入っ - みる会図書館


検索対象: 隣りの女
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1. 隣りの女

客の気持になっておもてから見てみよう。二人はそう言いながらドアの外に出て、あっと声 が出てしまった。客が入らないのも当り前で、 「只今準備中」 の札が風に揺れていた。 こういう思い出ばなしをして、肩をぶつつけあって笑っていると、天にも地にもかけがえの ない姉妹だという気がしてくる。 せわしくドアが開いて八木沢が入ってきた。 この店のオーナーである。 錦糸町でバーのやとわれママをしていた組子を引っこ抜いたのは、この男である。 「オープンに、校長先生、来ないかな」 八木沢は、このあたりにけちなゲーム・センターやスナックを二、三軒持ち、ひろげ過ぎた 分だけ手形に追われて、年中忙しがっているのだが、勇造の教え子で、今でも校長先生と呼ん でいる。 「くるわけないでしよ。自分の娘が男にお酒つぐとこは見たくないんじゃないの」 「そりや昔のはなしよ。人間て奴は、環境でころりと変るんだよ」 「変るものもあるけど、変らないものもあるわよ」

2. 隣りの女

206 直子は一瞬早く立ち上り、台所から薬罐に水を入れ、コップを二つ盆にのせて持ってきた。 「はい、 ~ めりがと」 当然のように須江は受け取ると隣の部屋へ入っていった。 音を殺して沢庵を噛んでいた順子が、上目遣いに姉の顔を見た。知らん顔をしていたが、直 子は、またまた自分の持ち分を齧られた気分になった。 布団の余裕がないので、その晩、須江は直子とひとっ布団で寝ることになった。 背中合わせに横になり、目をつぶったとき、須江が寝返りを打った。 あ、と思った。 「お母さん」 低い声で言った。 「お母さん、あたしの化粧品、使っているんじゃないの ? 」 このところ、減りが激しいと思っていた。妹の順子かと疑っていたが、須江だったらしい 須江は答の代りにあくびをひとっすると、すぐに寝息を立てはじめた。 たしか火曜か水曜の夕方だった。直子は風見のオフィスを覗いてみた。 格別用があったわけではない。あと二、三日待てば金曜になり、風見は夕飯を食べにうちへ

3. 隣りの女

「たノ、士しいね」 しつかりやれよという風に手を差し出した。 「めり - がと , つ」 あと何十年を生きるかわからないが、男の手をこんなにきつく握ることはもうないだろう、 とサチ子は思った。 スナック「パズル」に集太郎が入ってきたのは、夜十一時を廻っていた。 「隣りの時沢です」 少し酒が入ってはいたが、カウンターに腰を下すとすぐに峰子に挨拶をした。峰子は無言で 会釈をして、注文の水割りをつくっている。 「カミさん、なにか言ってなかったですか」 集太郎は、カウンターのルービック・キューブを廻しながら、 「この間からちょっと出てるんですがね、谷川岳へのばりますと書いてあるだけで」 「谷川岳 ? 」 氷を割っていた峰子の手がとまった。 「今まで山登りのやの字も言ったことのないやつが、なんで急に谷川岳なのか、さつばり見当

4. 隣りの女

「なんも盗りやせんよ」 「盗らなくたっていけないの。うちはこれで食べてンのよ。あのうちは、黙ってなかを見る ( て言われたら、誰も預けなくなるんだから」 「爆弾入っとったらどうする」 「そんなもの入ってるわけないでしよ。先生、さあ、早く寝よ」 痰がのどにからまったような切ない咳と、布団をめくる物音がつづいて、やがて静かにな ( 校長時代は愚直なほど、曲ったことの嫌いな父親であった。 お歳暮だかお中元に、商品券を持って来た父兄があった。 菓子折と重ねてあったので母はうつかり受け取ってしまった。夜遅く帰ってきた父は即刻 してこい 、とどなり、母が夜更けに着物を着替え、出掛けて行くのを見た覚えがある。 あの父が、他人の荷物を覗いている。 多江のロ振りでは、時折あるらしい 七十歳の父は、一体なにを覗いているのだろう。何が見たいのだろう。 組子の肘が素子にあたった。 何か言いたいのか、と顔を向けると、組子が涙でいつばいの目で、泣くような顔で笑いか (

5. 隣りの女

「しゃべらないほ , つがいしよ」 しいの。二人きりでしゃべるのよ、これでおしまいだもの。そうでなけりや、素子が可哀扣 だもの」 インターフォンから流れていた声が沈黙した。 素子は息が苦しくなった。 しゃべって欲しかった。沈黙は、居ても立ってもいられない怖 1 どんな辛いことでもいし さがあった。 「素子のこと、好きなんでしよ」 「好きだよ」 さっきの烈しい声ではなかった。 いつもの数夫の声だった。 「この間ね。一緒に八幡様、いったの。隣りで拝んでるあの子の肩見てたら、急に涙出て来亠 のよ。この子、何、拝んでるんだろう。一生懸命やってるのに今までいいことなかったもの このままじゃ、あんまり可哀相だもの」 数夫が何か言いかけた気配があって、スイッチが切れた。入ってきた年輩の看護婦が事務 な手つきでスイッチを切り、立っている二人を不思議そうに眺めた。

