい 三 ( 五 ) 具足の燭台・花瓶・香炉では、それぞれ蝋燭をとも し、お花を立て、線香をもやします。これらは仏さまにお供 えをし、仏前をお荘厳するものとして、もっとも大切なもの です。仏さまにお光りをささげ、お花をささげるという行為 しよう 1 」ん は、ゆかしく美しいものです。「信は荘厳から」ともいいま すが、仏さまにささげるむ、仏前を美しくお荘厳する心を大 切にしたいものです。 ろうそく 一方、蝋燭の火やお花、線香の香りは、ご本尊である阿弥心 陀如来のお徳を表わしてもいます。それらを仰ぎつつ、仏さ壇 まのお心にふれさせていただきたいものです。 むりようこうむりようじゅ ろうそく 蝦燭の光りご本尊である阿弥陀如来は、無量光・無量寿の かざり かひんこうろ あお かざり ろうそく