確かにいじめられっ子の味方になり、弱い子の肩を持っ子がいましたね。それが、なぜいな くなってしまったんでしよう。 親に問題があるんじゃないかしら。「知らん顔していないと、次はおまえが仲間外れに され、いじめられるようになるんだから放っておきなさい」と教えるんじゃないですか。 よしみ 小説の中で、小学六年生の吉見という少年が、クラスにいじめられている女の子がいる けれど、どうしたらいいのかと母親に相談しました。すると、「もしおじいちゃんがいら したら、『いじめられている子の味方をしてやりなさい』とおっしやるわよ」という場面 があるんです。子供は、母親のいう通りにいじめられた子の味方をして逆にいじめられる ようになるんですけどね。 そうしたら、早速読者から手紙がきて、「子供にあんなことをいえば、その子がいじめ られるようになると思うのは、親として当り前じゃないか ! いじめられた子に味方せよ などという親はおかしい」という抗議の手紙がきたんです。 小説の人物に憤慨して抗議するのもおかしいんですが、まあ、それだけ感情移人して読 んでくれたんですね。 しかし、今の若いお母さんの価値観はだいたいそんなものじゃありませんか。 今の親は、自分の子供がひどい目にあわないように、損をしないようにと守ることが親 206
そもそも子供に赤ちゃんのお守りをさせるということがありませんね。 子供が少いので、隅々まで親の眼が光っている。子供は、さぞ息苦しいことだろうと思うん ですが・ でも、子供自身は、何とも思っていないでしよう。選手になるために励み、いい学校へ 進むために勉強をする。それが当り前なんですよ、彼らには。本来子供というものは勉強 嫌いなのが当り前で、おとなしくて勉強ばっかりしてる子供がいると、ありやどっか悪い んじゃないかっておとなは心配したものですがねえ。みんな将来の生活設計を考えている。 有名大学へ人るのは何のためか。将来の生活の安泰のためですわね。ピアノが好きだから ピアニストになるんじゃなくて、それと生活を結びつけてる。これじや人生面白くないわ。 そう教えられ、そう育てられている。親の価値観がそうなんですから。 ″援助交際〃という一一一一口葉はどんな人が考え出したのか、知りたいですねえ。実にうまいご まかしを考えたものですよ。高校生売春とハッキリいえば、女の子たちの考え方も変るで しようにねえ。 「誰にも迷惑かけてない」と彼女たちはいいます。親に小遣いをせびらない分、親は得し てるじゃないかなんてね。性を切り売りすることに対する潔癖性がないのが、私には驚き です。 160
教育について の務めだと思っているんですよ。 子供を鍛え、正義感や勇気を植えつけようとは考えない。 昔の親は、たとえ無知な人でも、「弱い者いじめはするな」とか「困っている人がいた ら助けなさい」などと子供に教えたものです。それは社会の一員として生きる人間の基礎 ですね。 それが親の知的レベルがこれほど上ったにもかかわらず、そういう基礎をないがしろに しています。ひたすらわが身を守ることだけを教えているんですからねえ : 子供は、いろいろな現実と直面して、傷ついていく中で生きることを学んでいくんですよね。 ケンカをしたり、おとなに叱られたりしていく中で、子供は世の中がいかに矛盾に満ち 満ちているかということを体で知るわけです。 おとなは必ずしもいつも正しいわけではない。間違うこともあります。けれど昔のおと なは権力的で、おとなだからということだけで、一方的に子供を叱りました。親や先生に 頭ごなしに決めつけられ、悔しい思いをするのが、子供にとっては普通でしたよ。けれど その無理解によって子供は諦めたり、時には我慢したりして、社会には理不尽で理屈の通 らないことがいつばいあると知るんです。 207
