地へ行かはるまでの間、兵営に面会に行って、お便所の中でした、といいますがな。静ち ゃん、あんたは幸せよ、ひとつの部屋に姑が寝てるとこでせんならん苦労なんて、あんた にはわからへんでしよう、とお加代さんはよういうてました。結婚して間なしの頃、お加 代さんはご主人の転勤先で六畳一間の間借り生活をしてたんですけど、そこへお姑さんが 用もないのに訪ねて来て一緒に寝たんですと。姑さんはわざと寝息たてて、「もう寝まし たで。寝たさかい、早うしなはれ」というように、ムニャムニヤいうて寝返りうったりし はるんですと。それでほんまに寝たんやと思て、ぼちぼち始めると、いつの間にやら寝息 がやんでて、シーンとしてこっち向いてますねんと。暗がりで目工こらしてる気配がわか るんですと。そんなもん「堪能」もへチマもおますかいな。お加代さんは何でもかんでも、 静ちゃん、あんたは幸せよ、あの大きな家の誰もそこらへんにおらんような二階の寝室で うらや ゆっくりできたんやもんねえ。ほんまに羨ましい人や、といいますけど、家や寝室が広い からというて、ゆっくり出来るとは限りません。主人はニワトリはんで、あっという間に 終ってしまう人でした。そのくせ、あっちこっちに女作って、その上女中にまで手工つけ アたりする女好きでしたけど、わたしの目工を盗んでチョコチョコと女中に手工つけること なが出来たんは、あれはニワトリはんやったから出来たことかもしれませんなあ。 結この前、ダイニングにあった雑誌を何げのう。ハラ。ハラとめくってましたら、身の上相談 の欄があって、「夫が早漏の悩み」と見出しがついてます。「秋田県、沢村洋子」、と名前
130 日本むかし話をルイのクリスマスプレゼントにしようと思て、近所の本屋へ行ったら、 日本むかし話の絵本は一冊もないやおませんか。売り切れたんかと思て店番の主人に聞い たら、置いてないということで、なんで置いてないかというとクリスマスが近いからやと いう。クリスマスプレゼントにカチカチ山や舌切雀は似合いませんのでね、と本屋はいう。 「ディズニー」たら「スノ 1 マン」たら、「プーさん」たら「ノンタン」たら、わけのわ からん絵本ばっかりで、日本むかし話は一冊もない。 日本人が日本のむかし話を知らいでどないしますねん。家へ帰って満子にその話をいい ましたら、満子は澄まして、 「おばあちゃん、舌切雀は子供にはようないのよ」 というやおませんか。 「雀が糊をなめたくらいで舌を切るなんて、残酷すぎるというのよ」 「誰がいいますねん」 「里美がいうんですよ。今、一般にそういう意見になってるんやとか。カチカチ山もいけ のり
「行ってまいりまアす」 と里美はまるで遠足に行く小学生みたいに声はりあげて、ニコニコと手えつないで出て 行くんです。 つまり、ホテルへは寝に行くんですがな。つまり、あの、ナニをしイに行くんですがな。 それだけのために行きますのや。籍もちゃんと人った堂々たる夫婦が、なんでそんな密会 みたいなことしますのや。隣の部屋に圭彦や実彦がいるというても、ちゃんと壁はあるの かぎ やし、ドアーにも鍵がかかります。それやのにホテルへ行く 「だって堪能したいんだもーん」 と里美は恥かしげものういいます。 「堪能したい ? 何をですねン」 わかってるけどわざというてやりました。何と答えるかと思てると、平気で、 「きまってるじゃないの、セックスよう」 あき わたしは呆れて声も出ません。 「そんなもん、なにもホテルへ行かんかて、うちでかて楽しめますやろ」 A 」い - っ A 」、 「わかんない ? うちじゃ堪能出来ないのよう」 なにをいうてますのや。堪能 ? アホらしい。お加代さんなんか、ご主人が人隊して戦
