ます。主人が公務員だから、彼が行ってくれることのほうが多いかしらね。母も年だから、 もっと家の中のこともやらなくちゃって思うんだけど、やつばり仕事中心の生活は変えられ ませんね。定年まであと十年。母がその間ずっと元気とは思ってないんですが、その時どう するかは、正直なところ、考えないようにしている感じです に。かわら こう言って苦笑いする彼女は、生まれてこの方、ご飯を炊いたことは、数回しかないそう です。 「私が看護婦になった頃は、〃人の世話をする看護婦は、自分の身のまわりのことは完璧に できないとダメ〃という教育だったんですね。全寮制の看護学校で、掃除や洗濯まで、厳し く躾けられました。私の場合、あれがなかったら、もう何もできなかったでしようね。専業 主婦だった母に、全て任せて、結婚してからもそうだったんですから。子どもはおばあちゃ んっ子で、それでも私の生き方は分かってくれたんでしよう。娘のほうは、看護婦になりま した」 「考えないようにしてるとは言っても、母に何かあったら、というのはやはり考えるように なっていますよ。恥ずかしい話ですが、もし母に寝つかれたら、介護以前に、目先の家事か しつ
第二部未来の私の老いを考える ろう、なんて考えている人に、「老後」ってあるんだろうか ? 老いた後のためにお金を貯める、みたいな考えはやめて、働けるうちはめいつばい働き、 私も、こんな発想で生きていきたいと思うので 老いていくプロセスでそれを使ってい す。 そして長生きするうち使い切っちゃったら、その時はその時。行き倒れになっても、行き 先はなんとかなるんですから。 介護サービスをどう受けるか これからは、高齢者の介護は、さまざまな形で商品化され、おそらくそちらのほうが公的 サービスの充実よりも、先に進むと思います。そうなると、お金によって得られる安心は、 きっと今よりも大きくなるはずです。 このことは、一方で弱者切り捨ての問題をはらんではいますが、それでも、やはり選択の 幅が広がるという意味では、悪くはない傾向だという気がします。 経済的弱者に対する公的サービスの充実をサポらないという前提があるなら、お金があっ 2 ろ 1
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ はいえ、時代が変わってきていることは事実。そんな時代に、彼女のように、全面的に夫の 親の介護を受け入れるなんて、そのことだけでも、立派と一一一一口うしかありません。 それも、それなりにやりたいことをやった後の年齢ならばまだしも : 仕事に家庭にと、楽しげに生きている同世代を見ながらの若い時期の介護は、優しさや使 命感だけではどうにもならない、辛さがあったのだろうと思います。 実際そのあたりについて、彼女はこんなふうに話していました。 「同い年の友だちにいくらこの辛さを話しても、分かってはもらえないのよね。感心はして くれるけど、分かってはもらえないのよ。そんな友人に対して、他人事みたいに思ってるこ の人たちも、いっかは私みたいな苦労をするのよって意地悪な気持ちになったこともあった わよ。実際、今のうちに苦労をして見送ってしまえば、後は楽でしよう ? 三十三歳で しゅうとしゅうとめ 舅・姑の苦労をこの先しなくていいんだって思えば、若いうちに貯金をしたようなもの かもしれないわ」 そうは言いつつも、彼女は溜め息をついてこう続けます。 「でもね、やつばり、若いうちしかできないことって、ある気がするのよ。二十六歳から三
んが、短いかもしれない。明らかな病気で最後の時期具合が悪いという状況なら、もちろん 病院で世話をしてくれるのですし、寝たきりになったら、痴呆になったら、などと考えて、 いろいろ算段するより、そこそこ動ける時期をどう暮らすか、を考えるほうが、生産的なん じゃないでしようか。 寝たきりになったら、ということを考えずに生きて寝たきりになっても、いろんなシミュ レ 1 ションをして考え抜いたあげくに寝たきりになっても。実はそれって、結果はあまり変 わらないんじゃないかと思います。 先々のことをいろいろ考えて、ちびちび節約しても、それこそ九十歳まで元気で一人暮ら しができるかもしれません。 こんなふうに言っている私自身も、自分のことになるとそう割り切れないよ、ということ もありますが、やつばり、人間のエネルギーには限りがあるのですから。考えても仕方ない ことよりも、考えて少しは事態が変わることのほうにエネルギ 1 を注ぐほうが、楽しく生き られる気はします。 226
きれいな男がいいやろ : : : 」 これにはもう私、爆笑しましたね。 これだけ言ってもどぎつくならないのは、テンボのいい関西弁と、彼女の人柄に尽きると 思いますが そうか。やつばりお金か。ここで止まるとちょっと淋しいけど、だったら働こう、と働く エネルギーに結びつくなら、こんな考え方も、悪くはない。 もちろん、これはあくまで彼女の願望であって、先はどうなるかなんて分かりません。で も、先がどうなるか分からないからこそ、このくらいあっけらかんと、年とってからもおも しろおかしく暮らすために、働くんだ、と言い切って生きていくのもまた、豪快でいいな、 と思いました。 よく「老後」と言いますが、思えばこれもはっきりしない言葉ですよね。年を重ねること は、あくまでも老いていく過程であって、そのあとにどうする、みたいな話は机上の空論の ような気がします。 老いて、自分の足で歩けなくなっても、若い男をお金で雇って、最高の席で芝居を見てや 2 ろ 0
