ます。主人が公務員だから、彼が行ってくれることのほうが多いかしらね。母も年だから、 もっと家の中のこともやらなくちゃって思うんだけど、やつばり仕事中心の生活は変えられ ませんね。定年まであと十年。母がその間ずっと元気とは思ってないんですが、その時どう するかは、正直なところ、考えないようにしている感じです に。かわら こう言って苦笑いする彼女は、生まれてこの方、ご飯を炊いたことは、数回しかないそう です。 「私が看護婦になった頃は、〃人の世話をする看護婦は、自分の身のまわりのことは完璧に できないとダメ〃という教育だったんですね。全寮制の看護学校で、掃除や洗濯まで、厳し く躾けられました。私の場合、あれがなかったら、もう何もできなかったでしようね。専業 主婦だった母に、全て任せて、結婚してからもそうだったんですから。子どもはおばあちゃ んっ子で、それでも私の生き方は分かってくれたんでしよう。娘のほうは、看護婦になりま した」 「考えないようにしてるとは言っても、母に何かあったら、というのはやはり考えるように なっていますよ。恥ずかしい話ですが、もし母に寝つかれたら、介護以前に、目先の家事か しつ
んが、短いかもしれない。明らかな病気で最後の時期具合が悪いという状況なら、もちろん 病院で世話をしてくれるのですし、寝たきりになったら、痴呆になったら、などと考えて、 いろいろ算段するより、そこそこ動ける時期をどう暮らすか、を考えるほうが、生産的なん じゃないでしようか。 寝たきりになったら、ということを考えずに生きて寝たきりになっても、いろんなシミュ レ 1 ションをして考え抜いたあげくに寝たきりになっても。実はそれって、結果はあまり変 わらないんじゃないかと思います。 先々のことをいろいろ考えて、ちびちび節約しても、それこそ九十歳まで元気で一人暮ら しができるかもしれません。 こんなふうに言っている私自身も、自分のことになるとそう割り切れないよ、ということ もありますが、やつばり、人間のエネルギーには限りがあるのですから。考えても仕方ない ことよりも、考えて少しは事態が変わることのほうにエネルギ 1 を注ぐほうが、楽しく生き られる気はします。 226
ろが多いので、本当に世話をする人が必要な場合は、なかなかあてになりません。手のかか る人が入れるのは、特別養護老人ホームですが、これはそうそう数があるわけではありませ んし、条件のいいところは順番待ちもかなりの人数と覚悟したほうがいいでしよう。 施設の足りない部分を補ってきたとも言える、お年寄りの社会的入院 ( 帰る場所がないお 年寄りが、病気自体は安定期に入っても、介護を受ける目的で入院を継続すること ) にも、 いろいろと規制がかかってきました。今では、長期に入院させることが、病院の経営を圧迫 する要因にもなるため、短期でいくつかの病院をたらい回しにしたり、否が応でも退院を迫 るケースが増えています。これを病院の儲け主義に原因を求め、批判をする向きもあります が、このような方向に病院を誘導しているのは、保険診療の仕組みであり、結局のところ国 の意向。病院を責めても仕方がないという気がします。 「うちの親は、年をとったら施設に入るんだって。だから私は面倒を見なくていいんだよ」 若いうちは、こんなふうにノーテンキに言っていた友だちも、親が本当に年をとるにつれ て、だんだん事の深刻さが分かってきます。そう、施設に行くと親がいくら言ったところ で、具体的な選択肢は、限られているのです。今後は、民間のシルバー産業への参入もあ もう 100
きれいな男がいいやろ : : : 」 これにはもう私、爆笑しましたね。 これだけ言ってもどぎつくならないのは、テンボのいい関西弁と、彼女の人柄に尽きると 思いますが そうか。やつばりお金か。ここで止まるとちょっと淋しいけど、だったら働こう、と働く エネルギーに結びつくなら、こんな考え方も、悪くはない。 もちろん、これはあくまで彼女の願望であって、先はどうなるかなんて分かりません。で も、先がどうなるか分からないからこそ、このくらいあっけらかんと、年とってからもおも しろおかしく暮らすために、働くんだ、と言い切って生きていくのもまた、豪快でいいな、 と思いました。 よく「老後」と言いますが、思えばこれもはっきりしない言葉ですよね。年を重ねること は、あくまでも老いていく過程であって、そのあとにどうする、みたいな話は机上の空論の ような気がします。 老いて、自分の足で歩けなくなっても、若い男をお金で雇って、最高の席で芝居を見てや 2 ろ 0
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ はいえ、時代が変わってきていることは事実。そんな時代に、彼女のように、全面的に夫の 親の介護を受け入れるなんて、そのことだけでも、立派と一一一一口うしかありません。 それも、それなりにやりたいことをやった後の年齢ならばまだしも : 仕事に家庭にと、楽しげに生きている同世代を見ながらの若い時期の介護は、優しさや使 命感だけではどうにもならない、辛さがあったのだろうと思います。 実際そのあたりについて、彼女はこんなふうに話していました。 「同い年の友だちにいくらこの辛さを話しても、分かってはもらえないのよね。感心はして くれるけど、分かってはもらえないのよ。そんな友人に対して、他人事みたいに思ってるこ の人たちも、いっかは私みたいな苦労をするのよって意地悪な気持ちになったこともあった わよ。実際、今のうちに苦労をして見送ってしまえば、後は楽でしよう ? 三十三歳で しゅうとしゅうとめ 舅・姑の苦労をこの先しなくていいんだって思えば、若いうちに貯金をしたようなもの かもしれないわ」 そうは言いつつも、彼女は溜め息をついてこう続けます。 「でもね、やつばり、若いうちしかできないことって、ある気がするのよ。二十六歳から三
