お母さん - みる会図書館


検索対象: 神の汚れた手 下
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1. 神の汚れた手 下

「うん、だけど、お母さん、あんまり香苗を待ってるようにも見えなかったよ」 「そりや、お父さんが行ったって、し々し 」こ喜し、ような顔もしないけどね。内心はやつばり喜 , でるんだと思うよ」 「香苗、今、お母さん死んでも泣かないと思うな」 「そうか ? 香苗はお父さんが死んでも泣かないそ、きっと」 「ううん、お父さんが死んだら泣くと思う」 「愛想がいいね、香苗は。お父さんはスポンサーだからな、大事にしてるんだろ」 たんす 「違うよ、違うよ。お父さんはさあ、いつも一緒にいたからさあ。簟笥みたいなもんで、家 ( さび 中からなくなったら寂しいよ」 「お父さんが簟笥か。これはまた驚いた表現だ」 貞春は笑いながら焼肉の煙の中に顔をつつこんだ。 飯が終わると、貞春は香苗と二人で、皿をアメリカ製の皿洗機に突っ込み、洗剤を入れて一 ィッチを押した。これで五十分くらい、機械はごうごう言いながら、重々しく作業をしてく る。二人分の皿を洗うには機械の容量は少し大きすぎるのだが、さりとて一人で皿を洗う気〔 はならないから、機械の大げさな働きぶりに任せているのである。 自分の書斎に戻ってくると、貞春は思いついて、モーツアルトの「レクイエム」 ( 鎮魂ミ」 曲 ) をかけた。 普段、音楽に対する欲求はむしろない方であったが、、 こく稀に大福を食べたくなるように 時々、柄にもなく発作的に音楽を聞きたくなることがある。このニ短調、ケツへル六二六と

2. 神の汚れた手 下

「つまり、本当のお父さん、お母さんはだあれ ? と訊かれたら、ちゃんと説明してるんです 「もちろんですよ。たとえば、ムフ度の場ムロなら、〈〈あなたをうちへ連れて来てくれたのは、野 辺地先生ですよ》とすっと教えます。それから《本当のお父さんとお母さんはこういう人です。 会いたければいつでも連れて行きます》と言います」 「それなんだよなあ」 貞春は、半分酔っ払ったような声を出した。 「早くから、教えりや、何でもないんだよ。隠すからいけないんだ。物事は何でも隠すから後 が面倒になるのよ」 しかし、貞春はアルコールが入っていたので、そこでやめはしなかった。 「僕はね、 トーマスさんのやり方に賛成だよ。本当のことは何でも簡単なのよ、筧さんも言っ しかし、それで事は全部解決したわけでもないんだ。その子たちが大きくなって、結婚しょ うということになる。すると殆んどと言っていいはど、この手の養子だとすらりとはいゝよ、 よ。《戸籍面ではご養子さんになっていらっしゃいますけど、本当の親ごさんは、どんな方で いらっしゃいますの ? 何の理由で養子にお出しになったんでしようか ? 》と来る奴がいるだ ろうな。訊いて納得しようというんじゃない。訊く段階でもう、そういう生まれのはっきりし ない相手は断ろう、と決めてかかってる。 石巻の菊田という医者が実子として届けさせようとしたことも、その点についての配慮があ

3. 神の汚れた手 下

「まず、どこへ行くの ? 」 「引橋に向かって行って下さい。火葬場の道を通ってね」 「お父さんは、火葬場の道好きだねえ」 香苗が言った。 「ああ好きだよ。うちの病院で生まれた赤ん坊も、最後に年とって火葬場へ行くの、。どっち もないと困るんだよ。それに表通り行ったら、日曜日は混んで混んで仕方がないか、特別に 僕の開拓した道を通って行こう」 貞春は急にいばり出した。 きようあい それでも引橋と呼ばれる狭隘な地形の所では、横須賀方面に向かう車と、逗子面へ行く 車がどちらも数百メートルっながっていた。 「筧さん、ここ抜けたら、すぐ先、百メートルか二百メートルの所で車捨てるんだ、ら、、い配 ないよ」 「あら、そう」 「お父さん、そんな所で下りて何するのよ。途中でどこかに休む所あるの ? 」 「あるよ。喫茶店もある」 「嘘ついちやダメ」 「そうだなあ、普通に言うと、お父さんが殺人鬼だ 0 たらこういう淋しい脇道へ皆連れ込ん で、次々に殺すんだろうなあ」 「うちのお父さん、イセェビも殺せないんだよ。好きな癖に、いっかお母さんの、 しい日に世貝

