ちょっと長いプロローグ / 私が老いについて考え始めたわけ ちょっと長いフロローク / 私が老いについて考え始めたわけ 子どもの頃から、早く大人になりたかった私は、三十三歳になる今まで、年をとることが 嫌だと思ったことは一度もありません。 学生のうちは、親に食べさせてもらいながら箱庭のような世界で生きているのが嫌で、と にかく早く自分で食べていかれるようになりたかった。そして、二十四歳で看護婦になっ て、親に頼らず一人暮らしを始めてからは、「まだ若いからね」の一言で全て許されること が嫌で、早く三十代になりたいと願ってきました。 とにかく早く前へ、前へと進んで、一過性でない、確かなものを手に入れたい それが私の、十代から二十代を通じて流れていた思いでした。 きどう そして、念願の三十代に入って肩の力も抜け、自分の生き方が軌道に乗っているなと実感
第二部未来の私の老いを考える それこそ年に何回、という単位でしか会わなくなりました。 しかし、今でも時々彼女と電話で話したり、つかず離れずの交流が続いています。一時 は、なんか疎遠になったようで淋しかったりもしましたが、考えてみると、三十代と四十 代、働き盛りの女二人が、一週間に八回会うようなヒマを持て余していたら、それこそたい へんですよね。きっと、友人との関係には、年なりの変化があるのでしよう。 二十代の頃は、友だちは、二緒に何かをする〃人でした。エネルギッシュに関わり、同 じ時間を共有することで、一人ではないことを確認してきました。しかし、三十代になった 今、私にとっての友だちは、〃どこかで頑張って生きていて、時々でも励ましあえる人〃に 変わってきています。 し思し出話ができ その時々の形で友だちを大切にしながら、いよいよ年をとった時に、いゝ、 ) る人がいつよゝ 。しいたらいいな、と思います。人間どうせ一人なんだ、なんていきがって言っ たところで、まあ、人間なんて、一人で誰の迷惑にもならず生きていくことなんて、はなか ら無理なんですから。やつばり、いろんな人と関わって、その人情を感じて、生きていける とハッピーなんじゃないでしようか 189
第二部未来の私の老いを考える が少しずっ迫っていることは受け入れざるを得ません。 そして、周囲を見れば、健康に問題を抱える友人・知人が、少しずつ出始めるようになり き ます。中には、二十代の頃と比べて無理が利かなくなったことを感じ始める人も出てきま す。 残された自由な時間をめいつばい完全燃焼しようと思っても、身体のほうが、言うことを 聞いてくれない 。そんな焦りは、二十代にはなかった質のものです。 実際、三十代になると、病気は一気に身近なものになります。私は仕事柄、その病む人と とうにようびよう 多く関わるのですが、ガンや、糖尿病、高血圧などのいわゆる成人病も、三十代になる と、″珍しい悲劇〃ではありません。 もちろん、人間はいくつになっても病気や死は辛く悲しいもの。けれども、二十代のそれ ひんど と三十代のそれは、その頻度から言ってあまりにも差があるので、同じ″若すぎる死〃で も、記憶の残り方が多少違っているほどなのです。 私がまだ看護婦になって間もない頃、二十五歳の男性が、肺ガンで入院してきたことがあ りました。 つら や 1 め
三十代から始まる大人同士の友人関係 お互いの立場の違いを意識しながらも、同じ時間を生きるものとして交流していきたい これは、生きていくことの心細さを体験したことがある大人であれば、誰もが持っ素朴な 思いでしよう。私もまた、そうしたところまでこられたのかと思うと、ちょっと不思議な気 持ちです。 そして、友だちの存在自体も、形を変えてきました。 私には、二十代前半、いろいろなトラブルが重なり、いちばん精神的に辛かった時期に、 来る日も来る日もその家に通っては、励ましてもらった十歳年上の女友だちがいます。 その人は大きなオートバイに乗っているオ 1 トバイのスタントマンで力強く、かっ繊細で 優しく、本当に素敵な人で、今はテレビや映画の製作に関わる仕事をしています。 一時は、それこそ一週間に八回会う、というような交流でしたが、彼女の仕事が軌道に乗 り、私も仕事が忙しくなると、そうそう毎日は会えません。そのうち私が結婚してからは、 18 8
といっても彼は、呼吸器症状で受診したのではなく、背中の強い痛みを訴え、最初は整形 外科へ入院。検査の結果、肺のレントゲンに影があり、肺ガンが元で、それが骨に転移した ーんし ための痛みと分かったのですが。すでに血液を介して全身に転移していたため、手術は不可 能。その後、放射線療法や化学療法を行いましたが、入退院を繰り返しながら、約一年で、 亡くなりました。 それは私が見た、初めての二十代のガンの症例でした。その後、白血病の方、乳ガンの方 など、何人かお世話させていただきましたが、やはり数としては、圧倒的に少なかったので す。 これが、三十代の患者さんとなると、一気に数が増えてきます。大腸ガン、肺ガン、胃ガ たき ン、子宮ガン、乳ガン : 。その部位も、多岐にわたっています。 ですから、二十代の頃は、 " 三十になったらガン年齢なんだから、検査を受けなくちゃ。 まさ と、ずっと思っていました。それが、不安に勝るずばらで、延々放置してきたのですが、最 近、不正出血を機に婦人科で子宮ガン検診を受けるはめになりました。今のところ、二十代 の時に比べて体力が落ちたという実感はないのですが、ちょっと無理を重ねると、やつばり 1 ろ 6
