第二部未来の私の老いを考える それこそ年に何回、という単位でしか会わなくなりました。 しかし、今でも時々彼女と電話で話したり、つかず離れずの交流が続いています。一時 は、なんか疎遠になったようで淋しかったりもしましたが、考えてみると、三十代と四十 代、働き盛りの女二人が、一週間に八回会うようなヒマを持て余していたら、それこそたい へんですよね。きっと、友人との関係には、年なりの変化があるのでしよう。 二十代の頃は、友だちは、二緒に何かをする〃人でした。エネルギッシュに関わり、同 じ時間を共有することで、一人ではないことを確認してきました。しかし、三十代になった 今、私にとっての友だちは、〃どこかで頑張って生きていて、時々でも励ましあえる人〃に 変わってきています。 し思し出話ができ その時々の形で友だちを大切にしながら、いよいよ年をとった時に、いゝ、 ) る人がいつよゝ 。しいたらいいな、と思います。人間どうせ一人なんだ、なんていきがって言っ たところで、まあ、人間なんて、一人で誰の迷惑にもならず生きていくことなんて、はなか ら無理なんですから。やつばり、いろんな人と関わって、その人情を感じて、生きていける とハッピーなんじゃないでしようか 189
平方メートルの新築マンションといい勝負の値段。この差をどう読むかは、その人次第です が、とにかくスペ 1 スが欲しい、という人の場合は、やはりマンションのほうが有利なんだ な、ということも実感しました。 また、マンションよりも一戸建てのほうが公庫の融資の基準が厳しい分、資金繰りはちょ っと厳しくなります。実際、私たちは公庫の融資は使えず、自己資金の不足分は、全て銀行 たくわ からの借金でした。長年のアパ 1 ト暮らしで多少蓄えがあったことと、共働きであることか ら、それでもなんとかやれましたが、そうでない人の場合、たいへんだろうとは思います。 住宅を買う場合には、このような資金面での問題がっきもの。でも、本当は、それ以上に 考えなければならないのは、自分たちの暮らしそのものについてなんですよね。 あらゆる可能性を考慮したプラン 家を買うという時に、私たちは、この先の家族構成がどうなるかという問題を、嫌でも考 えました。 人間は家を持っと保守的になる、なんてことを聞いたことがありますが、あれは本当だ 204
第二部未来の私の老いを考える それはきっと、彼女たちが話す姿勢が、すごく一方的で、たとえ私が看護婦として話を聞 く立場であったとしても、普通ならば成立する〃対話〃〃共感〃といった人間関係の基本的 なものが、成り立っゆとりがないからだと思います。私たちがふだん普通に人と会話し、同 情しあったり、励ましあったり、ちくしようと思ったり、ありがとうと思ったり、っていう 繰り返しって、実はとっても大切なことなんですよね。 こうした患者さんの場合、その原因についての考え方は、ふた通りあります。 それは、その人が美しかったからそうなったのだ、という考え方と、元からの問題が美し さによって隠されていたのだ、という考え方。これは、どちらかが正解というよりも、その どちらのケ 1 スもありえて、時に両方の場合もあるといったほうが、間違いがないと思いま す。 見た目の美しさや、学力といった、世の中に認められる力を一つでも持っていると、それ だけでなんとなく許されてしまうのが、今の社会です。そうなると、こうしたものを持って さえいれば、かなり根っこは異常な人間でも、その異常さに気づかれずに過ごしてしまう、 とい一つことはあるでしょ , つ。 177
