のは平素の修練のカである。修練のない者は突き刺されるか、逃げまどうしかない。今の 教師の殆どは「その日その日の忙しさ」を口実に、教育者として教育を考えることを怠っ ている。あるいは考えたところでしようがないと諦めている。どうすれば生徒に好かれる か、から文句をいわれずにすむかなど、枝葉末節に捉われて本道を歩けない。 人間対人間として情熱をもって生徒と対していると、思わず手を上げてしまうこともあ るだろう。それは相手に対する情熱である。だがたとえ情熱から出たことであっても ( そ うでない場合も ) 「暴力を振った」というひとことに括られて教師は批判を受ける。批判 を怖がっている限り教育など出来っこないのだ。だが批判に反発しようと思えば膨大なエ ネルギーが要る。事なかれ主義が一番いいと思うようになり、教育への情熱を失う。 生徒にもいろいろあるように教師にもいろいろある。私の娘は高校生の時、朝礼で整列 する時に機敏に動かず、前の人との間が開いた。すると壇上の体育教師は全校生徒の前で、 「そこのメス ! 」 と大声で罵った。その品格のない侮辱を三十七歳になった今も娘は忘れないという。 教師にとって必要なことは人間としての「品格」であろう。叱ることや殴ることの正否 は教師の品格のあるなしで決る。生徒は。ハ力ではない。品格をもって殴るか、下品に殴る かで、受け止める生徒の気持は違うのだ。 128
っている。 いったい、何に意味を感じてこの人たちはこんなに夢中になって、思いっきの言葉をあ やつっているのだろうか。テレビを見るたびに私はしらけた気持でそう思わずにはいられ なかった。 分析批評なんてものは穴を掘るようなもので、掘っても掘っても何も出てきはしないの ぬだ。しかし人々 ( マスコミに招集された ) は掘る。みんなで力を合せて掘ることによって 綾鉱脈に届こうという情熱があるわけではなさそうだ。ただそれぞれが自分の掘り方を見せ ねているだけのように私には思える。 い テレビニュースにあの中学校の校長先生の会見の様子が映し出されるのを見た時、私は い とても気の毒で見ていられなかった。今に批判の大合唱が始まるだろうという想像が、私 な もた の中に頭を擡げかけた「なんだ、これは」という思いを圧し潰してしまったのである。 い い あの校長先生を批判するのは簡単だ。しかしあの校長先生は今の日本の教育界の象徴と いってもいい人なのだ。私はそう思う。あれがあの校長の限界であり、日本の教育界の限 界なのではないか。あれ以上の校長らしさを望むのは無理というものだ。あの場合、校長 。ということは平素から教育につ はああ答えるほかにいうべき一一一一「葉が出てこなかった いて「考えていない」、「考える習慣がない」ということなのであろう。 突然、向うから剣が飛んでくる。それに対して腰の刀を抜く手も見せず、丁と斬り結ぶ 127
以て空しく一生朽ち果つべき運命を有するものもあらんかと思えば胸潰るる許りなり」 右は私の父の明治一二十八年春の日記の一節である。並んでいる下宿屋の無数の窓に明々 とともされた灯の下、貧しい学生たちが一心に書物を読んでいる姿を想像して胸を打たれ た父の、その青年への想いが私の胸にも熱く伝わってくる。日本が貧しく矛盾に満ちてい た時代、刻苦勉励という言葉が生きていた時代だ。 貧しさ故に若者は考えた。鬱屈して考えるが故に広大な末来があった。可能性に満ちた な洋々たる前途、夢があった。それが若者の貧しい青春に輝きを与えていた。 な 今、豊かさのみを追って考えることをやめた我々にどんな末来があるのだろう。若者た で ちを含めた我々は何に向って生きようとしているのか、更なる豊かさと安住に向って ? 葦 だがいったいそこにある希望とはどんなものなのだろう ? え 考 目下の日本経済の破綻はやがて恐慌を呼ぶかもしれない。私は今、いっそそうなった方 我 がいいとすら考えている。困窮が我々に「正しく考える」ことを思い出させてくれるなら ば、私自身の老後の暮しへの不安など、この際、目をつむって耐えようという気持になっ ている。 ばか
昔は何かというとそういって子供を戒めたものである。人は欺せても神さまは欺せない。 何もかもお見通しである。道に外れたことをすると罰が下るなどといって。 では「道に外れる」とはどういうことか。嘘をつく。盗む。人を欺す。親不孝。喧嘩。 物を粗末にすることや大猫を虐めることまで、幾つもあった。昔の子供の多くはこうして 素朴な形で人として守らねばならぬことを神さまを引き合いに出して戒められた。 やがて学校に行くと先生から「良心」ということを教えられる。「そんなことをして良 心に恥じないか」とか「お前の良心はどこにあるのだ」とか。「良心」は「神さんが見て ははる」こととしつかりつながっていたのである。 見 その頃は「人の命の大切さ」など改めて教えたりしていない。そんなことはいうまでも ん ないことなのだ。それは人が人として自然に持っている ( 自然に育った ) 感情である。親 神 不孝をしてはいけないという教えはあっても、親を愛しましようという教えはないのと同 じである。 今、日本人は知識を最高のものとし、すべて一一一口葉 ( 観念 ) に頼るようになった。だが百 の説教よりも嘘をつくと死んでからエンマ様に舌を抜かれるという素朴なオドシの方が子 供の心に染み込むものである。子供は感情に響く教えを吸収して育つ。そうしてエンマ様 と神さまは子供の「良心」を育てたのではなかったか。 今の子供には不平不満はあるが怖いものは何もない。神さまは結婚式の儀式用、受験の いじ だま