作中の少年・吉見は、おとなが何を考えているか、見透していますね。子供というのは、お となが思っている以上に親や教師をよく見ていて、いろいろなことに気づいているものなんで すね。 吉見は親が離婚し、継母が来るという複雑な家庭で育っているから、一層おとなを見る 目が育っているんですね。 幸せな家庭で、世の中の理不尽から守られてヌクヌク育った子供は何も感じないし、何 も考えませんよ。 しかし、親が本当におかしくなりましたね。ある町でたまたま給食がなくて、お弁当を 持って行かねばならない日に、一人の子供が忘れてしまった。その日は水を飲んで我慢し たそうです。そうしたら e < の集まりに父親が来て、演説をぶったんですって。 「この頃の子供にはやさしさがない。うちの子供が弁当を忘れて空腹に耐えているのに、 自分の弁当を分ける子供が一人もいない」と怒ったんだそうですよ。 これはね、母親の発想なんですよ。一人くらいお弁当を分けてくれる子がいてもよさよ うなものねえ、と母親がいう。けれど父親は、「忘れたお前が悪い、一食ぐらい抜いても 死にゃあせん ! 弁当くらいでメソメソ泣くな ! 」と叱ってね、それからこういうべきで 208
す。お金を見せつけられても、やせ我慢をして : 欲しいのは山々だけれど、見栄を張って、「馬鹿にするな ! 」と怒鳴ってみせる ( 笑 ) 。 ところが、やせ我慢をしないで、欲望のままに走り始めてしまったんですね。 欲望に素直に生きることが人間らしい生き方ということになってしまったんです。でも そんなのは、人間らしい生き方じゃありませんよ。本能や欲望を制御して、より良く生き ようとするところが、人間が他の動物と違うところでしよう。 ところで、今の父親が思う家庭の幸福とはどんなものでしよう。子供がスクスク育って よく勉強してくれる。そこそこに会社で昇進していく。休日はどこかへ遊びに行く。それ が多分幸福なんでしよう。 母親も同じようなことで、それに経済的なゆとりがあればいいんでしよう。最近は、母 親も外で働いていますから、経済的にゆとりもあり、家にいるよりは仕事が楽しいという 人もいるんでしようね。両親共に忙しいから、子供の顔色を見て、学校でどんなことがあ ったかを察してやる時間もない。子供も学校から帰ると塾に行かねばならないし : それぞれが、ただ忙しく毎日を送っていて、平和安泰のうちに子と親は離れていく。 娘が援助交際をしているとわかっても、「誰にも迷惑をかけていないんだからいいじゃ ない」といわれると、親は何もいえずに引き下ってしまう。確かに援助交際で稼ぐから、 154
藤木最近、また女子高生の " 援助交際。が話題にな 0 ています。 " 援助交際。を含め、今の 子供たちについて伺いたいのですが : 。その前に、今の子供たちについてどう思っていらっ しゃいますか ? 佐藤例えば昔の子供は、野球が好きだからや 0 ていました。楽しいからや「たんです。 ところが、今は、好きは好きなんだろうけれど、ただ好きなだけではないんですよ。プロ を目指している。つまり野球選手になって大金をもらうようになりたいとかね。必ず目的 があるんです。こんなことをいうと、目的意識を持つのはいいことだ、なんて反論がくる んですけど、おかしいのは子供の野球に親が介在してることですよ。 昔は、日が暮れるまで野球をや「ていると、親は、「いつまでも遊んでないで、早く帰 日本の子供たち 158
要するに子供をどこまでも管理したいんでしようね なぜそこまで管理したがるんでしよう。よくわかりませんねえ。 戦時中は、国のために平気で命を捨てる国民を作るための教育でした。その反動でしょ うか、今は芯棒のない、知識だけの人間を作る教育ですね。 経済的な繁栄を維持するために、有能なサラリーマンを作ろうとしているんではありません 国はそうかもしれませんね。それで、親はそうすることが、子供の将来を安定させると、 無邪気に信じているんでしよう。 子供のために、習いごとや勉強、スポーツ、いろんなことを身につけさせようと一所懸 命です。今の親は、子供が、どこにも行かず一日中家の中でノラクラしていると心配する んでしよう。 ノラク一フしていてもいいじゃないですか、ねえ。 いや、子供はノ一フクラしなければダメなんですよ。 164
