佐藤 - みる会図書館


検索対象: 神の汚れた手 下
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1. 神の汚れた手 下

、早速、佐藤の家の方から電話を致させます」 貞春は、それ以上、情緒的な話が出ないようにして、電話を切ってしまった。しかし、五分 も経たないうちに、電話は再び鳴った。 「私は逗子の小松の娘婿になります佐藤でございますが」 赤ん坊の祖父かららしかった。 「いつもいろいろとお世話になっております」 一一 = ロ葉の調子に、これが山陰なのかと思わせる丁重さと柔かさがあった。 「都を貰って頂けるよい方をご紹介下さいますそうで」 「いや、まあ、いい方だろうと思うんですけどね。弁護士といえば、アメリカでも知的なエリ ト階級だそうですから」 貞春は筧徭子から聞かされていた話をうけ売りした。 「初めにお確かめしておきたいんだけれど、佐藤さんご一家は、あの赤ちゃんをよそへ上げる ことにご反対じゃないんでしようね」 「それはもう、反対じやございません。実の親は育てられるような状況ではありませんし」 道「お嬢さん、というか、赤ちゃんのお母さんはどうです ? 時々思い出してめそめそしている かというようなことはないですか」 「相手の男も、転校して行ってくれましたし、今はもう悪い夢だったという程度にしか思い出 陽 タ さんのじゃないでしようか。バスケット・ポールに夢中になって、毎日、真黒になって帰って 来ております」

2. 神の汚れた手 下

も好きだから。声がかわいいとか、気立てがよさそうだとか、爪の形がいいとか」 「わあ、先生の声がかわいいわけないわよね」 倉田順子が一一 = ロった。 「そうかな、僕、昔は女の声楽家に、弟子にしてやってもいし が悪いなら、じゃ、器量がよかったのかなあ」 「うあ、そんなこともあるわけない」 「まあ、とにかくお見合いだけはしてごらんよ。見合いして、その上で、恋愛できそうだった ら、決めたらいいじゃないの」 「挈」 , つでー ) よ , つか」 岩波啓子はまだ、釈然としない様子だった。 佐藤都の山陰の祖父母は、ロウリー夫妻に子供をやる件については、渡りに舟と思ったのか、 貞春の予想したより、はるかに積極的に素早く事を運んでいるようだった。 まず赤ん坊の祖父に当たる佐藤氏が、横浜で開業している同級生の弁護士に早速会いにやっ て来て、そこでロウリー夫妻とも会った、ということは、逗子の小松老夫人からも知らせて来 かたし、筧徭子からの報告もあった。そこで、彼らは法的な一切の手続きをすすめるための打ち と、う承認の紙 合わせをし、佐藤家では、、 しつでもロウリー夫妻が子供を連れて行ってもいいし にサインをした。その後で小松老夫人から、二度目の連絡があった。 「手続きは順序よくいっているそうでございますが、お預かり頂いているのも先生ですし、こ 、と一一 = ロわれたこと、あるのよ。声

3. 神の汚れた手 下

。し、それはもういつでも。実はロウリーご夫妻とお会いした時、先生の所にお払いする入 と言われる。 院料についても話し合ったんですが、ロウリー夫妻は、今月分はもういらない、 ということで、退院までの日を大体計算して、その分を切半 私共は、それでは気がすまない、 して、お払いしてまいりました」 「そうですか」 この男にとっては、世間の常識をはずれることは、こんな時になってもまだ恐ろしいことの ようであった。 貞春はそれでもまだ自分を、小心さの故の臆病者だと信じていたので、佐藤に子供を渡すこ とについての承諾書のようなものを一筆書かせておいた。ロウリー夫妻に、佐藤都を渡すこと を認めた、という内容である。こんなものが、いざとなったら、どれほど役に立つかわからな いが、まあ、ないよりましだろう、という気持であった。 それより貞春が、もっと「計算」したのは、都をロウリー夫妻に引き渡す日と時間のことで あった。 「ロウリーさんたちは、子供を連れて行くのに、何か特別に都合があるのかな」 道その夜、筧徭子からも、同じような連絡の電話があった時、貞春は尋ねた。 「ないと思うわ。もう関西の旅行からも帰って来たし、一日も早く連れて来たいけど、ドクタ 向 ーのバーミッション ( 許可 ) がいるから、訊いてくれないか、ということだったから」 陽 タ「実はね、日曜日にしてほしいんだ。それも夜、どうだろう」 ししと思うわ。あまり遅くなるようだったら、その日、うちへ泊ればいいんですもの」