神戸の中学生の児童連続殺傷事件の時も、学校の先生が犯人の中学生に暴力を振ったと いう報道が独り歩きして、校長がいくら否定しても馬耳東風、マスコミは学校批判に狂奔 した。後にすべてが明らかになった時、マスコミはどうしたか。弁解したのならどんなふ うにしたのか知りたかったが、春のドカ雪のようにあっさり消えてしまった。そういう例 は幾つもある。 さて一九九八年三月四日、東京地裁で開かれたオウム真理教元幹部の公判で、河野さん 人は証一言台に立った。朝日新聞はこう報道している。 す「 ( 河野さんは ) あのとき、自分が警察やマスコミによってどのように扱われていたかに 尊ついて自分から何も触れようとしなかった。犯人らへの恨みも処罰を求める言葉もなく今 最なお意識不明の妻について語り被害者救済の法律を訴え」たと。 今人の真価は思わぬ災厄に遭遇した時に現れるものである。河野さんは突然ふりかかって きた災難をじっと受け止め、愚痴らず怒らずノイローゼにもならず、静かな忍耐の日々を ひとごと 重ねた。「静かな忍耐の日々」などと他人事だから簡単にいえるが、一朝一タに出来るこ とではない。耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶことによって強靭な精神力が培われたのか、 それとも元来ものに動じぬ資質の人だったのか、いずれにせよその精神力の強さはあの時 の世情を記憶している人なら皆わかるはずである。まことの偉人とは不幸を受け止めるこ とによって己れを磨く人だ。河野さんによって私は改めてそう教えられた。
つある曙光を打ち切って電話に出た。と、 「こちらは新しい墓地の : : : 」 「間に合ってますっー ガチャンと切って便所に戻ったが、せつかくきざしていた曙光は消え失せて、再び呻吟 の時がつづいたという。 電話セールスの人にとっては顔が見えないこと、どこの何者ともわからないことがプロ しか テクターになっている。プロテクターなしで攻撃を受ける方はカ任せのガチャン ! 武器がないのだ。それにしても今の世は、ウンコもゆっくりしていられない。これが文明 国のありようか、と便秘の友は怒っている。
「牡丹餅 ? いらない。甘いものはキ一フィ」 という時代である。おじいちゃんの昔話 ? ちっとも面白くないよ、と孫はテレビゲー ムに熱中する。 老いると家族を喜ばせることが自分の喜びになるものである。だが暖衣飽食の今、 「食べてもらえぬ牡丹餅をひとり眺めて泣いてます」 と歌うのはあまりに惨めだから、やれ旅行、カラオケ、ダンス、習いごと、食べ歩き、 むと外へ楽しみを求める。 楽 ところで私のように外へ出るのがきらいなばあさんは、新聞を見ては世を憂い歎き怒っ て 怒ている。それが私の老いの楽しみなのかもしれない。 い 憂 を 世
三つ四つの頃、私は毎日のように家の誰かに日本お伽話の絵本を読んでもらっていた。 今のように沢山の絵本が出されていない頃のことである。同じ絵本をくり返し眺め、読ん でもらっているうちにいっかひとりでに憶えてしまい、 「むかしむかしあるところオに、おじいさんとおばあさんがいました」 と空でいえるようになっていた。 「おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくにいきました。ある日、おば あさんが川でせんたくをしていると、むこうのほうから大きなモモが、 どんぶらこっこ すっこっこ どーんぶらこっこ 可哀そうなおばあさん 108
の新聞記事の感想を述べよ、と四十年前の口惜しさ憤ろしさが新たに蘇ったのであった。 文明は日々進む。時代も日々変る。人間も変る。現実に羽が生え、人の想像力を飛び越 えて行く。 「昔はコンピューターに感情が生れるわけがないと誰もが思っていた時代があったんだよ とロポットが大笑いしているーーそんな時代が来ないとはいい切れないのではないか。 そして人間の方に感情がなくなってどっちが人でどっちがロポットかわからなくなってい プる。現に今、慈愛も親切も優しさも、すでにマヤカシになりつつあるではないの。 イ な 107
て い っ に 藤木最近、先生は、死後の世界は確かにある、とおっしやっていますね。私は、あるかない 界 世 かわからないけれど、死後の世界があると考えることは大切なことだと思っているんです。 の 後 死佐藤確かに今は、死後の世界はあると考えていますが、そう確信するまでに二十年の歳 月が流れているわけですよ。五十になるまでは、霊の存在について考えることはおろか、 すべての生物は死ねば無に帰すものと思い込んでいたんですから。造物主について、漠然 と思うことはあっても、具体的に考えるということもなかったですしね。 それが、どうしてあると確信するに至ったんでしよう ? それを話すと、このインタビューの一回や二回じやすまないんですよ。 死後の世界について 215