ては品のないことと、恥じ入るばかりですが。しかし、母のわがままに耐えかねて口にした この言葉には、やはり私自身、子どもを持たないことへの心細さを、どこかしら持っている んだなあと、自覚させられたもんです。 二十代なら、そんな自分の弱気がきっと、許せなかったかもしれませんが、三十代になる と、その辺はもう、「へえ—」ですんじゃうのが、楽なところ。じゃあ自分は、どうすれば いいんだろと考えてみて出た結論は、今のところ、ダンナとこれまでどおり仲良く暮らすこ とに尽きました。 それというのも、母は娘である私との関係は良好なのですが、夫 ( つまり、私にとっては 父 ) との関係は、なかなか難しいものがあるのです。 どちらもとてもいい人なので、この二人がうまくいかないのは、とても気の毒なことだと 思うのですが うまくいかなくなった原因は、子どもを持ちながら働く上でのハンディ が、父と母とで、違いすぎたことが、全てだったと言えるでしよう。 男女平等を旗印に、その旗頭として頑張ってきた母にとっては、自分だけが親となったこ とでハンディを背負うのは、耐えられないことだったのです。父も、昭和二年生まれとして 162
どんどん強くなってしまったのです。 例えば、休みの日に、一人で家にいてのんびりしていると、その時間を親のために使わな いことに、ものすごい罪悪感を感じてしまいます。そこで、何をおいても親の家に駆けっ け、親の顔を見ては、ほっ。 当の親のほうは、 「そんなに無理をして、うちに来なくてもいいよ と言ってくれるんですが、そんな言葉は私の耳には、親の強がりにしか聞こえません。 一人娘なのに、親と一緒に暮らしていない自分は、親不孝なんだろうか。 もっと親の家の近くに暮らすべきなんだろうか。 そう考えては、あれこれ悩みます。今でもオートバイやタクシーを使えば、互いの家は、 約二十分の近さ。それでも、私は、自分が親から離れて住んでいる親不孝娘のように思えて ならなかったのです。 これは、決して私だけの特殊な精神状態ではなく、はたから見るとそれなりにしつかりし ている一人娘にありがちな、親への過干渉だったようです。実際に、私の周囲でも、同じ気 142
第二部未来の私の老いを考える 身体が赤信号を出すようには、なっているのかもしれません。 あれもこれもと、やりたいことは増えていくばかりでも、身体のほうは、少しずついたわ りを必要としてくる、ということなのでしようね。 三十代は現実を思い知る時 ただ、私の場合、子どももなく、夫との協力関係も良好なので、今の時点で自分のことに だけかまけていられること自体、ものすごくラッキーなことなのかもしれません。子どもを カカ 抱え、子ども以上に手のかかる夫を抱え、という同世代の友人だって、少なくないのです。 ざとなるとそうは しすれ手が離れるから、一時的な我慢、のはずなのですが、い 「卞ど , もは ) 、 いかない例も多々あるようです。 いずれは仕事に復帰するつもりで出産を機に家庭に入ってみたら、自分が家庭にいる間 に、夫は仕事、妻は家庭という分業がすっかり定着。結局は外に出られなくなった、という パターンが、その例です。 特に、男性は三十代半ばくらいから、職場で多くの責任を持たされるようになり、急激に リ 7
これは私 これからの子ども世代には、家事ができない両親の心配をする人が増える の予想の一つです。 老いた親とは同居がいしか別居がいいかはもちろんケース・バイ・ケース。でも、親が元 気なうちから、親が家事ができないという理由で同居するのは、あまりいい動機とは思えま せん。 なぜなら、そこでは最初から、世話をする、されるという関係があまりにもはっきりして しカ おり、親のほうの依存が、かなり強くなることが考えられるから。親子であっても、 年をとっていても、基本的には自分でできることは自分でするという姿勢があった上での助 け合いでないと、お互いに負担が大きすぎる気がします。 年をとってからどれだけ自立して生きられるかは、経済力以上に、家事能力にかかってい ます。自分はお金があるからお手伝いさんを頼みまくるからいいわ、と思っても、家の中の ことを任せられる人と出会えるかどうかは、やはり時の運。いずれにしても、ちょっとした さつばっ 家事が自分でできないことには、なんとも不自由で、殺伐とした暮らしになることでしょ 、つ
んね」 響子さんの言葉に、私は返す言葉がありませんでした。 すでに専業主婦として家庭にいる女性でも、やはり新たに介護の担い手となるのは本当に たいへんなこと。さらに夫が転職をしていて仕事で手一杯ともなれば、孤立無援の状況にな ってしまいます。 はけん また、ヘルバーなどを頼もうとしても、現在のところ、専業主婦がいる家庭への派遣は消 ふんとう 極的な自治体がほとんど。個人的に頼むにはお金がかかるし、結局、主婦が一人で奮闘する ことになりがちです。 響子さんが、今後どのように子どもを育て、介護をするのか、考えると私も友人としてや や気が重くなります。 「でもまあ、そのあいだにも子どもは育っていくから。学校の勉強なんてどうでもいしカ ら、おじいちゃん、おばあちゃんの世話はしつかり学んで、大人になってもらおうかな。実 際うちの子たちね、よくやってくれるのよ。いちばん上の女の子は高校一年だから。おじい ちゃんのおむつ替えるのを、おばあちゃんとやったりするのよ」
