春乃 - みる会図書館


検索対象: 神の汚れた手
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1. 神の汚れた手

ない春乃という人物も、変わった女である。もっとはっきり言えば、他人が届けに来てくれた みやげ 土産だけは決して辞退せすにさっさと貰って、できるだけ早くお帰りなさい、と言わんばかり の素振りなのだ。 貞春は、このような現実を、比較的冷静に分析していた。今かりに春乃に、生みの母親面を されたら、かなわないと思うのである。しかし今のままなら、どんなに、この女が自分の母だ と言われても、一向にその実感が湧かない、という形で、感情の安定を保っていられる。母の 常子にしたところで、この武士の妻の如き、端然とした礼儀正しい態度をくすさないでいられ るのは、一つには彼女のしつけと育ちのよさにもあるけれど、もう一つの原因は、春乃のこの 粗暴な生き方にあるのかも知れない。つまり、人間というものは、尊敬の故にも相手に盲目的 になれるが、相手に対する侮蔑の故にも相手に寛大になれるということである。その意味で、 と言うべきなのかも知れない。 二人の女は、相性がいい、 常子と貞春と香苗は、春乃の家に、五分もいなかった。五分も話すことがない相手というの は、相当に意識が食い違っているからなのだが、玄関を出る時、三人の大人たちは誰もが皆、 にこにこしていた。春乃は客が早く帰ってくれることが嬉しいのだし、貞春もこれでやっと、 一路、箱根の山を登って、温泉に入れるかと思うと、解放されたような気分なのである。 雪宮ノ下のホテルは、時々行くので黙っていても、貞春たちの好みの続き部屋をとってくれる 淡ようになっていた。このホテルには大正年間に建てた建物があって、その旧館の方は、浴室も 山たつぶりしていれば、寝室に、ちょっとしたサンルームなどもついていて、何となくのびのび している。

2. 神の汚れた手

った。その辺の経緯は未だによくわからないのだが、「自分の銀行の女子行員」に手をつけた 父の行為がそれでも、大してスキャンダルにならずに済んだのは、厚木の在で春乃に生ませた 子を、常子が自分が生んだことにして、すぐに連れて来てしまい、春乃を身軽にしてやると同 時に、かなりのまとまった金を、春乃の実父母に贈ったからだと聞いている。その時、父の貞 治が三十九歳、母の常子が三十三歳、春乃が二十九歳であった。 えみこ 貞春は、初めのうちこそ、常子を母と思い 、三つ年上の永見子を実の姉と思って暮らして来 終戦を機に、父から、母だけは違うと聞かされたにも拘らず、別に大したショックを覚 えなかった。それまで、おせつかいやきでいやだと思っていた姉の永見子も、半分しか姉でな いのなら、却って我慢できる、と思った。 それ以来、実は貞春は、母の常子に対しては、一目も二目も置いているのである。いっかは、 一人でやって行けなくなる日もあるだろうが、常子は父が死んだ後も、貞春と暮らしたい、な どと言ったことはなかった。死んだ父や姉の墓参りにはよく行くところをみると、別れた寂し さはあるのだろうが、何ともみごとな生き方なのである。「年とったら、息子と暮らします」 などと言うから息子というものは親と同居したくなくなるのだ。年をとったら、子供に厄介に なるのが当たり前だ、と思ったりするから、子供の方でも、うんざりして来るのである。 しかし、もろくなってはいる筈なのに、そして金だって、決してあり余るというほどあるわ けではないのに、何一つ貞春に要求して来ない母を見ると、貞春は時々、黙っている人には少 し優しくしたい、 という、しおらしい気持になるのであった。 母は既に、きちんと身なりを整えて待っていた。手に小さなポストンを持っているだけであ