140 「お帰んなさい。どこへ行ってらしたの、今日はすき焼だから遅れないで下さいねってい ってたのに : : : 」 「すまん、すまん」 といいながら健夫さんがダイニングに人って来る。 「お帰んなさい。遅かったわねえ、何してたの、。ハ。、 と里美。 「すまん、すまん。この先で学生と会ってしまってね。相談があってうちへ来るところだ ったもので、そば屋に人ったのさ」 「おそば食べて来たの。ハ。ハ。あたしたちを散々待たせて : : : 」 里美が責めるようにいうのんを、 「いや、ごめん、ごめん」 と軽ういなして、 ちょうし 「学生は腹を減らしてるから食べさせてやったのさ、ぼくは銚子を一本、飲んだだけだ」 「それじやすき焼、召し上るのね ? 」 「ああ、食うとも」 いつものようにニコニコして、どこにも変った様子がありませんのや。 たいした役者。大狸ですわ。真面目一方の顔してからに、このクソ度胸。死んだ主人な
わんばっかりに黙ってる。 健夫さんは歯がゆいほど穏やかな人で、 「どうだい、サッカーは ? 」 と話題を変える。実彦の方はサッカー部に人ってますのや。質問されたことになんでか すぐには答えへんのが二人の悪い癖で、わたしはイライ一フして、 たず 「実彦、お父さんが訊ねてはるやないの」 と語気鋭く返事を促すと、テレビの方に顔を向けたまま、 「やめた」 と一言。 「やめた ? 」 と健夫さん。 「やめたの、まあ、いっ ? 」 満子もびつくりして口を出しました。わたしは心の中で、「そのうちやめると思てた きはく つぶや わ」と呟く。サッカーみたいにチョコマカ動かんならんスポーツを、気餽のないこんなへ ナへナが出来るわけおません。 「どうしてやめたのよ。今度試合の時、リチャードと応援に行こうっていってたのに」 里美もびつくりしてます。
ためいき 長々と同じことをしゃべっては大きな溜息をつきます。わたしは、 「なにをいうてるのん。なにが幸せよ。これでもいろいろあるのんよ」 わたしなりに溜息をつきますが、そら、お加代さんよりは幸せかもしらん、と思います。 戦争末亡人。働きに働いて一人息子を育て上げたら、鬼のヨメさんが来てコキ使われて 邪魔にされる。年金は食費として人れさせられ、小遣いにもこと欠くありさま。大学生の 二人の孫はお加代さんをアホにして、何かというと「汚いな、おばあちゃん、臭いわ。お ばあちゃん」という。それでもお加代さんは「ここで挫けたらあかん、ここで挫けたらあ とは逆落しに落ちて行く」と思うては自分を励まし、努めて明るう振舞うて、たいしてお わろ かしい話でもないのに大声で笑うてみせたりして一所懸命、家族に溶け込もうとしてるの やそうです。 女学校時代はク一フス一の美人といわれたお加代さんやのに、今は見る影ものう痩せて黄 なか 色う干からびて、この頃は重たいもんを持ったり、大声で笑うたりしてお腹に力が人ると、 おしつこがピュッと洩れるようになったんやそうです。 家族に溶け込もうとして、おかしくもないのに大声で笑うて、おしつこ洩らす ぎようさん 何という哀話でしよう。「一杯のカケそば」の話で泣かはった人が仰山いてはるという ことやけど、それどころやないですわ。それを思うとなるほどなあ、わたしは幸せかもし らんなあと思います。 くさ
きはく けたるゾーツという気魄です。竹槍が役に立つか立たんの問題やない ! 」 と防空郡長の豆腐屋のオッサンが演説してました。 「鬼畜米英 ! 」 と叫んで竹槍を藁人形に突き刺す。 その鬼畜のマゴですがな、リチャードは。向うは向うで、ジャップとかイエローモンキ イとかいうて、わたしらを・ハ力にした。その鬼畜のマゴとうちのマゴとが仲ようなって、 子供まで出来たんです。 あーあ : 溜息のほか、何の言葉も出てきません。ほんまにわたしらの人生、いろんなことがいっ ばい詰ってるなア : : : よかったんか、悪かったんか、何が何やらさつばりわからんなア そう思いながらわたしはリチャードの、鬼みたいにモジャモジャの毛の生えた手から、 牛どんを受け取って、まじまじとそれを眺めたんでした。 な 結お加代さんの見合の日が急に決って、わたしはっきそいとして行かんならんことになり ました。赤坂の有名ホテルの有名和食店が見合の場所です。 わら