4. 神の汚れた手 下

だった。粒の大きさや形に多少の違いはあるが、大体はまともな豆なのである。 新庄玖美子の赤ん坊の所まで来ると、貞春は、 「あれ、新庄さんの赤ちゃん、もう名前決まったの ? 」 と傍にいた看護婦の湯浅励子に言った。普通は名前が決まるまで、田中ベビーとか佐藤ベビ ーとか書いておくのである。 「ええ、もう三日目くらいに名前決まったから、って届けていらしたんですよ」 「新庄陽子か、へえ」 と口に出して貞春は呟いてみた。 「何だか、お知り合いに《ようこ》さんて、とってもすばらしい方がいらっしやるんだそうで す。その方みたいになってほしいからって」 新庄陽子は、ばっちりと目を開けて、おちよば口をして貞春を見つめていた。鼻の高い端正 のぞ な顔立ちの赤ん坊だが、貞春はついでにその隣のしつかりした男の子を覗きこんだ。それは七 月十一日に、三浦市の米屋の嫁である小倉孝子が生んだ一五五〇の赤ん坊であったが、今はも おぐらもりみつ う三六〇〇にもなって、小倉盛光という侍のような名前を持って、佐藤都のいなくなった後の 新生児室の主のようになっていた。 「ちょっと湯浅君、懐中電灯貸してよ」 の貞春はあたりにペンシル型の懐中電灯を探したが見つからなかったので、看護婦にそう言っ タ て持って来させた。それから、赤ん坊の目の近くに光源を近づけたり、左右に動かしたりして まぶ みたが、 赤ん坊は無垢な興味を示して、視線で光を追いかけたり、眩しそうな表情を見せたり ようこ

5. 神の汚れた手 下

ういうご配慮を頂いたのも先生なのでございますから、まず、そちらにご挨拶に伺っのが先な のに、と婿に申しましたら、友人の弁護士さんが、とにかく手続きのために、一刻早く出て 来い、と言われたので、とりあえず横浜へ駆けつけたのだ、と申しておりました」 「そんなことはい、 しんですよ。ただ僕としては、ロウリーさんに赤ちゃんを渡す前 ) は、どな たか身内の方にご確認頂かないといけませんから」 「もちろんでございますとも。それで、婿は明日の午後にご挨拶に参上したいと申ておりま す。私も一緒に伺いたいと存じておりますが」 「どうそ。僕はずっと家にいますから」 翌日は木曜日であったが、 佐藤は午後二時頃一人でやって来た。本当は小松老夫と一緒に 来ようと田 5 っていたのだが、いざ出ようという段になって、義母がどうも気分がいという。 ここのところすさじい暑さだったから、暑気当たりかも知れないし、無理をしない 言って置いて来たという。 「どうぞ、そんなご心配なく。小松さんからはもう度々、ご連絡のお電話頂いていんですか うりざね 瓜実顔の、暗い表情の佐藤は、ただひたすらへり下り、娘の不行跡を恥じ、貞春 ) 感謝して いるが、それはあくまで一一 = 〔葉の上だけの話であって、本当はどこまで、この問題のつ傷の痛 みを感じているかわからないような表情である。 「それで、お宅としてはもう、いっ赤ちゃんを、ロウリーさんにあげてもいいわけすか ? 」 貞春は確かめるように尋ねた。

6. 神の汚れた手 下

「先生でいらっしゃいますか。小松でございます」 沈んだ声だった。 「ああ、この頃お体の方いかがですか」 「佐藤の方から聞いたんでございますが、あちらさまは、明日だか明後日だかに、都をお連れ になりますそうで : : : 」 貞春は普段から、他人も自分も共に適当にあしらってごまかしながらこの世を生きて行けば というのを信条にしているつもりだったが、 今、小松老夫人をごまかすことだけはした くない、と思った。 「先方はね、今、これから間もなく都ちゃんを連れに来る予定なんです」 「ムフ日、これから、でギ、いますか」 その声には思いつめたような響きがあった。 「ええ、これからすぐ、アメリカへ帰るわけじゃないでしようけど、今晩から、先方は手許に 置きたいというのでね」 「それではもう間もなく、都は行ってしまうんでございますね ! 」 「ええ、今、お風呂に入ってきれいになったところです」 記「今から、私が会いにまいりましたら間に合いますでしようか」 紅 小松老夫人はせき込んで続けた。 百「最後に一目会いとうございますが : 「奥さん、それはおよしなさい」

7. 神の汚れた手 下

「それはよろしいと存じます。今度の日曜は、ちょうど私が夜勤になりますから」 「それを計算してたのよ。あともう一人 : : : 」 「潮田さんです。潮田さんには、当日、私が申します」 「そうしてくれると僕はたすかるよ」 、こっこり 「かわいい子になったんでございますよ。この頃、声は立てませんけど、はっきり 笑います。笑い顔のまたきれいな赤ちゃんで : : : 」 「メロドラマに弱い」貞春としては、その翌日、あまり見たくもない光景を見てしまったので あった。 ちょうど昼休みであったが、貞春が昼食を食べに家の方へ帰ろうとすると、カナリー椰子を 背景にして、何人かの若い看護婦たちが、佐藤都を抱いて写真を撮っているのであった。 「先生 ! 」 呼びとめられた時、一瞬、貞春は「ばれたか」と感じた。 「何をしてるの ? 」 りようぜん 貞春は、、 こまかすために、一目瞭然のことを質問した。 「今、ミコたんと写真撮ってるんです。先生も入りません ? 」 「いいよ、結構だよ。女ばかりの中に、僕一人じゃ、もて過ぎて悪いから」 「うわあ、しよってるわ」 しいから、入れてあげます」 貞春は笑いながら、その場を手を振って脱出した。 , 彼女たちに、都がいなくなることを告げ