自分が若い親だった時のことをふり返ると、私も同じだったからよくわかる。 この頃、娘から、「私 ( 娘 ) の時は朝から晩まで怒っていたのに、桃子 ( 孫 ) はちっと も叱らないのね」とよくいわれるんですけど。 しんしやく 若い時というものは、朝から晩まで忙しくて子供の気持を斟酌するゆとりなどないもの なんです。年をとると暇だから、いろんなことがわかる。見える。″年寄りつ子は三文安 い〃とよくいいますが、あれは年をとるとエネルギーがなくなるし、子供の気持がよくわ かってしまうから、理不尽に怒れないからじゃないかしら。そういう意味じゃないかしら。 親として、その気持は実によくわかります。 確かその頃、先生は、借金の返済に追われて火の車、大変な時期でしたね。子供には、どの ように厳しかったんですか ? 今から思うと、八つ当りもいいところでしたよ。 毎日が戦争ですからね。子供の相手をしているゆとりなんかないんですよ。 先生が母親として叱った時の叱り方と、娘さんが子を叱る時の叱り方に違いがありますか ? 私は、その時の気分というか、都合で叱っていましたね。理不尽の固まりですよ。筋な 170
普通の人には小説は書けませんが、老人の知恵を伝えるということならできそうですね。 でも、生きてきた現実が違うし、価値観も違ってきて、最早かみ合わないんですよ。若 い者は老人の知恵なんか必要としていないんです。 私たちの時代は、大社長の子供でも、一等車に乗るのはお父さんだけで、子供は三等車 に乗ったんです。それが教育だったんです。 でも今そんなことをしたら、差別だと憤慨したり、親だけいいところに乗り子供は、な どと非難されると思いますよ。親は努力して一等に乗れるようになったんだから、子供も 一等に乗りたければ努力しなさい、ということですが、そんな考え方は今はとても理解で きないでしよう。 確かに今、それをやれといわれてもできませんね。 私たちの世代は、女学校時代に戦争が始まって、やっと戦争が終ったら食うや食わずの 生活でしよう。なんとか生活が安定したのは、東京オリンピックの頃で、その時はもう四 十過ぎですからね。 だから、かって楽しめなかった分だけ、今楽しんで死にたいという思いがあるんでしょ うね。しかも若い頃は舅姑に仕えるという我慢を押しつけられた最後の世代です。 196
教育について うに酒飲みになる人もいる。人間は一人ひとり違うんですよ。心理学者は、それを十把ひ とからげにして論じるんですから、クソの役にも立ちませんよ。 「子供を叱るな」と書かれていれば、学者のいうことを鵜呑みにして、例えば新幹線のような 公共の場でも叱らない。親が正確に理解してないのではありませんか。 そういえば、親が自分の責任において「いけません」と叱るべきところを他人のせいに して怒りますね。 「そんなことをすると車掌さんに叱られるからやめなさい」なんて。私が新幹線に乗って いたら、泣き騒いでいる子供がいて、お母さんが、「佐藤愛子さんに叱られるわョ」など といってる ( 笑 ) 。昔はね、やめろといってやめないと山ン。ハがくるよとか、お巡りさん がくる、とかいっておどしたものだけれど、今は佐藤愛子は山ンバ代りです ( 笑 ) 。 クラスの中には、勉強もできないし、怠け者でいたずらでどうしようもない劣等生が一 人や二人はいるんですね。教室の中では小さくなっている。でも、運動会になると、足が 速くってクラスの期待を一身に担って活躍し、花形になる。その子には運動会の駆けっこ だけが、失地回復できる唯一のチャンスなんです。 ところが最近は、みんな平等でなければいけないといって、運動会の駆けっこなんか一 等二等三等をなくして、みんなに参加賞をあげるのだそうですね。それが平等なんですと。 211