てレアケ 1 スではありません。もちろん、うまく協力し合って、老親の介護を乗りきってい く兄弟もいるのですが、だからといって兄弟がいる人が絶対楽で、いない人が絶対たいへん というだけの材料を、やつばり私は持っていないのです。 ゝよゝまうがいいかなんて、そもそも考えたって仕方 しかし、兄弟かいたほうかしし力しオし冫 がない。自分が与えられた状況を、少しでも都合のいい理屈を見つけながらやっていくしか 〃と思い、兄弟のいる人 ないわけで、一人っ子の私は、″兄弟なんていたっておんなじだ— タ ス は、〃兄弟がいる分、少しは気楽でいられるわ—〃と思って、やっていけ。いいんだと思う ス んです。 ケ の ただ、それでもやつばり、娘だから、次男だからと、できれば人任せにはしないでもらい たい。嫌なことからは逃げたい人情は分かるけど、それでも、子どもたちの責任は平等なん め を ですから。それがどうしても嫌なら、せめてもらうものもいらないと言えるだけの品生は、 の持ち合わせてもらいたいと思います。 - が冖に′、 親 兄弟同士が醜い争いになるのは、最終的には、〃おいしいとこだけ欲しい〃さもしい人間 部 かいることから始まります。 第
第二部未来の私の老いを考える しかし、たとえいろいろな巡り合わせで、近い肉親がいなかったとしても、あの元芸者さ んたちのように、 たまたま近くにいる人と助け合いつつ、それなりに旅立っていく人もいる のですから。人間、そうそう捨てたものではないんじゃないでしようか。 私にとって幸運だったのは、こうした頼り上手な生き方のいいお手本が、身近にいたこと です。 それは他の誰でもない、私の母親。彼女は、女性の自立をめざして、さまざまな活動をし てきた物書きなのですが、その一方で、人に世話をされることが実にうまいのです。 まず、彼女は働きながら私を育てるにあたって、いろいろな人の力を借りてきました。私 が生まれた時から一緒に暮らしている、母代わりのおばさんや、フェミニズム運動の前身と も言える、リプの運動に関わっている若い女性たち。いろんな人の手を借りて、私は大きく なったのです。 母は、とにかく人に任せられることは全て任せてしまえる人で、おばさんに全ての稼ぎを 渡し、自分はお小遣いをもらって出かけていきます。 私はずっとそれが当たり前のことと思って育ってきたのですが、今の仕事を通じていろん かせ 2 2 1
第二部未来の私の老いを考える しかし、少しずつ時間がたつにつれて、彼女なりにそうした変化を受け入れたのでしょ う。毎月定期的に受診し、一年ほどたつうちには、元の明るさが戻ってきました。人間、自 分に起こりつつあるどうしようもない変化を受け入れ、それと折り合うには、それなりの時 間が必要だということでしよう。 しかし、時間はかかっても、人間って、かなり悲惨な状況にでも、少しずつ適応できるも どんよく の。何を手に入れても満足できない貪欲さを持つ一方で、現実に合わせて自分の中の目標を 下げながら、それなりに満足しつつ生きていくたくましさも、人間にはあるのだと思いま す。 そして、こうした葛藤に苦しむ患者さんを、見ていられなくなるのが家族。特に同居して いる家族にとっては、まずお年寄りが元気でいてくれることが、何よりの望みなので、時に は本人以上に、元気になることを望むものです。 お年寄りが不調だと、家の雰囲気も暗くなるし、先行きも不安になる。さらには、自分自 身の老いにまで不安が膨らみ、時にどうしようもない気分になるのです。 しかし、この変化には、節目があり、節目にはいろんなことが重なりやすいもの。例え 199
かなり楽になりましたが、こんな恵まれた状況にいる子どもは、そうそういないでしよう。 今は、まだ二人とも要介護の状態ではありませんし、せいぜい入院期間も一カ月くらい。 しかし、それこそ彼女のような状況になったら、いつまでも急性期の患者さんを中心に看る うちの病院にはおいておけませんから、その先のことを考えなきゃならなくなるでしよう。 そんな時、私はどうしても、長期療養型の病院も含めて、施設という選択は、できるだけ 取りたくないと思ってしまいます。そして、その理由のひとつには、この医療者への気遣い がしんどい とい一つことが挙、けられます % これは決して、他の人も気を使えとか、そういうことではないんですよ。ただ、預ける側 と預かる側には、″患者さんの身になって〃という原則だけでは埋められない、大きな溝が あることが、この仕事をしていると、とてもよく分かってしまうのです。この溝は、預かる 側の労働条件の厳しさから、よけい大きなものとなっているのでしようが、問題は、それだ けではないという点。特に、患者さん本人が、本当は家に帰りたい人だった時ほど、この溝 は大きくなります。 ところであっても、見方があら探し的にな 家に帰りたい患者さんは、施設がどんなにいい みぞ 12 8
