五社協定 - みる会図書館


検索対象: 老いの道連れ 二人で歩いた五十年
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1. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

一九五五年 : 『映画芸術』誕生 映画全盛時代 テレビと五社協定 一九六八年 : 六十歳でほんとの夫婦 『映画芸術』顛末記 「貞女の涙」 『テレビ注文帖』より 《ふぞろいの林檎たち》の青春 《男たちの旅路・車輪の一歩》 124 101 1 17 1 ろろ 1 10 次 111

2. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

通信と雑誌 : : : 社員も仕事もふえて、さすがに手がまわらなくなったあなたが、 築地に新しく事務所を借りて、映画芸術社とし、共立通信社を、その道のべテラ ゆず ン乙氏に譲ったのは、あれから間もない頃でしたね。何もかもそっくりそのまま ・ : 顔なじみの社員たちを大切にしてくれることだけを条件に、無償で : : : と聞 いて、あなたらしい、と思いました。毎月の収入支出のバランスも、やっと、う定 協 社 まくゆくようになっていたことは、乙氏も認めて喜んでいたそうです。 五 ところが、それから、一カ月たったある日ーー東京映画で仕事をしていた私の レ ・ : 昼休みに、やっと、宣伝部の受話 ところへ、乙氏から、再三、電話がかかり : テレビと五社協定 101

3. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

したからね。ただ、 ーサルの時間がすくないので、その日の台詞はすべて、 キチンと頭にいれてゆくようにしたものです。 いっしょに出演する若い俳優たちは、そんな私を見て、よく、言ったものです。 「そんなたくさんの台詞を、何故、みんな、おぼえてくるのですか」 私は、そのたびに、 「早く、仕事をすまして、早く、おうちへ帰りたいからよ」 と答えました : : ほんとうだったのですもの。 ( 女優業は、何時か、やめるだろうけれど、私たちの夫婦生活は、ずっとつづ けるのだから、その方を大切にしなければ : : : ) そう思っていました。なんとも、不心得な、女房女優です。 そうは言っても : : : 女優という仕事は、嫌いではありませんでした。自分とは 違う人間になるむずかしさ、おもしろさ 私も、けっこう、楽しんでいました。 いっしょに暮らす夫婦が、それぞれ、自分の仕事にばかり、こだわっ テレビと五社協定 105

4. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

と溜息をついたものでした。 ところがー丨ーその夜、私から、その話を詳しくきいたあなたは、 「映画界は、いまのうち、なんとか考えないと、間もなくテレビドラマに押さ れるよ」 : どこの偉方も、気にもとめず、 本気でそう言っていたけれど : 「そんな手軽な撮り方で、ちゃんとしたドラマができるはずがない」 と笑うだけ : ただ、五社協定で話し合い、すべての契約俳優に、テレビ出 演を固く禁じました。私は、どことも契約していなかったので、ホッとしたもの ちょうど、その頃から、あちこちの家の茶の間にテレビが置かれるようになり、 テレビドラマの人気が出て、フー 丿ーの俳優はむやみに忙しくなったけれど : : : で も、私にとっては、その方が楽でした。どこのテレビ局も、撮影所よりずっと近 いし、開始時間も遅いので、朝、ゆっくり、あなたの夕食の用意をしてゆかれま えらがた 104

5. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

てくれれば、それで満足でしたから : 乙氏からは、それ以後、なんにも言ってきません。 Z のテレビドラマに、越路吹雪さんの伯母役として、初めて出演したのは、 その頃だったかしら。映画では、三分のシ 1 ンを十回もテストするというのに、 テレビでは、三十分のシーンを一度につづけて撮影するというので胸はドキドキ 1 ンが変わるところでは、大きなキャメラ二台の間を、演出助手三人に引 つばられたり、押されたり ときには、駈け出しながら、羽織を着せられ、ぬ がされ、ハンドバッグを持たされてーー笑うはずの顔も引きつって、台詞を言う のが、やっと : ・と、、つムロ・一木。 どうにか、撮り終って、 ドラマ班の偉い人に、 「ご感想は ? 」 ときかれると : : : つい 「運動会の。ハン喰い競争に出ているような気持でした」 テレビと五社協定 10 ろ

6. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

「彼の説も一理あるかも知れない」 あなたは、そう言うようになりました。 いままでの『映画芸術』は、潔癖すぎて幅が狭い。敗戦で、何もかも変 ったんです。若い人に読ませるためには、もうすこし、エロティックなものも載 せなければ : : : ェロ・グロ・ナンセンスというのも、いちがいに否定できない」 ということらしく、あなたは、毎晩、考えこんでいましたね。 結局ーーにまかせた誌面は、急に明るく、派手になり、それと同時に、若い 演出家や未来の評論家が、毎日のように事務所に集って気炎をあげたりして : あなたは、家に帰ってきてからも、なんとなく、落ち着かないようでした。以前 と、私は思い からいた地味な編集部員がやめたのも、そんなことかも知れない、 ました。 そのあと、 「これからは、せいぜい女の人に働いてもらわなければ : : : 」 いちり 60 歳でほんとの夫婦 1 1 う

7. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

『貝のうた』を読んでくださった先生から、「ぜひ : : : 」というお招きがあり 以前から、花森先生のファンだったあなたのお許しで、暮しの手帖社へ行っ たのでした。そのときのインタビー記事「妻なれば : : : 」も、あなたは気にい っていたのでしたね。 : いかにもお忙しそうな先生に、おそるお 翌朝ーー暮しの手帖社へ電話して : そる、映画芸術社の危機をお話すると、 「とにかく、すぐ、二人で来るように・ そう言ってくださ「たときの、あなたの喜びよう : : : すぐ、飛んでゆきました よね。 事務所で、編集の人たちに囲まれていた先生は、 「まだ、ひるめしには早いから、すいているだろう」 涙 と、私たちを銀座のおすしゃの二階へ連れてい「てくださいました。先生のご女 ひいきの店です。

8. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

それにしても、くたびれました。あの晩、二人で、新聞社の人が紹介してくれ た弁護士さんを訪ねる途中、私はめまいがして、踏切りのそばで、しやがんでし まいました・ーーあれはどこだったかしら , ーーやさしく、背中をさすってくれるあ なたにしがみついて、オイオイ、声をたてて泣きました : : : あなたも、泣いてい み」み・み」い 結局、裁判ということになり、あなたも緊張した顔で、二度、法廷に立ちまし たよね。そのあげく、弁護士さんのおかげもあって、共立通信社は、改めて、あ なたの名前で登記されてーーホッとしました。 ただーーあとくされがないために、例の二人に、ある程度のお金を、退職金と 」い、つの、も、 して渡すという条件が、あなたにとって、なんとなく割り切れない、 科 と思いました。 無理はない、 もう一つ、私の気にかかったのはーーあの晩、応援してくださった新聞社の友竝 役 達三人と、わが家で食事をしているとき、

9. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

それから一週間ほどして、花森先生のお呼び出しで、暮しの手帖社へ行ったあ なたはーー意気揚々と帰ってきました。 先生が、 「君と二人で、新しい映画雑誌をつくろうじゃないか。暮しの手帖社に応援さ せるから経済的なことは心配いらない。それなら、奥さんもきっと賛成するだろ と、おっしやったということ。あなたは、もうすっかり、その気になっていま 『テレビ注文帖』より 『テレビ注文帖』より

10. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

なことを思い出して : : : あなたが五枚書いたら、つぎは私が五枚っていうふうに しばらく考えていた殿は、 : : : うん、そうだなあ、誰に見せるっていうわけでもないけれど か : : : つまり、来年はわれわれも金婚式ってわけだからな 書こう、終戦後五十年 あーーーーよし、じゃあとにかく、僕から書き始めることにしよ、つ」 ひさしぶりに機嫌よく、書斎へはいって、机の前に坐り、エンピッをけずって そして : : : その第一稿を私に見せないまま、寝ついたあげく 行ってしまった。 一人で遠くへ