家 - みる会図書館


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1. 裁きの家

「奥さん、ばくの正体を見せて上げますか : 覆っていた手を、顔から離すと、北野はニヒリスチックに笑った。別人のような表情だった。 優子は無気味さを覚えながら、北野の顔を見た。 「滝江が悪いんだ。滝江は : 北野は優子を見て、再びニャリと笑った。 「奥さん、奥さんが宮ノ森で見た滝江の相手はばくです。このばくです」 「 , んつ」 優子は息をのんだ。 「帽子をかぶって、眼鏡をかけ、背広を着ていた背の高い男、あれがこのばくですよ。おばあち ゃんを藻岩の家から追い出したのも、滝江が自分の家で、このばくと遊びたかったからですよ」 優子は呆然とした。 「今日、ばくがここに来たのも、一万円の金が欲しかったからです」 北野は五本の指で髪をかき上げながら言った。 「一万円 ? 」 「そうです。あなたにキスをしたら、一万円やると、あいつは言ったんだ」 家 の「まあ ! 」 北野の一つ一つの言葉が、優子を驚がくさせた。 「ふふ : : : ばくって男は、金のためなら何でもする、そんな男なんだ。家庭教師も金のため、藻 岩の家に行くのも金のため、いまに、金になることなら、放火でも殺人でもやりかねない」

2. 裁きの家

四十三 窓越しに晴れた空を眺めながら、ふっと優子は、スキーに行った謙介たちのことを思った。博 史と謙介と、滝江と弘二。そう並べて見ただけでも、優子は侘びしい思いだった。そこには何か が欠けていた。それは誠実と言うべきか、清さと一一一一〕うべきか、とにかく大事なものが欠けている ような気がした。 ところ 少なくとも、この修一と関子。そして、あの吉井の中にある美しさは、彼らにはない。 で自分は一体、どちらの側に属する人間だろうと、優子は日頃の自分を思って見た。吉井や修一 たちの仲間には、入れないようなみにくさがあるのを、優子は思わすにはいられなかった。 「小母さん、このあべかわ、おいしいですね」 関子が快活に声をあげた。 「どうもありがとう、おかわりしてね」 これがズベ公と言われた関子なのかと、優子はふしぎな気がした。 「関子さん、ばくねえ。ばくの家はおもしろい所にあると思うよ」 修一が言い出した。 家 の「どうして ? 公園のそばだから ? 」 いいかい、一番端の家は、ばくの家でしよう。その次が弁護士、そ 「うん、それもあるけどね。 の次が洋装店、その次が猟友会さ。次がコーヒーショップにジャン荘だろう。それに高教組があ って、お琴の先生のうちがあってさ。ホームセンターがあって、また弁護士さんのうちだよ」

3. 裁きの家

酒といっても、謙介は強いほうではない。ふんいきが好きで、同僚について廻るだけなのだ。そ れでも三合は飲んだかも知れないと、謙介は大きく伸びをした。 十一時に、滝江たちとスキー場で落ち合うことになっているのだ。起き上ると、急に体が生き 生きとして来た。滝江のスキー姿を想像しただけで、謙介は元気が出た。急いで顔を洗い、身仕 度をすると、 「弘二、行くそ」 と叫んだ。 「あら、お食事は ? 」 優子は呆れたように謙介のヤッケ姿を見た。鮮かなプルーである。 「飯は山の上で食う。優子は行かないのか」 「わたし、おるす番しますわ。おかあさんもお友だちの所に出かけるっておっしやるし」 スキーを持っていない自分が、スキー場までのこのこついて行っても仕方がないと、優子は思 「そうか、じゃ、晩飯は藻岩の家で食べてくるからな」 謙介はスキーをかついで、弘二と共に家を出て行った。 家 の家の前でタクシーを拾った謙介は、車の屋根にスキーを乗せてもらい、座席に腰をかけた。 「おと , つき、ん」 「なんだい」 「おとうさんは、ばくがグラマーにぶつかってやるって言ったとたんに、目をさましたね」