第二部未来の私の老いを考える それはきっと、彼女たちが話す姿勢が、すごく一方的で、たとえ私が看護婦として話を聞 く立場であったとしても、普通ならば成立する〃対話〃〃共感〃といった人間関係の基本的 なものが、成り立っゆとりがないからだと思います。私たちがふだん普通に人と会話し、同 情しあったり、励ましあったり、ちくしようと思ったり、ありがとうと思ったり、っていう 繰り返しって、実はとっても大切なことなんですよね。 こうした患者さんの場合、その原因についての考え方は、ふた通りあります。 それは、その人が美しかったからそうなったのだ、という考え方と、元からの問題が美し さによって隠されていたのだ、という考え方。これは、どちらかが正解というよりも、その どちらのケ 1 スもありえて、時に両方の場合もあるといったほうが、間違いがないと思いま す。 見た目の美しさや、学力といった、世の中に認められる力を一つでも持っていると、それ だけでなんとなく許されてしまうのが、今の社会です。そうなると、こうしたものを持って さえいれば、かなり根っこは異常な人間でも、その異常さに気づかれずに過ごしてしまう、 とい一つことはあるでしょ , つ。 177
がらない子どもたちの間を行き来して卑屈になって暮らすより、すってんてんで、最後はお 上の力を借りて、払ってきた税金を少しバックしてもらっても、悪くはないかな、と。 ああなったら、こうなったらとあれこれ考えるより、いざとなったら行き倒れになっても 大丈夫、くらいののんびりした気持ちで生きていくほうが、正解なんじゃないかと思いま す。 こんなことを学びつつ、私は病院で働いています。そして私自身、だんだん「いざという 時どうするか」みたいなことは、あまり考えなくなってきました。 テーマは、そこそこ動ける間をどう楽しく過ごすか。そしてその思い出をいつばい持っ て、寝たきりになるなら寝たきりになって、思い出を温めて暮らしていけたらと思うので す。 そのために必要なものを考えると、私が思うに、まずある程度のお金です。 この漠然とした考えをはっきりさせてくれたのは、ある年上の友人の言葉でした。彼女 は、独身で、ずっと看護婦として働いてきた四十代後半の女性。若い頃は都会で働き、今は 地方都市の病院で婦長をしているのですが、やれ観劇だ、美術館まわりだと、休みの日には 2 2 8
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ ちなのですが、やはり「あの人、本当はいい人だったのね」で話が終わるほうが、気分がい いですもんね。 し選択だ、 ことがひとっ終わってしみじみ感じたのは、介護については、これが絶対にいゝ という決定版はないのかな、ということでした。考えてみれば、年をとってからだが弱り、 おまけに人の手を借りて生きなければいけなくなる状況自体、決して快適なものではありま せん。その中で、自分も周囲もそこそこ妥協しあえる手を決めるというのは、並大抵のこと ではなさそうです。 さらに、世話をする人自身も、世話をしつつ、世話される日々に近づいていくことを思え 学」く ば、そうそう下の世代が犠牲になることを期待するのも酷でしよう。 ) 時司も決 娘さんが、「定年まで後十二年 : : : ーとおっしやった時、娘さん自身の″ して長くないんだな、ということを、私は痛感したのでした。 私の気持ちの中にも、娘さんが女性だからこそ、外で自分が働くよりも、家で親を看たら どうか、と言いたい本音があったかもしれない。あれがもし、息子さんだったら、同じこと を思ったかどうか : 正直なところ、自信がありません。 1 ろ 1
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ 本来ならば、まず夫婦でなんとか協力しあって子育てをし、どうしても足りない部分を親 の手を借りると考えるのが普通だと思うんですが、彼女たち夫婦は、それがもう完全にひっ くり返っちゃってるんですね。 ただ、そこのところは根本的な問題としてあるにしても、彼女にも同情できる点はもちろ んありました。 それは、二世帯住宅を建てるのにかかった費用は、全て彼女たちが持っていたのです。土 地を親からもらうと考えればそれだっておいしい話ではあるでしよう。しかしこれまでどん ぶり勘定でお金を使っていた夫婦が、突如子育てしながら、三〇〇〇万近いローンを払って いかなければならないと思った時に、冷静に事態に対処できなくなったことは、十分予想で きます。 いかにちゃっかり者とはいえ、それなりに深い思考のできる彼女であれば、そうそうタダ の子守として夫の母親を使っていいとは考えなかったと思うし、自分と同じように夫の母親 にも、仕事を勤め上げたいという思いがあることは、理解できたはず。 私たちが、彼女の聞き苦しい話をそれなりに受けとめられたのは、そんな彼女の混乱が、
しに追われながら、日々を過ごしておられる様子。それを感じる時、やはり人間はたくまし いと思います。 こも分からないことです。自分が先かもしれ 誰がどのような順番で、生命を終えるかは誰。 ないし、 とう何を心づもりしておいても、その時が来 1 トナーのほうが先かもしれない。、 れば、誰しも涙にくれるでしよう。そのことへの準備なんて、何もできません。 生きていること自体を肯定する しかし、こんなにも暗いことを時に考えつつも、私はやつばり、長生きしたいなあ、と思 る え うんです。 考 を 若くして亡くなった人でも、もちろん中身の濃い生き方をして、多くの人にいろんなもの 老 の を残していった人がいます。そうかと思えば、明らかにその逆の例もあるかもしれない。そ 私 の の意味では、人間の生き方の価値は決して長さでは決まらないのでしよう。 来 しかし、短命な人がたまたま中身が濃い生き方をしたと言っても、その人が生まれてから 部 ずっとそうやって勢い込んで生きてきたわけではないし、長生きした人が、「この先まだ長 2 ろ 9