第二部末来の私の老いを考える それでも生殖にはタイムリミットがあります。三十代になったら、そのタイムリミットが 迫ってきますから、このへん、割り切れない人は苦しむんでしようね。 少なくとも、子どもを持っことで自分自身の生き方が目に見えて不自由にならない男性か ら、そんなうじうじしちゃう思いを、とやかく思われたくないわ、というのが、私の気持ち けわ 体力の限界。そして迫りくる親の老い、険しい再就職へ です。迫る生殖のタイムリミット、 の道。どんな立場にいようと、やつばり、三十代は二十代より、かなり屈折しやすいし、ノ ねた ーテンキではいられない。気をつけてないと、人をうらやんだり、妬んだり。″人生の春は 短い〃そのことを、実感し始める年代なのだという気がします。 この本を書き始めた当初、私は今書いてきたような現実をしみじみ思い知って、かなり落 ち込んだ状況にありました。 三十代になって、ようやく自分の生活に自信が持てるようになったと思ったら、今度はい ろんな荷物がのしかかってきた、という感じで、先々の心配ばかりが先立ってしまうのでし しいかげん根気が尽 しかし、人間クョクョイジイジ悩むのも、ある時間それを続けてると ) 1 ろ 9
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ しさ んな手があることを、礼子さん夫婦は示唆しているように思えます。 み 両方の親を同居させて看る 二つ目の例は、四十代前半の看護婦・香織さん夫婦の場合です。彼女の夫は会社勤め。二 人には中学一年の一人息子がいて、都内のマンションで三人で暮らしていました。 香織さんには、千葉の房総で暮らす七十代後半の両親がおり、夫の方には栃木で一人暮ら しをしている八十になる父親がいます。二人ともそれぞれに兄弟姉妹もありますが、すでに 配偶者の親の介護をしているなどの理由から、親と同居できる状況にはありません。 結局二人が選んだ方法は、房総にある彼女の実家に彼の父親を転居させた上で、自分たち もそこで暮らす、というものでした。 「ど田舎の分、家が広かったから、なんとかできたことなんだけど、両方の親を一カ所に集 めるっていうのは、最初冒険だったわよ。他人の家に入るわけだから、移ってくるほうは気 を使うだろうと思って。そのあたり、向こうのおじいちゃんがのんびりした人だったから、 よかったんだけどね」
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ 家族とともに夫の実家へ転居 そして最後は、すでに同居中の実の父親を連れて、夫の実家に転居した響子さんの例をご 紹介しましよう。 響子さんは四十歳、夫は四十五歳。年とってからの子どもだった響子さんの父親は、現在 九十歳です。 しんきんこうそく 数年前、母親が心筋梗塞で亡くなったのを機に父親を引き取った彼女は、夫婦と父親、そ れに子ども四人の大家族で暮らしていました。そこに、夫の父親が脳卒中で倒れて手がかか るようになり、七十代半ばの両親だけではやっていけなくなったため、一家をあげて引っ越 すことになったのです。 引っ越し先は四国。 夫婦ともに都会の生活は仮のものという気持ちがあったため、四国に引っ込むこと自体 は、特に葛藤はなかったと言います。 転居が決まったと報告の電話をくれた彼女の声は、今思い出しても、とても元気でした。
第二部未来の私の老いを考える 失ってきたものに目が向くのも、やはり三十代になってからの変化。二十代は、まだ自分が 振り返って懐かしむほどの蓄積はないし、自分の生き方が軌道に乗るまでは、毎日が無我夢 中。過去を懐かしむ余裕なんて、実際にはないと思います。 しかし、三十代になると、多少そこは、違ってきます。自分がこれまで生きてきた道を振 り返って、その時間を共有した人たちが今何をしてるんだろうと、興味が出る それは、ひょっとすると自分が後ろ向きになってるんじゃないかと不安にならないことも ないのですが、恥かきながらも、愛着の持てる過去があるということは、やつばり幸せなん だろうと思います。そして、やはり同じように久しぶりの連絡をくれる友人がいることを考 えると、これは決して、私だけに限ったことではなさそうです。 かくして、互いの立場の違いにナーバスになりながらも、私たちは、旧交を温め合いま す。 そして、同年代の友人が、老け込んでいくのを見て、「ああ、自分だけじゃないんだなあ、 なんて思うのもまた、おつなもの。 同窓会は、それを確認するために開かれるようなものかもしれません。 187
元気がなくなっていく女性が、少なからずいるのです。 自分の口から〃容貌〃という言葉が出ることでも分かるように、彼女たちは、そこそこそ の容貌に自信を持っていた人。そして私の目から見れば未だにうらやましいくらい見栄えが する美しい女性ばかりなんです。 根に容貌コンプレックスがいつもある私は、彼女たちを見るたび、あのくらいきれいに生 まれていたらなあ、なんて思うこともあります。でもその反面、若い頃の自分と引き比べて 今を嘆きがちな彼女たちを見ていると、ちょっとたいへんそうだなと思うのです。 ある友人は、二十代半ばから目のまわりの小皺と乾燥肌に悩み、休みのたびにデパートの 化粧品コーナーに行っては、なにがしか買い込んでいました。 「職場の友だちとよりも、化粧品売場の売り子さんと話す時間のほうが長いかもー と言っていた彼女は、三十代になってからは、今度は天然・自然を売り物の化粧品にはま 「二十代の頃に、人工的なもので作りすぎたんだと思うのよ。アドバイザ 1 の人に言われた わ。毒を出すつもりで、うちの化粧品を使えばいい、 って」 174