吉岡 - みる会図書館


検索対象: 老いの道連れ 二人で歩いた五十年
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1. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

電車に乗るのに、誰かの手を借りなければホームにも上れないなら、手を 貸してもらえばいいじゃないか。いやがらせの迷惑はいけないが、ギリギリ いつばいの厄介はかけてもいいんじゃないだろうか。君は、そんな横着な気 と早くも取 持で行動したら、世間の人は思い上るな、というにちがいない、 り越し苦労をしているが、世間に通用しようが、しまいが、それを通用させ るのさ。そのうち世間の君たちへの対応の仕方が、きっとちがってくるとお もう。なにげなく手を貸してくれるようになるとおもう。どうだ、胸を張っ て堂々と他人に迷惑をかけることを、おそれない青年になろうじゃないか」 吉岡の大胆な発言に、はじめはついていけない若者たちも、会うたびに彼 の真情に打たれ、説得されてゆく。その経過が見ていてたのしかった。さわよ 帖 文 やかでもあった。 注 そして一日、吉岡自身が、あの踏切の日以来、部屋に閉じこもっている良レ 子とその母を説得するためにア。ハ 1 トを訪ねる。 ひと 1 5 1

2. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

拗なイヤガラセを無抵抗に受けとめ、精いつばいの努力を続ける前段の展開 に、市民レベルの対応の無力さが強調されていておもしろかった。清次ら兄 妹のア。ハ 、彼ら六人の強引な泊り込み攻勢にあって足の踏み場もなく なってしまう。 このあと若い部下の困惑状態を見かねた吉岡司令補が、六人をタ食に招い て彼らのイヤガラセの意図や動機などを問いただしながら、車椅子生活者が おかれている社会的環境を知ろうとする。このあたりからドラマは次第に核 心に入ってゆくのだが、ここでも例の特攻隊生き残りという設定で吉岡役を やっている鶴田浩二が、ちょっぴり古風で一徹者のイメ 1 ジにビッタリの持 ち味を生かしていておもしろい このドラマの作家、山田太一は数年前に出版されたエッセイ集『街への挨文 レ 拶』の ( 男らしさの終り ) のなかで、 「主人公に託して共感を求めるような理想像を、つくる側がもてなくなっ

3. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

なと一緒に気軽く外へ出る訓練をしないか」 と切々と勧めてくれた言葉を思い出していた。そして、ようやく一つの決 心にたどりついた。良子は数日後、グループの六人が待っている私鉄の駅前 へ出かけた。 藤田クンや川島クンのほかに、ガードマン兄妹たちが集っていた。吉岡司 令補の顔も見える。 「しつかりね」「見てるからな」 そんな声援にうながされて、良子は、駅の改札口に通じる石の階段の下ま で、ゆっくり車椅子を寄せていった。そして、 「誰か、誰か、あたしを上まであげて下さい」 と雑踏の中へ呼びかけた。 「どなたか、あたしを上まであげて下さい」 くり返しているうちに、だんだん声が大きくなっていった。近くを通りか 『テレビ注文帖』より 1 5 ろ

4. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

車椅子生活者の家族の苦衷を語る母親は、 「もう世間なぞ信用していない。私にそういう決心をさせたのは世間なの 、外へ出ないから勇気がないとか、そんな十把ひとからげな言い方をして もらいたくない」と強い語調で言い、娘までが、母の一生をメチャメチャに したのは私だし、母の言うことには、さからえないと口をはさむ。 「お母さんにさからえ、と言ってはいない。お母さんは君が可愛いから、 これ以上傷つけたくないと思っていらっしやる。傷つけるのが、こわいんだ ろう。君は一歩も外へ出られないほど、ひどい身体だろうか。そのことを君 は自分で判断しなければいけないんじゃないのか。このまま、お母さんの言 いなりになっていたら、いっか、きっと君はお母さんをむようになるだろ う。みんなが君を待っている。自分の大事な一生じゃないか」 良子は、吉岡の言葉をきいていて、藤田たちが訪ねてきて「ぼくらも未だ、 おどおどしているけど、みんなで強くなろうと励まし合っているのだ。みん 152

5. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

慟哭する川島のクローズ・アップの顔に、車椅子生活の若者の無念なおもい が凝縮していた。この短いシークエンスの演出 ( 中村克史 ) は見事であった。 川島たちと何度も熱っぽい話し合いを続けていて、吉岡はようやく彼なり の対応を固めた。 彼が若者たちを勇気づけるために導き出した結論的提案は、 「他人に迷惑をかけることをおそれては、ナよ、 し ( オし」というひと言であった。 「他人に迷惑だけはかけないで : : : 世の母親たちは、子供の前でしきりに、 この言葉をくり返す。処世上の初歩的なルールとしてこの箴言は誰にも疑わ れていない。だが考えてみれば、これは並みの人生を生きている人たちのル ールである。それを疑ってみたらどうだろう。君たち特別な生き方をしてい る者が、そのルールを守ろうとするからゆがんでくる。たしかに君たちは、 この一般人のルールにしばられている。 ひと 1 う 0

6. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

ている」と言い、そのあと、 「何事についてにせよ、頑固や徹底という属性を、ドラマの中の人物に付 与すると、その人物は古風になってしまうのだ」と述べている。一作一作を ゆるがせにしないこの人らしい含蓄のある言葉で、《男たちの旅路》の、どち らかといえば剛直といった感じの吉岡という人物を、共感を求められる主人 公の理想像として、とらえているかどうかは知らないが、どうやら、この作 家は、この人物のキャラクタ 1 には、自分の分身ででもあるような気の入れ 方をしているようにおもう。とりわけ場面が紛糾し冷静な第三者の介入が求 められるような、いわばドラマの発想のポイントの部分には必ずこの主人公 を登場させ、そこで透徹明快な論理的判断をさせている。その切れ味の見事 さ、セリフの歯切れのよさに山田ドラマの魅力があるとおもう。作者の社会 意識や、思想の一端がドラマの文脈にそそぎこまれ、織りこまれるのは、あ たりまえのことといえば、それまでだが、そのあたりまえのことが、多くの 146

7. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

やさしいあなたは、山田太一さんのやさしさに強くひかれていたのでした。 「いっか、書きたい」と言「ていた「私の山田太一論」を書くこともなく、逝「 てしまったのは、さぞ心残りだったことでしよう。 やっとでき上がった文庫本を、あなたは、何度となく、読み返していました。 お赤飯を炊いて、私の手料理で二人だけの内祝いをしただけでしたが、 満足そうでしたよね。 かく、あの本を手にするときは、ほんとうに、 : と心配していた割 たった一度の上映ーーーというテレビドラマの批評だから : りに、よく売れたのは : : : 各局のテレビドラマ関係の人たちが読んでくれたから かった人が、二人がかりで良子をかかえるようにして駅の構内まで連れてい 、ドッと六人が石段の下へ車椅子を漕ぎ出した。駅 ってくれた。それを見て 前の自転車置場の前で良子の母が泣いていた。無言で立ちつくしている吉岡 司令補の大写しで、ドラマは終った。 154

8. 老いの道連れ 二人で歩いた五十年

がくるとも思えないし 。いっぺんでいいから、女の子とっき合ってみたいん だ。一生、女なんか縁がないかもしれないからね。それを隣りの部屋で黙っ て聞いていた父が「四万ほどやっとけ。、、ゝ、 ももカチップなんかケチるんじゃ ね工ぞ」と怒鳴るような調子で言った。おふくろも「行っといで、 行っといで」と言ってくれた。あくる日の晩、おふくろに新しい下着を着せ てもらって出かけた。だが車椅子はダメだというんだ。仕方なくウロウロし ただけで十一時すぎに家へ帰った。 ことわられたナンテ言いたくなくて「行ってよかった、よかったよ母さ ん」とニコニコしてみせた。奥にいた父に「そうか、よかった」と言われた トタン、俺は泣きだしてしまった。こんなこと、並みの親子じゃないよね。 帖 文 オレたちは普通の人たちとはちがう人生を歩いているんだね : 注 これは、グル 1 プの一人、川島が一日、吉岡司令補の自宅へやってきて話レ していたある日の行動の一節である。回想形式で見せたこの画面の終景で、