第二部未来の私の老いを考える それこそ年に何回、という単位でしか会わなくなりました。 しかし、今でも時々彼女と電話で話したり、つかず離れずの交流が続いています。一時 は、なんか疎遠になったようで淋しかったりもしましたが、考えてみると、三十代と四十 代、働き盛りの女二人が、一週間に八回会うようなヒマを持て余していたら、それこそたい へんですよね。きっと、友人との関係には、年なりの変化があるのでしよう。 二十代の頃は、友だちは、二緒に何かをする〃人でした。エネルギッシュに関わり、同 じ時間を共有することで、一人ではないことを確認してきました。しかし、三十代になった 今、私にとっての友だちは、〃どこかで頑張って生きていて、時々でも励ましあえる人〃に 変わってきています。 し思し出話ができ その時々の形で友だちを大切にしながら、いよいよ年をとった時に、いゝ、 ) る人がいつよゝ 。しいたらいいな、と思います。人間どうせ一人なんだ、なんていきがって言っ たところで、まあ、人間なんて、一人で誰の迷惑にもならず生きていくことなんて、はなか ら無理なんですから。やつばり、いろんな人と関わって、その人情を感じて、生きていける とハッピーなんじゃないでしようか 189
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ しさ んな手があることを、礼子さん夫婦は示唆しているように思えます。 み 両方の親を同居させて看る 二つ目の例は、四十代前半の看護婦・香織さん夫婦の場合です。彼女の夫は会社勤め。二 人には中学一年の一人息子がいて、都内のマンションで三人で暮らしていました。 香織さんには、千葉の房総で暮らす七十代後半の両親がおり、夫の方には栃木で一人暮ら しをしている八十になる父親がいます。二人ともそれぞれに兄弟姉妹もありますが、すでに 配偶者の親の介護をしているなどの理由から、親と同居できる状況にはありません。 結局二人が選んだ方法は、房総にある彼女の実家に彼の父親を転居させた上で、自分たち もそこで暮らす、というものでした。 「ど田舎の分、家が広かったから、なんとかできたことなんだけど、両方の親を一カ所に集 めるっていうのは、最初冒険だったわよ。他人の家に入るわけだから、移ってくるほうは気 を使うだろうと思って。そのあたり、向こうのおじいちゃんがのんびりした人だったから、 よかったんだけどね」
た転居でした。 まず、四十代後半の女性・礼子さんの場合。 礼子さん自身の両親はすでに亡く、夫の母親が新潟で一人暮らしをしています。東京にき て同居するよう強く勧めても、長年住み慣れた土地を離れたがらないため、一人暮らしを続 けていたのです。しかしその母親も八十の声が聞こえたあたりから、軽いばけが始まり、つ いに一人では暮らせないようになってしまいました。 礼子さんの夫には姉がいて、同じ新潟県内に暮らしていますが、嫁ぎ先の両親の介護のた め、実の親には何一つ手を貸せない状況。思い悩んだ二人は、結局自分たちの住まいを新潟 に移し、交互に東京に出てきて働く生活を作ることにしたのです。 このような変則的な生活パターンが可能だったのは、二人ともフリーのデザイナーとライ ターだからでしよう。また、子どもがいなかったことも、大きな要素だったと思います。新 潟と東京の二重生活に備えて彼女たちがしたことはまず、アクセスのいい都心に第二の住ま いを確保することでした。そのために二人は、長年住み慣れた郊外の一戸建てを売り、都心 にあるのマンションを購入。東京駅から二十分以内で帰れる所に住まいを確保した とっ
第二部未来の私の老いを考える 較的丈夫な人が集まる職種とは言っても、このくらいの割合の死亡は、時に起こりうること でしよう。 私が働く病院でも、この数年の間に、四十代の看護婦が二人亡くなっています。つい最近 も、一緒に働いたことのある方が、五十歳の若さで亡くなりました。ありきたりな言い方に なりますが、地道に働き、人に尽くした彼女たちの生き方と、あまりにも非情な死のギャッ プを思う時、これに、強い理不尽を感じない人はいないのではないでしようか。 若い部下の死を語るその総婦長さんの言葉には、抑制された調子ながら、やはりそうした ただよ 無念さが強く漂っていました。 そして、その思いを誰よりも強く抱いているのは、もちろん本人に違いない。亡くなった 方の一人が、苦しい息の下でおっしやったこの一言が、私は今も忘れられません。 「若くして死んでいくのって、本当に悔しいことよ」 穏やかで前向きな闘病の合間の、この一言のリアリティに、私は全ての慰め・励ましの無 力さを思いました。 そしてこの先自分が生き続けていくとすれば、その分多くの人の死を自分が見送らなけれ 2 ろ 5
れば、期限付きの同居人でしかありません。 もちろん、その場はものすごく家が狭くなるだろうし、しっちやかめっちやかになるとし ても、実際狭いスペースでそれをやっている人だっているわけだから、無理ということはな : 。順当に行けば、一度はどう家族が増えようと、最後はどの家も、まずは夫婦二人が 残ります。 まあ、二世帯住宅にして延々親子が住む体制を作るのも一つの選択でしようが、そうでな いなら、夫婦二人になった時に、快適に暮らせるスペースがあれば、それでいいのではない でしようか え そんな私たちが将来に向けて考えているのは、私たち自身の老いを迎えるための建て替え を です。 こころもと 老 の すでに築二十年になろうとする家があと何年持つかはやや心許ないのですが、できるだけ 私 知手入れをしながら長く住み、自分たちが老いても住みやすい家に建て替えたいと思っている のです。そして、この時にもし他の土地に縁があれば、住み替えるかもしれません。 部 第 今はバリアフリ 1 住宅なども、いろいろ出てきていますが、自分が年をとった時に必要な 207