4. 裁きの家

た、滝江の指の柔らかい触感がなまなまと残っている。 「おねえさん、帰ります」 謙介は立ちあがった。 「あら、もうお帰り ? じきに博史が帰るわ。一時間ぐらい待っててくれって言ってましたわ」 謙介は再び腰をおろした。優子や息子たちの手前、このままのめのめと帰るわけにもいかない 「召しあがれよ。水割りになさる」 滝江は畳の上に横すわりになった。白い足だった。謙介は目をそらした。 「静かな夜だなあ」 「でしよう。この世に、まるで謙介さんとわたしの二人っきりみたいね」 「どうしてこんな淋しい所に家を建てたんです ? 」 このあたりは、いま萩の花が盛りである。二、三年前、近くの藻岩山に熊が出たとさわいだこ とがあった。 「そうかしら、淋しいかしら。けっこう車は通るし、離ればなれでも、家はたくさん建ってるじ ゃないの」 「そりやそうだけど : 家 「わたしね、自分の家の庭を、 小川が流れているという地形が気に入ったのよ。ほんのひとまた の きぎの小川だけど、水がとてもきれいでしよ。わたしね、昔から小川の流れる庭が欲しいと思いっ づけて来たのよ。だけど、人間の理想って、こんなことでいいのかしらって、ときどき思うわ」 謙介はおやと思った。滝江は現実的なだけの人間のように思っていた。

5. 裁きの家

家 の 裁夕食を終えた謙介は兄の博史に電話をかけて在宅を確かめ、家を出た。 タぐれの公園の芝生を、少女が男の子のようなジー ンをはいて、大に引きすられるように駈 「ごめんなさい、わたしがそそっかしいものですから。でも、あの紺のスーツをみて、わたし、 てつきりおねえさんだと思っちゃったのよ」 「紺のスーツ ? 「ええ」 「ほらごらんなさい、おかあさん。あの日わたし、和服でしたわね」 その通りだった。優子がみたのは、和服姿の滝江だったのだ。 クメは不機嫌な顔をいっそう不機嫌にして、 「優子さん、一一一一口葉に気をつけてくださいよ。人騒がせにもほどがありますよ」 と、強くたしなめた。 帰り際に、皮製のハンドバッグを、滝江は優子にくれた。そのバッグを優子は惨めな思いで抱 えて家に帰った。 そんなことがあって以来、クメと滝江の仲は、何となく気ますくなり、クメは時々胃を悪くす るようになった。やがて胃潰瘍と診断された。今年の春ついに入完しこ、、、。 「オがとうやら四カ月の入 院生活で恢復し、後二、三日で、退院するというのである。 そのクメを、滝江は、優子の家に引きとれと、電話をかけて来たのだった。

6. 裁きの家

「ああ、一度行ってみたいな」 謙介はもう、今朝はどクメに叱られたことも、優子が怒っていたことも、忘れたかのような返 とこかの公衆電話からかけ 事をした。今日はこれから新年宴会があると言って、電話を切った。、、 て来たらしい電話だった。受話器を置いて、滝江は鼻先で笑った。謙介のように、すぐにどうに でもなりそうな男は、興味がなかった。滝江が謙介を相手にする理由は、謙介が博史の弟であり、 優子の夫であるということだった。博史の気取った顔を見ると、時折滝江は、謙介を誘惑したく なる。 博史と謙介はもともと、肌の合う兄弟ではない。博史は頭から謙介を小馬鹿にしていた。博史 にとって、大学教授以上の立派な存在は考えられなかった。政治家は堕落した人種であり、実業 家は俗物の最たる者であった。ましてその実業家に使われている謙介のような商社マンなど、博 史に言わせると、昔の足軽のような存在だった。 「学問のない奴などは : よく博史は、そういう一一一一口葉を使った。そのくせ、博史は優子をよくほめた。 「女は、ああでなくちゃあ」 とか、 家 の「女は女らしいのが一番だなあ。優子さんは、何で謙介などと結婚したのかな」 と、幾度となく言った。 裁 もし、自分が謙介と、何かあったとしたら、驚きあわてる博史の顔が見えるようで、滝江は思 っただけでも愉快だった。その上、優子のあの表情の少ない、いかにもおとなしそうな顔が、嫉

