『貝のうた』を読んでくださった先生から、「ぜひ : : : 」というお招きがあり 以前から、花森先生のファンだったあなたのお許しで、暮しの手帖社へ行っ たのでした。そのときのインタビー記事「妻なれば : : : 」も、あなたは気にい っていたのでしたね。 : いかにもお忙しそうな先生に、おそるお 翌朝ーー暮しの手帖社へ電話して : そる、映画芸術社の危機をお話すると、 「とにかく、すぐ、二人で来るように・ そう言ってくださ「たときの、あなたの喜びよう : : : すぐ、飛んでゆきました よね。 事務所で、編集の人たちに囲まれていた先生は、 「まだ、ひるめしには早いから、すいているだろう」 涙 と、私たちを銀座のおすしゃの二階へ連れてい「てくださいました。先生のご女 ひいきの店です。
それから一週間ほどして、花森先生のお呼び出しで、暮しの手帖社へ行ったあ なたはーー意気揚々と帰ってきました。 先生が、 「君と二人で、新しい映画雑誌をつくろうじゃないか。暮しの手帖社に応援さ せるから経済的なことは心配いらない。それなら、奥さんもきっと賛成するだろ と、おっしやったということ。あなたは、もうすっかり、その気になっていま 『テレビ注文帖』より 『テレビ注文帖』より
私が、なにやかや , ーー雑文を書くようになったのは、殿のすすめだった。 ちょっとしたことから、半生記『貝のうた』を出版したあと、暮しの手帖社の 花森安治先生のおすすめで『私の浅草』を書くはめになったがーーーあのときも、 そののちも、つづけて身のまわりのことを書くように、しきりにはげましてくれ たのは、殿だった。 花森先生は、 「ものを書く男は、たいてい、女房が筆をもつのをいやがるものだがーーーおた くの旦那は、やさしいのかね」 そ、つおっしやっこ。 たしかに、やさしかった。多分、六十歳になって、初めて筆をもった妻を、な そう思ったのだろう。 んとか、応援してやりたい なったが、殿は、それでも、家人がいし 、、つことだった。 逝ってしまったあなた
みようか ? 」 そう言い出したのはー・ーあなたでした。 「『暮しの手帖』を、あれだけの雑誌にするまでには、ずいぶん、いろんなこ とがあっただろうからね。あんたは、一度、逢ったのだから、電話してみてくれ 二カ月ほど前のことでした。 私が、花森先生におめにかかったのは、つい あの晩、 「貞女の涙」 : こんなとき、 しテ . も どうしたらいいかーー花森安治先生に相談して 124
これ以上、 うなったらもう駄目だね。思い切って、やめなさい、手ばなしなさい。 モタモタしていると、あなたも、奥さんも、今後、何にもできなくなります。も うすぐ、左翼の学生を乗り込ませるだろうから」 : 現に、そのために、やめることも、つづけることもでき そうかも知れない・ ない中流の雑誌社があることは知っていました。 「 : ・・ : でも、やめると言っても、どうしたらいいカ : : : 」 「明日、暮しの手帖社の弁護士を紹介しよう。一流の弁護士だから、 まかせればいい」 その晩、二人で、抱き合って泣きました。だって、あなたが、あんなにいっし ようけんめい育てた雑誌を、手ばなさなければならないなんて : : : でも、ほかに 仕様もないのだからーーしかたがありません。 翌朝ーーー花森先生はお忙しいなかで、私たちを弁護士さんの事務所へ連れてい ってくださいました。おめにかかっただけで、ホッと、安心できるような先生が 「貞女の涙」 127
その頃、ほとんどの家の茶の間にテレビがおかれるようになり、早朝から深夜 まで、ドラマ、ニース、スポーツ、評論 : : : と、次から次へ放送されていたけ れどーーーしつかりしたテレビ批評が、ほとんど、なくて : : : 私でさえ、ひどく物 足りなく思っていたのです。それだけに、先生の、 「いろんなテレビを、あなたの眼で、しつかり見て , ・ーー・一言いたいことをキチン と言ってください。何を言ってもよろしい。あなたの原稿についての責任は、す もいのです」 べて、暮しの手帖社が持ちますから、心配しなくて、 というお言葉に、あなたが、カッとするほど喜んだのは ただ , ーーちょっと残念なのは、せつかく、先生カ 「スペースは四ページ : : たつぶり、書いてください」 とおっしやったのに、あなたは、 ジでけっこうです」 と辞退して、 ヾゝ、 よくわかります。 『テレビ注文帖』より 1 5 5