4. 神の汚れた手 下

相手が日本語で喋ってくれたので、外国語嫌いの貞春はやれやれという気分になった。 「先生のところで、赤ちゃん、生まれたですか」 トーマスは、席に着くと、早速貞春に尋ねた。 「生まれたんです。筧さんから聞きましたか ? お母さんにも、ハンディキャップがあります」 「赤ちゃんも、それで病気ですか ? 」 「それはわからんですね。大きくなってみないと」 「大きくなってのことは心配いらないです。生まれて、今、すぐ病気なら、治さないといけな いでしよう。しかし、将来のことなら、大てい大丈夫です」 「貰ってもらえますか」 「もちろんです。今、病気でもかまいません。お医者さんに診せて治します」 「しかしだなあ」 貞春は突如として、いつもの口調になって言った。 「これは日本人から見たら信じられないことなんだなあ。僕が本当のこと言ったら、日本人が 誰一人として貰わない子を、どうしてトーマスさんは、貰ってくれるのかな」 と貞春は思いつつ、どうしてもうやむやにしてはおけ 霊そういう質問はロにすべきではない、 を よゝっこ。 て / 、カ子 / す「それは簡単です。私は、その赤ちゃんに選ばれたからです。私たちは、その赤ちゃんの近く に住んでいました。その赤ちゃんが生まれた時、先生は私のこと、思い出してくれました。偶 しゃべ 大分、問題のある子でしてね。お父さんにも

5. 神の汚れた手 下

「先生は、お優しいんですね」 千砂は考えた末に言った。 「そんなことはないですよ。もしそうなら、お宅へちゃんと身柄を引き取りに行きますよ」 「いいえ、お優しいから、却って、人をだめにするんです」 「冷酷だと優しくなれるんです。それと相手を侮蔑してる場合も優しくなれる。怒るのは誠実 のあらわれでしてね。僕はもうそういう誠実はとっくの昔に失っちゃったんですよ」 浅野千砂は、それから十分ほどして帰って行った。千砂を送り出して家の中に入って来ると、 なま テレビの音はまだ続いていて、その間に時々、「生」の香苗の笑い声が聞こえて来た。 「香苗」 貞春は居間のガラス戸を閉めながら娘に言った。 「なあに ? お父さん」 「もうそろそろ、寝なさい」 「お母さんは ? 」 「帰って来て、二階にいるよ」 一時は、娘に母親の愚かさも何もかも全部、教えておこうと思った時代もあった。しかしこ 意の頃では、それも面倒くさくなっていた。知らないでいられれば、それにこしたことはない。 「あと五分で終わりになるから」 殺「それならそれでいいよ」 のぞ 貞春は、玄関の鍵をかけに下りた。ついでにドアを開けて外を覗くと、植込みに生えている

6. 神の汚れた手 下

「もう大丈夫だ、食べられるよ」 「私が作って食べないと、母も食べないもんですから」 「あなたが、 人並みに元気な娘になったとしたら、それもお父さんとお母さんのお蔭だと思い なき、い」 「しかし、お宅にはご迷惑をかけたな」 「おばさまは大丈夫でしようか」 「大丈夫でないかも知れないし、大丈夫かも知れない」 「防ごうとなさらないんですか ? 」 「しますよ。しますけど、防ぎ切れない場合もある。僕はいつも自分の能力をかなり甘く見く びっているのでね。あんまり何かできる、と思わないようにしてるんですよ」 「私、初め、父や母が、おばさまのことで、言い争ったり何かしてるのを聞いて、いやな方だ と思ってました。でも、今日、初めてお会いしてみて、素直で正直な方だと思いました」 。しさという時には嘘をつ 「素直と正直は、昔からいいこととなってたんですけどね。それよ、、・ ける能力も自制心もあった上でのことでね。自分もなくて素直だなどというのは、いわゆる愚 民ですよ。おとなしく見えるけど、この世で最も危険な分子だ。もっとも、それでもなお、生 きて行く権利はありますよ。僕はそれを理性で、家内の上に認めてやろうとしているだけです。 ひと しかし、あの女は僕ではないのでね。あの女のやることの結果を、僕がすべて尻拭いして歩く わけには行かないんですよ」

7. 神の汚れた手 下

130 るなら今であったのに、そのチャンスを失ったことは、もう弁解の余地のないこであった。 更にその翌日の土曜日の午後、貞春は広重と帝王切開で生ませた赤ん坊を、新生児に診に行 って、そこで再度、見たくもない光景を見せつけられてしまったのだった。 佐藤都は、ごく普通の新生児用の寝台に寝かされていたのだが、その顔の両脇に、何やら 玩具が置いてあり、そのべッドの枠には色とりどりのリポンが結んであるのであっ ) 。 これは」 「何だ 貞春は、愛想のない訊き方をした。 「だって、ミコたんって、こういうの好きなんですもの。だっこすると、ネックレ も好きなんですよ」 「何だ、この子だけ、何から何まで特別扱いじゃないか」 「だって年が大きいんだし、それにお父さんもお母さんも面会に来ないんですもの 貞春は黙って部屋を出た。 筧徭子からは、夕方再び連絡の電話があった。 「明日は、ロウリーさんたち、うちへ泊って行くことになったわ」 「そう、それなら、急がないでもいいね」 「それで、月曜日に、宗近神父さまの教会で、洗礼をさずけて頂いてから東京へ行んですっ て。私が代母になることになったの」 「何でまた、そんなに急ぐんだ ? 」 「だって、明日にも自動車事故で一家三人が死ぬかも知れない。その時、都も、自たちと一 いじるの