しかし、代わって期待の星になっているのが、「娘ーであり、「嫁が、嫁が」が「娘が、娘 が」に代わっただけと見えなくもない。 シビアに言えば、親が老後においてより頼りになる そんなふうにとれなくもない 人に乗り換え、若いうちからの投資の対象を変えただけ : のが気になるところです。 「お子さんは男の子さん ? 女の子さん ? と聞かれて、「女の子です」と答えると気の毒がられたのは、もう過去のこと。今では 「男の子」と答えるほうが、肩身が狭いとさえ聞きます。 。これは、長年逆の歴史が 女の子を持った親が男の子を持った親より胸を張って歩く 続いてきたことを思うと、ちょっと世の中ましになった証拠、と言いたいところですが、そ こに出てくる理屈は、子どもの夢や可能性、といった話とは無縁。親世代が、どちらを頼り に生きやすいかという話であってみれば、″人間って弱いから本音はこうなるんだろうなあ〃 と思いつつも、いささかの期待はずれはやはり否めません。 ともあれ、娘への期待は高まるばかり。 「男の子は、結婚すれば相手の人の言うなり。親のことなんて見向きもしなくなるのよ。で
と香織さんは言います。 確かに、みんな手がかかるなら、せめて同じ場所でまとめて面倒を見るのが能率的。しか し、相手が暮らしの歴史を背負った人間であれば、暮らしの場をそうそう簡単に変えさせる わけにはいきません。ましてや、これまで暮らしたことのない人と暮らすとなれば、なおの こと。こればかりは本人だけの問題ではなく 、相手との相生も関わるので、さらに難問で す。 同居から約一年、大きな問題なくきている双方の親は、お互いの努力もさることながら、 それなりに相性がいいのかもしれません。 「でもね、年寄りが増えたことで思いがけない効果もあったのよ。三人が、それなりに助け 合って、これまでよりも元気みたいなの。年齢が若い分、うちの両親のほうが少し元気だか ら、むこうのおじいちゃんのことを気にかけてくれてね。最初は、もう親三人を見るために 家庭に入りきりかって覚悟を決めてたんだけど、もうしばらくの猶予はもらえそうなの 確かに、これは新しい発見。 お年寄りを若い人間が見る、という以外にも、お年寄り同士の助け合いというものも存在
うは言っても、日常的に使う化粧品と言えばシープリーズだけ、という私は、ただの無精も のかもしれませんが。それでも、めちや美しく生まれていたら、私だって : ( な 5 んて こともなかっただろうな、と、悟ったのは、三十になってから。無精ものは、しよせん無精 ものですよね。きっと ) 今でも、もうちょっと華奢になりたいとか、顔が小さくなりたいとか、そりゃあ望めばき りありませんが。そのことにエネルギーをかけるのは基本的に無駄だと思っているから、別 に努力はしません。 ( やつばり、無精もの ) だって、この顔だから、縮れつ毛だから、生まれた私の哲学だって、やつばりあるんです もん。美しいほうが、若い頃はもちろん得。きっと、年とってからも、得。でも、その差 は、年とるごとに小さくなることだけは、確か。あまり外見に手間ひまかけず、中身を磨 き、楽しく生きていけば、プスって意外に、コストパフォーマンスが高い生き方ができるん じゃないでしようか。 社会は、美人の味方。でも時の流れは、プスの味方。人間の、損得のバランスシートは、 こんなふうに釣り合うものなのかもしれません。 きやしゃ 180
第一部親の老いをめぐる 10 のケース・スタディ ちなのですが、やはり「あの人、本当はいい人だったのね」で話が終わるほうが、気分がい いですもんね。 し選択だ、 ことがひとっ終わってしみじみ感じたのは、介護については、これが絶対にいゝ という決定版はないのかな、ということでした。考えてみれば、年をとってからだが弱り、 おまけに人の手を借りて生きなければいけなくなる状況自体、決して快適なものではありま せん。その中で、自分も周囲もそこそこ妥協しあえる手を決めるというのは、並大抵のこと ではなさそうです。 さらに、世話をする人自身も、世話をしつつ、世話される日々に近づいていくことを思え 学」く ば、そうそう下の世代が犠牲になることを期待するのも酷でしよう。 ) 時司も決 娘さんが、「定年まで後十二年 : : : ーとおっしやった時、娘さん自身の″ して長くないんだな、ということを、私は痛感したのでした。 私の気持ちの中にも、娘さんが女性だからこそ、外で自分が働くよりも、家で親を看たら どうか、と言いたい本音があったかもしれない。あれがもし、息子さんだったら、同じこと を思ったかどうか : 正直なところ、自信がありません。 1 ろ 1
しに追われながら、日々を過ごしておられる様子。それを感じる時、やはり人間はたくまし いと思います。 こも分からないことです。自分が先かもしれ 誰がどのような順番で、生命を終えるかは誰。 ないし、 とう何を心づもりしておいても、その時が来 1 トナーのほうが先かもしれない。、 れば、誰しも涙にくれるでしよう。そのことへの準備なんて、何もできません。 生きていること自体を肯定する しかし、こんなにも暗いことを時に考えつつも、私はやつばり、長生きしたいなあ、と思 る え うんです。 考 を 若くして亡くなった人でも、もちろん中身の濃い生き方をして、多くの人にいろんなもの 老 の を残していった人がいます。そうかと思えば、明らかにその逆の例もあるかもしれない。そ 私 の の意味では、人間の生き方の価値は決して長さでは決まらないのでしよう。 来 しかし、短命な人がたまたま中身が濃い生き方をしたと言っても、その人が生まれてから 部 ずっとそうやって勢い込んで生きてきたわけではないし、長生きした人が、「この先まだ長 2 ろ 9