「 : : : 好きですから」 と言うと、黙って、席をお立ちになりました。 先生ご夫妻は、あまり、お話をなさらなかったのかも知れません。毎日、おた がいに言いたいことを言っていた私たちの方が、しあわせだったようです。 それにしても嬉しかったのは、あなたの「テレビ注文帖」が、あの日以来 花森先生がお亡くなりになるまで、十五年間 ・一度の休みもなく、 つづいたこ とです。年六回発行の『暮しの手帖』に十五年ーーっまり、あなたは九十回以上 終日、わが家の茶の間のテレビの前に坐りつづけ、見つづけ、書きつづけた ということですよね。 その「テレビ注文帖」を文庫にしたい、 と言ってきたのは、光文社の編集部で した。「自信がない : ・ : 」と渋っていたあなたが、 やっと、その気になって、三 ーを全部、読み返したのはーーー私の強いすすめです。 日かかりでヾック・ナンバ 文庫本の「まえがき」であなたは言っていますよね。 リ 8
作品には欠落しているから、テレビドラマが、おとなのモノにならないので ある。 六人組の一人、藤田のペンフレンドで、脊髄性の疾患で小学三年のころか ら車椅子の生活を続けている良子という十七歳の少女がいる。母ひとり子ひ とりの暮しで、その母親が、きびしく外出を禁じている。藤田らが何度とな く外出を誘うのだが、いつも半開きのドアのなかから断りつづけている。ウ ィークデーの一日。母親が働きに出たあと、六人が揃って良子を誘い出しに トの前のコンク ゆく。ア。ハ リートの階段に背中をつけ、うしろ向きの姿勢 で一段ずつ登ってゆく青年たちの姿が、なんとも異様で痛々しかった。はじよ 帖 しし公園に文 め不安そうな表情をみせて、ためらっていた良子も、陽あたりの、 レ 出てからは、別人のように明るくなり、みんなと一緒にハシャいでいた。 去年、母に連れられて新宿へ二度出かけただけだという良子にとって、久
一と急速に親しくなった陽子が、 「一流会社に入ったら別の世界がひらけるかもしれない。だから私なんか 。ゝ、、って、心の何処かで計算してるのよ。分るんだも に深入りしない方力もも と面と向っては言いにくいことを電話で言って、そのあと、ひとときしょ んばりする場面がよかった。陽子の不安いつばいのやる瀬ない心情を、手塚 理美がうまく感情移入して表出した。同僚の晴江をやった石原真理子と、こ の二人には、その表情に初々しさがあって、将来がたのしめる。 「この偏差値じゃあな」と高校時代から不当におとしめられ、ひがんでき た落ちこばれ学生それぞれの憤懣を、わがことのように受けとめ、なんとか 彼らと彼女たちを励まし、勇気づけようとする作家のやさしさが全篇に溢れ ていて、さわやかな後味を残した。どうやら私の山田作品へののめり込みは、 まだ当分っづきそうである。 ( 一九八三・ 142
うでもしなければ、一緒にお茶をのむ女の子ひとり、つかまえられそうもな いのだ。ビラの効果があって彼らの〈ワンゲル愛好会・オリーブ〉にも、当日、 東洋女子大の谷本綾子が顔をみせる。相当な肥満体で、容貌もいいとはいえ この冒頭の階段教室の場面で、肥っちょの綾子 ( 中島唱子 ) が、 「いろんな可能性を求めた方がいいと思ってさあ」 と、男がズッコケるようなことをケロリと言ったり、ブスでもなんでもと 汗だくで食い下がる西寺 ( 柳沢慎吾 ) の三枚目ぶりがなんともおかしかった。 津田塾を名乗って入会した陽子 ( 手塚理美 ) と晴江 ( 石原真理子 ) の二人が、 実は看護学校の学生だったりする話にも、現代ッ娘の屈折した青春の一面が とらえられていて、ここにも作者のやさしい目を感じた。 健一が商社の幹部の知遇を得て、入社試験まで漕ぎつけた揚句、不採用に文 レ なる前後の、いくつかのシークエンスには、手を差し出し、声をかけてやり たくなるような、いじらしさの実感があった。ワンゲルで知り合った後、健