考え - みる会図書館


検索対象: 老残のたしなみ 日々是上機嫌
18件見つかりました。

1. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

日本の子供たち ええつ、ダメなんですか、ノラクラしてないと : ええ、子供は、一所懸命ノラクラしてなければダメなんです。 おとなも、働いてばかりではいけません。もっとノラクラした方が、いいのではありません おとなもノラクラするべきである、とそういわせたいんですね ( 笑 ) 。 ところで、暴走が男子のエネルギーのはけロだとすると、女子は援助交際になるんですかね。 そうじゃないですね。暴走族は、若々しく、純ですよ。エネルギーを発散するだけで、 それで何かを得ようなどという考えはありません。 でも、援助交際は、金を得る手だてでしよう。卑しいわね。意識が低い。 したたかで、すさんでいる感じがあります。また、そういう女子高生を求めるおとながいる。 それが情けないです。 だから、男というものは、 : 哀れというか、情けないというか : 165

2. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

祖父と孫と 藤木近頃、二世帯同居が増えているようです。先生も、娘さんご夫婦と一緒に住んでいらっ しやる。生活空間を完全に分けた型の同居だそうですね。 そこで、今回は祖父母と孫との関係についてお聞かせください。まず孫については、どうお 考えですか ? 佐藤一般に年をとると孫に甘くなる、といいますでしよう。甘くなるというのは、孫が 可愛いから甘くなるというより、子供 ( 孫 ) の気持がよくわかるようになるんですよ。 娘が孫を叱っているのを見ると、感情でもって怒っているのがよくわかるんです。機嫌 のいい時には叱らなかったことを、機嫌が悪い時には叱っている。その時の感情に任せて 怒っているのがありありと見えるんです。 祖父と孫と 169

3. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

祖父と孫と は、「防腐剤は人ってない」と書いてあります。だから、娘は大丈夫だ、といいますが、 私は信じない。第一、何日経っても腐らないというのが、その証拠じゃありませんか。 でも水かけ論ですからね。以後、あまり孫の育て方についてはロを出さないようにして いるんです。 もし譲れないことがあれば・ どうしても譲れないことがあれば、それは娘と縁を切ることだってないとはいえません。 先生は、どうしても筋を通さないと気がすまないんですね。なんだか、背後におじいさんの 影が見えるような気がしますよ ( 笑 ) 。 私の意見が通るか、通らないかは別として、私がそういう意見を持っていた人間だとい うことを、そういう存在だったということだけは、孫に知っておいてほしいですね。 今の時代には通用しない意見かもしれないけれど、おばあちゃんはそういう考えを持っ た人だった、と。ちょうど私にとってのじいさんの存在のようにです。 自分がいなくなった後、お孫さんの心の中に何かの形で残っていればいいということですね。 177

4. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

「まったくノブは変ってるんだ」 とアベさん。変ってるのはノブだけじゃない、と私は思う。 私が東京へ帰る前の日、アベスー。ハ ーへ行くとノブの家には「孫」が来てる、という話 だった。「孫」とはおっかちゃんの、嫁に行った娘の子供なのだという。日曜日なので娘 は夫と子供連れで遊びに来たのだ。 娘はノブが自分の父親のカタキであること、父親に蹴られたり殴られたりしてフリマラ で逃げたいきさつを知っているのだろうか ? おっかちゃんは娘にノブとの関係を何とい 福って説明したのだろう ? の説明してもしなくても、知っていても知っていなくても、ことがこうなったから、娘は 夫と子供を連れて遊びに来るのである。 ノブは孫の菓子を買いにアベスー。ハ ーへ来ていた。ついでにビールを飲み、 「とうさん、頼むよ」 といって帰って行った。 ノブの幸せはいつまでつづくか、わからない。「幸せーなんて、ノブもおっかちゃんも そんなこと、考えもしないのだろう。

5. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

ケンカしたり、仲よくなったりと生々しい人間関係の中で、友情とか愛情が育っていくはず なんですがねえ。 戦後五十年間の教育に問題があったと思いますけれど : 先生がお書きになった、「快適に、便利に、自由に、したいことをし、楽をして生きる世の 中を作るために、 ( 略 ) 苦しみは耐えねばならぬものでなく、合理主義によって駆逐されるべ きものになった」という考えが現実になって現れたんではないでしようか。 そうですねえ。昭和四十年代だったかしら、心理学が流行りましてね。「三歳児の心理 学」とか「四歳児の心理学」などが売れて、こういうことをしては劣等感が養われる、そ れはツメをかむ癖に現れているとか、いろいろ分析した本がバカ売れした時代があったん です。あの頃から間違ってきたと思いますよ。 心理学者のいうことを親はきちんと理解してなかったんじゃないんでしようか。 いや、心理学者なんて大したことをいってませんよ。酒飲みの父親に育てられた子が、 自分は父親のようにはなるまいと発奮して立派な人物になった人もいれば、父親と同じよ 210

6. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

公園の砂場でハダシになればいいんですけど、「犬のウンコや猫のウンコがあるから汚 い」という。大や猫のクソを恐れて、どうしてこの世の荒波を越えていけるのか ! そん なものつまんで捨てればいいっていうんですが、今の子は、大のクソもつまめないんです。 ハエや蚊を怖がったり、ウンチをつまめなかったり、今はそういう時代なんですよ ( 笑 ) 。 もちろん、そういう時代なんですよ。でも、あまり清潔清潔といい過ぎるために、かえ って子供を弱くしてしまう。 昔の家は畳でしたから、夏はみんなハダシだったでしよ。今の家は洋風で板の間だから、 スリツ。ハをはいている。だからハダシで歩けない。ハダシで地面を踏んで走るとそれは気 持いいんですよね。たいして速くないのに、とても速く走れてるような気になるの。それ に足の裏から大地の気を受ける、土を踏むってことは大切なことなんですよ。 孫がまだ赤ん坊の時、娘は離乳食を買って与えていました。温めるだけですぐ食べられ るのがありますね。 私は、全部手作りで与えるという主義ですから、娘のやり方を見ると、それこそハラワ タが煮えくり返るような気持になりましたよ。大げさかもしれないけれど、毒を食べさせ ているような気がするんです。 ああいうものには、防腐剤が人っているという考えが消えないんです。確かにラベルに 176

7. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

いつの時代でも、若者のエネルギーは沸騰しているものです。だからそれを調節するた めに、どんな時代でも青春は無軌道なものですよ。おとなは、それを知っているから、若 い時分の無軌道は許しました。仕方がないと思ってね。社会に出れば自然に無軌道でいら れなくなって、おさまっていくんです。 けれども今は、この学歴社会に打って出るために、若者は知識を頭に詰め込むことで日 を送らねばならない。待っているのは管理社会。子供の頃から管理されるのに馴れている 子供たちは、エネルギーが衰弱しているからいいけれど、ひとより少し余分にエネルギー のある若者は、オー ト。ハイにでも乗って暴れなければ、調節出来ないんじゃないか。 逗子の仕事場で眠っていると、海岸線をオートバイの集団がものすごい音を立てて走り 去る。おちおち寝てもいられません。 だけど、彼らがそうせずにはいられない気持にさせているのは、我々おとなが作った社 会の責任なんだから、これは認めてやらなければならない、と思うんです。それにしても、 うるさい。うるさいから怒る。怒りながら、これが若者の自然なんだ。人間らしい人間な んだ、と思う。考えがグルグル廻って終らない。 確かにね。唯々諾々と何の批判もせずに受験競争に埋没する人間より、よほど人間的ですね。 学校でも家庭でも、ずっと抑圧されているわけですからね。でも青春期を経てエネルギ 162

8. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

親切な男なのである。 「しかし、ホトケにもやつば、欠点があるんだな」 と沢村さんはいった。社長の欠点は「女好き」という欠点なのである ( どんなふうに女 好きかをしゃべり出すと一晩かかってもしゃべり切れないからやめとくが、と沢村さんは いった ) 。沢村さんの心痛は親友だった松と社長が不仲になってしまったことだった。何 とかして仲直りさせねば、と考えたがなかなかよい考えが浮かばない。せめてどちらか一 方から相談を持ちかけてきてくれればいいのだが、どっちも浮かぬ顔のまま、そのことに 件ついてはロを開かないのである。 香 ある日、沢村さんは「コンビニ浜」の事務所へ行って、カウンターにいるおッュさんの 線 蚊後ろ姿を気にしながら小声でいった。 「社長、ちょっと話があるんだけどな」 「話 ? 」 社長は浮かぬ顔を沢村さんに向け、話の中身を察したか、浮かぬ顔を少し赧く染めて急 にテープルの上にハタキをかけた。 「ここではいいにくい。表で話したいんだ」 そういうと、「そうか」といってハタキを握ったまま沢村さんの後について来た ( 「ハタ キを握ったまま来たということは、あのことに思い当って、とりのぼせたんだべよ」と沢 あか

9. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

仏教愚感 げているのか、それとも並んでいる位牌、即ちご先祖の魂に向って上げているのか、孫は 疑問を持ったらしい、と co 子はいった。 子は、お経はお釈迦さまの言葉であるから、それを説かれたご当人に向って今更説い ても意味がないんじゃないか、と素朴に考え、ご先祖の魂に向って上げているのだ、と答 えた。すると孫は死んだ人に向ってモノをいってもしようがないんじゃないか、お経は自 分の心の修行のために唱えるのだと学校の先生がいわれた、といった。 そういわれればなるほどそうか、と合点していると、孫は、けれども私は不思議に思っ ていることがある。自分の修行のために唱えるものなら、なぜ法事やお盆にお坊さんがお 経を上げに来るのだろう。ねえ、どうして ? と迫られて子はほとほと困り果て、隣り のご隠居さんに質問したが、その人も、 「さあ ? : : : なるほどねえ : : : この頃の子供は利ロねえ : : : 」 と感心しただけだったという。 日本人が仏教を必要とした時代は、民衆は貧苦、病苦、災害、死の恐怖など、不安と苦 しみにがんじがらめになっていた。それを解決する力も知恵もない庶民は仏教に取りすが って生きようとした。僧の導きのままに、死者の浄土を信じることでこの世を耐えて生き る力を得たのだ。 しかし今の日本にはかってのような貧苦はなくなった。病苦、災害はあるにしてもそれ

10. 老残のたしなみ 日々是上機嫌

のを貰ってくるといって出かけていき、 「お茶はいらん、つづらつづら。大きいの大きいの」 と叫んで大きなつづらを背負って帰途につく ( 正直者はおじいさんということになって いるが、大きいの大きいのと叫んだおばあさんこそ正直な人といえるのではないか ? ) 。 さて、その後が大つづらからお。ハケの数々が出て来る私の大好きな場面である。 大人道、三ッ目小僧、一ッ目小僧、一本足のから傘小僧、ろくろッ首のおねえちゃんな んど、その想像力の卓抜さにただただ唸ってしまうバケモノさん達が総立ちになっている図 あ だ。一本足のから傘小僧は赤い長い舌をダラーツと垂らしており、ろくろッ首のおねえち こわく おやんはなかなかの美人で、につこり笑っているところが怪しくも蠱惑的である。一ッ目さ ん三ッ目さん大人道さんには何ともいえない愛嬌があって見ても見ても見飽きない。この 可お話のクライマックス、まさに見せ場なのである。 ところがなんと、今の「舌切雀」では大つづらから出て来るものは、ひき蛙、くも、蛇、 かまきり、むかで、げじげじ、とかげ、虻に毛虫らなのである。 おばあさんはとびあがりました。なんと、つづらのなかからへびやらむかでやらがつぎ つぎとでてきて、おばあさんをさしころしてしまいました」 なに、刺し殺したア ? おばあさんは死んだというのかー 「『ぎゃあ ! 』 あぶ 115