ういう教育かと、殆どの国民は思ったことだろう。その疑問を国会である議員が質問した。 すると大臣はこう答えた。 「そのことについてはここで申し上げるほどに十分にまだ考えていませんので、追ってよ く考えたいと思います」 「考えない」のは校長先生ばかりじゃない。文部省も文部大臣も考えないのである。 ぬ ら 綾何年か前、神戸の高校で女子高生が遅刻をし、教師が閉めた門扉に挟まれて圧死した事 ね件があった。その時、マスコミはこぞって教師攻撃の集中砲火を浴びせたのだったが、そ い の高校の校長が、「せめてもう五分早く来てくれれば起らなかったと思うとそれが残念で なす」と感想を述べたら、又しても忽ち非難の嵐が巻き起った。 しかし校長のこの感想は至極もっともな感想だと私は思う。遅刻をしなければ起る悲劇 い いではなかったーーー思わずそう慨嘆したのが何が悪いのだろう。門扉を閉めた教師に非があ るとすれば、人がいるかいないかを十分注意せず、いい加減に閉めたという点にある。そ ういういい加減さは責められて当然だが、そのうち論調は「時間がきたら校門を閉めてし まう」という学校のやり方への非難になってきた。 だがその学校では一日に二十人も三十人もの遅刻者が毎日、いたという。始業時間を守 るのは生徒としての当然の義務である。それを無視する手合が二十人も三十人もいるとし 131
話は脇道に逸れたが、私はここで教師論、学校論を開陳するつもりではなかった。現今 の校長は管理職としての仕事に忙しく、それを無難にこなすために、教育についてじっく り考えてなんかいられないのだ。教育の本質について本気で考えれば、多分学校長など務 まらないのではないか。管理職を無難にこなすことを目的に生きている人に、あの修羅場 に立ち向う力が養われるわけがないのだ。そうしてそれは校長一人の責任でなく、文部省、 ぬ教育委員会、そうしてやたらに文句の多い e もひっくるめての問題だということを私 はいいたい。 ね文部省はこの事件の後すぐ、「学校にカウンセリングを導人することを考えている」と い 発表した。私はテレビニュースでそれを見て、又しても呆気にとられた。 い な カウンセリング、カウンセリングと最近、大はやりのようだが、いったいカウンセリン グとはどういうことをするのか。カウンセラーなる人はどういう資格、経歴を持っている いのか ( 資格、経歴などたいして役に立たないことは想像に難くないが ) 。カウンセラーが いったいどれだけ思春期のむつかしい心を動かすことが出来るのだろうか。本当に役に立 つどれだけの人物を揃えることが出来るのだろう ? つい昨年一九九七年のことだ。東大卒の団体職員だという父親が息子の暴力に悩んでカ ウンセラーに相談した。カウンセラーは「何をされても手向ってはいけない」と教え、そ れで父親は土下座をしろといわれたら土下座をし、息子の殴る蹴るにじっと耐えたところ、 129
とかかってきた。 「わたしね、テレビ見てて発見したことがあるのよ」 「発見」といわれると、「知ってる」「そういう話ね」「そうだってね」は利かない。仕方 なく「なに ? 」という。 「サッチーのおでこ、コラーゲン人れてノ。ハしてるというでしよう ? それで注意してテ レビ見てたら、おでこに横皺が三本人ってるのと、皺はないけどボコボコしてるのと、そ れからスベスべと平らな時と、三種類あるのよ」 毒 うーん、それは知らなんだ。 中 「それで考えたんだけど、コラーゲンばっかりしてると、コラーゲンがあちこちで固まっ チ て、それでボコボコになるんじゃないかしら」 「うーん」 皮女はここぞと声をはり上げ、 口惜しいがそれは初耳だ。彳 「気がついてなかった ? 」 と得意げだ。 「それは気がついてなかったけど、しかし、あのコラーゲンのお医者さん、自分の顔にも コラーゲンした方がいいんじゃないかしらん」 ハと笑い、それが私なりの逆襲のつもりなのであった。 125