6. 隣りの女

入り、コーヒーを頼んだ。巻二の「情を入れし樽屋物語」をひらいた。 「恋に泣輪の井戸替、身は限りあり、恋は尽きせず、無常はわが手細工の棺桶に覚え、世を渡 る業とて錐鋸のせわしく」 コーヒーカップを持ち上げると、まだ手が震えていた。うしろの現代語訳をめくった。 「人の命には限りがあるが、恋路はっきることがない」 目は字を追っているが、気持はあの声を聞いていた。たしか「朋文堂の麻田」といっていた。 気がついたら、立って、職業別電話帳をめくっていた。絵画材料額縁のところに朋文堂があっ 「モシモシ、朋文堂ですが」 ダイヤルを廻したら、あの声が出た。サチ子は電話を切り、住所をメモに書き込んだ。手が ひとりでに動いているという感じだった。 朋文堂は二つ隣りの駅前にあった。 かなり大きな店で、麻田のほか、二、三人の店員がいた。麻田がたばこを喫いながら、女店 員とふざけているところをみると、まだ峰子の事件を知らないらしい 「あのオ」 ロごもりながら、サチ子は小さな声で告げた。 きりの、一ギ一り

7. 隣りの女

「あれからすぐ北海道へ出張してたもんだから : : : 」 くじいた足の具合を聞いてから、大きな四角い箱を突き出した。 「じゃがい - も、嫌いか - な」 大好き、と言おうとしたが、 直子は鼻がつまって声が出なかった。いったん玄関に出てきた 彡、冫が、手洗所の前でダンダラ縞の靴下を脱いでいるのが目に入った。 風見が帰ってから、直子は掃除機の先のほうを使って、玄関の屋根にプラ下っていた、若布 のアンダー・シャツを取った。 「なにも夜中にやらなくたって、明日の朝だっていいじゃよ、 須江はそう言ったが、直子は朝まで待てなかった。妹の順子が小馬鹿にしたような顔をした が、直子は少しも気にならなかった。 週末ごとに風見が遊びにくるようになった。 直子は、二人きりで外で逢いたいと思ったが、どういうわけか風見はうちへ来たがった。 ビャホールで生ジョッキをあけると、直子を送りがてら寄って上ってゆく。お茶漬やカレー ライスの残りものを出すと、お代りをしてよく食べた 「近頃の若い人はしつかりしてるねえ。うちで食べりやお金がかからなくていいものねえ」

8. 隣りの女

れというが、戻るか戻らないかは五分五分だなと言いながら、年輩の主人はニューヨークの 着き先のメモを渡してくれた。友人のアトリエだという。サチ子の名前も間柄もたずねなか ( 端の赤くなったあの札がミシンの抽斗に入っていると思うと、夜、集太郎の手が伸びてき一 も、抱かれる気にならなかった。 暗い中で激しくあらがい、布団からせり上ってミシンの下に入り込んでしまったりした。 「くたびれてるの。ごめんなさい」 「内職なんかやめちまえよ」 集太郎は寝返りをうって、背を向けた。 浮気ならまだ言いわけは立っと思った。金で売った形になったからだだと思うと、それだ は気がとがめた。 夜だけでなく、昼もサチ子は落着かなかった。 廊下へ出ると、主婦たちのヒソヒソばなしが急にやむような気がした。峰子が皆につげロ宀 するのではないか。いっかはあの集太郎の耳にも入るのではないか。買物にいって一万円札 + 出すとき、みなが見ているようで手が震えた。このままでは駄目になる、と思った。内職で一 めたへそくりの定期を解約して旅行社へいった。・ ヒザをとりニューヨークまでの航空券を買 (

9. 隣りの女

「どういうつもり、してるんだろう」 須江は陰口を利いていたが、ロほど腹を立てていない証拠に、週末になると、独身の男の喜 びそうな、煮〆めやおでんを用意するようになった。今までは、用にかまけて、おかずは出来 合いのお惣菜やで間に合わせていたのだが、出汁をとって物を煮る匂いが台所から流れるよう っ ) よっこ。 「もう来ないと思ったわ」 二人だけのときに、直子は思い切って言ってみた。 「レっして」 「だって : : : あたし、見栄はったから」 「見栄はらないような女は、女じゃないよ」 さゆ おそましいとは思わず、可愛いと思ってくれているんだわ。直子は、嬉しいときには、白湯 を飲んだように胸のところが本当にあったかくなることが判った。 夏が終って、庭や縁の下で虫が鳴くようになると、金曜日の晩は風見が来て食事をするのが 来 習慣になった。 春 いつの間にか、風見の席が決っていた。今まで父の周次が坐っていた場所である。周次は横 にどき、まだ開いていないタ刊を先に風見にすすめた。

10. 隣りの女

2 周次は、三人の女を順に見て、それから低い声で呟いた。 「あんたも、大変だなあ」 次の木曜日の夕方。直子は喫茶店で風見を待っていた。 鏡に人待ち顔の自分の姿がうつっている。父は広告会社の重役だの、母はお茶お花の心得が、 とつい見栄をはってしまったあの店である。 自惚れを差し引いても、あの時分にくらべると、少しは女らしく華やかになったような気が する。着ているものも、前みたいにドプネズミ色ではなくなったし、何よりも、相手が決った という落着きが、内側から髪の毛や肌に艶を与えてくれるらしい 風見が入ってきた。 煙草に火をつけるのを待って、直子は切り出した。 「毎週金曜日にうちへご飯食べにくるの、一週置きにして欲しいの」 風見が何か言いかけたが、直子はかまわすつづけた。口下手なのは自分でも判っていたが、 これだけはどうしても言っておかなくてはいけよ、。 「うちへくると、どうしても、家族ぐるみでつきムロうことになるでしよ。でも、それは結婚し てからでいいと思うの。考えてみたら、あたし、あなたと一対一で、ちゃんとご飯食べたり話