8. 神の汚れた手 下

、早速、佐藤の家の方から電話を致させます」 貞春は、それ以上、情緒的な話が出ないようにして、電話を切ってしまった。しかし、五分 も経たないうちに、電話は再び鳴った。 「私は逗子の小松の娘婿になります佐藤でございますが」 赤ん坊の祖父かららしかった。 「いつもいろいろとお世話になっております」 一一 = ロ葉の調子に、これが山陰なのかと思わせる丁重さと柔かさがあった。 「都を貰って頂けるよい方をご紹介下さいますそうで」 「いや、まあ、いい方だろうと思うんですけどね。弁護士といえば、アメリカでも知的なエリ ト階級だそうですから」 貞春は筧徭子から聞かされていた話をうけ売りした。 「初めにお確かめしておきたいんだけれど、佐藤さんご一家は、あの赤ちゃんをよそへ上げる ことにご反対じゃないんでしようね」 「それはもう、反対じやございません。実の親は育てられるような状況ではありませんし」 道「お嬢さん、というか、赤ちゃんのお母さんはどうです ? 時々思い出してめそめそしている かというようなことはないですか」 「相手の男も、転校して行ってくれましたし、今はもう悪い夢だったという程度にしか思い出 陽 タ さんのじゃないでしようか。バスケット・ポールに夢中になって、毎日、真黒になって帰って 来ております」

9. 神の汚れた手 下

妬ると思うよ。当人は知ってても、世間には養子だと知られない方法があればいいん ) よな」 「そういう養子ならいやだ、という人と、うちの子供たちが結婚しても、決してしわせにな らないです。ですから断られる方がいいです」 トーマスが言った。 「全くおっしやる通りですな、トーマスさん」 「貞春さん、あなたは香苗ちゃんが、生みの親のはっきりしない子と恋愛関係になたらどう する ? 人物はいいけど、生まれだけ、はっきりしない場合 : : : 」 「僕あ、許すね」 「、なぜ ? ・」 筧徭子の声は、貞春を決して信用していず、試しているようにしか聞こえなかっ ) 。 「そうねえ、何か高級な人道的な理由でもあるかと思ったけど、考えてみたら、何なかった よ。ただ、しいて言えば、可哀相だからかな、香苗もその相手も。僕だって、生み親調べら さんたん れたら、惨憺たるものだしね」 筧徭子はふと黙った。貞春が奇異に感じて酔眼を向けると、徭子は素早く目尻のるものを、 指の先で拭い消しているところだった。 トーマスは、一度貞春に、その赤ちゃんのお母さんかお祖母さんとでも自分たちコミュニ ティを見に来てくれ、と言ったのだが、 貞春はずっと生返事をしていた。大体が内慶で、外 出が嫌いである。いずれ手続きは必要なのだから、県会議員をさし向けよう、と思た。そし 、まっと てトーマスが、紅茶一ばい飲んだだけで、にこにこしながら帰ってしまうと、内こ

10. 神の汚れた手 下

てきな結婚は危険で不安定だが、ユーモラスな相手は安全なのである。 俺も、年をとったもんだ、と貞春は思った。大学の医局にいた頃は、健全な意味で看護婦た めす ちに「牝」を感じていた。つまり、彼女たちは、どれも性的に貞春の相手として考え得る存在 であった。しかし娘が生まれてみると、いつの間にか貞春は、看護婦たちに香苗の延長を感じ ていた。娘たちがしあわせになってくれなければ困る、と思う。縁談の世話をするのは嫌いだ きがか からほってあるが、彼女らの青春を預かるのだから、いつも気懸りであった。そして、看護婦 に「女」を感じずに「娘」を思うようになったら終わりだと、情なくも思うのであった。 家に帰ると、家政婦の井上元子はもういなかったが、食卓の上には焼肉の準備ができていた。 タレに漬けておいた牛肉を、野菜と一緒に焼きながら食べる、この料理は、貞春も香苗も大好 きであったが、真弓が家にいると、家中が煙と脂と匂いで汚れるというのでめったに許されな いのであった。井上元子はその辺のことも心得ていて、真弓が外泊ということになると、この 頃よく焼肉を準備しておいてくれるようになったものである。 「お父さん、さあ食べよう。ビール飲むの ? 」 母親がいないと、香苗はふとその代りをしようかという気になるらしかった。 「いや、今日は、これから仕事があるから、ビールは飲まない」 魂「珍一らしいね」 そんなに俺はいつも酒びたりだったかな、と思いながら、貞春はガスに火をつけた。 鎮「香苗も、今度、一度、お母さんの見舞いに行って来いよ」 貞春は娘に言った。