第二部未来の私の老いを考える んなにいい死に方もないですよね。死ぬまで好きな仕事をして、そこで倒れて、苦しまずに ばっくりなんて。今ではそう思えます。それに比べると母は、新しい土地で倒れて、気の毒 だったかもしれません。それでも、まあ八十二までは父と一緒に働いて、父を見送ってここ に来たわけですから。やるだけのことはやり終えたという思いは、あったと思います。こち らに来て急速に老いは進みましたが、それはもう、仕方がなかったと。私たち夫婦があの村 に一丁、わサ・こま ) ゝ 。冫冫し力なかった以上、これがべターだったと、思うことにしています きが 老親が子どもの家族との同居を拒む場合に、老親の側の気兼ね、ということがよく言われ ます。この言い方に感じられるのは、気兼ねさせる若い世代へのある種の非難。そして、そ の衝突を避けるための処世術が双方に説かれたりもしますが、実際のところ、親の側にも、 子のさしのべた手にも代え難いような、かけがえのない独自の暮らしがあるのだということ については、あまり語られてきませんでした。 しかし、この女性の例にも見られるように、老親の側はそれなりに、その土地に根付 ) た、かけがえのない暮らしを築いている場合だってあるのです。 それへの配慮を抜きに、老人世帯だからかわいそう、子との同居だから幸せと言い切るこ 1 うう
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ ちなのですが、やはり「あの人、本当はいい人だったのね」で話が終わるほうが、気分がい いですもんね。 し選択だ、 ことがひとっ終わってしみじみ感じたのは、介護については、これが絶対にいゝ という決定版はないのかな、ということでした。考えてみれば、年をとってからだが弱り、 おまけに人の手を借りて生きなければいけなくなる状況自体、決して快適なものではありま せん。その中で、自分も周囲もそこそこ妥協しあえる手を決めるというのは、並大抵のこと ではなさそうです。 さらに、世話をする人自身も、世話をしつつ、世話される日々に近づいていくことを思え 学」く ば、そうそう下の世代が犠牲になることを期待するのも酷でしよう。 ) 時司も決 娘さんが、「定年まで後十二年 : : : ーとおっしやった時、娘さん自身の″ して長くないんだな、ということを、私は痛感したのでした。 私の気持ちの中にも、娘さんが女性だからこそ、外で自分が働くよりも、家で親を看たら どうか、と言いたい本音があったかもしれない。あれがもし、息子さんだったら、同じこと を思ったかどうか : 正直なところ、自信がありません。 1 ろ 1
第二部未来の私の老いを考える この範囲に入る、 を差しのべますが、家族のある人、小金のある人には、けっこう冷たい。 絶対的多数の人たちは、結局自分たちの手で何とかしなくちゃならないんですよね。だから と思うのは当然だし、老後への予期的な不安 もっと公的な部分に力を入れてもらいたい、 で、頭がいつばいになっちゃうんでしようね。 いくら商品としてのサ 1 ビスを利用するにしても、それが公共財としての性質を持つもの なんだ、という考え方はべースにないと、いろいろと倫理的な問題が出てくるでしよう。こ の時に、公的サービスとしての、介護がきちんとした形になっていないと、示すべき見本が なく、商品としての介護サービスが、一人歩きすることになります。 じゃあ、どうすれば家族ばかりをあてにする日本の高齢者福祉の状況が変わるかと言え ば、その仕組み的なことはともかく、今私たちにできるのは、けなげな家族、けなげな年寄 りであることをやめること。老後に備えて、子どもの顔色をうかがったり、ちびちび貯金を したり、いざ親が倒れた時に、自分を犠牲にして尽くしたりするけなげな人が多い間は、き っと今の状況って、変わらないんじゃないでしようか。 気楽なこと言うなと言われても、もっと一人一人が、楽しく暮らそうとすること。そし 2 ろろ