もついついなってしまうのです。 介護が、どんなに本来人間的な仕事であったとしても、それを嫌なこととして押しつけら れるのは、働く人間としては耐え難いことです。自分たちは嫌だからと人に任せておいて、 そこで誰かがその仕事を喜んでやってほしいと願うのは、虫がいいのではないでしようか。 もちろん、例外はあるでしようが、施設でのお年寄りの扱われ方というのは、そこで働く人 の人間性だけによるものではなく、預ける側の意識の反映だということは、ご理解いただき たいと思います。 そ 施設に預ける場合でも、やはり預けつばなしの、放りつばなしには、しないでほしい。 れが、代わって介護をする人へのエチケットでもあるということを、ここでは強調せずには いられません。 外泊を繰り返しながらの老人病院での療養 彼の場合、家族の協力はきわめて良好でした。家でお店をやっている関係上、息子さん二 人も近くに住んで、両親の住む家に毎日通ってきている状態でしたから、妻と二人暮らしと 106
て働いた後、二十二歳の時に、職場で知り合った十二歳年上の男性と結婚しました。 結婚して二年ほどたって子どもが生まれ、彼女は退職。年上の夫は彼女に優しく、夫婦仲 も順調だったと思います。 ところが子どもが二歳になった時、夫の父親が脳梗塞で寝たきりになってしまいました。 母親だけでは介護ができない状態になったため、二人はそれまで住んでいた社宅を引き払 埼玉にある親の家に、同居することになったのです。 タ ス そしていざ同居してみると、夫の母親のほうも、とても介護の主力になれる状態ではあり ス ませんでした。 ケ の それというのも、十二歳年上の夫は末っ子で、上に姉が三人。両親が四十過ぎての子ども だったので、この時すでに、父親は八十一二歳、母親は八十歳。それなりに元気だったので二 め 陸人暮らしをしてきたものの、父親の病気というアクシデントを引き金に、母親のほうもがっ ちほう 老 の くりきて、すっかり無気力に 。そして間もなく、物忘れがひどくなり、痴呆の気配も出 親 てきたというのです。 部 第 つまり、二十六歳にして、彼女は、子育てと同時に寝たきりの義理の父と、痴呆寸前の義 のうこうそく
第二部未来の私の老いを考える この範囲に入る、 を差しのべますが、家族のある人、小金のある人には、けっこう冷たい。 絶対的多数の人たちは、結局自分たちの手で何とかしなくちゃならないんですよね。だから と思うのは当然だし、老後への予期的な不安 もっと公的な部分に力を入れてもらいたい、 で、頭がいつばいになっちゃうんでしようね。 いくら商品としてのサ 1 ビスを利用するにしても、それが公共財としての性質を持つもの なんだ、という考え方はべースにないと、いろいろと倫理的な問題が出てくるでしよう。こ の時に、公的サービスとしての、介護がきちんとした形になっていないと、示すべき見本が なく、商品としての介護サービスが、一人歩きすることになります。 じゃあ、どうすれば家族ばかりをあてにする日本の高齢者福祉の状況が変わるかと言え ば、その仕組み的なことはともかく、今私たちにできるのは、けなげな家族、けなげな年寄 りであることをやめること。老後に備えて、子どもの顔色をうかがったり、ちびちび貯金を したり、いざ親が倒れた時に、自分を犠牲にして尽くしたりするけなげな人が多い間は、き っと今の状況って、変わらないんじゃないでしようか。 気楽なこと言うなと言われても、もっと一人一人が、楽しく暮らそうとすること。そし 2 ろろ
かないのです。 家事ばかりは、やはりやり方を知っているだけじやダメ。ある程度日常的にやりつけてい ないと、 いざやろうという時に身体が動きません。これまで家庭を顧みず、職業人としてだ け生きてきた男性と同じ道を、働く女性がたどるのはいただけないですよね。しかし、実 しるのです。 は、私たちの親の世代でも、すでにその問題に直面している人は、 ) その実例を、一つ挙げてみたいと思います。 タ ス むこ ス 彼女は、地方都市の総合病院で婦長をしている五十歳の女性。婿取りで、実の両親との同 居だったため、二人の子どもの子育てから、家事の一切合切、全て母親にゆだねてきまし る め を 十年前に父親が亡くなり、子ども二人は都会に出たため、今は、夫婦と母親の三人暮ら 老 の し。病気知らずだった母親は、八十の声を聞いてから足腰が弱っていますが、家の中のこと 親 はなんとかやっています。 部 第 「母親が、近くのスー ーに買い物に行けなくなったんで、買い物は私と主人が、やってい
質のいい借家というのはなかなか見つからず、不自由な感じもあるので、やはり持ち家志向 というものは、家が余っても続く気はします。 今回よかったのは、二人の住まいへの価値観が一致していたこと。二人とも古い家に住む のは全然平気で、乱雑なのは、私のほうがやや気になる程度。この二年、結局前の持ち主が 張ったままの襖や障子も張り替えず、破れてるのも気にせず暮らしています。 引っ越す前のリフォームは、猫の毛が掃除しやすいように畳とじゅうたんをフローリング に替えたくらい 「若いご夫婦が、こんな古い家のままで住むんですか、と、不動産屋さんには言われました が、このくらいのことしか、必要を感じなかったのです。 あまも その後、雨漏りがひどく、屋根の直しと壁塗りはしました。開け閉めができなくなってい た門 ( ! ) も、一年後にはようやく直したので、ここしばらくは、大きな出費はないと思い ます。 いんきよじよ あまりに古めかしい日本家屋なので、ロの悪い私の母は、わが家を「隠居所」と呼びま す。まあ、若い人が好んで住みたい作りの家でないことはどうも確かなようで、反論のしょ ふすま 2 10