3. 神の汚れた手

に一時的に陥っていても、やはりそれなりの尊厳をもって、看護されなければならない。 三例のお産はどれも順調であった。もっとも、劇的な出血などというものは、大学病院に、 た時、一例みただけで、それ以来、体験したことがない。 生まれて来たのは三人とも女で、貞春は、この病院では男ばかり生まれる、と信じている + のおかみさんに、この現実を見せてやりたいくらいだった。 ひま 「君はいつも、閑になりかかった時に来るよ」 広重次郎の顔を見ると、貞春は嫌味を言った。広重が来ると、若い看護婦たちがそわそわ亠 るのも少し気にくわないのである。 貞春は、箱根へ行く時には、、 しつも逗子へ廻って、母を拾い上げたが、こういう貞春のや 方を見ると、何も知らない世間の人は、貞春が類稀な親孝行だというふうに言ったり、マ 1 ・コンプレックスがあるのではないかと疑ったりするのである。 つねこ 母の常子は、現在七十四歳だが、逗子の古い家に一人で住んでいる。一週に一度、近所の由 さんが来てくれて、シーツの洗濯や、窓ガラス拭きなどを手伝ってくれているが、後はすべ一 一人でやっている。いつも髪をきちんと結い上げ、帯もくずさず、生まれは大きな地主だっ・ とはいうが、百姓の出なのに、武士の妻のようである。 彼女は、貞春の本当の母ではなかった。戸籍の上では実母だが、生母ではない。生母は、に かみはるの 上春乃と いい、今は小田原の方に住んでいる。春乃は昔、父の出ていた神奈川銀行の女子行日 であった。もっとも、父はずっと横浜の本店におり、春乃は小田原支店勤務だったのだが、ハ が小田原支店に何か用事があって出向き、そこで当時、三十歳近くなっていた春乃に興味を

4. 神の汚れた手

よしじ 村上春乃は貞春を生んだ後、十年もしてから、村上吉次と結婚している。吉次は土木用の骨 材、つまり砂利の採掘業をしていたというが、貞春は会ったこともない。 この人は昭和初年に 現役入隊した後、一選抜で上等兵になった優秀な兵隊だった。ちょうど不景気でもあったので じゅんい そのまま軍隊に残り、たたき上げで准尉になり、その後、大陸を転々として、終戦時にはポッ ダム少尉であった。 春乃は、吉次と、昭和二十二年に結婚して、昭和二十五年に、四十歳を過ぎて一男を得た。 それが勇蔵である。 勇蔵は大工であった。腕は決して悪くないらしいのだが、どうしても賭けごとがやめられな 。そのため、もう三十近くなっているのに、結婚もしていないし、時々こうして、穴埋め 母親に頼み、母親もまた、それを自分たち母子で何とかしようとする気持はなく、すぐ貞春の 所へ言って来るという、やり方であった。 常子は、その二十万円を貞春が出してやったかどうか、尋ねなかった。そこが、この老女の 賢いところであった。四十を過ぎた息子が、そういう場合、金を貸そうが貸さなかろうが、 分とは無関係だ、という態度である。普通の老女なら、自分には二十万円くれないで、ト わび には出してやったのか、というような侘しい反応を示すところである。 村上春乃の家は、小田原郊外、板橋の岡の中腹にあった。息子が大工なのだから、もう少ー こうやしろばかま きちんとした家に住めないかと思うのは素人の見方で、紺屋の白袴ということは、どこの丗 界にもあるのであろう。明らかにつぎ足したと思われるさしかけの部分は、納屋とも倉庫と つかない感じで、そこにあらゆる乱雑な品物が積み上げてある。もっとも貞春はこういうこと