サッチー中毒 世の中、明けても暮れてもサッチーサッチーだ。日本にもどえらい女が出て来たものだ、 でんだっき ひやく と今更のように感心する。今までも悪女といわれる女は高橋お伝や妲己のお百などいろい ろと出ているけれど、こういう「鉄仮面」ははじめてではないか。悪女は裁けるけれど、 鉄仮面は裁けない。 「ノストラダムスの空から降ってくる大王の代りに、怪女が現れたんじゃないでしよう ともっともらしく感想をいう人がいる。何かにつけて世相を論評せずにはすまないイン テリ女性を自負しているらしいことが、その薄い唇と口調に表れている人だ。 「あるイミに於いてサッチーは現代の象徴といえるかも」 と一人でいって一人で頷いている。 そうかと思うと、毎日のように電話をかけて来て、サッチーがどうしたそうよ、こうし たそうよ、と私に報告する友達がいる。私も人後に落ちずテレビは見ているから、いちい ち報告してもらわなくても知っているのだ。だから、「そうらしいわね」とか「うん、知 ってる」「そうだってね」などと返事をすることによって、いちいちいってくるな、うる さいよ、という気持を伝えようとするのだが、向うはそれを無視して ( 気がついていない のではなく、テレビの見聞をしゃべりたい一心からあえて無視しているのだ、と私はニラ んでいる ) 、 123
私はびつくりした。 「よくわかりましたね。図星です」 「やつばり : : : 」 その人は嬉しそうに声を高くし、 「あれを読んだ時、何となくそんな気がしたんですけど、この頃、毎日のようにテレビで サッチー番組やってますでしよう。それを見ているうちに思い出したんです。あれはきっ そう思うとどうしても確かめたくなって : : : でもこんなこと とサッチーに違いない 尋ねたら叱られるかと毎日脳んでたんですけど、思い切ってお電話しました。ああよかっ た、これで落ちつきました : : : スーツとしました」 まるで便秘に悩んでいた人のようなのであった。それにしてもあの原稿を書いた時は六 年後に今のような騒動が起きるとは夢にも思わなかった。うちのムコどのがイジメられる のは、気が弱そうで何となくイジメたくなるような気持をそそられるからだろうとニガニ ガしく思っていたのだが、見るからに強そうな浅香光代さんまでやられていたとはねえ。 「いや、ぼくだけではなかったんですね」 とムコどのはなんだか嬉しそう。 「いやあ、ぼくはサッチーとお姑さんとの一騎討ちを見たいですよ」 と調子にのってる。 かあ 122
行きがかり上、私はいった。 「そんなに売りたいんなら代りにママが買ってあげるよ ! 」 すると娘はいった。 「いいの ? 一個六百万円のエメラルドよ」 私は中村主水の姑ではなく、仕置人中村主水その人になりたい それが「必殺仕置ばあさん」の題名のゆえんである。 毒 ところでひと月ほど前のある日、私の所へ九州から「読者の者ですが」という女の声の 中 電話がかかってきた。 チ 「突然で失礼ですけど、どうしても伺いたいことがありましてお電話しました」 という。 「何でしよう ? 」 「大分前のことですけど佐藤さんは『必殺仕置ばあさん』というェッセイをお書きになり ましたわね ? 」 「はあ : : : 書いています」 「あの中に出てくる有名カネモチ夫人というのは、野村サッチーさんではないでしよう か ? 」 121
しその裏では闇の仕事人。殺しの依頼人から金を貰って人殺しをする一団のお頭株である。 使い古した襟巻きをじじむさく巻きつけ、ひょこひょこと歩いて来たと思うとさっと一閃、 たお 大刀を走らせて敵を斃す。 うちのムコどのは心優しく真面目で律儀、正直の見本みたいな人物だが、唯一、気が弱 いという欠点がある。しかし家ではそのように見せかけているが、陰では大刀一閃、人を らつわん 斬り捨てて何喰わぬ顔をしているのかもしれない。商売に辣腕を振ってるかもしれない 。そうであってほしいと私はひそかに願っているのであった。 