7. 裁きの家

と言った時、滝江はふくみ笑いを洩らした。滝江の、ぬれたような黒い瞳と、やや厚めの肉感 的な唇が、皮肉に笑っているのを、優子は目の前に見たような気がした。その笑いが何を意味し ているのか、優子には痛いほどよくわかった。 優子は去年の秋、家を新築した友人に招かれて宮ノ森に行った。札幌神社の裏手の山腹一帯の 「宮ノ森」は、この頃急速にひらけた高級住宅地である。山小屋ふうに、白樺の丸木を使った家 や、軒先が垂直に地に届く、赤い屋根の家など、モダンな家が多かった。 その帰り、優子はタ焼空を眺めながら、落葉松の生垣に囲まれた、小粋な料亭ふうの旅館の前 を通りかかった。見るともなく、その玄関先を見た時、優子はハッとして、思わす生垣の陰に身 をひそめた。玄関の明るい灯の下に、嫂の滝江が、若い男と二人で出て来たのを見たのだった。 滝江は大胆にも、男の腕に軽く手をかけていた。 その夜、ためらいながらも、優子はやはり、夫の謙介にそれを告げすにはいられなかった。 「なるほどな、あのおねえさんなら、ありそうなことだね」 謙介はあまり驚いたふうもなく、ばつりと言った。その一言に、優子はふとかすかな不安を感 「あなた : ・ 「なんだ」 しい ' ん」 優子は言いかけた言葉をのみこんだ。 夫の謙介は、平凡な、まじめな、いく ぶん人がいいだけの商社マンだと思っていた。その夫が、

8. 裁きの家

クメは入歯をカチカチ音させながら言った。 その日の午後だった。 「あら、おかあさんお元気になったのね」 いきなり茶の間の襖があいて、ウグイス色のスーツを着た滝江が入って来た。 「おかあさん、腰はだいぶよろしいんですってね。昨夜謙介さんに伺ったわ」 今朝ほど、滝江にもこの新聞を読ましてやりたいと言っていたクメだったが、突然の滝江の出 現に、ロほどもなく愛想笑いをした。 しいスーツじゃないの、滝江さん。おかげさんでね。わたしも、電気をかけてから、目に見え てよくなりましたよ」 「それは何よりね、優子さんも助かるわ。ね、優子さん」 挨拶のきっかけを失なっていた優子は、 「いつも、宅がおせわになって : : : 」 と挨拶をした。しかし、昨夜滝江の家に謙介が行っていたとは、優子は聞いていない。優子の 家 の胸は波立った。 「おせわになるのは、わたしよ。謙介さん、わりかし足まめでしよ。すぐに飛んで来てくださっ て、何かと助かるわ」 そんなに度々、滝江の家に行っているのかと、優子は思わず眉根を寄せた。

9. 裁きの家

「そしてね、伯父は、あんな男のことなど忘れて、誰かいい人があったら結婚することだなって、 母に言ってたわ。それからよ、わたし。うんと悪い子になってやろうと思ったの。父が蒸発した ら、子供たちはみんなこんなに悪くなるんだってことを、世の中の親に知らせたかったのよ。そ れともう一つ、わたし、母と離れたくなかったの。わたしがズベ公のようになったら、伯父だっ て、養女にするとは思わなくなるでしよ」 「うーん、そうか。そうだったのか」 「さよなら。ほら、そこに門灯がついてる、大きなプロックの塀のある家ね。あそこよ、伯父の 家は。またお手紙書くわ」 さっと身をひるがえすように、関子は走って行った。 修一は、その家の門まで行ってみた。吉井という大きな表札がかかっていた。 つばいにさしこんでいる。 リビングキッチンに、朝の日がい 「あら、弘二ちゃんどこかしら」 食後の紅茶をいれながら、優子が呟いオ 「おトイレでしよ」 クメが一一一口った。 優子は、自分たち夫婦の部屋に、何か音がしたような気がして、立って行ってのぞいた。 「まあ、弘二ちゃんたら」

10. 裁きの家

優子は、北野にいわれるまでもなく、甥の清彦の虚無的な、あの暗い性格を不安には思ってい たのだった。 清彦はしかし、生まれつきあんな性格ではなかったような気がする。幼いときは、優子によく なついて、遊びに行くと、自分の絵本や玩具などを出して来て、優子のそばを離れなかったもの 優子は、人間の性格がそんなに大きく変わるものだろうかと疑問に思う。俗に、三つ子の魂百 まで、という一言葉もある。あの無表清に見える清彦の心の中は、案外変わっていないのではない かと時折巴、つことがある。 それは、優子が今でも清彦に会ったときに、何か心のふれ合うものを感じるからだ。藻岩の家 に行くとむつつりと、優子のいる部屋に入って来て黙ってすわっている。そして、ふと手を伸ば して、扇風機の調節をしてくれたりする。 玄関まで見送って来たことはないが、ふり返ると、必す庭の片隅に立っていたり、二階の窓か ら顔を出していたりする。 優子の家にも、年に何度かはやって来て、ソフアに寝ころんだまま、半日暮らしていくことも ある。 家 「ありがとう」野さん」 の きふいに優子は、明日にでも清彦を訪ねたいと巴った。 十