方便法身尊形ご本山からお受 けしたご本尊の裏には、この文 字が書かれています 方法身尊形 ご本尊裏書 ( お西 ) ウソの本尊を拝んでいるのかという人がありますが、とんで まちが もない間違いです。 じひ ちえ 阿弥陀如来は、限りなき智恵と限りなき慈悲をもたれ、一 によらい ほとけ 切のところに満ち満ちたもう仏さまです。しかし如来そのも のは、色もなく形もないのみならず、有にもあらず無にもあ あら らず、いかなる言葉でも言い表わすことができず、いかなる じかくいしきちょう・せつ しりよふんべつおよ 思慮分別も及ばず、およそ私たちの自覚意識を超絶したもの ほっしようほっしん です。これを「法性法身」といいます。 ぎゅうさい 、法性法身の如来が、人間救済の本願 この色もなく形もなし、 を起こされ、その本願を成就されて、形をとって現われられ ほうべんほっしん たのを「方便法身」といいます。阿弥陀如来のご絵像、お木 ろくじみよう 1 」う 像、そして南無阿弥陀仏の六字名号、九字名号、十字名号は、 いずれも方便法身です。 方便法身の尊形である阿弥陀如来のおすがたは、形なき阿 弥陀如来が、私たち凡夫のために、私たちの目に見え、耳に 聞くことができるようにと、大悲の心から形をとって現われ おが ・ほんぶ じようじゅ ほんがん 4 フ】
ご本尊裏書 ( お東 ) ご本尊は本山から受ける ご本尊は本山からお受けします。 まちばん ぶつだんてん 仏壇店でも″町版″とよばれるご本尊を求めることができま こうにゆう すが、商品のように購入することはひかえたいものです。 を」りがね 本山のご本尊は、截金といって無形文化財の高度な技術で えが 」ん・は ~ 、 えぞうびようせん 作られています。絵像の描線を細い金箔を押して描いていて、 いんさっ じゅうこう 美しく重厚なものです。″町版〃の多くは印刷されたもので す。 てつぎ 本山からご本尊を受けるには、お手次のお寺を通します。 ほうべんほっしんそんぎよう 方便法身の尊形本山からお受けしたご本尊の裏には「方便 得 ほっしんのそんぎよう 法身尊形」と書かれています。 の これは、ご本尊は方便法身とよばれる仏さまであり、″仏 壇 さまを絵にかいたもの〃とか″礼拝の対象物″といわれるよ仏 うな″もの″ではないことを表わしています。 こんどう しんしゅう うそほうべん せけん これを世間でいう嘘も方便ということと混同して、真宗は幻 ほんざん ほんぞんほんざん ほんぞん ほうべん
お仏壇の構造 宮殿須弥壇障子 ご本尊 ご本尊は阿弥陀如来お脇掛 ( お脇懸 ) ご本尊は 本山から受ける方便法身の尊形ご本尊・お脇 掛の大きさ 先祖のおまつり 真宗では戒名といわず法名という法名は釈尊の一 族となった名前法名は帰敬式をうけたときにいた だく院号法名位牌は置かず法名軸・過去帳を 用いる 三具足 ( 基本の仏具 ) 燭台花瓶香炉 ろうそく・お花・線香 ろうそくの光りお花線香の香り お供え まずお仏飯を供えるお茶は供えない お仏飯以外 3 3 3
西 お さ 長 ご本尊・お脇掛の大きさて下さっているのです。私たちは方便法身の形を通して、法 性法身の心にふれさせていただくのです。 ご本尊とお脇掛の大きさは、百代、 ご本尊・お脇掛の大きさ 二百代というように「代」で表わします。これは昔は、本山 からご本尊を受けるとき、百文のお代 ( 礼金 ) でいただいた大 きさのを百代、二百文の大きさのを二百代といったことから きています。 5 CO ワ 3 1 よ -0- 11 ワ】っ 0 -4- 【 0 ^ 0 -8 一 先祖のおまつり 得 あんち ほんぞん の お仏壇は、ご本尊・阿弥陀如来を安置するところであり、 壇 しゆがん せんそ 先祖のおまつりを主眼とするところではありません。しかし仏 かこちょう ほうみよう 亡くなられた人があれば、その人の法名を過去帳に記入し、 ほうみようじ′、 また法名軸にしてお仏壇にかけておきます。 ほんぞん ぶつだん わぎがけ