親 - みる会図書館


検索対象: 老残のたしなみ 日々是上機嫌
134件見つかりました。

1. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

八年前、ノブはおっかちゃんに逃げられた。なぜ逃げられたかというと、酒ばかり飲ん で働きに出ないからだった。ノブの仕事は底曳き漁船の雇われ漁師である。船を持ってい るわけではなく、 「ノブ、明日、頼むぞ」 といわれて仕事にありつく。呼ばれなければ仕事はない。 「明日朝、四時だぞ。わかったな」 といわれて「うん、わかった」と承知していても、一旦酒を飲み出すとへべれけになる まで飲みつづけるから約束をすっぽかす。そのため、よくよくの手不足の時でなければ誰 もノブを頼まなくなった。 ノブが何で食べているのかふしぎだったが、漁師町というところは有難いところで、漁 ノブの幸福

2. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

ねた 人に好かれずいつも独りぼっちで他人を嫉んでいるか。それとも生真面目で有能、儿 帳面。それゆえ上司には重宝がられるが同僚からは敬遠されて恋人も出来ず、趣味もなく、 遊びも知らず、ふと本を読むと佐藤愛子なる婆ア作家がいいたい放題をいっているのに腹 を立て、この婆アを憎むことを自分の生甲斐にしようと思い決めた女か。 朝は会社に行かなければならないから、電話などかけていられない。九時に出社して暫 くは事務にいそしむ。一時間ほどして周りの同僚が仕事に没人する頃、彼女は有能だから 一段落していて、そこで電話をかけ始める。無一一一一「電話であるから、周りの人間は気づかな い ( かかる電話の頻度と速さから察するにどうやら番号を「短縮」に組み人れていて、ポ タンを押すだけで呼び出せるようになっているらしい ) 。昼休み、同僚は食事に出て行く。 それを待ってここぞとばかりにかけまくる ( おそらく弁当持参 ) 。電話料は会社モチだか らかけ放題だ。一時頃からしばらく静かなのは午後の仕事で忙しいのであろう。五時に終 る。真直に家へ帰る。唯一の楽しみ、趣味、もはや生甲斐となった無『一〔電話だ。殆ど中毒 状態。帰るなりお茶も飲まず電話にとびつく。我が家では、 「さあ、始まった ! 」 と私が受話器に手を伸ばす。 チリチリチリチリ : : : ガチャンー チリチリチリチリ : : : ガチャン !

3. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

老残のたしなみ日々是上機嫌 二〇〇〇年一二月一〇日第一刷発行 さと、つあいこ 著者佐藤愛子 発行者小島民雄 発行所株式会社集英社 〒一〇一ー八〇五〇東京都千代田区一ッ橋一一ー五ー一〇 電話編集部 ( 〇三 ) 三二三〇ー六一〇〇 販売部 ( 0 三 ) 三二三〇ー六三九三 制作部 ( 〇 lll) 三二三〇ー六〇八〇 印刷所大日本印刷株式会社 製本所株式会社石毛製本所 ーに表示してあります。 定価はカバ 乱丁・落丁本が万一ございましたら小社制作部宛にお送りくだ さい。送料は小社負担でお取り替えいたします。本書の一部あ るいは全部を無断で複写複製することは法律で認められた場合 を除き著作権の侵害となります。 0 ) 2000 Aiko Satö, Printed in Japan ISBN4 ー 08 ー 774456 ー 6 C ) 95 ろうざん ひびこれしようきげん

4. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

初出一覧老薬はロに苦し 世を憂い怒って楽しむ日本経済新聞一九九八年四月五日 神さんが見てはる日本経済新聞一九九八年四月一二日 カラス天狗のおばあさん日本経済新聞一九九八年四月二六日 おかまいなし文化日本経済新聞一九九八年五月三日 毎日が浦島太郎日本経済新聞一九九八年五月一〇日 今、最も尊敬する人日本経済新聞一九九八年五月一七日 孫とのつき合い方日本経済新聞一九九八年五月二四日 年寄りの心配日本経済新聞一九九八年五月三一日 スイッチ入り日本経済新聞一九九八年四月一九日 救世の士を待つ「褝と念仏」一九九九年夏号 仏教愚感「褝と念仏」一九九九年秋号 我々が「考える葦」でなくなったこと「新潮」一九九八年一月号 可哀そうなおばあさん 我が友情物語「青春と読書」一九九六年八月号 読者と私「青春と読書」一九九四年八月号 無言の友「青春と読書」一九九七年三月号 ノブの幸福「青春と読書」一九九七年一一月号 蚊取線香事件「青春と読書」一九九八年三月号 悧ロなイプ「青春と読書」一九九八年七月号 可哀そうなおばあさん「青春と読書」一九九六年四月号 サッチー中毒「青春と読書」一九九九年九月号 いいたくないがいわねばならぬ「新潮」一九九七年九月号 日々是上機嫌 日本人は幸福か ? 「清流」一九九七年六月号 日本の子供たち「清流」一九九七年七月号 祖父と孫と「清流」一九九七年九月号 健康について「清流」一九九七年一〇月号 老後について「清流」一九九七年一二月号 教育について「清流」一九九八年一月号 死後の世界について「清流」一九九八年二月号 今の世の中について「清流」一九九八年四月号

5. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

ところがそのうち、近所に大きなスー。ハーが進出してきます。そうなると、小 さな小売 店はどうなってしまうのか : : : 。素朴に健気に、なんてやってたらつぶれてしまうんです。 かって男はロマンチストで、女はリアリストでした。男は、夢や理想などという無形の ものを追い求めて生きるという性向があった。女はリアリストであるがために、どうして もそんな男が理解できない。そこに男と女の深い断絶があったんです。女房が亭主の悪口 をいうのは、夫がリアリストでないからで、それでよく衝突してケンカをしたんですね。 戦中までの夫婦というのは、そういうものでした。 ところが、だんだん男もリアリストになって、つまり女と同じ価値観になったので断絶 がなくなった。夫婦仲が良くなって、昔のような夫婦ゲンカをしなくなりました。 昭和四十年頃でしたかね、私は講演会で、「最近の仲良し夫婦というのは問題がありま すよ」と話したんです。 男はロマンを持って、それに向って努力するのではなく、男の夢も、例えば八十坪の土 地を買って、そこに三十坪の家を建て、庭に芝生を植えて縫いぐるみのような犬を飼う。 当時はカラーテレビを買うというのがステータスでしたから、カラーテレビを買って、男 二人に女一人の三人くらい子供を産んで : : : と。それが男の夢になってしまった。これじ や日本は今にダメになってしまいます、ってね。 234

6. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

とコメントしていた社員がいましたけれど、そんなことは中学生のいう感想ですよ。 また、その奥さんが、ローンを抱えてどうすればいいか、と歎いている。その気持はわ かりますが、倒産しても日本の四大証券会社の一つに位置した山一だからこそきちんと退 職金をもらえて、次の職の声がかかるわけです。 これが中小企業の社員だったらどうですか。月給の遅配があり、そのあげくの倒産でし ようから、退職金もへちまもありませんよ。次の就職先だってどうなるかわからない。 山一にいたおかげで退職金がもらえ、就職ロもあるんです。だから、一人ぐらい、「会 社がこうなっても退職金をいただけて、ありがたい」という人がいてもよさそうなものだ けど。一人くらいね。 本当にそうですね。中小企業に比べれば、高額の給料をもらっていたんでしようからね。私 なんか、かって貧乏出版社に勤めて、薄給でこき使われていましたから、それに比べれば : 昨年 ( 一九九七年 ) は、大企業の社長がやたらに謝って「謝りの年」なんていわれまし たが、あの人たちの中には、どんなに謝っても「私のやったことは悪いことかもしれない が、会社のためなんだ。自分の人格には関係ない」という思いがあるにちがいないんです。 かっては、″廉恥心〃という一一一一口葉が生きていて、謝るのは恥ずかしいことをしたという 感情とつながっていました。でも今は、どんなに謝っても、おれは個人としては卑しい人 228

7. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

その中を凍えて船を進めているとやがて、太陽が出てくる。まるでどてらを着たようなぬ くみを与えてくれる。海の真ん中で生活していると、太陽のありがたみが本当にわかる。 経験した者だけがわかる感謝の気持ですね。 太陽の中に、神のようなあるいはもっと身近な霊魂のようなものを感じているのかもしれま せんね。 て電灯が現れるまで、月や星のない夜は、本当に真っ暗闇だった。昔の人々にとって、夜 つは布ろしいものだったんです。だから太陽が昇ると、ほっと思わず手を合せて感謝しまし に 界た。夕方になると沈む太陽に向って今日一日の恵みを感謝しました。本当に自然に従う謙 の虚な生活だったんですよね。 死死後の世界があると思えば、私たちも謙虚な気持になりますね。 今の日本人に一番欠けているのは、この謙虚さなんです。恐れ畏むものがなくなったら、 人間はおしまいじゃないか、と思いますね。 おそ 225

8. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

れを伝えてもらいたいという気持なのではないかと思いますけど。 そのうち、坊主刈りで一フンニングシャツを着た男の子が、テープルの上に盛られた果物 を欲しがっていると霊能者がいうんですよ。どうぞ、好きなだけ持って行くようにいって くださいっていったら、子供たちはグレープフルーツを見て、これは何だろうといい合っ ている。戦争中はグレープフルーツなんてなかったから、どんな味のものかわからないん ですよ。それで、リンゴを持って行くといって、リンゴを抱えて消えて行ったといいます。 時代の流れですから、戦時中に亡くなった人々のことを忘れるのは、最早とめようがな て い っ いですね。 に 界 若い人たちは、グアム島なんかへ新婚旅行に行きますが、私たちはどうしても足が向き 世 のません。 戦争で、あれだけ無惨に人々が死んでいった所で、楽しむなどという気持にはとうてい なれませんね。 死後の世界を認めない、霊魂の存在を認めないというのは、そういう悲惨な死を遂げた人々 の存在を忘れるということにつながるんでしようかねえ。 死後の世界がなければ、引き止めるものが何もありませんからね。少くとも人間が傲慢 になると思うんです。私たちが子供の頃は、地獄の見せ物絵なんかがあって、嘘をついた 223

9. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

この間も、大阪のホテルの一室で、ある霊能者と二人で話していたら、ピチ。ハチという かす 弱々しいラップ音が聞えたんです。普通はバチーンとか大きな音なんですが、徴かで可愛 らしい、控えめな音なんです。でも沢山なんですよ。「鳴ってますね」「そうですね」とい い合っているうちに、霊能者に見えてきたものがあるんです。 私には見えませんが、その方には見えるんですね。戦時中の薄汚れた服装をした人々が、 部屋に大勢立っている。なかに三人の子供を連れたもんべ姿の女の人がいて、その人が、 こんなことをいっている、っていうんですよ。「私たちは裏切られたような気がしていま す」って。その霊と霊能者は「気」でもって会話を交わしてるんですよ。 つまり、彼女はその日、というのは死んだ日のことです。子供たちに、「何があっても 家の外に出るのじゃないよ」といい置いて用足しに行ったんですね。 するとその後、空襲がきて焼夷弾の雨あられ。子供たちは、家の外に出るなといういい つけを健気に守って死んでしまった。そして彼女も出先でやられたらしいんですね。 しかし彼女は恨みつらみをいいにきたのではなくて、要するに自分たちのことを知って もらいたいという切実な気持で出てきたんです。 このように苦しんで死んでいった私たちのことを、今は、誰一人思い出す人もいなくな り、何か裏切られたような気がしているって : 霊たちは、私が物書きであることを知って、そのように訴えることで、世の中の人にそ 222

10. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

でしよう、あんな感じで、突然、バチーンというラップ音がするんです。 怖いですね。 怖いというより、うるさいですよ。成仏できない霊が、どうか成仏させてくださいとサ インを送っているというんです。私が修行を積んだ宗教者だったら、そこでお経を上げる おおはらいのりと なり、大祓の祝詞を唱えたりして成仏させてあげることができるんでしようが、素人で すから、修行が足りないから・ しようがないですね。 霊のたてるラップ音という物音は、成仏できずに苦しんでいる霊のサインなんですか、なん だか可哀そうですね。 ある女性が着物を新調したけど、病気で手を通すことができない。自分の死後、妹が着 るのか、と思うと悔しかった。亡くなった後、そんな思いだけで成仏できなかったという 例があります。たった着物一枚に対する執着のために、往くべき所へ往くことができない んです。 肉体が滅びても意識は残るでしよう。霊魂というのは、いい換えれば意識といってもい いんで、この世に生きていた時の意識を引きずっていると、まっすぐに行く所へ往けない んですよ。 220