5. 神の汚れた手

る。他人を待たせないことといい、旅行をする時に荷物の少ないことといい、女の、しかも年 寄りには、珍らしい整理のよさだと貞春は思うのである。もっとも母は、それとは別に、手に 一見して菓子折りとわかる風呂敷包みを持っていた。 「小田原へちょっと寄って行かない ? 」 小田原というのは、貞春の実母の村上春乃の家のことである。 「小田原へですか」 貞春は敢て反対はしなかったが、気おっくうだという態度を見せた。 「だって傍を通りかかっていて、寄らないのは悪いわ」 「寄るなら寄ってもいいですがね」 「只、ちょっと近くを通りかかったから、と言って、挨拶して行きましよう」 車を出してから、貞春は、 「実は、先月も、変なこと言って来たんですよ、あの人は」 と打ちあけた。あの人、というのは生母の春乃のことである。 「二十万、お金を貸してくれ、と言って来たんです」 「挈」 , つ」 ゅうぞう 雪「あの勇蔵っていう息子が、競輪をやって、借金を作ったんだと思いますね。商売の材料の仕 淡入れにいるから、なんて言ってたけど、そのすぐ後で、勇蔵の競輪場通いがなおらなくて、な 山んて言ってたから、恐らくそっちで、すったんだと思いますよ。勇蔵云々が口実でなければで すけどね」

6. 神の汚れた手

には、必すしも狭量ではないつもりだった。日本の押入れというものは、人間の怠惰や決断心 のなさや安逸を好む気分を、優しく受け入れる知恵のあらわれのようなもので、末整理なもの、 ポロ、洗ってないものなどを、一括してつつこんでおいても、他人には見えないという空間を 作ったことは、偉大な発明ではないかと思う。 玄関の戸を常子は開けようとしたが、滑車の具合が悪くて、うまく滑らなかったので、貞春 が、カまかせに引き開けた。 「ごめん下さい。逗子の野辺地ですけど」 常子の声に、ようやく奥の方から、 と張りのない声が聞こえた。その声を聞きながら貞春は、声の魅力というものは、決して音 程やその質にあるのではなく、その緊張にあるのではないか、などと考えていた。 やや暫くたってから、右手の縁側を、どたりどたり、と重い足音が響いて来て、髪の毛もろ くろくくしけずっていない春乃が、ぶくぶくに男物のどてらをはおって現れた。 「すみません、どうも、風邪をひいて寝てたもんですから」 春乃は、ほっれた髪をかきあげながら薄笑いをした。 雪「申し訳ありませんでしたね。お休みのところをお邪魔して。お熱がおありだったんです 淡 の しいえ、もう熱は下がったんですけどね。何となく、体がだるかったもんで」 「そうでしよう。今年の風邪は咳がとれないんだっていう人もいますのよ。何も用事じゃない

7. 神の汚れた手

んですけど、ちょっとこちらの方を通りかかったものですから、貞春さんと香苗ちゃんと、ご 挨拶にお寄りしただけなんです。これ、お菓子を一つ」 「どうも、すみませんねえ」 「勇蔵さんもお元気ですか」 「ええ、今日もまだ仕事から帰って来てないんですけどね」 「よろしくおっしやって下さいね」 貞春は、その間、ただにこにこして立っていた。「にこにこ」は礼儀上からで、黙っている のは、言うことがないからであった。 只、貞春は、その間、見るともなく、玄関のあがりがまちに置かれた、盆の上の小さなアル ミの薬罐と二人前の湯呑を見ていた。昨日か、今朝か誰かがそこでお茶を飲んで行ったらしい 汚れた茶碗がそのままほってあることは別として、貞春はその茶碗の内側に着いたすさまじい ちゃしぶ 茶渋に微かな不快感を抱いていた。 世の中には、茶碗に茶渋がつくから、味がいいのだ、という人物もいないではないというが、 それは茶碗にも茶にも凝っている人の言うことであろう。春乃が安茶碗を他人に出すのに、磨 き砂で簡単に落ちる渋を、そのままにしておくというのは、やはり精神の貧困を見せつけられ たようで貞春はいやなのである。 おまけに、春乃は、、 しつも常子にも貞春にも、上がって行ってくれ、とは言わない。貞春に とってみれば、これはめつけもので、玄関先で用事が済むからこそ、寄って行ってもいしし う気になるのだが、考えてみれば、どんなに汚い家であろうと、上がって行ってくれ、と言わ やかん