里美は毎月、いっぺんか二へん、リチャードと都内のホテルへ泊りに行きます。ルイを 残して、二人で。 「なんでそんなとこへ行きますねん。そんなことにお金、使うて勿体ないやおませんか」 とわたしがいうと、満子は、 「そういうてもおばあちゃん、里美の隣の部屋には圭彦と実彦もいることやし : : : 月にい っぺんくらい、二人ともゆっくり楽しみたいでしようが」 というんです。「温泉へでも行ってゆっくりしてくる」というんならわかりますけど、 家から二十分か三十分離れたホテル ( どうせ安ホテルですやろ ) へ行って、何をゆっくり 楽しみますねん。二人で高級ホテルのディナーを楽しむ、というのならわかります。けど タご飯はうちで食べますのや。リチャードも来て、器用に箸を使うてたらふく食べて、食 な後にコーヒーを飲んでそれから、 結「ほな、ポチボチ行こか ? 」 リチャードは大阪弁でいい、 はし もったい
のやとか。 そんなつまらん苦労してまで武林センセを喜ばせたいのんやろか。武林センセをそない に好きになってしもたんやろか。 お加代さんはその自分の気持が、自分でもようわからへんのやという。これは「好き」 まぎら という気持なんか、それとも今の生活の寂しさを紛したいという気持なんか、このおっき 合いをやめてしもたら、嫁や孫が何というかと思うと、ここで退くわけにはいかんという 意地か : 「けどねえ : : : 」 とお加代さんは溜息と一緒にいいました。 「今、週に二回くらいはセンセのお宅へ行ってるの。それが急にと切れてしもたら、さぞ 寂しゅうなるやろうと思うと : : : 」 家に帰る道々、わたしは何べんもああ、可哀そうやなあ、気の毒ゃなあ、と思いました。 「同じ後家でも、あんたとわたし、なんでこないに違うんやろ」 別れ際にお加代さんがそういいましたから、わたし、いうてやったんです。 「わたしやったらね、お加代さん。武林センセにこういうわ。『センセの冗談に笑うの、 わたししんどいですわ』て : : : 」 お加代さんは細う小そうなった目 ( 若い時は切長のそれはきれいな目やった ) をいつば かわい
それなりに幸せになったかもしれへんなあと、わたしはつくづくお加代さんが気の毒です。 純真なお加代さんは今は武林センセを好きになってしもたようです。けどセンセの方は どうやろ ? センセはお加代さんにどの程度愛情を持ってはるのやろ ? 床に人るなりイビキをかいて寝てしもたということは : : : 愛はあるけどアッチが利かん、 ということやろか。それとも結婚するまでは清い仲でいなければ、と堅う考えてはるのん か : : : 。堅う考えてるわりには、手工握ったりあんまさせたりして遠慮はしてない。武林 はん、何考えてはりますねん、といいたい。 「それでお加代さん、いつまでそこにいる気 ? 」 と訊くとお加代さんは、 「そうやねえ。いつまでいるのやろ。わからへんわ」 というのです。「わからへん」ということはつまり、武林センセの都合に従う、という ことなんですわ。 「わからへんって、あんた : : : 」 そんなもん、あんまさせられるばっかりならさっさと帰って来なさいよ、と口まで出か けんしようえん かりましたが、抑えました。お加代さんはあんまで腱鞘炎起しながらでも、センセのそば にいたいのですがな。何とのうわたしにはそれがわかったんでした。 わたしは母屋へ出かけて行きました。お加代さんへの同情と情けなさがゴッチャになっ