8. 神の汚れた手 下

翌朝の恒例のミーティングの時に、貞春は、ややいかめしい顔で、 「もうお聞き及びと思いますが、佐藤都ちゃんが、良縁あって、昨夜、アメリカ人の弁護士の 家に引き取られました。急で皆さんに連絡できなかったけれど、充分しあわせにしてくれる家 庭だと思いますので、報告しておきます。なお、養父母のロウリー夫妻から、皆さんに感謝す る旨の伝言がありました」 と言った。そんなことを別に夫妻は言わなかったのだが、それは夫妻の存在を借りて、自分 という感じであった。 が言っているのだと思えばいし 看護婦たちが平静にしているところを見ると、皆はもうとっくに知っていたのである。内心 ひ で何を思っているかは知らないが、面と向かって非難さえされなければけっこう、と貞春は卑 きよう 法にも考えていた。ただ思いなしか、看護婦たちは沈んでいた。ほっておいたら、わあわあ 泣き出したかも知れない。そんな空気を、中屋敷とか大久保とかいう先任者が、冷静な態度で 引き締めている。 ミーティングが終わって、貞春が最初の患者を呼ばうとすると電話があった。ここのところ もりもとーレげたろう ずっと会っていないが、三崎で向洋閣という旅館を経営している森本繁太郎という社長からで あった。 しオしことがあるんですがね」 「実は先生にちょっと折り入ってお願、しこ、 一種の胴間声である。 「何ですか」

9. 神の汚れた手 下

130 るなら今であったのに、そのチャンスを失ったことは、もう弁解の余地のないこであった。 更にその翌日の土曜日の午後、貞春は広重と帝王切開で生ませた赤ん坊を、新生児に診に行 って、そこで再度、見たくもない光景を見せつけられてしまったのだった。 佐藤都は、ごく普通の新生児用の寝台に寝かされていたのだが、その顔の両脇に、何やら 玩具が置いてあり、そのべッドの枠には色とりどりのリポンが結んであるのであっ ) 。 これは」 「何だ 貞春は、愛想のない訊き方をした。 「だって、ミコたんって、こういうの好きなんですもの。だっこすると、ネックレ も好きなんですよ」 「何だ、この子だけ、何から何まで特別扱いじゃないか」 「だって年が大きいんだし、それにお父さんもお母さんも面会に来ないんですもの 貞春は黙って部屋を出た。 筧徭子からは、夕方再び連絡の電話があった。 「明日は、ロウリーさんたち、うちへ泊って行くことになったわ」 「そう、それなら、急がないでもいいね」 「それで、月曜日に、宗近神父さまの教会で、洗礼をさずけて頂いてから東京へ行んですっ て。私が代母になることになったの」 「何でまた、そんなに急ぐんだ ? 」 「だって、明日にも自動車事故で一家三人が死ぬかも知れない。その時、都も、自たちと一 いじるの

10. 神の汚れた手 下

「なるほど、人間は常に得なことをするわけか」 「そうよ。キリスト教徒にも貯金のすすめというのがあってね。富は天に積みなきい、 とい、つ のよ。地上の宝は安心できないでしよう。錆びたり虫がくったりするし、焼ける、〔配もあるし、 盗難にあわないとも限らない。だから、貯金するなら、燃えも紛失もしないもの形で、天に 貯えなさい、 とい , つのよ」 貞春はくつくっと笑った。 「イエスだか、神だか知らないけど、その人は意外と小心でけちなんだね。僕みたいだと思う よ。僕もそうなの。焼けると心配だから、絵も買えない。なくされると腹立つか女房に宝 石も買ってやらない。インフレになると目減りするに決まってるから、貯金もあまりしな 「体裁のいい話ね」 筧徭子も笑った。 「ロウリーさん夫妻はいっ来るの ? 」 貞春は、それまでには、佐藤都が、唖か唖でないか、決着をつけたいな、と内心 0 いながら、 さぐりを入れた。 「まだはっきりしないんだけど、、 しずれ近く知らせて来ると思うわ」 「わかったら、教えてくれよな」 貞春はそう言いながら、夫妻の来日の日がわかったって、今までの倍食べさせてプロイラ ーの鶏みたいに都を早く大きくさせる訳にもいかないのに、とおかしく感じていた