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ 親の老いは、子どもへの最後のプレゼント そんなふうに考える今日この頃、私と親たちの関係は、これまででいちばん円滑で、趣 深いものになっています。いろんな危うさを抱えた今であっても、やつばり今がいちばんい そんな気持ちに少しずつなってきました。強がりに聞こえますかフ でも、人間が生きていくには、強がりだって時には必要なんですよ、きっと。 " 嫁の立場〃を辛くする周囲の無理解 ニ十代後半から介護に明け暮れた友 先日、小学校時代の友人から電話がかかってきました。 彼女と最後に会ったのは、確か小学校の卒業式。小学校を出ると親の転勤のため、北の街 へと越していった彼女とは、それきり会うことはなかったのです。 お互い小学校時代の顔を思い浮かべながら、話している当の本人たちは三十路の女同士と おもむき
しに追われながら、日々を過ごしておられる様子。それを感じる時、やはり人間はたくまし いと思います。 こも分からないことです。自分が先かもしれ 誰がどのような順番で、生命を終えるかは誰。 ないし、 とう何を心づもりしておいても、その時が来 1 トナーのほうが先かもしれない。、 れば、誰しも涙にくれるでしよう。そのことへの準備なんて、何もできません。 生きていること自体を肯定する しかし、こんなにも暗いことを時に考えつつも、私はやつばり、長生きしたいなあ、と思 る え うんです。 考 を 若くして亡くなった人でも、もちろん中身の濃い生き方をして、多くの人にいろんなもの 老 の を残していった人がいます。そうかと思えば、明らかにその逆の例もあるかもしれない。そ 私 の の意味では、人間の生き方の価値は決して長さでは決まらないのでしよう。 来 しかし、短命な人がたまたま中身が濃い生き方をしたと言っても、その人が生まれてから 部 ずっとそうやって勢い込んで生きてきたわけではないし、長生きした人が、「この先まだ長 2 ろ 9
第二部未来の私の老いを考える ていくほうが、みんな気分よく生きて行かれるんじゃないでしようか。 頼り上手は生き上手 患者さんを見ていていちばん損なタイプの人は、自立心が非常に強く、人に絶対甘えられ ないタイプの人です。こうした人は、とにかく頑張っているのに、それが周囲の人を疲れさ せ、ついつい敬遠されてしまいがち。そして、いったん人の世話を受けなければならなくな ると、世話をされることに関して卑屈になる分、完璧な介助を望んで看護婦に辛くあたっ て、また敬遠されてしまったりします。 それでも相手が看護婦ならば、こちらも仕事としてきちんと対応するので、関係はなんと か維持されます。しかしこれが身内となると、そうはいきません。 皮肉なことに、「若い頃、姑の介護で苦労してきた分、自分は嫁の世話になるまいと思い ながら生きてきました」というような人に限って、このようなパターンに落ち込む例もあ り、人間が年をとるのは本当にたいへんなことだなあ、と思い知らされます。 これはも 自分への厳しさは、時にそれを上回る他人への厳しさに転化してしまう 219
第二部未来の私の老いを考える が、気持ちの上でそのような差を感じることは残念ながら事実。 そして、関わって快い患者さんと、はっきり言って不快な患者さんとを比べると、必ずし も手がかかる患者さんが敬遠されるということでもありません。やれ失禁だ、食事介助だと 手がかかっても、看護婦同士がそのお世話を奪い合うようにすることもあれば、検温の時に ちょっと声をかけるだけでも、どうにもそばに行くのが辛い患者さんもいる 言葉にすると本当に申し訳ないのですが、こうしたことって、実際にあるんですよ。看護 婦は、人の好き嫌いを感じないからプロなのではなく、それを仕事に出さないから、プロな のです。 こうした差がなぜっくか。まず、手がかかるのにとにかく好かれる患者さんを例にとって みれば、こうした患者さんは基本的に、頼るのが上手です。 自分でできることはきちんと頑張ろうとした上で、それでもできない部分については、そ の部分を人にゆだね、してもらったことに感謝する 。たとえその、自分のできることが どんなにわずかなことだったとしても、そんな姿勢が共通しています。 そのことが端的に表れるのは、お世話に対するお礼の言葉です。お世話したことについ 217
住まいがどんなものかは、やはり年をとってみないと分からないでしよう。また、「便利」 の感覚が、若いうちと年をとってからでは変わってきますから、そこで住まいを変えるの は、理にかなったことだと考えます。 例えば、狭い敷地に高い家を建てて建坪を広くとるいわゆる「羊かんハウス」は、足腰が 丈夫な若い人間がたくさん住むにはもってこいの発想。しかし、年をとってから、曲がりく ねった急な階段を行き来するのはいかにもきっそうです。年をとったら、階段はなるべくな だらかなほうがいいし、段差は少ないほうかいし そうした作りにするためにはかなりのデ ッドスペースを覚悟しなければなりませんが、スペースよりも楽に移動できることを優先す るのが、老いてからの住まい作りのポイントなのです。 病院よりも住み慣れた家になるべく長くいたいというのは、多くの人が老いて思うことで しよう。しかしそのためには、老いていやすい環境を作る算段を、ある程度若いうちからし ておくことが大切ではないでしようか。 ありあまるスペースがあるなら、若いうちからスペースを犠牲にした、移動しやすい住宅 を建てることも可能かもしれません。しかし、そうでない普通の経済状態の人間がそれをし 208