毒 さて、ムコどのが高熱を出していると聞いて、私はどうして二時間も立っていたのだ、 中 さっさと帰ればよかったのに、バカ正直にも程があると怒り、娘はそんなことをいったっ チ て、先方は約束に厳しい人なのだ、もしも帰った後に奥さんが帰宅したらどんなことにな るか、それを思うと動けなかったのだとムコどのを擁護した。 「約束に厳しい人なら自分も約束を守るべきじゃないか。そういってやればいい : と中村主水の姑さんよろしく喚くと娘は、 「そんなこといってもしようがないわよ。そういう人なんだから」 と怒り返した。 「そういう人なんだからといっては皆が我儘を許すものだからますますいい気になるんだ わ。なぜみんなが我儘を許すか。有名カネモチ夫人だからだろう。ふン、有名が何がえら いっせん 119
六年ばかり前のことだ。私はある雑誌に「必殺仕置ばあさん」という題の雑文を書いた ことがある。私の娘のムコどのは宝飾の輸人卸しをなりわいとしているが、ある時、さる 有名カネモチ夫人からいい宝石があったら指輪にしたいといわれて喜んで出向いた。話は そこから始まるのである。 ムコどのは約束の時間に夫人の家を訪れた。夕方の六時に来るようにという約束だった ので、十分前に門前に着き六時になるのを待ってチャイムを押した。しかし押しても押し ても応答がない。延々二時間、門前に佇んでいるうちに氷雨が降ってきて、ムコどのは大 風邪をひいて寝込んでしまったのだ。 もんど その頃私はテレビドラマの「必殺仕置人」のファンだった。藤田まこと扮する中村主水 はうだつの上らない下っ端同心で、家では女房と姑に頭が上らずべコ。へコしている。しか サッチー中毒 118
のを貰ってくるといって出かけていき、 「お茶はいらん、つづらつづら。大きいの大きいの」 と叫んで大きなつづらを背負って帰途につく ( 正直者はおじいさんということになって いるが、大きいの大きいのと叫んだおばあさんこそ正直な人といえるのではないか ? ) 。 さて、その後が大つづらからお。ハケの数々が出て来る私の大好きな場面である。 大人道、三ッ目小僧、一ッ目小僧、一本足のから傘小僧、ろくろッ首のおねえちゃんな んど、その想像力の卓抜さにただただ唸ってしまうバケモノさん達が総立ちになっている図 あ だ。一本足のから傘小僧は赤い長い舌をダラーツと垂らしており、ろくろッ首のおねえち こわく おやんはなかなかの美人で、につこり笑っているところが怪しくも蠱惑的である。一ッ目さ ん三ッ目さん大人道さんには何ともいえない愛嬌があって見ても見ても見飽きない。この 可お話のクライマックス、まさに見せ場なのである。 ところがなんと、今の「舌切雀」では大つづらから出て来るものは、ひき蛙、くも、蛇、 かまきり、むかで、げじげじ、とかげ、虻に毛虫らなのである。 おばあさんはとびあがりました。なんと、つづらのなかからへびやらむかでやらがつぎ つぎとでてきて、おばあさんをさしころしてしまいました」 なに、刺し殺したア ? おばあさんは死んだというのかー 「『ぎゃあ ! 』 あぶ 115
があるのかもしれない、と思いつっ先を読む。 菜洗いの水を三杯飲んだおじいさんは、やっと雀のいる竹藪の場所を教えてもらう。 「したきりすずめはどっちへいった おちょんすずめはどっちへいった」 元気づいたおじいさんが声はり上げて進んで行くと、竹の中から雀の声が、 「おじいさんか、おばあさんか」 と訊く。いちいち訊かなくてもおじいさんの声はわかってるだろうが。それをもったい ぶってからに、とぼけて訊いたりするところがいやらしい。しかしおじいさんは喜んで、 「おじいさんじゃ、おじいさんじゃ」 いそいそと答え、漸く、 「そんならはよう人りませ」 といってもらえるのである。 雀のお宿に招き人れられておじいさんはご馳走やら歌や踊りでもてなされる。帰り際に 土産のつづらは大きいほうがいいか小さいほうがいいかと訊かれ、小さいほうを貰って帰 って来る。つづらには大判小判が詰っていて、それを見たおばあさんはなぜ大きいほうを もらわんかと怒る このあたりは私が馴染んだ話と同じで、文句はない。おばあさんは自分が行って大きな 114